当事者たちの手記から今では明らかになっているように、外交がらみの新聞報道の多くは権力側からのリークによるものである。ゆえ、新聞報道を要約するだけでは、「失敗の本質」は明らかにはなるはずもない。このようなことは当たり前だと思うのだが、悲しいことに著者は、「世間の目や感情を忘れた外交は破綻しやすいという教訓を、今度こそ、かみしめなければならない(p.48)」、のような、情緒的で素人風の感想文を書き連ねるばかりである。逆に言えば、権力側にとってこの著者のような記者ほど便利な存在はないわけで、実際、著者が政府関係の委員会に呼ばれたりしているのもうなずけるところだ。
外交のような、国際政治についての高度に専門的な知識を要する分野を、いわゆる「政局報道」の枠内に矮小化して何がうれしいのだろう、というのが悲しい読後感であった。本書は、後の時代に、まだ平和であった日本国で、マスコミがどのくらい弛緩した報道を垂れ流していたかの歴史的資料になることだろう。
と、皮肉っていても始まらないので、ひとつだけ指摘をしておこう。
p.100にマスコミ用語で言う「ムネオハウス」についての疑惑が書かれている。本書は、外務省の報告書そのままに、根室の業者が「日揮」に工事を丸投げした一件は、鈴木事務所の第1公設秘書が取り仕切ったと書いている。これは「国策捜査」の結果、裁判でも認定されてしまった経緯なのだが、事実はおそらく異なる。すべてに色濃く関与し、しかしなぜか一切の処分を免れた倉井高志支援室長(当時)をめぐる興味深い分析が、鈴木氏の『闇権力の執行人』(講談社+α文庫、p.161)にある。どちらが現実に肉薄しているのか、比較してみるのは一興である。
★☆☆☆☆ 外務省『失敗』の本質
- 今里義和
- 講談社現代新書
- 2002
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