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2022年3月20日日曜日

「戦争学」概論

 

ロシアのウクライナ侵攻を契機に、ようやく日本でも国際政治のダイナミクスを実証的にとらえる動きが出てきているように見えるのは好ましいことである。ロシアの露骨な侵略行為の前に、日本の文系インテリをいまだに支配しているように見える疑似的なコスモポリタニズムの無力さが誰の目にも明らかになった。武装を放棄すれば、あるいは憲法第9条を持っていれば他国から攻撃されることはないとの念仏信仰のようなものが、長い間日本の「知識」人を支配してきた。過去数10年にわたり、他国の侵攻を許し、自国民を拉致され、あらかさまに核兵器で脅されてきたという明白な事実があっても、彼らの信仰が変わることはなかった。

彼らの平和主義は、「侵略されていないから、侵略されない」という同義反復のようなものだったのだろう。おそらく今後、世間の空気が変わったと悟るや、それが、「(ウクライナが)侵略されているから、(日本も)侵略される(かもしれない)」に変わるのだろう。何も考えていないという意味では同じだが、前提も結論も間違っていた前回に比べれば、前提も結論も事実を反映している分が救いである。これを機に、戦後の日本政治を支配してきた退嬰的な空気が少しでも変わることを願う。さもなくば、古くはユーラシア大陸の大半を支配したモンゴル帝国が今や東アジアの貧困国に没落してしまったように、また、近世に地中海地域に覇を唱えたオスマン帝国が一小国に没落したように、日本も没落の道を転げ落ちてゆくことだろう。

本書は2005年、米国のイラク侵攻が一段落ついた時点で出版された地政学の解説書である。地政学とは、「国際関係の粒度で言えば、地理学的な要件に着目して、諸国の外交政策を理解し、説明し、予測するための学問(At the level of international relations, geopolitics is a method of studying foreign policy to understand, explain, and predict international political behavior through geographical variables.)」と定義される。この情報化社会において、地理的要件がなぜ重要なのかは必ずしも自明ではない。実際、本書をかなり以前に読んだ時は、その点が今ひとつわからず、過去の歴史を俯瞰する方法として有用なのはいいとしても、それが予測能力を持ち得るのかはやや疑問であった。

この点はおそらく、軍事的な考察を必要とする。軍事は物理的な兵力の移動を常に伴う。本書でも繰り返し述べられているように、ハイテク戦争時代であったとしても、土地を面として制圧するには古典的な陸上戦力が必須である。そしてその陸上戦力を送るためには、やはり地理的な制約は第一義的な意味を持つ。例えば太平洋戦争末期の沖縄戦では、米軍は知念半島と嘉手納海岸という2つの上陸予定地点を研究していた(八原博道、『沖縄決戦 高級参謀の手記』、中公文庫、第2章)。長大な海岸線を持つ沖縄本島において、揚陸に適する地点はわずか2か所しかなかったということである。一般人が思うよりもずっと軍事行動の地理的な選択肢というのは狭い。古くから交通の要衝とされる場所にはそうなるだけの地理的ないし軍事的な必然性があり、その観点を無視して国際政治上の選択肢を論ずることはできない。逆に言えば、軍事関連の学問が大学から完全に追放されている日本にあっては、地政学的戦略を構想できる政治家が皆無であるように見えるのも仕方ないとも言える。

本書では冒頭でマッキンダー、マハン、スパイクマン、ラッツェル、ハウスホーファーらの学説を紹介し、地政学的概念を通して、ナポレオン戦争からイラクにおける対テロ戦争まで、歴史上の戦争の性格の変遷を概観する。最後に地政学的なアジア太平洋における現在と近未来像を眺める。ある意味悲しいことながら、17年も前の本だが、最後の章は今読んでも全く古さを感じない。北朝鮮の核武装も、中国の覇権主義も急速な軍拡も当時から明らかなことであった。歴史認識問題を国際政治の道具と使っている状況も同じである。日本の為政者はことなかれ主義に安住し、単に傍観しているだけであった。そして状況はますます悪化する一方である。冒頭に掲げたような空想的平和主義者たちの活動が、こういう状況に至らせることを目的とした戦略的活動であったのなら、それは史上稀に見る成功と言うべきであろう。

ひとつ顕著に変わった現実はロシアの位置である。2005年の当時、ロシアはソ連崩壊の混乱から立ち直り切っておらず、日本では軍事的な脅威とは見なされていなかった。プーチン大統領が一時期北方領土問題の解決に前向きのように見えたのも、日本からの投資を呼び込むという意図があったようである。北方領土問題について著者は、二島返還交渉、四島返還交渉、実力奪還、という3つの選択肢を提示し、憲法上の制約から第3の選択肢が実行不可能であることを断りつつ、「戦争に至ることなく四島を返還させる可能性のある方策は、奪回できるだけの軍事力を背景にして経済協力の利をあたえるという、アメとムチによる圧力をかけることだろう」と述べる。そしてこう付け加える。 
こうして歳月が過ぎて強いロシアが復活してくれば、北方四島問題は解決しないまま、またロシアの脅威におののかなければならない日がくることになるだろう。
現実は著者が危惧した通りに進んでいるように見える。

本書は地政学についての要領の良い解説書として有用であるのはもちろん、21世紀の前半、日本の政治がいかに停滞し堕落していたかを活写する極めて良い歴史的資料になるだろう。

2021年4月1日木曜日

Alone (邦題 Alone 孤独のサバイバー)

 

リアリティ番組が数多く放映されるアメリカで、今まで見た中でもっとも「ガチ」なサバイバル番組。日本でもAmazonHuluで見られるようだ。

 ゲームのルールは一言で言えば我慢比べである。参加者は、ナイフ、防水シート、寝袋、釣り針、など所定のリストの中から最低限の10点ほどのわずかな所持品を持って、人里離れた海や湖の近くにヘリコプターで降ろされる。Aloneというタイトルは、たった一人でサバイバルを行うというところから来ている。食料はもちろん、テントすらないので、木を切り、石を拾い、住居作りから始めなければならない。最大の問題は食料調達である。もちろん、素人がそういう状況で生き延びられるはずはないので、参加者は皆、例えばサバイバル教室の講師とか、海兵隊員とか、その道のプロである(第1シーズンだけはこの点微妙であるが)。

シーズンにより場所は異なるが、人口希薄なカナダの離島だったり、北極圏だったり、南米パタゴニアの山中だったりする。シーズンは秋に始まり、徐々に冬の季節が忍び寄ってくる。冬は飢えの季節である。当初10人いた参加者は、飢えと孤独に耐え切れず、ひとり、また一人と "tap out” (格闘技でいうギブアップのサイン)してゆく。最後まで耐えた人が、賞金の約5000万円を手にする(北極圏でのシーズン7では1億円)。

参加者にはカメラが渡されており、毎日の行動を記録することが義務付けられている。Tap outは、特別なトランシーバーで行う。1か月を超える頃には、残った参加者の顔には疲労と飢えの色が濃くなる。カメラに向けた状況報告も深刻なものが多くなる。肉体的に極限状況に至るため、後半は定期的にメディカルチェックが行われ、体重がある限度を超えて減少し、医学的に飢餓の状態に陥ったと判断された人は、その場で退場が宣告される。我慢だけでなくて、健康を保つことも重要なのである。

この番組を見ると、いかにかつての人類の生活環境が過酷だったか、いかに農業の発達が革命的なことだったかが分かる。これで思い出されるのはニューギニアで遊兵と化し、10年もの間、山中で原始人同様の生活を強いられた日本兵の手記である(『私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年』)。彼らは、危険を冒して残置された糧秣をなんとか収集して飢えをしのぎつつ、それが尽きると刻苦の努力を通して、なんとか農園らしきものの開拓に成功し、それで何とか明日の希望をつないだのであった。山中、どうしても不足するのが塩分である。同様にフィリピンのルバング島で30年「戦闘」を続けた小野田寛郎氏の場合、海岸や住民の塩田から多少の塩分を入手することができたが、それでも塩は貴重で、「魔法薬」と呼んで珍重している。疲労回復にてきめんな効果があったからである(『たった一人の三十年戦争』)。

 農業の発達、すなわちいわゆる新石器革命以前、人間は文字通りその日暮らしを続けていた。農業の可能性に気づき、数か月という単位で先を見通すようになると、時間と量に関する計算の必要が出てくる。食料に剰余ができると、海の民は肉や毛皮を、山の民は塩や魚を求めて交易が始まる。そのような、人類の何千年かの先史時代に思いを馳せることのできる真のリアリティ番組。

2021年3月7日日曜日

AmazFit Band 5

中国シャオミ(小米科技、Xiaomi)の子会社のHuami (華米科技)のスマートウォッチもしくは活動量計(fitness tracker)。AmazFitは普通アメイズフィットと発音する。2021年3月現在、日本だとアマゾンで7000円くらいするようだが、アメリカでは35ドル程度で売られている。本家の日本語サイトはこちら

先日、5年ほど使ってきた iPhone 6 を iPhone 12 mini に替えた。iPhone 6は一度無償での電池交換をしたので、電池の持ちも問題なく、メール確認やメッセンジャー、あるいはカーナビなどの用途に問題なく使えていた。しかしOSの更新をAppleが止めたため、次々にソフトウェア上の不適合が発生し、業務用含む多くのソフトウェアが使えなくなってしまった。やむを得ず買い替えることにしたのだが、新しい iPhone 12 mini は、大きさも画面のきれいさもまったく iPhone 6 と同じで、自分はいったい何に $700 も払ったのか、とむなしい気持ちになった。

Apple製品を買う・買いたくなる理由は、所有に至るプロセスが高度に演出されており、それに沿って新しい製品を手にした時に、いつも高いレベルの感動を与えてくれるという点にあると思う。製品のプロモーションもパッケージも、説明書の代わりにアップルのシールが入っている素っ気ない箱の中身も、そして何より間違いなく工業デザインの最高峰と言える製品そのものも、所有の満足感という点で、アップルの右に出るものはいない。ある意味、いつもアップルの演出に乗せられるわけだが、それを後悔させない手腕はすばらしい。しかし今回、買ってむなしい気分を味わったということは、もはや iPhone という製品カテゴリに、イノベーションのジレンマの病理が見えてきたということではないか。それで、アップルの生態系から外に出られないものかと、いろいろと見ているわけである。

Band 5を買った理由はだいたい3つある。最大の理由はランニング中の心拍数の測定である。過去8年ほど、Adidas Running(旧 Runtastic)でランニングの記録をつけてきたのだが、脚力と心肺機能が徐々に低下している気がして、客観的に運動負荷を測定したい気持ちになった。それと若干関係しているのだが、第2に、Covid-19騒ぎで血中酸素濃度計の重要さを知り、その計測を気軽にしたくなったということもある。別途パルスオキシメターを購入してはあるが、運動記録器と合体していれば便利ではある。第3に、アマゾンのAlexaで電灯の制御やらをできれば便利かなと思った点である。

もちろんこれらは、Apple Watch 6 を使えば完璧にできる(酸素濃度計があるのはこのモデルだけである)。iPhone と OSレベルで統合できるので、接続だの適合性だと一切の心配はいらない。しかし2021年3月現在、Apple Watch 6は一番安いモデルでも350ドルもする。このBand 5のちょうど10倍、iPhone 本体の半分の値段を、この、18時間しか電池が持たない腕時計に費やす価値はあるのか。逆に言えば、値段が1/10で、電池の持ちが10倍のこのBand 5が十分上記の用途に使えるならば、これは完全に破壊的インパクトを持った製品と言える。私の中ではそれはApple生態系からの脱出の号砲である。


Band 5を iPhone と接続する

Band 5は、ふつう Zeppというアプリを通して接続する。Zeppへの接続は簡単で何の問題もない。必要に応じて下記の動画を見るといいだろう。このアプリは高機能だが、メニューのどこに何があるのか複雑なため、個人開発?の簡素化版 AmazTools というアプリも検討してもいいのかもしれない。


