2026年7月5日日曜日

日本の住宅のエネルギー効率は先進国最低である

100万人あたりの熱中症死亡率
現在NY地区は記録的な熱波が発生しており、華氏100度近い温度が数日続いています。電力供給が若干不安定になりつつあり、これを機に、日米での一般家庭のエネルギー消費と住宅事情について調べてみました。

日米住宅断熱事情

私がかつて住んでいた東京近郊の家は3つとも、夏は暑く冬は寒く、寒いばかりか窓には結露がひどく、灯油ストーブで暖房すると、天井付近と床で顕著な温度差が感じられ、北海道の高断熱住宅で育った私には、正直とても不愉快でした。結露も温度差も、断熱性能に劣る家の典型的症状です。

夏は夏で、冷房の風が来るところでないと暑いが、かといって冷房の風に当たって寝ると体調を崩す、という調子でどうにも対処のしようがなく、結果、夏は毎年夏バテをしていました。これも、冷房を消した瞬間に室温が上がるという、断熱性能の低さからくる問題だったのだと思っています。

NYの気候は北海道に似ていて、本州で言えば軽井沢とかその程度です。東京近郊の標準的な家がもしあれば、特に冬は悲惨な居住環境だったでしょうが、今の家は相対的にとても快適です。冬はベースボードヒーターと呼ばれる温水暖房が各部屋に完備され、私の家の場合2ゾーンで温度管理できます。窓は二重ガラスの断熱窓が標準で、結露は全然ありません。夏は全館冷房で、ダクトからマイルドな冷風が流れてきます。

ガス・電気代は冬は500ドルくらい、その他の季節は200から400ドルくらいです。日本に住んでいたころはガス・電気料金はおそらく合計2万円くらいだったと思うので、高いと言えば高いのですが、日本の家にありがちなとてつもなく寒い風呂場とか、灼熱の西部屋、みたいなことは全然なく、その快適さは段違いです。アメリカ駐在員のブログあたりには「食事もサービスも全然なってない!日本最高!」などと書かれがちですが、こと住宅環境に関しては、広さとか狭さとかそれ以前に、米国の一般住居の建築基準と、日本の建築品質の多大な格差を体感した次第です。

日本の最新の建築基準の実体

私が体感した格差は実は建築基準を少し調べると明確な事実として明らかになります。2000年代以降、省エネ・エコが全世界的潮流になった後ですら、日本政府は住宅断熱について有効な施策をとっておらず、結果として、欧米先進国に比べて最低の住宅性能に甘んじる国になってしまったのでした。2025年の基準ですら、窓の断熱性能において、中国、韓国、その他欧米先進国に比べて最低の水準であり、たとえばドイツの基準を使えば、北海道以外の場所で建てられている家の多くは基準を満たさぬ違法建築です。少し古いですが、2014年に日本経済新聞に掲載された松尾和也氏の記事 [1] が全体像を把握するのに参考になるでしょう。

[1] 松尾和也, 低い断熱性なぜ放置、世界に遅れる「窓」後進国ニッポン, 日本経済新聞, 2014年11月7日 [link]

もう少し定量的に話をしましょう。住宅の断熱性能は、物理学的には熱伝達率で表現できます。単位は W/m2 K です。住宅エネルギー収支の分野では、熱伝達率、すなわち、単位面積・単位温度差あたりに移動する熱を U値あるいは日本語で熱貫流率 と呼びます。これは住宅の冷暖房におけるエネルギー損失を表現するために国際的に使われる指標です。住宅での熱の流出(冬季)の6割、流入(夏季)の7割は窓から起こりますので [1]、窓のU値が特に重要です。窓を通して出入りする熱は

(1秒当たりに窓から出入りする熱) Q = U × (内外の温度差) × (窓の面積)

と表されます。したがってUが大きいほど素通し度が高く、無駄が大きい、ということになります。どういう事情か知りませんが、日本では、北海道以外の地域ではほとんどの窓がアルミサッシです。問題は、アルミニウムは熱伝導性が木や樹脂素材に比べて1000倍くらい高いため、U値を低くすることが物理学的に不可能だということです。一級建築士の吉田武志氏の記事によれば、先進国の大半が樹脂製ないし木をベースとした素材に移行する中、日本は9割以上がアルミサッシで、これは世界中の国の中で圧倒的な特異点となっています。

