ところで、連合赤軍事件で最後まで自供を拒んでいた坂口弘が「落ちた」のは、2つの死体の写真を見せられた時であった。ひとつの死体は連合赤軍兵士・金子みちよであり、もうひとつの死体は今に至るまでその名は明らかになっていない。妊娠8ヶ月の胎児だったからである。
その胎児の父が、本書の主人公・吉野雅邦である。金子は吉野の妻であった。そして著者はこの二人と学生時代に親しく付き合った。本書には金子の写真も(不鮮明だが)2点収録されている。
著者は、この悲惨すぎる事件の非日常と、著者が知るこの若いカップルの日常のコントラストを通して、いわば時代の狂気を描こうとしたように見える。一方でもう一人の共通の親友・津田の渡米という事件をそれに絡ませて、吉野の人生という軸に2人の人生軌跡が螺旋状に絡まるという形で、いわば文学的にこの物語を構成したかったように思える。
しかし残念ながらこの試みは成功したとは言えない。前半の吉野と金子の純愛物語は、おそらく両者を親しく知る著者の照れが影響してなのか、どうも中途半端である(些細な点だが、見出しのつけ方が耐えがたく悪いのと、三角括弧を使った引用の仕方が見にくい)。津田の存在に至ってはおそらく確実に不必要である。
しかしその失敗を補って余りある貴重な情報が本書にはある。私が特に注目したのは、1983年1月28日付けの著者宛の吉野の手紙である(p.229)。この手紙で吉野は、女性同志殺害を命じた永田洋子の心境を、理論的能力で抜きん出ていた最高幹部・森恒夫をめぐる女性ライバル抹殺の物語として解釈している。
永田は、有能な女性兵士をほぼ全員粛清した後、事実婚の状態であった坂口に離婚を告げ、そしてその場で最高幹部森恒夫との結婚を宣言したのだった。その結婚宣言が、能力的にライバルと目されていた金子みちよ・大槻節子の処刑の後であったことに吉野は注目する。
大槻節子、金子みちよとも、理論的能力に優れ、リーダー性もあり、その上、美人であったとされている。上のように言ってしまうと、山岳ベースでの出来事はすべて単なる痴話事件も同様となってしまうので、坂口弘はじめほとんどの当事者はこれを決して認めることはないだろうが、これが、連合赤軍中央委員であった吉野雅邦の、事件から10年後の述懐である。
「彼女は何か本当に金子・大槻さんあたりが永田を排除して森に接近し、『指導者の妻』の座を占めるかもしれないという不安を抱いていたのではないかと今思い返すとそう思われます。」(p.230)
「それゆえ、大槻さん・金子の死によって安心して、森を連れて上京し、結婚にこぎつけたのはではないかと思います。」(同)
★★★★☆ 『あさま山荘』篭城 ─ 無期懲役囚・吉野雅邦ノート
- 大泉 康雄
- 祥伝社文庫
- 2002
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