スマートウォッチはもはや腕時計単体の機能よりも、アプリを含んだ生態系の使いやすさの勝負になっている。AppleやFitbit、あるいはGarminは、ソフトウェアを作りこむことで、この点でしっかりとユーザーを囲い込んできた。AmazFitはその価格競争力から、すでにイタリヤやインドなどの多くの国で市場占有率が首位になっている。現状、Zeppにはややたどたどしい点もあるが、本家中国市場での利用者の多さも考えると、このZeppなるアプリには臨界質量(critical mass)を超えるだけの開発投資がなされることは確実で、継続的な改善が望めよう。

ランニング管理アプリとZeppを連携させる

実はこのステップが長い間の懸案であった。Adidas Running(旧 Runtastic)は非常によくできたアプリで、おそらく10年くらい前までは押しも押されぬ業界のリーダーという感じだったと思う。しかしその後、開発が停滞し、新興のStrava等に押され気味になって今に至る。現状まったく不満はないのだが、残念ながら外部機器や他アプリとの連携の幅に難がある。StravaはAmazFitないしZeppとの連携を公式にサポートしているが、2021年3月現在、Adidas Runningから接続できるのは、Apple Watch, Garmin, Polar, Suunto, Coros のGPS付きスマートウォッチだけである。やむなくStravaへの移行を決心した。

ZeppアプリからStravaを認識させること自体は簡単である。2021年3月時点で、下記の5つのアカウントを登録できる。


ここで問題が3つある。

  1. Adidas Running(旧 Runtastic)のデータをStravaに移行できるか
  2. Band 5には心拍計はあるがGPSがついてない。Band 5で心拍計測し、iPhone でGPS信号をつかまえて、ひとつのランニングデータとして統合できるか。
  3. そのGPSと心拍計測を含むランニングデータをStravaに自動で転送できるか。

第1の点について、2021年3月時点で、公式アプリを通してこれを行う方法は存在しないが、代替策が2つある。ひとつは、RunGapというアプリを介してStravaにデータを渡すことである。データ取り込みは無償だが、書き出しは4ドルないし10ドルかかる。もう一つの方法は、ここの投稿を参考に、Thoms Mielke 氏の作った変換ツールを使うことである。これは、Runtasticからダウンロードしたデータ(これはjsonファイルがZIPされたもの)を、GPS Exchange format(GPX形式)に変換するものである。一部情報が欠落するが、走ったルートの情報、時間情報などは取り込むことができる。ただし、一度に読み込めるGPXファイルは25個が上限らしいので、数百個の履歴がある場合、手作業で何10回かアップロードを続ける必要がある。

第2と第3の点について答えはYesだが、細かいコツがいろいろある。結論からいえば、次の通りである。

  • iPhone 上での準備
    • BluetoothはON(当然)にしてBand 5との接続を確認。走っているときはBand 5に加えて iPhone も腕輪方式などで身に着ける。
    • GPSを使う他のすべてのアプリを消す。バックグラウンドでも動かさない。
    • Zeppの位置情報の利用は常時許可する。
    • Zeppを開き、データの同期を済ませる。iPhoneの画面は消してもよいが、アプリ自体は動かしておく。
  • Band 5 上での操作
    • Band 5の中からWorkoutを選び、そこでRunningを起動する。
      • iPhone上の Zepp app や Strava で記録開始をしないこと。
    • その際、Band 5上で、位置情報を認識したことを確認する(認識すると振動する)。
      • iPhone上でZeppが動いていないとGPSをつかまないようなので注意。
    • ゴールに着いたら、Band 5 上でRunningを終了する
      • 画面下部をタップして画面を出し、長押しする。
  • Band 5上で運動を終了させたら、携帯を開いてZeppとデータを同期する。
    • 位置情報と心拍情報が記録されていることを確認する。
    • Stravaには自動的に転送がなされる。

iPhone 上でStravaで運動を記録すると、当然、心拍計としてのBand 5は認識されないので、位置情報しか記録できない。心拍情報だけをStravaに別途読み込む方法も探したがどうやらなさそうである。また、Stravaには、Bluetoothでの転送機能を持つ心拍計を登録する機能があるが、それではBand 5は認識できなさそうである(おそらくBand 5をiPhone本体とBluetooth接続してしまうと、別途Strava側で認識できないのだと思うがよくわからない)。一方、 iPhone 上のZeppを使い運動を記録することもしてみたが、たまたまかもしれないが、心拍が記録されないという問題が発生した。

ということで、Band 5上で、iPhoneのGPSを認識させた上で運動を記録するのが最善(かつおそらく唯一の)方法のようである。なお、Band 5では、転送できるデータの項目数に限りがあるようで、心拍計を動かした場合、歩数計などの情報は転送されないようである。逆に、心拍情報がない場合には歩幅などの情報が転送されるようである。この点は何か不具合なのか仕様なのか、いずれにしても改善が待たれる。


心拍計、血中酸素濃度はおおむね正確

WesKnowsというYoutube チャンネルで詳しい計測結果が紹介されている。下記はこの動画からのスクリーンショット。


黄色い線がBand 5で、赤い線が胸に直接つけるタイプの心拍計。この程度の誤差であれば、運動記録器として何の問題もない。別途購入した安いパルスオキシメターで測っても心拍計はほぼ正確である。

一方、血中酸素濃度については、机に座って、腕を机に置いた状態で計測すると、パルスオキシメターとたいていの場合ほぼ一致する。違うとしてもたかだか数値で1くらいである。価格10倍のApple Watch 6 の場合、"mostly useless" などと言われているが、少なくともこのBand 5については十分有用だと思う。しかしこれまで数回、たとえば日光を横から浴びているときとか、寒くて手がかじかんでいるとき、装着状態がふだんと違うときなどに、値が低めに出ることもあった。基本的に信頼できるというのが私の印象だが、いつどのような場合に誤差が生じがちかは自分で経験の経験から判断した方がよさそうである。

通知機能とAlexa

iPhoneの通知機能がONになっている限り、任意の通知をBand 5に転送できる。私の環境ではデフォルトで次のような項目がある。メール特有の項目はないが、通知を受けたければ末尾の Other をONにする。

Band 5にはスピーカーがないので、通知は振動で来る。たとえば電話の場合、断続的にジジ・ジジ・ジジと振動が起きるのですぐわかる。電話に出ることはできないが、留守電に答えさせることはできる。会議などカレンダーの通知も振動で来る。音ではなくて振動での通知は思った以上に有用だと思った。まず、音と違い精神をかき乱される感じがしない。また、在宅勤務では自分の部屋から出て家事をしている場合もあるだろうが、例えば洗濯やら炒め物やらをしていて、携帯電話を持っていないか、騒音で通知音が聞こえない場合も、この軽いバンドを腕につけておけば安心である。通知の際、画面上に誰からの電話か、など要約情報が出るので、その場で重要度が確認ができる。ただ、画面が小さいため、腕を近づけて読まないと文字が小さすぎて読めないというのは確かで、画面の大きい上位機種が欲しくなるところである。

Alexaも、Amazonのアカウントを接続すれば使える(2021年3月時点では、アメリカのAmazon.comに限られるようであるが詳細は知らない)。電灯のON-OFFもできるし、簡単な(英語の)質問(「How far is Tokyo, Japan, from NY? 」など)もできる。ただし、アマゾンのアカウントの仕様上?、ある程度時間が経つと再度ログインしないと認識されなくなってしまうようで、ほとんどの場合、Alexaにはつながらずじまいだった。Alexaは iPhone上のアプリもあり、そちらの方が立ち上げの時間は短いし、機能も多い。わざわざ小さな腕時計でAlexaを呼ぶ必然性もなく、結局使わなくなってしまった。使えることは使えるが、Alexaには期待しない方がいいかも知れない。

電池の持ちとその他の機能

私の場合、Apple Watchをこれまで避けてきたのは、高すぎる値段もあるが、1日しか電池が持たないという事実が最大の原因であった。私の持っている自動巻きの機械式腕時計ですら、2日くらいは動いている。それよりも短いというのは話にならない。この点を認識して、たとえばガーミン社では最近太陽電池を組み込んだ製品を出したりしている。しかしいかんせん高い。やはりBand 5の10倍という桁である。

米国企業に囲い込まれている米国市場ではあまり知られていないが、この点の技術革新はすでに中国で起こっている。中国におけるウェラブルデバイス市場で首位のHuawei(華為技術)は2018年にGoogle のWear OSをやめて独自開発のLite OSに移ることを発表した。同様に、Huami製のスマートウォッチも独自開発OSとチップを統合した黄山2号(Huangshan-2)というプラットフォーム上に開発されている。報道()によれば深層学習専用チップを含んだ高度なもので、それが低消費電力と高性能を両立させる鍵らしい。

実際、Sleep breathing quality monitoring をONにしなければ、一晩つけっぱなしでもほとんど電池が減ることはなく、宣伝の通り2週間くらいは持ちそうである。




その他、1週間ほど使ってみて、便利だと思った機能を羅列すると次のような感じである。
  • 天気予報。PC上でブラウザを立ち上げたり、アレクサにわざわざ声で質問するより、パッとBand 5をスワイプした方が楽である。
  • 睡眠記録機能。電池の持ちに不安がないので、夜もつけっぱなしにしているが、寝た時間などが記録されるのは、自分の健康についての認知を高めるのに有用である。寝入り時刻、起床時刻の測定は正確なように思える。
  • ランニング中のポッドキャストの制御。私の持っているBluetoothのヘッドフォンでは、「次の曲に行く」という制御ができなかった(または、やりにくかった)。そのため、つまらないポッドキャストを延々聞き続けるという苦痛を味わったことも多い。もちろん立ち止まって携帯電話上で制御することはできるのだが、時間を測っている以上、ラップを乱したくなかった。腕時計上でそれができるようになったのはうれしい。

まとめ

以上要点をまとめる。

  • よい点
    • 価格競争力。アメリカでは Apple Watch 6の1/10。
    • 電池持続期間。週2回のランニング、毎日の体操、睡眠トラッキング、をしても、2週間ほど充電せずにすみそう。
    • StravaおよびApple Healthとの自動連携。
    • スマートウォッチとしての基本機能(十分正確な心拍計と血中酸素濃度計、メール・電話・カレンダー等の通知と確認、音楽やカメラの簡単な制御、時計表示デザインの変更機能、など)
  • 将来に期待する点
    • 携帯アプリ Zepp のメニューが複雑でどこに何があるのかわかりにくい。
    • Alexaの接続の安定性が低い。
    • バンドが外れやすい。素材、薄さはよいと思うが、バンドの先端が寝ているときや走っているときにものに触れて外れることがある。

冒頭に述べた問い、すなわち、Band 5が通常のスマートウォッチとしての使用に耐えるか、という問いへの答えは、間違いなくYesである。Zeppアプリはまだ発展途上のように見えるが、それでも、Stravaとの連携、Apple Healthとの連携はスムースで、活動量計としては現時点でまったく問題ない。Appleが有効な運動記録アプリを持っていない以上、かならず何か外部アプリに頼らざるを得ない。もし運動記録がスマートウォッチの主たる目的なら、OSレベルでの統合は必ずしも必要ではないし、OSレベルで統合されていなくても、電話やメールの通知、音楽の制御は可能である。

さらに広く、睡眠管理含む健康管理器としての用途なら、睡眠ログを取る以上は、1週間程度の電池寿命は必須となる。腕に着けている間は充電できないためである。この点において、Apple Watchおよびその類似製品は実用性を欠くと言わざるを得ない。値段が1/10で、電池が10倍持ち、機能が同等、というのではもう競争にならない。OSレベルでの統合は確かに快適であるが、ほとんどの人にとって、それに10倍の値段を払う価値はないと思う。