2025年の日本の基準では、窓のU値として事実上 4.65 W/(m2 K) が挙げられています [2]。ドイツのU=1.3、米国の U < 2 と比べた時、日本の基準の周回遅れぶりが際立ちます。ドイツではU > 4 の窓は販売すらできません。既存住宅の大半はアルミサッシの単板ガラスで、このU値は6.5くらいだそうです。ドイツの標準的な窓の5倍もの損失があるということです。私が日本にいた時に結露に悩まされたのもうなづけます。上記日経の記事 [1] では、「日本に5700万戸あるといわれる住宅の8割以上は、U値が6.5W/m2・Kというレベルでしかない」と明確に述べています。日本の住宅の大半は、欧米先進国では断熱性能において違法アングラ建築の水準なのです。一時期はテクノロジーで世界経済の覇者となったはずの日本の、極めて恥ずかしい現実がここにあります。

さらに救いがたいことは、この恥ずべき現実を意図的に隠蔽している痕跡すらあることです。日本の2025年の基準では、家全体の、すなわち、窓も屋根も壁もひっくるめた平均熱貫流率(UA値)の0.87 という値のみを指定しています。窓のU値についての単純明快で強制力のある基準は存在しません。上記、窓のU=4.65というのはUA値計算のための既定値として出てくるのですが [2]、これは現行のアルミサッシを温存した時にも達成可能な値です。厳しいドイツの窓の熱貫流率の基準 U=1.3 より一見小さいUA=0.87 という数字を出すことで、日本はエネルギー効率の優等生という虚構を維持したかったのかもしれませんが、窓より壁の断熱性能が高いのは当たり前ですから、上記の通り、熱損失の6-7割が窓から起こることを考えれば、窓、壁、屋根、すべてひっくるめて面積当たりの値を出すという操作は、科学的にも統計学的にも全く意味をなしません。公務員試験を通過した国土交通省住宅局の職員がこれを理解する程度の知能がないとは思えませんから、意図的に日本で主流のアルミサッシの断熱性能の悪さを隠し、関連メーカーの利潤確保を支援する意図があったと疑われても仕方ありません。普通に考えると、国交省関連議員および国交省住宅局幹部と、アルミサッシのメーカーとの間に、何らかの癒着が疑われます。

[2] 平間昭光, "建築物の開口部(窓)に求められる断熱性能(基準の解説)," ウッディエイジ, 01/2024 [link].

劣悪な住宅で死んでゆく日本人

いやいや、『徒然草』の、「家のつくりやうは、夏をむねとすべし」、の言葉の通り、高断熱気密住宅は日本の文化にそぐわない、簡素な住宅で暑さ寒さををやり過ごすすべを知っている日本文化をむしろ誇るべきだ、という意見もあるでしょう。しかしデータは残酷です。主に劣悪な住居環境に由来すると思われる heat stroke(熱中症) による人口100万人当たりの死者数は、世界のあらゆる国の中で突出して悪い、という動かしがたい事実が The Lancet という権威ある医学学術誌で報告されています [3]。冒頭の棒グラフは同論文から持ってきたものです。

[3] Tobias A, Honda Y, Madaniyazi L et al. "Variation in reporting of heatstroke mortality: evidence from a multi-country study," The Lancet Public Health, 11, e156-e163, 2026.

日本においてはエアコンの世帯普及率は9割を超えます。なのに熱中症で世界で最も人が死ぬ。昼間にエアコンで暑さをしのいでも、消すと瞬く間に冷気が逃げる劣悪な住宅が日本人を苦しめています。真夏でも夜間では気温は下がります。その冷気を保持できない劣悪な断熱性能が人を殺しています。日本の住居環境は、省エネの国際的潮流の中で国際社会の足を引っ張っているばかりか、自国民の健康を危険にさらしていると言えます。

日本のエネルギー効率についての神話

日本のマスメディアでは、「日本はエネルギー効率優等生、すでに効率が究極まで上げられているので、他国並みに温室効果ガスの削減をコミットするのは不公平だ」、などとの意見が頻繁に流布されます。実際、家庭部門でのエネルギー消費を世帯数で割った世帯あたりのエネルギー消費量では、米国はおよそ3倍です。しかしこれは日本の住宅が3倍高効率であることを意味しません。むしろ逆です。少し考えてみるだけで、劣悪な住宅環境が日本製冷暖房機器の優秀な効率を打ち消して余りあるという実態がわかります。

