2009年9月29日火曜日

「沖縄住民虐殺―証言記録」


日本軍が組織的に沖縄の日本住民を虐殺したという前提で書かれた本。基本ストーリーは『鉄の暴風』に依拠しており、本書の証言もその筋にそって集められた節がある。一方、戦後の米軍の悪行についても詳細な記述があるが、こちらの方は時代が近い上、特に種本はなく、比較的信頼しうる素材になっていると思われる。

丹念に証言を連ねる著者の姿勢は評価しうるものである。しかし時代的制約がそれを消して余りある。とりわけ次の一節は、時代の雰囲気の証言として、ぜひ後世に伝えたいと思う。
曽野綾子著『ある神話の背景』は...きわめて熱っぽい労作であるが、元日本軍を免罪することに腐心した政治性において、注目に値するだろう。(p.112)

曽野氏の著書の具体的内容に一切踏み込むことなく、この種の言及がなされることに改めて強い感慨を覚える。『鉄の暴風』の記述の客観性に疑問が指摘されている現在ではなおさらである。まるで、日本軍にとって有利になってしまう調査報道の類は、すべて政治的プロパガンダに過ぎないと決め付けているように私には聞こえる。

政治性、という時代がかった言葉に、私は戦前のプロレタリア文学運動を想起した。プロレタリア文学の主要な評価基準に「文学の党派性」という概念がある。党派性というのは要するに、革命政党の方針と矛盾しない、ということである。具体的には、『蟹工船』のように、独占資本を悪く描き、プロレタリア独裁を賛美する、ということである。

それが文学であれば問題はない。実際、『蟹工船』の臨場感は文学として素晴らしい。しかしこの本には、旧日本軍関係者が実名で出てくる。この世に実在する生身の人間を、政治的ないし党派的立場から面罵しているのである。これは許されることなのだろうか。

本書が単行本として出版されたのは1976年。連合赤軍事件が党派性概念の極限形態を世に知らしめてから5年しか経っていない。「逆コース」への不安が、なんとなく世間に満ちていたのはわかる。しかし、である。いやしくも「証言記録」と副題に書くのならば、あたかも特定の政治性を守ると言わんばかりのことを書くような真似はしてはならないと思う。

このような才能ある著者が、政治の時代の犠牲者として、この種の非生産的な活動に従事せざるを得なかったという事実に、敗戦がこの国にもたらした深い傷跡を見ざるを得ない。

沖縄住民虐殺―証言記録 (徳間文庫)
  • 佐木 隆三 (著)
  • 徳間文庫、1982
  • 文庫: 253ページ
  • 出版社: 徳間書店 (1982/04)
  • ISBN-10: 4195972981
  • ISBN-13: 978-4195972984
  • 発売日: 1982/04

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