上に述べた通り、市場占有率の観点でAmazFitは順調に成長しており、間もなくApple Watchを凌駕する存在になる可能性が高い。驚異的な価格競争力については言うまでもなく、頻繁な充電から人々を解放することで、AmazFitが、スマートウォッチという製品カテゴリにおいてDisruption(破壊的インパクト)をもたらしたのは明らかである。国外においては巨人Appleに、国内においては半官企業Huaweiに果敢に挑戦し、この技術革新を生じせしめた小米科技 Xiaomi および華米科技 Huami は尊敬に値する企業だと思う。HuamiはHuami AI Research InstituteというAIの研究所を持っているらしい。輝く未来を持つであろう企業で、このような優れた製品から得られるデータを用いAIのアルゴリズムを研究する技術者は幸せである。


2020年12月31日木曜日

The Actor's Life (by Jenna Fischer)

 

アメリカで近年もっとも人気のあったテレビドラマのひとつ "The Office (アメリカ版)" の主人公 パム役でおなじみのジェナ・フィッシャーの自叙伝。女優の自叙伝にありがちな成功物語でも、他人事のようにハリウッドの内幕を描くのでもなく、セントルイスの片田舎からLAに出てきて、下積み時代はもちろん、今でさえつらい目にあいながらなんとか生き延びてきた彼女の苦労談をあけすけに語る。

ジェナは演劇に憧れる少女だったが、高校時代は特に主役をこなすわけでもなく目立たず過ごした。両親もエンターテイメント業界とは何の関係もない。大学では演技を専攻し、自分にはいくらかの天分があることを信じるようなった。少しの自負と大きな夢を持ち、マツダ323(ファミリア)に乗ってLAに行く。窓もないようなアパートでの貧乏生活から下積み生活をスタートする。 

 本の中では、例えばSAGと呼ばれる俳優組合の役割や、オーディションの様子、エージェントやマネジャーの見つけ方、エキストラのひどい扱い、危うく国際売春組織に売られそうになった経緯などなど、細かいハリウッドの内幕が詳しく書かれており興味深い。しかし何より興味を引いたのは、俳優という職業が、いかに(理系の)研究者に似ているかということだった。

The Officeで全米の人気者になった後ですら、試写会で評判が悪かったという理由で、配役予定のドラマから電話一本で降ろされたりする(そしてそれがメディアに流れて晒し者になる)。「大御所」への遠慮はない。無名時代にはもちろん、オーディションで落選に次ぐ落選である。これはまるで、常に厳しいピア・レビュー(査読)にさらされる研究者のようである。

研究者でも俳優でも、駆け出し時代の最大の仕事は自分を人に知ってもらうことで、ありとあらゆる機会をとらえてコネを作ろうとする。学問分野によっては、特に日本では、ある程度有力大学の流派に乗ればさほどの社交努力は必要ではないという幸運もあり得るが、アメリカでは一般にそうではない。学会で、バンケットやコーヒータイムが過剰と思われるほど設けられているのはそのためである。俳優の世界も似たようなものらしい。

常にオーディション落ちの恐怖に苛まれているハリウッド俳優と同じく、よほどの例外を除けば、研究者にも「上がり」はない。理系の一流学術誌には世界中から優れた論文が寄せられ、多くは厳しい査読の結果として掲載を拒絶される。たとえばアインシュタインですらPhysical Reviewというアメリカの一流学術誌から拒絶査定を受けた話は有名である。PhDを出たての若者も、50歳の教授も、そこに特に違いはない。

若者時代ならまだしも、いい年をして精魂込めた自分の演技なり作品なり論文に罵倒のようなコメントを受けるのはつらいことである。それは分野を問わず誰しも同じである。だから大多数の俳優志望の若者が数年で諦めてしまうのと同じく、ほとんどすべての研究者の卵も、数年で表舞台から消えてしまう。あまりに耐えがたく厳しいからである。その過程で多くの人は、自分がしたかったことは何だったのか自問自答を積み重ねる。そして多くの人は気づく。自分は本当は、俳優なり研究というということ自体に取り立てて強い興味はなく、それを単に名声を得る手段として使っていただけだったのだと。

これに関してジェナの言葉は力強い。

Even with  all the ups and downs, I love being an actor. But more specifically, I love using my imagination. I love reflecting on my own  feelings and bringing them to life in a character. I love connecting with an audience. I love being in touch with how it feels  to be guilty, angry, regretful, elated, loved, loving, spiteful, terrified, dishonest, or heroic. I love to recreate and experience these  feelings onstage, on TV, or in film. I love figuring out a character, discovering how we’re similar and how we differ. I love  all the new challenges that come with a new project. I love being  a storyteller. I love making people laugh. I love being with and  creating with other artists. And I love celebrating the human  experience.  (Chap. 6, "The Journey")

 彼女にとって演技とは人間への理解を深めるための創造であり、彼女はその過程自体に魅せられつづけているのだ。研究者も同じであろう。徹底的に考え抜いた後に見える何か美しい地平から、一見乱雑なこの世界を見下ろすという経験に一度でも魅了されたことのある者なら、どういう形にせよ、研究という営為から離れることなく、その苦しみも受け入れることができることだろう。

人生で挫折を感じたときに、何かヒントを与えてくれるかもしれない好著。

  • Title: The Actor's Life: A Survival Guide
  • Author: Jenna Fischer 
  • Publisher : BenBella Books (November 14, 2017)
  • Publication date : November 14, 2017
  • Language: : English

 

2019年12月8日日曜日

Infidel

ソマリア出身で現在主にアメリカでイスラム教にまつわる人権問題に活発に発言を続けるアヤーン・ヒルシ・アリの半生記。原著タイトルのInfidelは「異教徒」の意味。和訳の表題は、『もう、服従しない―イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した』。

ヒルシ・アリはソマリアの著名な政治的指導者のひとりヒルシ・マガンの娘として生まれ、母国の混乱と氏族内での問題から、23歳の時にオランダに亡命する。それは直接的には、父親から強いられた結婚から逃れるためであった。氏族の面汚しの汚名を背負った彼女は、ムスリムであることと、自分の人生の関係を深く考えるようになる。ソマリ人の同胞の多くが生活保護を頼って自堕落に生きているのを横目に、彼女は通訳として生計を立てながら勉学に励み、30歳の時にオランダの名門ライデン大学で政治科学の修士号を取得する。

オランダ労働党のシンクタンクで働いているときに、当時オランダでも大きな社会問題になりつつあったイスラム教徒との文化的政治的摩擦についてのコメンテーターとしてメディアで有名になる。アメリカの同時多発テロ事件のころである。彼女はオランダで国会議員にまでなるが、イスラム教における人権侵害を厳しく指摘する彼女はイスラム教徒からの攻撃に常にさらされており、その政治的立場は危ういものであった。実際、彼女とイスラム教における女性迫害を告発した映画 "Submission"(服従) を撮った 有名な映画監督テオ・ヴァン・ゴッホは、映画の公開後まもなく路上でイスラム教徒に惨殺されてしまう。遺体には手紙がナイフで突き刺してあり、そこにはヒルシ・アリに対する殺害予告が書かれていた。彼女はその後常にボディーガードとともに行動せざるを得なくなる。

私がヒルシ・アリの名前を初めて知ったのは、”Is Islam a religion of peace?”(「イスラム教は平和の宗教か」) と題したディベートを聴いた時であった。現代のアメリカでは、イスラム教の存在自体に疑念を表明するのは政治的に不可能に近い。今からおよそ10年前、2010年10月にはそれがまだ可能であったという事実はほとんど驚くべきことである。テロを警戒しものものしい警備がなされたディベートの会場で、No monotheistic religion can be a religion of peace (いかなる一神教も平和の宗教にはなりえない)と言い切る彼女の強さ、勇敢さはどこから来るのか。

彼女は敬虔なイスラム教徒の母のもとに生まれ、十代の頃、イスラムの教えは彼女の中では絶対の価値であった。しかし、祖母に強制された自身の割礼の苦痛、一夫多妻の反作用で精神を病む母親、世俗国家ケニアに住んでいるときに読んだ恋愛小説とあまりに違う級友の結婚の現実、ひっきりなしに起こる名誉殺人、自分自身に強いられた結婚、など、それまで彼女が折に触れ感じた疑問が、異国オランダで独り立ちし生きる力を得たときに、彼女の中で臨界点を超える。不可侵の聖典であるコーランを字義通りに読む限り、女性を家畜同様に扱っている現実はイスラム教の必然的帰結である。現代的な人権概念とイスラム教の教えは根本的に矛盾し、イスラム教の教え自体が、人間による聖典の変更・再解釈を禁じている以上、原理的に妥協点は存在しない。彼女によれば、イスラム原理主義者による異教徒へのテロはイスラム教の正しい実践であり、異端でも何でもないのである。

本書は、現代民主国家の脆弱性に多くの示唆を与える。オランダは現代アメリカと同様、移民の受け入れと文化的多元主義に価値を置いてきた先進的な民主国家である。しかし奇妙なことに、ヒルシ・アリが、名誉殺人、すなわち、レイプされたという理由で父親や兄弟に殺されるムスリム女性たちの理不尽がイスラムの聖典自体に根差す構造的な問題だと訴えるとき、彼女は常に人権活動家からの攻撃にさらされた。「極右排他主義者」、「反イスラム主義者」、等々の名のもとに。人権を守るための具体的な行為が、人権活動家から攻撃を受けるという皮肉は、現代民主国家のあらゆるところに見られる。同時多発テロから18年、アメリカではテロ支援国家からの常識的な渡航制限すら実行困難な状況に陥っている。信教の自由は、現代民主国家が刻苦の歴史の末確立した人権概念の金字塔というべきものであるがゆえ、そこから派生する原理的な問題は、現代民主国家の統治機構の盲点になっている。筑波大助教授殺害事件は別に特殊な例ではない。この世界の先行きは暗い。


Infidel
  • Ayaan Hirsi Ali 
  • ペーパーバック: 384ページ
  • 出版社: Simon & Schuster (2008/3/3)
  • 言語: 英語
  • ISBN-10: 9781416526247
  • ISBN-13: 978-1416526247
  • ASIN: 1416526242
  • 発売日: 2008/3/3


もう、服従しない―イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した 
  • アヤーン・ヒルシ・アリ 
  • 単行本: 488ページ
  • 出版社: エクスナレッジ (2008/9/30)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 476780681X
  • ISBN-13: 978-4767806815
  • 発売日: 2008/9/30



2016年1月24日日曜日

「芸能人はなぜ干されるのか」

芸能人が「干される」という現象について、豊富な実例とていねいな取材で実証的に論じた本。

題名からしてトンデモ本かと思いきや、硬派なルポルタージュといったほうがよい。常に何らかの文献か取材に基づき、芸能記事にありがちな憶測記事を極力廃している。著者は相当リテラシーの高い方のようで、ハリウッドや韓国での事情はもちろん、法律・行政面での事実の確認も抜かりない。さらに、紹介される事例も豊富かつ興味深いものばかりだ。私が子どもの頃、女の子に人気があった田原俊彦がなぜ急に消えたのか、一時期話題になった北野誠事件が何だったのか、よくうわさされるジャニーズ事務所での性的虐待は本当なのかなど、初めて合点がいったことが多数ある。

なぜこの本を読もうかと思ったかと言えば、最近Youtubeでも流れたSMAPの謝罪生放送というやつがさっぱり理解できなかったからである。「お騒がせしてすみません」という(日本以外では説明が難しい)論理はわかるのだが、それ以上のことは何一つわからない。草剪氏の言によれば、事務所オーナーが怒っていて、その人に謝るというのがどうやら趣旨のようだが、そうだとすればテレビでやる必要は何もない。これは業界向け、他事務所に宛てた警告なのかもしれない。しかしタレントにそんなことをさせるメリットは素人目にはわからない。