アメリカでは、家が大きくかつセントラル冷暖房が一般的なため、冒頭に述べた快適さと引き換えに、1世帯当たり、日本に比べてざっくり5倍くらいの空間・時間の空調を行う必要があります。さらに、アメリカでは寒冷地に人口が多いため、冬季の暖房の需要が平均的にいって日本の2倍くらいです。これらはもしも同一機器で同じような使い方をしていれば、日米の住宅のエネルギー消費は1対10くらいになるはず、ということです。日本の空調機器のエネルギー性能は優秀で、これを大雑把に2倍のエネルギー効率とすれば、本来あるべき日米の住宅でのエネルギー消費量の比は、1対20くらいに開きます。

ではなぜデータ上は、日米1対20じゃなくて、たったの1対3にしかならないのか。差の17はどこに行ったのか。おそらく半分は断熱性能が劣悪な住宅によるエネルギーの損失で、残りは、快適性を犠牲にした運用、すなわち、日本人お得意の我慢で何とかしているということです。その結果、圧倒的に人が死んでいると。

変わらない日本: システムの失敗を個人で糊塗する悲劇

まとめましょう。日本の家庭部門がエネルギー優等生というのは虚構です。1世帯当たり日本が米国の1/3のエネルギーしか使わないのは、単に、国民の大多数が温暖な地域に住んでいるため暖房の必要が少なく、かつ、家が狭くて局所的な冷暖房しかしないからです。寒い部屋、暑い部屋が家の中にあっても、それを根性で我慢しているというだけです。根性だけなら美徳ですが、問題は、世界最高レベルの効率を持つ冷暖房機器のエネルギーを、劣悪な断熱性能を持つ家が浪費していることです。これは世界的な省エネルギーの潮流への反逆だとすらいえます。

客観的なデータは、日本の住宅の断熱性能が先進国最低であることを疑問の余地なく示しています。数パーセントどうこうという話ではなくて、もう何倍というオーダーで、絶望的に悪い。にもかかわらず、日本では、2026年の今に至るまで、住宅のエネルギー損失の最大要因である窓についての基準すらありません。これほど省エネが叫ばれている中で、漫然とこれを放置している日本政府、特に1999年以降の歴代の国交省大臣と、国土交通省住宅局幹部は、Lancet論文が示す通り毎年数千名の国民の命を不必要に奪っているという点において、文字通り犯罪的であると言わざるを得ないでしょう。「国民の住生活および建築物の質の向上、安全で快適な生活環境の確保を担います」などと書く彼らの一人一人に、自分たちの仕事に本当に誇りが持てるのか一度聞いてみたいです。

今起こっていることは、国家レベルの政策の失敗を、個人の根性で糊塗しているということです。東京の夏のオフィスの暑さは異常です。政策レベルの失敗を、個々人の我慢で埋め合わせるという構造は、戦略の失敗を末端の兵士の根性で埋め合わせていた先の戦争の時の状況とそっくりです。悲しいことに、日本人はそれから何も学んでいないということです。

2026年3月4日水曜日

ANOVAと統計学者の憂鬱

 


少し前から半導体製造における機械学習の応用について考えています。半導体製造では、品質のばらつきを極限まで抑えることが大切です。ある指標においてブレが観測された場合、それがどこに起因するか。それを調べる問題を英語で attribution といいます。意訳すると、「責任度計算問題」とでもなるでしょうか。

先進的な半導体装置の中にはそういう解析機能を組み込んだものがあります。ある企業の装置のその手の機能を調べていたのですが、どうやら裏で動いているのがANOVA (analysis of variance)という統計学の手法らしい。ANOVAについては昔から知っていましたが、実応用ではそもそもF分布に基づく漸近的な近似が成り立つことはまずないし、だとするとANOVAには偏差-分散分解程度の意味しかなく、特にそれ以上の使い道がないのでまともに考えたことがありませんでした。

今回、その装置のANOVA解析の出力を正確に理解する必要があり、いろいろ調べていたのですが、改めて統計学という学問の病理を知り、切ない気持ちになりました。統計的機械学習の観点では、ANOVAは制約付きの混合ガウスモデルのあてはめに帰着することができます。そのように理論を見直すと、古典的ANOVAの、実務者から見た時の危険性がよくわかります。いろいろ問題はあるのですが、一番大きいのは次の2つでしょうか。

