2009年9月29日火曜日

「『地震予知』はウソだらけ」


ひとことで言えば、一昔前の新聞記者が得意としたような情緒的な政府批判の中に、科学的な記述が埋め込まれたような本である。朝日新聞を読んでもイライラしないタイプの人であれば痛快に読める可能性はあるが、ほとんどの日本人には疲れる本であろう。地震予知をめぐる科学的記述はきわめて正確なだけに、惜しい本だ。

著者島村氏は世界的に高名な地球物理学者であり、そのWebサイトにて確認できるように、複数のNature論文をはじめ(これは音楽業界で言えばグラミー賞ノミネートくらいにあたる)、地球物理の分野では最高級の業績を挙げた学者である。

地震を予知することの困難さを論証する著者の筆致は鋭く正確で、軽快に書かれた「まえがき」は読んで痛快、期待で胸がふくらむ。

しかし第I章に入る直前、謎の小説風空想文章が7ページわたり続き、ほとんどの読者はここで困惑するに違いない。この情緒的でネガティブで、「いたいけな庶民」を偽装したようなトーンはいったい何か。

それを我慢して読み進めると、しばらくはやはり軽快で鋭い記述を楽しめる。地震予知が、株価の予測くらい困難なことはおそらく科学的に本当である。地震予知に対して過去何十年かなされてきた巨額の投資は残念ながら目的を達することはできなかった。しかし著者は必ずしもそれを責めない。1970年代までは多くの研究者が地震予知の未来を確信していたからである。冷静な筆致で書かれた第1章は読むに値する章である。

しかしそれ以降、情緒的な政府批判の弛緩した調子が徐々に鼻についてくる。著者によれば、大震災の際に市民の自由を一部制限する法律(大震法)は、その他の有事立法同様、戦争準備のための絶対悪である。まあそういう解釈をとる人もいるかもしれない。しかし、そのような政治的解釈に一方的に肩入れすることが、地震予知の現状についての科学的記述の信頼度を損ないかねないことを著者は知るべきだ。

2章以降、科学的で信頼度が高いと思われる記述と、昔の反体制インテリが好んだような陳腐なフレーズが混在して、両者をより分けるのに骨が折れる。たとえば、阪神大震災についての次の文章はどうだろう。
報道や自衛隊など、ひっきりなしに上空を舞う多数のヘリコプターの騒音が下敷きになった人々を探して救助する邪魔になった。老人や在日外国人など、都市生活者の弱者に被害が集中したのも、この震災の大きな問題であった。(第III章2、p.135)
「軍隊」憎し、ということなのだろうが、災害派遣された自衛隊と、特に誰も助けはしなかった報道のヘリを同列に置くというセンスは私にはないし、データなしに後段の文章を真に受けるほどナイーブでもない。

私が編集者なら、この手の時代物の反体制的ポーズをそのままにはしなかったろう。真に科学的な批判ができるなら、「お役人」とか「仲良しクラブ」とか「御用学者」といった情緒的な非難のレッテルを全部廃して、固有名詞ベースで真剣勝負をすべきだ。それもできないのに、国策逮捕だ何だと自己正当化してもむなしく響くだけである。近い将来、著者のすばらしい学問的業績にふさわしい、真に科学的な本として書き直されることを希望する。

★★☆☆☆ 「地震予知」はウソだらけ
  • 島村英紀
  • 講談社文庫
  • 2008

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