と、思って探してみると、なんと、この騒動の発端となった内紛が当事者へのインタビュー記事として読めるのであった。メリー喜多川という事務所のトップの行状はすごい。飯島というSMAPのマネージャーをいきなりインタビューの現場に呼びつけ、記者の面前で罵倒しつつ、あんたはなってない、自分の娘を後継にするとの趣旨の宣言。この非常識きわまる暴君ぶりは一体何なのか。

ひとつの説明は、メリー喜多川氏が加齢によりやや正常な判断力を失っているというものだ。感情の起伏が制御不能なほど激しくなるというのは、痴呆の前駆症状としてよくあるようだ。もうひとつの説明は、冒頭の本で詳細に述べられているような芸能界の特殊な労働慣行があるというものだ。おそらくその両方なのだろう。

これらの本を読むと、芸能界がいかに封建的な人間関係で支配されているかがよくわかる。メディアが巨大産業になってもなお、かつての五社協定のような状況は変わっていない。五社協定は、早くも1950年代には人権擁護局および公正取引委員会から違法行為との指摘を受けている。基本的人権の観点でも、独占禁止法の観点でも、違法なのである。世の中には確かに必要悪というものはあろう。しかし公正な市場競争を妨げた結果、作品の質の低下に歯止めがかからず、大衆から見放され映画界は斜陽化した。協定を作った5社のうち2社は倒産し、後で参加した日活はポルノ映画の会社となった。最近はテレビ離れの傾向にも歯止めがかからない。これらはすべて、カルテルによりイノベーションを拒否した業界の末期的な症状である。

日本のメディア、エンターテイメント業界の、とりわけアメリカと比べたときの特徴は、その専門性の低さである。大統領選挙で誰を支持するかについて女優が意見を述べるような文化は日本にはない。かといって、メディアを動かす側の知的能力も低いので、本書の冒頭にメディア関係者の話として挙げられているように、何か正義(あるいは単に経済原理)のために動くというような行動原理は期待できず、「偉い人に媚びる」というただただ現状維持の行動原理がまかり通っている。そこにはイノベーションが生まれるはずもない。これは停滞に苦しむ日本の縮図といえよう。彼らは醜い守旧派勢力であり、自分の国の衰退を推し進める害虫のようなものだ。

本書には賎業として始まった芸能界の歴史的経緯にも触れられている。私はそのような蔑視にはまったく与しないが、そのような歴史経緯とは完全に無関係な意味において、今の彼らがやっていることは、文字通り賎業と言えよう。

芸能人はなぜ干されるのか?: 芸能界独占禁止法違反 [Kindle版]

  • 星野 陽平 (著)
  • フォーマット: Kindle版
  • ファイルサイズ: 4168 KB
  • 紙の本の長さ: 301 ページ
  • 出版社: 鹿砦社 (2015/9/24)
  • 言語: 日本語
  • ASIN: B015T56TF0

2015年6月14日日曜日

ノートPCのHDDをSDDに換装(2015年版; Crucial MX200 500GB SATA 2.5 Inch)

仕事用のメインPC(ThinkPad W530)のHDDの遅さが耐えられなくってきたのでSSDに換装。前回の経験を元にスムースに終了。以下、自分用のメモ。今回使った MX200 500GB SATA 2.5 Inch はAmazon.comで200ドル程度。日本だと2万5000円というところらしい。

CrucialのSSDには、Acronis True Image HD 2014というソフトが付属するので、SSD到着後、手元にCD-Rがあれば3時間程度で環境の移行が終了する。

Crucial社による説明はこちら(英語)。英語を読まなくても、この動画を見ればソフトの使い方は大体把握できるはず。この動画は、PC本体に、SSDとHDDの双方を読み書き可能な状態で接続できる前提だが、会社のセキュリティ設定によっては、外部メディアへの書き出しができない場合が多いはず。その場合は、HDDのOSではなくて、起動ディスクでPCを起動させた状態でHDD→SSDのクローン作成を行う。それが下記の手順。
  1. Acronisの起動ディスクを作る
    1. Acronisを元のHDDのPCにインストールする。
    2. CD-Rを用意。Acronisを使い「ブータブルディスク」を作る(私の場合以前購入したAcronis True Image 2013を使用。付属のAcronis True Image HDでもディスク作成ができる、はず)。
  2. 前準備
    1. VPNや、ディスク暗号化、ウィルス検知ソフトなど、業務ソフトのインストーラーをあらかじめディスクに保存するかCD-Rに焼くなどしておく。
    2. 元のHDDでもし暗号化などの処理があるならば元に戻す。BIOSのパスワードなどもはずす。
    3. 特別な認証が必要なソフト、問題を引き起こしがちなセキュリティ系のソフトは差し支えない限り削除しておく。不要なファイルも削除して身軽に。
  3. HDDをSSDに入れ替える
    1. HDDをノートPCから外し、代わりにSSDを入れる。フォーマット不要。買ったままの状態で入れる。
    2. 外したHDDをUSBケースでPCにつないでおく。
  4. 先ほど作ったAcronisの起動ディスクで起動し、HDDの内容を丸ごとSSDに移す
    1. Acronisがディスクから起動したら、ディスクのクローンを選び、データの源をHDD、移動先をSSDにしてクローン開始。HDDの大きさと速さによるが、2時間くらいかかる。
    2. クローンが終わったら、HDDケースの接続を外し、ディスクも取り外す。
    3. 再起動。初回は不安定なので、2度ほどやるのがよい。
  5. 後処理
    1. 業務ソフト、セキュリティ系のソフトを順次再インストール。
    2. その他のソフト、たとえばMicrosoft Officeは何もしなくても動くはずなのでで確認。
    3. デフラグの停止などは好みで。

なお、言うまでもなくクローン作成とディスク内容のコピーは違う。PCの起動の際に読み込む特別な情報が書き込まれた部分をコピーしないといけない。これはOS起動後のファイルコピーではできない。

HDDが足を引っ張り、起動に10分もかかるWindows 7をはじめ、Evernoteや、Lotus Notesなど、ファイルへのアクセスが重いソフトウェアが耐え難く遅かったが、問題は完全に解決。



2014年7月14日月曜日

サムソナイトの角型折り畳み傘


サムソナイト製の小型折りたたみ傘。長い間、カバン用に常備できる折り畳み傘を探していた。東京で使っていたTumiのバックパックにも時折普通の折り畳み傘を差していたが、頭がはみ出すその様子はいかにもダサく、なんとかできないものかと常々思っていた。軽く、小さく、強く。全ての条件を満たすこの傘は、米国のamazonでわずか16ドル(2014年4月現在)。サムソナイトのロゴも美しく、最近買った製品で最も満足度の高いものの部類に入る。

この傘の特徴は、なんと言っても扁平な形になることである。折りたたむと長さ20センチ強、幅6センチ、厚さ2センチくらいの羊羹のような形になる。厚さ2センチであれば、いかなるビジネスバックでも余裕であろう。しかも重さはわずか4オンス、100グラムちょっとしかない。PCのACアダプタの1/3くらいだろう。

しかもうれしいことに、ビジネスマン御用達のTumi Alphaシリーズにはこれに完璧にフィットするナイロン製ポケットがある(少なくとも私の持っている26141の場合)。この傘が入るために作られたと思うくらいだ。ポケットの頭からわずかにSamsoniteのロゴがのぞく。この傘を自分のAlphaに納めた時の満足感は、個人的には非常に高かった。

なぜこのような羊羹型の折り畳み傘がこれまで一般的でなかったのだろうか。おそらく探せば日本にもあるのだと思うのだが、少なくとも私は出会うことができなかった。構造に特殊なところは何もない。単に骨が、いわば楕円対称になるように角度をつけてつけられているというただそれだけである。開けば円になる。しかし開けば円であるものが、閉じた時に円筒形である必要はない。鞄の形が直方体であれば、その形からいわば逆算して傘をデザインするという行き方も、考えてみればあると思う。その柔軟な発想といい、質感といい、さらに価格といい、さすがと思わされた。全てのビジネスマンに勧められる逸品。


Samsonite Manual Flat Compact, Black, One Size
  • ASIN: B00BPEEFUG
  • Product Dimensions: 8.6 x 2.4 x 0.8 inches; 4 ounces
  • Shipping Weight: 4 ounces (View shipping rates and policies)
  • Shipping: This item is also available for shipping to select countries outside the U.S.
  • Item model number: 51697 .


2014年6月30日月曜日

「不格好経営 ― チームDeNAの挑戦」

DeNAの創業者南場智子氏の半生記。創業から社長交代までの波乱万丈の記録。面白い。内容も面白いが文章もいい。プラスもマイナスも、全ての出来事を陽性の物語に変えてしまう筆力は並みではない。

DeNAは日本発のインターネットオークションサイトを目指して設立された会社である。南場氏は、マッキンゼー前職時代のコネクションを生かしてソニーとリクルートから出資の約束を取り付ける。その時点で半ば勝ったようなものである。アメリカではすでにeBayが大々的にビジネスをしており、日本は明らかな空白地帯であった。しかし1999年といえばまだ日本ではGoogleさえほとんど知られていない時代だ。ただでさえ暗闇の混沌にも等しいインターネットの世界に、オークションというある意味あやしい仕組みを作るのは、確かに賭けであったろう。

そうして生まれたのが、結局ヤフーに先を越されたが、ビッダーズというオークションのサイトである。ビッダーズがDeNAのサイトであったというのはこの本を読んで初めて知った。確かに、ヤフーオークションが2002年にオークション利用料の値上げを発表した時、ヤフーの会員であった私はビッダーズのオークションに入会してみた。結局、品数のショボさは否めず、ヤフーに戻ることになった。DeNAはオークションにおいてヤフーとの戦いに敗れたのだが、その後、eコマースサイトで黒字化に成功、その後、モバイルゲームの世界でひと山当てたというわけである。

私が大学院を出て民間企業に就職したのは2000年のことだ。会社の中でそれなりに激しい動きを体験してはいたのだが、私にはDeNAのようなベンチャーに自分の未来を賭けるだけの先見の明はなかった。私が見ていた世界はものすごく限られていた。社会がこの先どうなるという確信もなかった。要するに世間知らずだった。草創期のこの会社に、自分から売り込みに行った若者たちの情熱とセンスには、素直に脱帽である。

これまで私は、女性実業家、みたいな人の成功物語にはあまり興味がなかった。たいてい、それ自体に宣伝臭さを感じてしまうからだ。しかしこの本はおそらく違う。ひとつの踏み絵のようなものだが、次のような記述がある。
女性として苦労したことは何ですか、どうやって乗り越えましたかと尋ねられるといつも困ってしまう。(中略)。職場において、自分が女性であることはあまり意識したことがないし、女性として苦労したこともまったくない。しかし、得をすることはよくあった。(中略)。今はどうか知らないが、その時代は若い女性が経営の話をするだけで珍しがられ、耳を傾けてもらえた。最後はむき出しの内容勝負だが、聞いてもらえるところまでは確実にたどり着ける。(第7章 「女性として働くこと」)

これは私の実感にも合う。政治的寝技が物を言う規制業種(新聞、テレビ、銀行、土木建築、公務員、など)とは違い、市場においてある意味フェアに評価される業界においては、使えるやつが使えるのであり、結局はそれだけである。

本書第2章「生い立ち」は、厳格な家庭に育ち、父からの自立を経て、米国留学、マッキンゼー就職、ハーバードでのMBA取得、までの半生記である。実績から見ても文章からみても才能あふれるこの著者にすら、ゼロからイチを作り出すために苦悶した時代があったという事実は、若者には重要なメッセージとなろう。グリーに対する独占禁止法違反事件、本書末尾に書かれた人材引抜きをめぐるある背信。いろいろときわどいこともあったのだろう。しかしそれを含めた会社の歴史を、前向きな物語として読者と共有できる筆力はすばらしい。オークションといういわば二番煎じのビジネスモデルから始めたDeNAだが、モバゲーの時代になるころには世界を先導する意志を手にしていた。力強く前向きなトーンにあふれる最後の8章は、閉塞状況にある日本では久々に見る明るいニュースとさえ言える。ぜひがんばってほしい


不格好経営 ― チームDeNAの挑戦
  • 南場 智子 (著)
  • フォーマット: Kindle版
  • ファイルサイズ: 2318 KB
  • 紙の本の長さ: 163 ページ
  • 出版社: 日本経済新聞出版社 (2013/8/2)
  • 販売: Amazon Services International, Inc.
  • 言語: 日本語.