  • ガウス分布の前提では、ばらつきの起源は、カテゴリごとの平均の違いと、分散の違いという2つがあり得るが、ANOVAでは、暗黙のうちに、分散の違いを無視して、平均の違いだけに着目している。
  • たとえば 2-way ANOVAにおける2乗和分解公式は、二つのカテゴリカル変数の統計的独立性を暗に仮定している。

仮定を設けた上で理論を構築するのはまったく普通のことですが、頻度派の論法の問題は、実世界のデータ解析をする人の痛みとは全く無関係に天下り的に統計量を持ち出し、上記のような理論的な仮定に明示的に言及することなく、あたかもそれが普遍的な解析手段であるかのように見せかけることです。そういう病理は、ANOVAまで行かずとも、たとえば、以前『二つの分散:不偏推定量と最尤推定量のどちらを使うべきか』というエッセイにも書いた通り、平均値という単純素朴な概念にすら現れます。

以前より薄々感じていた頻度派統計学への疑念は、数年前に、統計学の大御所 Bradley Efron とTrevor Hastie の大著 "Computer Age Statistical Inference" を諸事情により翻訳して出版した時に、私の心の中で確定してしまいました。これはひどい本でした。監訳者まえがきに、次のように書きました。

機械学習の研究者の多くにとって、統計学者との付き合いは、その研究内容の著しい近接性にもかかわらず、時に緊張を強いるものである。少なくとも私にとってはそうであった。機械学習的方法論に統計学者たちがしばしば寄せる冷淡な態度や、主流派とおぼしき統計学者のベイズ理論への非妥協的な仕方での非難は、私にとって大きな謎の1つであった。

本書は、私のような疑問を持っていた機械学習の研究者にとって、極めて興味深い読み物になるだろう。21世紀の爆発的な機械学習の発展を前に、統計学者たちが何を得、そして何を失ったと考えているのか。なぜ彼らは、機械学習研究者から見て、気まぐれで無慈悲な王女様のように見えるのか。これらの答えの一端は、冒頭から3章くらいまでと、「むすび」にざっと目を通すだけで、何となく見えてくるであろう。

本書は、現代の統計学界の最高の巨人の一人であるエフロン教授の、言外のニュアンスをたっぷり含んだ気ままなエッセイという性質を持つがゆえ、翻訳プロジェクトは多大な困難を伴うものであった。計画は遅延を重ね、いくつかの章は監訳者自身が訳し直す羽目になり、いくつかの章では一部の訳者が監訳者としてほぼ再翻訳にも等しい作業を行わざるを得なかった。最低限の製品品質は達成できていると信じるが、正直、最後には力尽きた。読者からの批判を待ちたい。

統計学では、過去、ほとんど1世紀に渡り、頻度派とベイズ派の勢力争いが続いてきました。私のような部外者からすれば、論理的な決着はついていて、もはや論点すら存在しないように見えますが、業界内では宗派論争の色彩を帯びているようです。以前、アメリカの有名な頻度派の教授の研究室出身の若い統計学者と雑談していて、彼が、ガウス過程はベイズじゃない、すべて頻度派理論で議論できる、などと強弁するのを聞いたとき、この対立はもうちょっとやそっとでは解消できないな、と思ったものでした。

ANOVAは、頻度派の思考過程の病理を示すとてもよい題材になってしまっています。

最近、物理学者や化学者が機械学習の手法を使って面白い発見を次々に報告しています。そこで使われるのは圧倒的に広義のベイズ派に属する機械学習の手法です。それもそのはず、ベイズ統計学の生成モデリング (generative modeling) という見方は、物理学者が世界を見る見方ととても相性が良いからです。天下りの統計量をありがたがるのは、実社会と乖離した狭い研究コミュニティの中だけ、というのは言い過ぎでしょうか。

理論的整合性の観点でも、実世界モデリングのための利便性という観点でも、歴史的評価という意味でもほぼ決着はついているようにも見えてしまうのですが、苦しい自己防衛を続ける頻度派統計学者の皆さんは、これからどこに行くのでしょうか。