2014年5月31日土曜日

Luxe Bidet Neo 110(米国製ウォシュレット)


写真はLuxe Bidet Neo 110
日本を訪れる多くの観光客を驚かせるのが、日本のトイレのハイテクぶりらしい。洗浄便座はすでに世帯普及率80%に迫ろうとしている由で、ほぼ全家庭に行き渡ったと言ってよい。ここまで普及すると、飲食店やホテルなどもそれに追随せざるを得ず、少なくとも関東地区では、洗浄便座がついてない場所を探すのが難しくなったという印象だ。

これは国際的には突出した普及率らしい。何がこの違いを生み出しているのか、というのは、イノベーションの受容という観点で、ビジネススクールの事例研究としては格好だと思う。しかしこの差異がゆえに、私を含め、日本を出て海外で働く多くの日本人をひそかにしかし深刻に悩ませているはずである。

たとえばアメリカだと、ねじはインチねじであり、日本のメートルねじとは違う。しかもTOTOやINAXの便器などあるはずはなく、American Standard などのメーカーである。日本で使っていたウォッシュレットなりがそのまま使えるはずもなく、しかもそもそもアメリカではほとんど普及していない機械だけに英語ですら情報収集がままならない。

Tアダプタにより水道を分岐させる
私も現地で不動産屋に聞いたのだが、まともな情報は帰ってこなかった。日系の業者がウォッシュレット設置を1000ドル(約10万円)くらいで請け負うといううわさを聞いたくらいである。生活の立ち上げで苦労している間に、バスルームの快適さが担保されないのは辛すぎる。

ということで、アメリカ、特にニューヨーク、ボストンなど東海岸に向かう日本人に、洗浄便座設置の成功事例を共有したい(おそらくロサンゼルスやサンフランシスコ、あるいはシアトルなどの西海岸でも同様だと思われるが不明)。数ヶ月のリサーチの後、私が購入したのがLUXEという会社の製品である。 Amazon.comで買うと、2014年6月現在、30ドル(約3000円)もしない。

この手の製品の最大の関門は、ねじとの接続性である。LUXE Bidetシリーズの製品は、マニュアルにあるように、2つの金属製柔軟ホースがついている。
  • 1/2インチ・1/4インチナットホース
  • 15/16 インチ・9/16インチナットホース 
私の家のAmerican Standard社の便器の場合、トイレのタンクにTアダプタを直結させ、その下部に15/16のホースをつなぎそのまま給水パイプにつないだ。洗浄便座とT-アダプタは細いほうのホースである。取り付け方は同社のWebサイトに動画がある。簡単だ。

もし新居を下見する機会があるのなら、モンキーレンチ等を持参して、ナットの大きさを測るといい。ナットの径が、15/16 インチ(23.8ミリ) と 9/16(14.3ミリ)のパイプでタンクと水道が接続されていたら、何も考えずにこの洗浄便座がつなげる。もしサイズが違っていたとしても、Home Depot 等のホームセンターやAmazonなどでも容易に代替ホースを探せるだろう。

この機械は電気を使わないので、つまみを回すと単純にその水圧で水が出てくるだけである。便座ヒーターや乾燥機能など何もない。単純であるが、おそらくこれで十分だと思う。構造も簡単で軽量、便座そのものを置換する日本方式と違い、便座はそのままで、便座の下に挟み込むように設置する。つくりが若干華奢な気もするが、所詮日本円で3000円ほどである。それだけのお金で、ほぼ日本と同様の快適さが得られるようになって心から満足した次第である。

Luxe Bidet Neo 110 (Elite Series) Fresh Water Non-Electric Mechanical Bidet Toilet Seat Attachment w/ Strong Faucet Valves and Metal Hoses
  • Part Number Neo-110
  • Item Weight 2.2 pounds
  • Product Dimensions 13.5 x 7 x 3 inches
  • Item model number Neo 110
  • Material Plastic
  • Item Package Quantity 1
  • Number Of Pieces. 1
  • Special Features Easy to Install, Adjustable.

2014年4月30日水曜日

「社長は労働法をこう使え!」

労働法の論理と実際を実例に即してわかりやすく解説した本。タイトルはやや挑発的であるが、よく考えれば、あらゆる紛争には複数の当事者がおり、それぞれの言い分がある。労働者側の言い分を善と最初から決め付けるのは合理的ではない。

第2章、「正社員を解雇すると2000万円かかる」との事実は衝撃的だ。ある従業員が解雇されたとし、それを裁判で争うとする。その場合

  • 賃金仮払いの仮処分申請
  • 本訴開始
  • 判決
という順序で話が進む。会社側が十分な準備なしに解雇を行った場合、いくら状況証拠を示しても、仮処分に抗するのは難しい。仮処分が認められると、解雇時点からの給与を払い続ける必要がある。しかも、会社が敗訴した場合、それに加えて2重に解雇時点からの給料を払い(※)、なおかつ、訴えた従業員を職場に迎えて仕事を与えなければならない。年収400万も行かないような従業員でも、裁判まで行って敗訴した場合、年収の数倍の費用がかかってしまうのだ。大企業ならまだしも、中小企業では数千万円の現金を捻出することは簡単ではない。それによって倒産することすらありえる。

※付記。この点は理解できなかったのだが、実際には給料の二重払いはしなくてもいいらしい。著者が言っているのは、住居手当てなどの付加的なものなのだろうか。

賃金仮払いの仮処分が勝負の分かれ目であり、裁判所の判断基準に詳しい労働組合や弁護士は、仮処分を受けられる可能性を分析する。当人が実際のところ働く気のないぶら下がり社員であっても関係ない。そもそも労働法は労働者保護を目的にしている。解雇に値するとの十分な証拠がない限り、当人の成果や能力と無関係に解雇は無効である。組合や労働弁護士にはそこに大きなビジネスチャンスを見るというわけである。

本書を読むと、今をときめく小保方晴子氏の弁護士が取っている戦術の背景がよくわかる。執筆時点では小保方氏は解雇はされていないが、おそらく解雇されるだろう。それを見越した上で、裁判官の心証をよくするための手を着々と打っているのである。労働法の論理は、研究者的定義での捏造の有無とは関係ない。それを十分把握した上で、小保方氏の行為が、解雇に相当するとまではいえない、といったロジックを慎重に積み上げているのである。見事である。

本書の著者は、労働者の搾取に手を染める鬼ではない。むしろ、日本の労働法が時代と合わなくなっている結果、労使双方に悲劇を生み出していることを指摘している。たとえば、日本では解雇規制は厳しいのだが、人事異動はほぼ自由にできる上、定年という無慈悲で非人道的な制度がある。残業を命じることにも(厚労省の100時間の基準の範囲内では)強い制限はない。解雇規制が厳しい代償としての愚かな定年制度のため、多くの技術者が対立する隣国の企業に雇われ、結局元いた企業の首を絞める結果となっているのは周知のとおりだ。

国力を高めるという観点でも、これからの高齢化社会の安定化という観点でも、今の労働法は明確に有害なのだが、厳しい市場競争とは無縁の規制業種と、それを代表する勢力が政治的に大きな力を握っている日本では、抜本的な改善は難しいだろう。

本書では、日本の厳しい法規制の下でも、解雇は十分可能であることを述べている。柔軟な処遇を可能にする就業規則をつくること。もし本当に従業員の能力が足りないと判断される場合、それを立証する証拠と、教育・指導の記録を残すこと。もし指導の結果、会社に有用な人材ということになればお互い幸せである。

重要なことは、どの労働者にもそれなりの能力があるということを信じることである。烙印を押してはいけない。嫌いだから、のような理不尽な理由で解雇をすべきではない。互いに歩み寄り、互いに生産的な状況を作り出すために最善の方策を取るコストは、冒頭に掲げた2000万円のコストよりはるかに低いはずだ。これは人道的な行為であり、しかもその結果、社会に富を生み出しうる。国力が衰退しつつある今、会社にぶら下がることを前提に、非生産的な労働争議をやっている時代ではない。


社長は労働法をこう使え! 

  • 向井 蘭 (著)
  • 単行本(ソフトカバー): 272ページ
  • 出版社: ダイヤモンド社 (2012/3/9)
  • ISBN-10: 4478017042
  • ISBN-13: 978-4478017043
  • 発売日: 2012/3/9
  • 商品パッケージの寸法: 18.8 x 13.2 x 1.4 cm

2014年3月31日月曜日

「遠い日の戦争」

戦時中陸軍中尉としてB29搭乗員の処刑に関与し、占領軍の追及から逃げた男の心理を描いた小説。吉村昭のほかの小説同様、劇場風の大げさな描写は何もなく、淡々と心理がつづられる。

西部軍司令部司令部付・防空作戦室情報主任であった陸軍中尉白坂琢也は、玉音放送を聴いた直後、書類の焼却を命ぜられる。と同時に、以前、非戦闘員への殺戮行為という罪状により軍法会議で死刑を宣告されたB29の搭乗員への対応を迫られる。B29搭乗員は、日本軍迎撃隊により撃墜され、パラシュート降下したのである。B29は市民の憎悪の的であり、軍はかろうじて民衆の暴力から彼らを守り、留置したのであった。

詳細な尋問から、彼らが組織的に非戦闘員の殺傷を行っていることは明白であった。民間人への意図的な殺戮を行った者は、当時の戦時国際法によれば、戦時捕虜としての保護の対象にならない。それは軍服を捨てて群集に隠れつつゲリラ的攻撃を仕掛けた南京攻防戦での中国兵が、その場で処刑されても仕方なかったのと同様である。 軍は国際法に基づき、B29搭乗員に死刑の判決を下した。

白坂琢也は、灰燼に帰した博多の街を目前にし、また、新型爆弾を使用し都市全体を消滅させる攻撃に、強い憤りを感じた。
中小都市への焼夷攻撃に加えて、市民の殺傷のみを目的に新型爆弾まで投下したアメリカ軍の行為は、理解の範囲を超えたものであった。その後、伝えられる新型爆弾による広島市の被害状況に、琢也は、アメリカ軍がすでに日本人を人間の集団として認めていないことを感じた。...それは、野鼠の群れを一時に焼殺する駆除方法にも等しいものに思えた。

玉音放送後の残務処理において、すでに死刑判決を受けた彼らを処断することは自然なことであり、それをどう実行するかは責任機関に一任されている。琢也は実行した。

それが彼の長い逃避行の始まりであった。士官仲間から米軍の追及を聞かされた琢也は、旧軍で要職にあった伯父を訪ねるが、「旧軍人らしく逃げるなどということはせず、出る所へ出て白黒をつけろ」などと突き放され落胆する。軍関係の知人は彼を歓迎せず、人づてに姫路のマッチ工場に落ち着く。

その過程で、いかに人々が無責任に、強者に阿るかのように価値を転換させていることを知る。A級戦犯の起訴を伝える新聞には、「戦犯はまさしく人類の敵であり、憎みても余りある暴力の野獣である」とまであった。