2025年4月21日月曜日

次のAI冬の時代は

2022年に登場したChatGPTに始まる生成AIは、インターネットの登場と同じくらいの深遠な影響を知識人の生活にもたらしました。ChatGPTの最大の発見は、言語を自己教示(self-supervised)型学習という方法で学習させると、モデル表現能力がある一定能力を超えた時点で、「創発(emergence)」という現象が生ずる、という事実です。自己教示型学習というのは、この場合で言えば、テキストの一部の語を隠して、その語が何かを当てる、というタイプの自問自答を繰り返すことです。創発、というのは、AIが人間のようにある意味行間を読む能力を獲得することです。その結果、ChatGPTとの対話は、まるで人間と話しているように感じられます。

テキストに加えて画像や音声においても、一般人が驚くような機能が次々に盛り込まれ、このような爆発的な技術進化がどこまで続くのだろうと思っている人も多いと思います。本記事執筆時点(2025年4月)において、業界的なキーワードは、「AIエージェント」です。エージェントの最も素朴な例は、調査エージェントでしょうか。生成AIに、何かの注文を出すと、勝手に調べてレポートを書いてくれる、というやつです。コンサートチケットを買ったり、旅行の予約をしたり、などのシナリオが今考えられています。通常のコンピュータによる業務自動化と何が違うのかというと、いちいち詳細まで指示を出さなくても、適当によきに計らってくれるというのがポイントです。

生成AIが近未来に進む方向を占うための重要な文献がGoogle DeepMindのウェブサイトで、2025年4月10日に公開されました。


"Welcome to the Era of Experience" と題された論文において、著者らは、現代の生成AIを "human-centric" な方法の到達点を表すものだと考えます。この human-centric というのは誉め言葉ではなく、人間が直接生成したテキストや画像などのデータに基づいているという意味です。生成AIが human-derived なデータにのみ依拠している、という認識は重要です。多くの非専門家は、この点の認識が甘いため、今の生成AIのユースケースがどこまでも適用可能だと思ってしまいがちですが、それは危険です。上記の自己教示学習が動く最大の理由は、人間の知性で生の信号を処理することで得られる劇的な簡単化だと思われるからです。我々の行動はコンテキストに強く縛られており、そこからはみ出ることはまれです。生成AIが人間のように見えるのは、我々の行動の多様性の乏しさがゆえです。言い換えると、アルファベットのあらゆる組み合わせで表現できる数学的な情報量のうちほんのちっぽけな部分しか人間は使っていないということです。高々100個程度の元素で表現される材料科学の世界のデータには人間の意図が直接関与しているわけではありませんが、数百年の人間の努力の結果、現象を支配する「言語」が把握されている珍しい例になっています。

  • 人間の知的活動から派生するデータ("human-drived")
    • テキスト
    • 音声
    • 画像(撮影は人間の意図が反映されている)
    • 化学式
    • など
  • データ生成に人間の意図が関与していないデータ
    • 自然現象のセンサーデータ
    • 株価(あまりにも多数の人間が関与しているため、個々人の意図は事実上かき消されている)
    • 人体からのセンサーデータ
    • など


人間の知的活動に派生するデータには限りがあり、早晩使い果たされるため、human-centric な方法論を乗り越える次世代のパラダイムが必要だ、というのが論文の主旨です。では次に何が来るのか。著者らが想定しているのが、ネイティブに強化学習を組み込んだ複数のAIエージェントが自律的に学習と協業を行う世界です。

この「協業」の部分については論文では願望以上のものは書かれていませんので、どのようにAIエージェントが強化学習を行うかの方が重要です。論文によれば、次世代のAIエージェントは、テキスト情報のみならず物理センサー情報等も活用して自律的にデータを集め、報酬(reward)と呼ばれる情報を頼りに自らを鍛えてゆくようなものです。


人間の作った情報に直接依拠しないという点において、これは大きな進歩になりえます。しかしここで問題なのは、だれが報酬を決めるのか、という問題です。少し長いですが重要な点なので、論文から引用しましょう。

To discover new ideas that go far beyond existing human knowledge, it is instead necessary to use grounded rewards: signals that arise from the environment itself. For example, a health assistant could ground the user’s health goals into a reward based on a combination of signals such as their resting heart rate, sleep duration, and activity levels, while an educational assistant could use exam results to provide a grounded reward for language learning. Similarly, a science agent with a goal to reduce global warming might use a reward based on empirical observations of carbon dioxide levels, while a goal to discover a stronger material might be grounded in a combination of measurements from a materials simulator, such as tensile strength or Young’s modulus.