琢也は姫路になじみ、工場主の信頼を得る。安定した生活を手に入れた彼は、ふと募った郷里への思いを胸に、その工場の名で挨拶の年賀状を実家に出す。追われる身としては、名を書かずとも、筆跡から事情を察することを期待したのである。結果的にそれが仇となり、彼は占領軍に連行され、裁判を受ける。彼は終身刑となったが、その後の占領政策の変更により、9年の後に釈放される。彼は思う。
裁判の本質は、法律の忠実な履行によって成立するもので、判決は厳正な最終結果であるはずだが、戦争犯罪裁判は国際情勢に著しい影響を受け、その折々の判決にも軽重の差が余りにも大きく、しかも決定した刑も短期間のうちに減刑されている。それは、戦争犯罪裁判に、その起訴となるべき法律というものが存在せず、裁く者たちの気ままな意志によって判決が下されたことをしめしている。琢也は、...、戦争犯罪人に対する裁判は、裁判とは無縁の私刑に近いものであることを感じた。

彼は、弟からの手紙で、その後郷里の空気が一変し、むしろ戦犯を被害者として気の毒がり、役所から非公式に慰問の品さえ届けられたことを知る。7,8年前、新聞は自分たちを「暴力の野獣」と指弾した。しかしそれがいまや悲劇の主人公なのである。それに彼は怒る。

この小説の主人公の悲劇は、心の中に価値の絶対軸を持っていたことであった。人間は2種類に分けられる。価値の絶対軸を持つ人間と持たぬ人間である。それは絶対音感に似て、それを持たぬ者には想像すらできないが、持つものにとっては強い感情をしばしば巻き起こす。価値の軸を持たぬ人間は、ことが起こるたびに強者の価値の上に座標を置き直すことに何の躊躇も感じない。何か問題が起こると、「自分はあの時、実は左様に懸念していたのだ」などと態度を変える輩は珍しくない。彼・彼女としては、それがむしろ良心の証であると信じており、それがゆえ対立はむしろ悲劇というよりも喜劇的になる。

価値の絶対軸を心に確立できぬ輩は人間として未熟である。郷里からの手紙を破り捨てたこの小説の主人公の苛立ちは、未熟さをそれとして理解できぬ人々との間の、暗黒の断絶に由来している。

読む価値のある名作。


遠い日の戦争  [Kindle版]
  • 吉村昭 (著) 
  • フォーマット: Kindle版 
  • ファイルサイズ: 399 KB 
  • 紙の本の長さ: 150 ページ 
  • 出版社: 新潮社 (2013/6/13) 
  • 販売: Amazon Services International, Inc. 
  • 言語: 日本語 
  • ASIN: B00D3WJ3LY

2013年3月31日日曜日

「江戸の性の不祥事」

書名の通り、江戸時代の性スキャンダルを、史料から丹念に拾って集めた本。娯楽小説や春本の類ではなく、「史料」とみなせる資料、すなわち、比較的客観的に事実が記されていると思われる随筆や日記、歴史書の類をもとに、史実を正確に再現していることが本書の特色である。江戸時代における性風俗の正確かつ貴重な資料になっている。面白い。

本書前半は将軍や大奥といった権力階級についてのエピソード、後半は庶民の間での事件が中心だ。見所はやはり奥女中にまつわるエピソードだろうか。興味深いことに、身分制度に縛られていた男たちと違い、町人や農民の娘たちには、「お屋敷奉公」といういわばエリートコースがあった。大名屋敷や旗本屋敷での女中奉公である。もしそこで屋敷の主にお手つきをされれば、一挙に身分は側室、両親は大名家の外戚である。大名の方にしても、政略結婚で決められた正室より、町民や農民から出た健康な側室を選ぶ傾向にあったというのは、なかなか示唆的で面白い。

庶民における性のエピソードも面白い。江戸の風俗産業の充実ぶりは本書で初めて知った。第6章冒頭によれば、江戸の風俗店の階層は次の通りだ。
  • 吉原。公許の遊郭。格式高く、ファッションの発信地でもある。
  • 宿場。飯盛り女という女郎を置くことを公認されている。
  • 岡場所。違法営業だが、儲けすぎるとか、刃傷沙汰を起こすとかしない限り事実上黙認。
  • 夜鷹。江戸の路上で客を引く街娼。
本書によれば江戸のいたるところに風俗店があったことがわかる。営業的アイディアも充実しており、素人っぽさをウリにする切見世(岡場所の大衆版)とか、ほぼラブホテルと同様の出合茶屋、そしてそこを使ったデリヘル同様のビジネス、などなど、まるで現代と変わらない。しかも、陰間茶屋という男娼の置屋まであったりして、むしろ江戸時代の方が奔放度は高いのかもしれない。


ちなみに、史料に基づくまじめな本書と相補的な位置に、田中優子著「張形と江戸をんな」がある。こちらは逆に、もっぱら春本春画の類に題材を求め、江戸時代の自由な性表現の実情を描いている。実はそれはほとんどが男の側からの妄想に基づいていて、「江戸の性の不祥事」の永井氏からすれば作り事として批判の対象なのだが、こちらの著者の意図は、春画を通して自由な女性のあり方を浮き彫りにしたいということである。すなわち意図はフェミニズム的信念の開陳にあり、性風俗はそのツールに過ぎない。

これらの本は、江戸時代における庶民の力強い自由を明確に表現している。現在の日本は比較的自由だが欧米の方がもっと自由で、だから昔の日本はとてつもなく不自由だった、というのはインテリからそれ以外まで広く信じられている言説だと思われるが、それはほとんど空想に過ぎない。性という人間のあり方に直結する領域においては、江戸時代のあり方は現代の日本と大した違いはない。むしろ、民主主義とか平等とか、そういう舶来の決め事に囚われている現代の方が不自由といえるのかもしれない。


江戸の性の不祥事 (学研新書)
  • 永井義男 (著) 
  • フォーマット: Kindle版 
  • ファイルサイズ: 1018 KB 
  • 紙の本の長さ: 228 ページ 
  • 出版社: 学研パブリッシング (2012/3/22) 
  • 販売: Amazon Services International, Inc. 
  • 言語 日本語 
  • ASIN: B007VAGT66 


張形と江戸をんな (新書y)
  • 田中 優子 (著) 
  • 新書: 186ページ 
  • 出版社: 洋泉社 (2004/03) 
  • ISBN-10: 4896918045 
  • ISBN-13: 978-4896918045 
  • 発売日: 2004/03 
  • 商品の寸法: 17.2 x 10.6 x 1.2 cm


2012年11月30日金曜日

「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」

東京オリンピックで世界中のアイドルとなり、チェコ動乱の後のメキシコ五輪では悲劇のヒロインとして世界から愛された旧チェコスロバキアの体操選手 ベラ・チャフラスカの伝記。著者後藤正治氏の中では、ベラの記憶は、1960年代の若者の、そして著者自身の、反抗と放浪の記憶と結びついている。ベラの波乱に満ちた半生をたどることは彼自身の記憶をたどることでもある。しかし著者は自己満足に浸ることなく、プラハの春をめぐる出来事を縦糸に、ラチニナ、チャスラフスカ、クチンスカヤコマネチら、女子体操の名選手の足跡を横糸として絡ませることで、ひとつの時代を鮮やかに切り取ることに成功している。私の知る限り本書は、チャスラフスカについて世界中で出版されたあらゆる本の中で最も完成度が高い。

1964年、東京オリンピックにおいて、ベラはローズレッドのレオタードに身を包み、個人総合を含む3つの金メダルを獲得した。この年の体操競技の雰囲気の一端は、市川崑監督による有名な記録映画『東京オリンピック』により知ることができる。小柄な選手の曲芸大会になっている現代の女子体操と異なり、当時は、成熟した女性が演技の流れの中で技を披露する競技で、体操の専門知識がなくても、その絵画的美しさは映画監督の目にも明らかだったはずだ。スポーツそれ自体への無知が随所に見られる退屈なこの映画の中で、ベラの演技が異例の長回しで映し出されていることに、異議をさしはさむ者はおそらく誰もいないだろう。彼女は間違いなく東京大会最高のアイドルであり、その後時折大会のたびに来日する彼女を、日本国民は熱狂的に歓迎した。

東京の4年後、1968年、メキシコオリンピックの年を迎えても、チェコスロバキアの英雄 ベラ・チャスラフスカは、依然として女子体操の優勝候補筆頭であった。しかし東欧諸国の中で最強の工業国としての成功を謳歌していた彼女の祖国の情勢は1968年を境に暗転する。同年初頭にチェコ共産党の第一書記となり実権を握ったドゥプチェクは、「人間の顔をした社会主義」の標語の下、市場経済の導入、公安警察の縮小、西側との交流の緩和などの施策を次々と打ち出す。改革の理想は、「二千語宣言」と呼ばれる美しい文章にまとめられた。その宣言の末尾にはこうある。
今年の春、戦後と同じように、われわれには大きなチャンスがめぐってきた。われわれは、社会主義と呼んでいるわれわれの共通事業を再び手に取り戻し、われわれがかつて持っていた名声とわが国に関する比較的芳しい評判に、より適した形体をこの事業に与える可能性を持っている。今年の春は終わったばかりで、もう戻っては来ない。冬にはすべてがわかるであろう。(p.109)
ベラ・チャスラフスカ(1967)
(by Kroon, Ron / Anefo in Wikipedia)
この文書に謳われる「春」こそ、後年「プラハの春」と呼ばれることになるチェコスロバキアにおける体制内変革運動である。21世紀の我々には、社会主義という言葉が、このような高揚した調子の呼びかけと結びつくことがやや意外に思われる。しかし当時、資本主義とは人間を抑圧する悪の体制であり、その悪が明らかになった後は、すべての社会は社会主義に移行するはずであると、多くのインテリゲンチャに信じられていた。東側の最先端、成功した社会主義国のチェコスロバキアの試みは、ソ連の抑圧的な体制に辟易していた西側の若き理想主義者たちにも熱狂的に迎えられた。文化面においてチェコスロバキア社会主義の成功を象徴する存在であったベラ・チャスラフスカは、迷わずこの宣言に署名した。祖国の明るい未来を信じて。

しかしこの宣言は、東側の盟主を任じていたソ連の認めるところとならず、この年の夏、ドゥプチェクらはソ連から改革の撤回を表明するよう圧力を受ける。交渉が決裂した後、ソ連軍を主力とするワルシャワ条約機構軍の戦車部隊が一斉に国境を越え、プラハめがけてなだれ込んだ。メキシコオリンピックが開幕する1968年10月12日の、およそ2ヶ月前のことである。

ベラが祖国の英雄の一人として、二千語宣言に署名をしたことは西側でも広く知られていた。オリンピック開幕時、日本女子体操チームに伝えられていた情報では、ベラは行方不明、チェコスロバキアチームの不参加の可能性があるということであった。女子体操チームのリーダー荒川御幸は、メキシコで旧知のベラと感動の再会を果たす。
痩せて、やつれて、暗い顔をしたベラだった。目の周りに黒いくまのようなものも浮いている。かつて見たことのない姿だった。
ワルシャワ条約機構軍の侵攻があって以降、北モラビアの山奥の小屋に隠れ、村人の世話になっていたこと、体力が落ちないように、石炭運びをしたり、木の枝を使って体操の練習をしていたこと、迷惑がかからないように誰にも連絡を取らず、その小屋で三週間余り過ごしたこと──などを荒川が知ったのは後のことであった。再開した時、ベラはやつれてはいたが、尋常ならざる決意というものがにじみ出ていた。(p.99)
喪服を思わせる黒いレオタードをまとったベラは、観客の熱狂的応援にも後押しされ、個人総合の2連覇を含む4つの金メダルを獲得した。しかしその後、彼女は長い長い冬の時代を過ごすことになる。二千語宣言への署名の撤回要求を頑としてはねつけ続けた彼女が名誉回復を果たすのは、それから20年後、いわゆるビロード革命が、プラハの春の理想を実現するまで待たなければならなかった。