人間の知識の枠を超えるには、環境に本質的に由来する情報としての報酬を使う必要がある。例えば、健康維持エージェントは、安静時心拍数、睡眠時間、活動レベルなどの複数の指標を組み合わせた報酬に、ユーザーの健康目標を結びつけることができよう。また、教育エージェントは試験結果を用いて、言語学習のための基盤となる報酬を提供することもできよう。同様に、地球温暖化を抑制することを目的とする科学エージェントなら、二酸化炭素レベルの実測値に基づく報酬を使えるかもしれないし、より強い材料を発見するという目的の場合は、材料シミュレーターから得られる引張強度やヤング率などの複数の測定値に基づく報酬を活用することが考えられる。


ここでは、測定可能な量と、目指す目的を表現する数値指標の間の関数形が(すなわち報酬関数の形が)、自明に知られていることが前提になっています。確かに簡単な応用ではそういうこともあるかもしれません。しかし私の知る限り、大多数の実応用では、評価指標と観測量の間の関係はよくわからないのが普通です。 たとえば、半導体装置の劣化検知を考えると、測定されているセンサーデータは何10個もありますが、どうなったら製品品質に問題をもたらす程度に劣化するのか、というのは、簡単なルールで書けるほど単純ではありません。劣化シナリオには未知のもの既知のもの含めて多数あり、なおかつ、使用する製造レシピ、その装置の前の工程での状況など、「情報としては存在するかもしれないが、そこまで考えると収拾がつかなくなるデータ」が無数にあるからです。

リアリティの欠如から考えて、Silver & Suttonはおそらく、実世界のビジネスデータの解析にかかわった経験が乏しいのかもしれません。報酬関数を設計するためには、まず、結果に関与する変数が列挙されていなければなりません。これ自体、AIではフレーム問題といわれ難問と考えられています。問題の枠組みを決める問題、ということです。仮に運よくフレームすなわち変数セットが決まったとしても、たとえば異常判定ルール(すなわち、負の報酬を与える関数形)を求める問題は自明ではありません。

この点すらも、実データ解析経験がないと理解しにくいところでしょう。普通の人が想像しがちなものは「体温が37度以上なら異常」みたいな素朴単変数ルールですが、そういう自明なものは最初から問題にはなりません。実応用上で解かなければならないのは、「平熱だしのども赤くないし下痢しているわけでもないが、どうも体調が悪い」みたいなタイプの問題だからです。考える要因が2個や3個ならいいとして、10個や20個になると考えねばならない状況が指数関数的に増え、なおかつ、手持ちのデータでその組み合わせが全部網羅されていない、みたいな状況が起こり、異常判定ルールの獲得は大変高度な問題になりえます。


この点から考えるに、 これから爆発的に流行するであろうAIエージェントの行き着く先が何となく見えてきます。論文では報酬関数は柔軟に決めてよい、データに基づいて学習されるニューラルネットワークでもよい、などと言っていますが、結局、そこに人間から見た何かの価値判断が必要なことには変わりありません。

逆に言えば、人間の価値判断なしにAIエージェントを野放しにしてよいわけはありません。上に二酸化炭素の例がありますが、AIエージェントの暴走の結果、二酸化炭素濃度が極端に下がり、植物の光合成ができなくなり枯死に至ったらどうでしょう。

経験の時代、という見方は技術進化の方向としては正しいのですが、報酬関数の設計という中核的要素において、フレーム問題と知識獲得のボトルネックという問題から逃れられないことは明らかなように見えます。だとしたら、おそらく今後数年続くであろうAIエージェントの大流行と、それに対する反作用としての幻滅期の到来は不可避なように思います。

おそらくそれが、次のAIの冬の時代の始まりとなるでしょう。

2024年8月17日土曜日

電気自動車はハイブリッド車より魅力的か

 パンデミックの際に生じた物資供給網の問題から、自動車の価格はパンデミック前の4割から5割高い状況が続いていました。2024年になり、価格上昇が半分程度に圧縮されたこともあり、いろんな車の仕様を調べていました。