政治の時代の悲劇は、チャスラフスカのヒロイン性を際立たせる重要な要素である。しかし重要なことは、スポーツはそれ自体で独立した物語を紡ぐということである。チャスラフスカは、女性美が重要な評価基準であった時代の最後のスター選手であり、後進国であった当時の日本体操チームからすれば羨望の的であり、「敵国」の選手ながら「メキシコの花嫁」と呼ばれ愛されたソ連のクチンスカヤからしてみれば気難しいライバルであった。これらの個別の物語を、本人へのインタビューを含む丹念かつ誠実な取材に基づいて、ひとつの大きな物語に仕立てる著者の力量はすばらしい。

チャスラフスカという美貌のヒロインの半生記のみならず、近代女子体操史としても重要な史料となるであろう傑作。


ベラ・チャスラフスカ 最も美しく
  • 後藤 正治 (著)
  • 文庫: 431ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (2006/09)
  • ISBN-10: 4167679930
  • ISBN-13: 978-4167679934
  • 発売日: 2006/09
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.8 x 2 cm

2012年10月31日水曜日

「流れる星は生きている」

敗戦時0歳、3歳、6歳であった3人の子供を連れて満州から帰国した著者の引き揚げの記録。著者藤原ていは、ソ連軍に連れ去られた夫(後の新田次郎氏)と連絡がつかない状況で、終戦から1年あまりを生き延び、3人の子供たちと無事に郷里に引き揚げた(真ん中の次男が藤原正彦)。個人的に、満州・朝鮮からの引き揚げの記録には興味があり、類書を多数読んだが、本書を越えるものはひとつもない。21世紀の今読んでも名作だと思うくらいだから、戦後まもなく、昭和24年に本書が発売された時に、人々に与えた感動はいかばかりかと思う。

実は私の父の一家も引き揚げ組である。私の父の一家は、終戦時、満州国の中心都市のひとつであった奉天(現 瀋陽)に住んでいた。南満州鉄道・奉天駅で働いていたと聞いている。終戦直前、私の祖父は軍に招集され、終戦時、父の家には私の祖母とその子供たちしかいなかった。新田次郎氏と同様、祖父は敗戦後シベリアに送られた。その意味でも本書の内容は他人事とは思えず、やはり著者同様女学校を出て嫁いだ私の祖母が、どれだけ辛酸をなめたかと思うとほとんど言葉もない。

昭和20年8月9日、ソ連参戦の日、著者の一家は突然集合命令を受ける。満州が戦乱の中に入ることを予期した関東軍が家族等関係者に退避命令を出し、著者の夫の勤務先であった新京市の観象台(気象台)の職員にも同様の指示が出たのである。この日、まだ新京までソ連は到達していない。列車も曲がりなりにも運行しており、一家はなんとか朝鮮領内の宣川(せんせん)という場所に到達する。

南下すべきか、それとも治安が回復しているという噂のあった満州領内に引き返すか。宣川の日本人には根拠不明の噂以外に頼る情報がない。それでもようやく観象台の一団が南下を決めたまさに昭和20年8月24日、38度線を境に交通が遮断され、それまでは平壌まで走っていた列車は運行を停止した。さらに、著者の夫を含むすべての壮年男子がソ連軍により連れ去られた。一団はそこで完全に足止めとなり、その後約1年、戸主を失った一家はその小さな地方都市で、すべての生活の基盤を失った状態で生きていく。昭和21年8月になり、噂だけを希望のよすがに宣川を立ち、観象台一団は38度線近くの新幕という駅まで下る。その後約2週間、38度線を挟んで南朝鮮側の開城にいたる徒歩での移動が本書の山場となる。
藤原一家の引き揚げ経路(Google Map

著者の記憶力は恐るべきものがあり、本書に描かれる日々の細かい生活の情景は非常にリアルだ。ただ、不思議なことに、ソ連軍による暴行・略奪の様子は本書にはほぼ何もかかれていない。本当にそういう出来事に出会わなかったのかもしれないし、著者が心情的に「進歩派」だったためかもしれない。真相はわからないが、終戦時7歳であった私の父を含む多くの人の心にはソ連軍の略奪・暴行の記憶が生々しいことを付言しておく(平和祈念展示資料館の所蔵の体験記)。


付記。本書の続編と言うべき『旅路』は「自伝小説」と銘打たれているだけあって、おそらくより事実に近い記述がある。興味深いのは同じ団にいた発狂した若奥さんの話である。『流れる星は生きている』では生活苦から発狂したことになっていたが、『旅路』ではソ連兵にさらわれて、1週間行方知れずになった後に発狂した若奥さんの話が出てくる(第三章 放浪生活・「眠れない夜が続く」)。その陰惨さは耐え難いものがある。おそらく著者は、編集者の意向か何かで親ソ的に事実を曲げざるを得なかったことを長い間気に病んでいたのだろう。戦後の日本のメディアの空気を示す一つの例である。


流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)
  • 藤原 てい (著)
  • 文庫: 332ページ
  • 出版社: 中央公論新社; 改版 (2002/7/25)
  • ISBN-10: 4122040639 ISBN-13: 978-4122040632
  • 発売日: 2002/7/25
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.8 cm

2012年4月5日木曜日

追憶 コレクターズ・エディション [DVD]


バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの共演による名作。学生時代、テレビか何かで中途半端に見て、一度ちゃんと見たいとずっと思っていた。1000円でDVDが買えるとはいい時代になったものである。

理想主義者のケイティー(バーブラ・ストライサンド)は学生時代から政治活動に没頭していた。生真面目な彼女は文学の愛好者でもあったが、 キャンパスでも勉強しているそぶりすら見せなかったスポーツマンのハベル(ロバート・レッドフォード)が、すばらしい短編を文学創作の授業で提出したことを知り衝撃を受ける。女子学生憧れの的のハベルのノンポリぶりに時折いらだちつつも、ケイティーは彼の才能に惹かれてゆく。

卒業後偶然の出会いを果たした時、彼女は自分の家でハベルに一冊の本を見せる。それは出版社の目に留まり本となったハベルの短編であった。卒業後、彼女の中では、いつしかハベルは理想の人となっており、彼の成功をまるで自分のことのように思うようになっていた。ケイティーは彼の心を射止めることに情熱を燃やす。ハベルは彼女を当初は敬遠していたが、ケイティーが彼の才能の最良の理解者であることを悟り心を開く。

ケイティーは文学を追求すべきとの考えであったが妥協し、小説を映画のシナリオとして売るべく二人でハリウッドに行く。当初は当時の純文学の聖地フランスの文壇で勝負するとの考えをケイティーは捨てていなかったが、当座の成功と、それがもたらす豊かな生活に、人生最良の時をお互い楽しむ。

しかしまもなく戦後のマッカーシズムの嵐が二人の関係に少しずつ亀裂を生む。理不尽な査問にあくまで反対すべきというケイティー。青い理想主義は何にもならないと言うハベル。ケイティーは彼の成功のために、政治的な理想主義を降ろすことを決心するが、その頃には諍いに疲れ、また作家としても自信をなくしていたハベルが、学生時代の恋人キャロル(ロイス・チャイルズ)との関係を復活させていた。ケイティーは、自分の愛が結局彼を変えることができなかったことを悟る。彼女の理想の人ハベルは、現実には存在しなかったのだ。彼もまた、文学の理想をあきらめ、いわば商業主義に迎合した手っ取り早い成功の道を選ぶ。

別離の後、偶然二人はニューヨークのプラザホテルの前で会う。ケイティーは反核活動家としてビラをまき、ハベルはテレビのシナリオライターとして新しい妻とホテルに滞在していた。二人はお互いが、分かれた時と同じベクトルで、違う方向にそのまま進んでしまったことを認める。お互いの距離はもう埋められない。以前の楽しかった思い出は、もう思い出の中にしかない。「追憶のテーマ」が切なく流れ、映画は終わる。

青春の理想主義の切なさを、アメリカ映画らしからぬ哀愁に乗せて描く名作。



追憶 コレクターズ・エディション [DVD]
  • バーブラ・ストライサンド (出演), ロバート・レッドフォード (出演), シドニー・ポラック (監督) | 形式: DVD
  • 出演: バーブラ・ストライサンド, ロバート・レッドフォード, ブラッドフォード・ディルマン, ビベカ・リンドフォース
  • 監督: シドニー・ポラック
  • 形式: Color, Subtitled
  • 言語 英語
  • 字幕: 日本語
  • リージョンコード: リージョン2
  • ディスク枚数: 1
  • 販売元: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • DVD発売日: 2011/01/26
  • 時間: 118 分

2012年3月31日土曜日

「アヘン王国潜入記」

黄金の三角地帯として知られるミャンマー、タイ、中国の国境山岳地帯にあるミャンマーの「ワ州」に入って数ヶ月起居を共にし、なんとアヘンの栽培まで一緒にやって、しまいには自分がアヘン中毒になってしまった顛末を記したルポルタージュ。あらかじめビルマ語でも中国でもない「ワ語」を習ってまで入り込む作者は、気合十分すぎる冒険ジャーナリスト、現代の偉人である。本書は、本人が「文庫版あとがき」に書く通り、作者高野氏の著作の中で「背骨」にあたる代表作である。その臨場感は圧倒的で、望むらくはもう少し写真がほしいところだが、それでも民族ものルポルタージュの中では疑いなく最高傑作の部類に入る。

東南アジアを描いたノンフィクションは、日本との歴史的な経緯もあり非常にたくさんある。その中で、何の気負いもなく面白いものを面白く描いている本書に、強い感慨を覚えざるを得なかった。

それはこういうことだ。ベトナム戦争の頃、といっても私もまだ生まれているかいないかの遠い昔、海外旅行さえまで一般的でなかった時代、民族もののルポルタージュというのはジャーナリストの専売特許のようなものであった。その多くには、歴史の進むべき方向にはある正義があり、その正義に沿って進むよう世界に訴えかけることが自らの使命であるとの思いが多かれ少なかれ存在していることがわかる。ベトナム戦争は、超大国アメリカが、いわば帝国主義的悪意から小国を服属させんと全力を挙げる戦いであると当時は考えられていた。小国ベトナムは、民族自決と社会的不平等の撤廃などの理想的理念を掲げて、乏しい武器で大国に立ち向かう。米国の物量に敗れた敗戦の記憶ともあいまって、大多数の市民はベトナムに肩入れした。

しかし今から当時を見れば、ベトナム戦争は単に冷戦の所産、代理戦争と言わざるを得ず、「ベトナム解放」後、共産党政権による人権蹂躙によって100万人以上のインドシナ難民が発生した。今ではベトナム政府は、経済的には市場経済路線を採択するに至っている。醒めた目で見れば、当時信じられていた歴史の必然というものはほとんど何の痕跡もないとすら言える。

当時のジャーナリストたちが書いた「正義の」民族的ルポルタージュは、時代に消費され朽ちていった。当時信じられた歴史の必然などというものは幻で、そういう幻に依拠した物語はいわばオカルトに過ぎない。我々の時代は、当時信じられた歴史の座標軸を失った時代である。だからこそ、自分の興味それ自体を普遍化する作業が必要である。それは面白いものを面白く描くということであるが、単なる自慰の枠を出るためには、既成の「正義」に寄りかかるよりはるかに高度な才能が必要である。

なお、あとがきにあるように、本書は当初日本では出版社の興味を引かず、英訳版が先行して発売された。 そのあたりの経緯も、この国の今を考える上では興味深いものがある。


アヘン王国潜入記
  • 高野 秀行 (著)
  • 文庫: 392ページ
  • 出版社: 集英社 (2007/3/20)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4087461386
  • ISBN-13: 978-4087461381
  • 発売日: 2007/3/20
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.6 x 2 cm