当然電気自動車も検討対象に挙がりました。テスラのウェブサイトに行くとアメリカで人気のあるコンパクトSUVの Model Y が、34,000ドルなどと書いており、一時期はこの2倍くらいだった記憶もあるので、お、と一瞬思ったのですが、これは連邦および州からの税金控除による 8,000 ドルと、不要になるであろうガソリン代 6,000ドルを含んだ額で、実は支払額自体は 48,000ドル。高級車であることには変わりありません。

このガソリン代の差額 6,000ドルがどうも大きすぎる気がしたので、どういう計算なのかと調べてみると、結構意外なことが分かりました。結論から言えば、アメリカの主要都市圏(ニューヨーク、ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコなど)では、燃費面から見た電気自動車の経済的利得はほぼないということです。これまで燃費は電気自動車が圧倒的に有利、という宣伝が当たり前のようになされてきましたが、事実と違うということです。あとは、充電にまつわる不利益・高い車両価格と、排気ガスを出さないという利益をどう比較するかという話になるかと思いますが、私の結論は、上記都市部に住む人の最適解はハイブリッド車である、というものです。



話を戻して、テスラの計算根拠を見てみましょう。この矛盾が起こる原因は、ガソリン代と電気代(上のスクリーンショット参照)が実勢値を反映していないということです。テスラのウェブサイトでは、NY州の節税額を計算に入れながら、NY州ではなく全米平均の電気代を使うというおかしなことをしています。主要都市部での電気代とガソリン代は米国労働省のページから参照できます。それによるとニューヨークは204年7月の平均で 0.288ドル/kWh です(全米平均は 0.178)。電気代には supply charge と delivery charge、それに system charge という3つがあり、私の住んでいるところでは delivery chargeがとても高く、合計で 0.31ドルくらいでした。つまりテスラは、私の地域での実勢値の半分くらいの値を使っているということです。NY市内の充電ステーションを使った場合さらに高く、0.5ドル/kWhくらいになるようです。

一方、ガソリン代ですが、これは近所では 1ガロン当たり3.5ドルくらい。テスラの見積もりは高すぎ、つまり、電気代は極端に安く、ガソリン代は妙に高く、電気自動車に大変有利な計算をしていることが分かります。そもそも、電気自動車と比べるべきは、内燃機関車の中での最善の選択肢であるハイブリッド車でしょう。


では、これらの数値(電気代 0.3 ドル/kWHh、ガソリン代 3.5 ドル/ガロン)を入れて、年間10,000マイル走る前提で年間のコストを計算したらどうなるでしょうか。

米国環境省が、fueleconomy.gov という燃費比較の便利なサイトを公開しています。もちろん車種によって燃費も違うので、ここではテスラモデルY、RAV4 ハイブリッド、カローラハイブリッドの3つを比べてみます。結果は下記のとおりです(直リンク)。


枠で囲まれた数字はいわゆるMPG (miles per gallon)で、アメリカにおける燃費の指標です。電気自動車の場合は MPGe と言って、ガソリンに換算した値が出ていますが、これはエネルギーの観点での等価値で、コストは無関係。したがって電気自動車に関してはほぼ無意味な値です。

そこで年間の燃料代(annual fuel cost)というところを見ると、テスラは 850ドル、Rav4 は900ドル、カローラは700ドルです。すなわち、NY地区では、テスラの燃料代は RAV4 と大差なく、むしろカローラに負けています。充電にまつわるストレス(range anxiety などとアメリカでは呼ばれます)や時間コスト、さらに車両価格の安さを考えれば、ハイブリッド車が最善の選択肢であると言えるでしょう。

電気代が 0.25ドル/kWhまで下がると、テスラとカローラは同額の 700ドル、Rav4は 900ドルです。2024年7月の全米平均の0.178ドル /kWhまで下がると、それぞれ、500、900、700ドルです。5年で考えるとテスラはRav4 hybrid に比べて2,000ドルの利得になりますが、車両価格の違いはこれよりはるかに大きく、元を取ることは困難です。


ガソリン代が上がったらどうするんだ、という疑問に答えるため、最後に、過去40年くらいの、アメリカにおけるガソリン価格と電気代の変遷を見てみましょう。まずガソリン価格の変遷。市場価格をかなり敏感に反映していることが分かります。上がるかもしれないし、下がるかもしれない。



次に電気代ですが、残念ながら下方硬直性が見られ、値下がりは期待できそうにないです。再生可能エネルギーの導入が進んでいるはずが、コスト面ではあまり効果は出てないということです。いろいろ示唆的です。