The Shore Beyond Good and Evil: A Report from Inside Burma's Opium Kingdom
  • Hideyuki Takano
  • ハードカバー: 277ページ
  • 出版社: Kotan Publishing, Inc.; illustrated edition版 (2002/7/1)
  • 言語 英語, 英語, 英語
  • ISBN-10: 0970171617
  • ISBN-13: 978-0970171610
  • 発売日: 2002/7/1
  • 商品の寸法: 22.2 x 15.4 x 2.5 cm

2011年9月30日金曜日

「発達障害の子どもたち」

児童精神科の専門医・杉山登志郎氏による、発達障害とそれを取り巻く日本の状況についての解説書。高機能自閉症、アスベルガー症候群、それに子供虐待。日々メディアには発達障害に関係する文字が躍るが、誤解と偏見はいまだ根強いと著者は指摘する。

冒頭、著者は発達障害の児童についてのありがちな意見を列挙する。

  • 発達障害児も普通の教育を受ける方が幸福である、また発達にも良い影響がある
  • 養護学校(特別支援学校)に一度入れば、通常学校には戻れない。
  • 通常学級の中で周りの子どもたちからから助けられながら生活をすることは、本人にも良い影響がある
  • 養護学校卒業というキャリアは、就労に際しては著しく不利に働く
  • 通常の高校や大学に進学ができれば成人後の社会生活はより良好になる

かつて精神医学界が革命闘争の巣窟であった頃(障害者解放闘争)何らかの意味での精神に障害を持つ者を隔離するような言説を口にすることはまったくタブーであった。一見人道的に見えるそういう非隔離のアプローチが、実は非常に多くの問題をはらむことを著者は指摘する。
あなたが、自分が参加しようとしても半分以上は理解できない学習の場にじっと居ることを求められたとしたらどのようになるだろう。また自分が努力しても成果が上がらない課題を与え続けられたらどのように感じるだろう。子どもにとってもっとも大切なものの一つは自尊感情である。子どもの自信をそしてやる気を失わせないことこそが重要なのだ。(p.22)

もちろんこれは養護学校において、系統的な職業訓練を含む良心的な教育を受ける機会があることを前提にしている。今の日本ではそのような教育を受けることは実際可能であり、しかも、従業員の1.8%以上の障害者を雇用することを義務付ける法律(障害者雇用促進法)により、大企業において安定した職を得ることすら可能である。偏見的な思い込みによらず、病状に見合った教育を受けさせることの重要性を著者は再三指摘する。

発達障害において重要なのは、その発現形態が我々の常識から推測されるよりもはるかに多岐にわたるということだ。著者は発達障害を4つのグループに分ける。

  • 第1のグループ。精神遅滞を代表とするグループで、これはいわゆる「知恵遅れ」と呼ばれてきたカテゴリである。しかし現代では、これ以外にも多様な形態が知られている。本書第3章で詳述される。
  • 第2のグループ。いわゆる自閉症に関するもので、ここには、知的な遅れを持たない一群、すなわち、高機能広汎性発達障害を含む。最近いくつかの重大犯罪に絡んで世に知られるようになったアスベルガー症候群もそれである。本書第4、第5章で詳述される。
  • 第3のグループ。これも最近になり一般に知られるようになったカテゴリで、注意欠陥多動性障害、学習障害などを含む。本書第6章で詳述される。
  • 第4のグループ。これが著者の提唱する新しいカテゴリーで、被虐待児に特徴的な症状である。本書第7章で詳述される。
本書で特に被虐待児特有の精神症状を取り上げていることは注目に値する。著者は勤務先の病院において、子ども虐待の専門外来を開設し、これまで多数の被虐待児を診断してきた。そうして、被虐待児に、驚くほど似通った行動パターンが存在することを見出す。最新の脳の機能画像研究の成果によれば、虐待は、脳梁の機能不全といった器質的変化をもたらすことが知られている。虐待が与えるのは心の傷だけではない。たとえ暴力によらずとも、それは脳に物理的変化を与えるのである。いかに子ども虐待が罪深い所業かがわかる。

第7章以降は、いかに発達障害の子どもたちを治療するかという観点で、現実の問題が冷静に指摘される。特に、発達障害児の親とは、長い治療の実践の過程でさまざまな葛藤があったのであろう、問題点を指摘する筆致にも迫力がある。ポイントは2つある。ひとつは上にも書いた通常学級か養護学級かという問題で、もうひとつは、薬物治療をするか否か、という問題である。

前者について、再び著者は、子どもの自尊感情に目を配ることの重要性を指摘する。
「参加してもしなくても、何が何でも通常学級」と言われる保護者の方々は、自分がまったく参加できない会議、たとえば外国語のみによって話し合いが進行している会議に、45分間じっと着席して、時に発言を求められて困惑するといった状況をご想像いただきたい。これが一日数時間、毎日続くのである。このような状況に晒された子どもたちは、着席していながら外からの刺激を遮断し、ファンタジーへの没頭によって、さらには解離によって、自由に意識を飛ばす技術を磨くだけだろう。(p.198)
著者は、思い込みの強い保護者の攻撃に晒される教師には同情的である(p.205)。しかし一方で、養護教育に携わる教員の専門知識の乏しさを嘆き、彼らに対する専門教育の重要性を指摘している。

薬物治療についても、多くの保護者は、最近の医学の進歩を知らず、否定的な態度を取る傾向がある。著者は言う。
この折にしばしば感じるのは、このような発言をされる方が、保護者を含め、子どもの側の大変さと言うものを本当に理解したうえで言っているのかどうかという疑問である。(p.217)
薬を使わずに病気を治せ、というのは健常者の傲慢ということであろう。

本書は、発達障害に関するあらゆる話題について、高い学識と倫理観から冷静にまとめられた稀有な良書である。子どもを持つすべての親に勧めたい。


発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

  • 杉山 登志郎 (著)
  • 新書: 238ページ
  • 出版社: 講談社 (2007/12/19)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4062800403
  • ISBN-13: 978-4062800402
  • 発売日: 2007/12/19
  • 商品の寸法: 17.4 x 10.8 x 2 cm

2011年8月31日水曜日

「天才になる!」

写真家・荒木経惟(のぶよし)氏の半生記。聞き手飯沢耕太郎によるインタビュー記事を元に書籍にまとめた形態であるが、編集が秀逸で、話し言葉を文字化したときにありがちな不明瞭さがない。面白い。

我々の社会は混沌の中ある。既存のものの単なる延長線上には何も生まれないことは誰でも知っている。無から有を創造しなければならない。これからは天才の時代だ。

天才とは、既存の世界の彼岸へと跳躍できる人のことである。その向こう岸は誰もまだ見たことがない。暗闇に底なし沼が広がっているかもしれない。その彼岸に向けて跳躍するという行為は、合理的計算の所産ではありえない。しかし天才はそれをあえてする人である。何かの内的衝動に従って。

この社会を形作るほとんどの人は、そういう彼岸へと跳躍したことはない。それが一体どういうことなのか想像すらできないだろう。矛盾をはらんだ乱雑な現実が、何か甘美で、透明で、あらゆるものが意識下に置かれているような、美しい世界に溶解してゆく。その創造の瞬間を言語化するのは一般には難しいが、荒木氏の場合、写真というメディアを通して、現世の彼岸へと瞬時に跳躍するのである。
アウトサイダーアートとかを見てると、奴らにはかなわないって思う。狂気があいつらにとっては本気だからな。でも考えてみると、写真っていうメディアはそこまでいかせない抑制のメディアでもあるんだよ。(...)文学やってて、すごく小さな中でピュアに徹底的に考えちゃった奴は自殺しちゃったりするんですよ。でも、写真は、シャッター音が川に落ちるのを止めてくれる。心中を止めるんだよ。(...)写真家は境界線だからね。こっち側とあっち側の、此岸と彼岸の。(p.167-168)

実際のところ、荒木氏の作品にはウソハッタリも多く含まれていて、注意しないといけないのだが、たとえば、彼の電通時代の作品「女囚2077」の迫力は圧倒的である。
「女囚2077」の2077っていうのは、彼女の社員番号だよ。会社員っていうのは囚人なんだぞって言って、それでこんなトーンで延々と撮りまくって。(p.103)
言葉だけだと限界があるこの表象を、2次元のモノクロの世界にエンコードすることで我々の精神に衝撃を与えるのである。これは一種の奇跡であろう。

天啓というべき着想に従って、次々に創造の波を作り出す荒木氏。彼は、いわゆる世間に言う秀才の類型とはまったく違う。現在「知的」というカテゴリでもてはやされる人々を荒木氏と対比してみるのは面白い。もっともエネルギーが必要な創造のステップを省略し、既存の知識をいかにすばやく吸収するかを書いている書物は、「効率が10倍アップする新・知的生産術」とか「官僚に学ぶ仕事術 ──最小のインプットで最良のアウトプットを実現する霞が関流テクニック」などなど、まさに有象無象、無数にある。荒木氏の電通入社試験でのエピソードは、まるでこれらの著者の凡庸さをあざ笑っているかのようである。
他の奴らはみんな手際はいいけど、あがりを見ると構成力ないし、色彩感覚悪いから。楽勝なんだよ。要するに、テクニックは入ってから一ヶ月で覚えられるから、そんなものは試験では見ないっていう自信をもって、「おれはうまい!」って思ってやったの。p.81
然り、「テクニックは入ってから一ヶ月で覚えられる」のであり、テクニックの次元でしか語る言葉を持たない人間と、創造者の間には越えがたい壁がある。ただの情報リサイクルを、「知的生産」と持ち上げざるを得ないこの国のメディアの知的水準を、心から残念に思う。


天才になる! (講談社現代新書)
  • 荒木 経惟 (著)
  • 新書: 230ページ
  • 出版社: 講談社 (1997/9/19)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 406149371X
  • ISBN-13: 978-4061493711
  • 発売日: 1997/9/19
  • 商品の寸法: 17.2 x 10.6 x 1.4 cm

2011年7月31日日曜日

「制服概論」

負け犬の遠吠え』がうっかり社会的論争を引き起こしてしまったため、文化人のようにみなされかねない酒井順子女史の、本来の変態おちゃらけワールドが炸裂する好著。文化人キャラでないことは本人もよくわかっていて、最近のエロエッセイ群は「負け犬」四十路ならではの力の抜け方で、非常にいい味を出している。

基本、あけすけ・おちゃらけエンターテイメントなのだが、個人的には制服フェティシズムをめぐる三島由紀夫論が興味深い。三島の美意識のスコープは検定教科書に載るくらいな解毒された世界よりずっと広い。抑圧と解放、美と破壊、そういった文学的モチーフのひとつとして、「盾の会」における制服趣味や、その衝撃的な最期は当然位置づけられる。死は、自由の否定の究極形態である。しかし三島は、自由意志による選択の結果として討ち入りを行い、隊員に自由意志での参集を呼びかけ、意志を尊重するという点においてもっとも高貴な生の形態とも言える切腹という仕方で、自分の人生を終えたのだ。
制服人生を全うした、偉大なる制服愛好家(と勝手に断定してすみません)の先達、三島由紀夫。自分の軍隊の制服姿で討ち死にというそのあり方は、制服好きとしては究極の姿でありながら、他の制服好きには決して真似のできないもなのです。(p.141)  
おちゃらけた筆致のなかに、うっかり本来の芸術的指向を見せてしまった感じであるが、最近は、自分の知識を水増しして(結果として墓穴を掘る)悲しく必死な輩が多いから、こういう力の抜け具合は好感が持てる。

ま、三島だ文学だと高尚なことを一切考えなくても、作者のテンポのよいあけすけおちゃらけ節は十分楽しいので、疲れたときのお楽しみにどうぞということで。


制服概論 (文春文庫)
  • 酒井 順子 (著)
  • 文庫: 236ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (2009/1/9)
  • ISBN-10: 4167228084
  • ISBN-13: 978-4167228088
  • 発売日: 2009/1/9
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.6 x 1.4 cm