電気自動車の、自分の周りに有毒ガスをまき散らさないという利点は非常にすばらしいのですが、アメリカでは半分程度の電力は天然ガスで作られますので、二酸化炭素削減への貢献は、実は言うほどでもないということは知っておいてよいでしょう。リチウムなど希少金属への依存性と採掘に伴う環境負担も懸念材料です。免税措置により政府に負担をかけているのも社会的公平性の観点で問題ありそうです。

化石燃料による発電を原子力で置き換えられたしても、電池の充電に多大な時間がかかるという不便さはどうしようもなく、電気自動車が多数派庶民の選択肢になるのは、車両価格が今の半分くらいになった時だと思います。つまり、不便だけど安い移動手段。この観点で中国製電気自動車には要注目ですが、昨今の米中関係からするに、当面アメリカでは大きな展開は期待できそうにありません。

2024年3月17日日曜日

AI研究と社会: 過去10年の振り返り

 今から20年前と10年前に、機械学習の研究コミュニティの様相についてコメントをしたことがあります。それをふとしたはずみで思い出し、ある意味定点観測として、AI研究についての2024年時点での雑感を述べます。


2023年6月24日土曜日

潜水艇タイタン号の破壊事故について

Independent紙の記事によれば、タイタニック探索観光の潜水艇沈没事故、カーボンファイバーの疲労破壊が起因になった可能性が高そうです。異常発生を検知すべく、船体からのデータは潜水中は常時監視されていたようですが、残念ながらそれは役に立ちませんでした。一応異常検知の専門家として思うに、この “real-time hull health monitoring system” に、AIなりビッグデータへの過信が寄与しているとすれば、由々しき事態かと思います。

私はカーボンファイバーという素材に知識がないので間違っているかもしれませんが、一般的には疲労破壊は、微細な亀裂が急速に進展することで起こります。亀裂は原子レベルの結晶構造の不整合に起因したりしますので、その存在自体は不可避で、かつ、無数の亀裂のどこが成長するのかは確率的な現象なので、予測は非常に難しいです。できるとしたら、原子レベルからミクロン単位の動的な現象をとらえる計測装置が必要かと思います。たぶんそういうものはない。

以前、こういうことを書きました。

しかし、実際には、データ取得に関する人間の偏見ないし限界という問題が常に付きまとい、長い研究の歴史の結果として「何をデータとして集めるか」という点に合意が確立している分野(画像認識、音声認識、自然言語処理)以外では、特徴量工学を不要にした、という深層学習支持者たちの主張が、どれだけ工学的・実用的に妥当なのかを結論を出すべく、今でも研究の努力が続けられています。これは当然でしょう。普通のカメラで飛行機の写真を撮っても、金属疲労による微細な亀裂は見つかりません。飛行機の破壊を予知するのが目的であれば、相応の計測装置が必要になります。ビッグデータは物理学の壁を超えることはできないのです。特徴量工学を不要にしたとしても、データをどう取得するかについての問い(しいて言えば観測工学)を避けて通ることは絶対にできません。

タイタン号に付けられていたセンサーは、おそらく、ひずみとか圧力とか温度とかそういうマクロ的なセンサーなんだと思います。そういうもので原子レベルの、しかもミリ秒単位で急速に進展する現象をとらえることは原理的にできないと思います。この困難に直接的に対処する手段は、産業応用のレベルでは現代の科学技術をもってしても大変乏しく、たとえば航空機の設計においては、疲労破壊を招かないよう設計上のあらゆる工夫をするのは当然として(窓を丸くするなど)、安全率を大きめにとりつつ、保守において部品を定期的に交換することで何とか対応する、ということになっていると思います。

最近、大規模言語モデルの成功から、AIで何でもできるという楽観が再び世間を席巻しているようです。しかし人間の思考の結果として高度にフィルターされた言語というデータと、物理学的現象からのデータは質が違います。疲労破壊の検知が難しいのは、それがミクロ的スケールからマクロ的スケールまでまたぐ現象だからです。ビッグデータが物理学の壁を越えられない以上、「何を検知しようとしているのか」に対する考察は不可欠で、したがって、計測手段に対する工夫は不可欠です。

今回の痛ましい事故が、AIに対する適切な理解が世間に広まる一助になることを祈ります。