2012年12月29日土曜日

Kindle Paperwhite

2012年11月に発売されたアマゾンの電子書籍リーダー(Amazonへのリンク)。発表から約2ヶ月、2012年の年末になり、ようやくWeb上でも「在庫あり」となった。量販店でも今では入手容易である。インターネット上のレビューも多く見受けられるが、提灯記事か、実地に使っているのかいないのかよくわからない浅い記事が多いので、あえて感想を書いてみる。

購入前に私が知りたかったのは、「Kindleは日本語書籍の実用的なリーダーになりえるのか・iPadに加えてKindleを買う意味があるのか」ということだ。結論から言えば次のようになる。
  • 屋外での使用時を除いて、Kindle Paperwhite の文字の見易さは Retinaディスプレイを備えたiPadよりかなり劣る。
  • しかし携帯性は大きく勝るため、持ち歩き用の「劣化版 iPad 」としてなら買う意味がある。

文字を電子リーダーで読む場合、最も重要なのは解像度とコントラストである。画素が活字の輪郭を崩してはならない。そしてその輪郭は、背景から浮き上がるように表示されなければならない。下記に、KindleとiPad(Retinaディスプレイを搭載した第3世代)の比較を示す。全体的にKindleはぼんやりした感じになっていることがわかる。画面も小さいため速読性に劣り、難しい内容を考えながら読むというより、本に身を預けて内容を消費する、といった読み方にふさわしいかもしれない。

左: Kindle Paperwhite、右: iPad 第3世代

上記は英語の書籍だが、日本語の場合、画数の多い漢字やふりがながあるので、さらに条件は過酷になる。iPhoneで撮った汚い写真なのであまり違いがわからないかもしれないが、下記に示すとおり、kindle では昔の活版印刷のようにルビがかすれがちであり、何より、よほど強い外光の下で見ない限り、文字のコントラストが低く、読んでいて目が疲れる(なお、iPadの写真で見える格子状の模様はモアレ縞。画素の大きさを示しているわけではない)。バックライトの輝度を上げても、コントラストの低さはいかんともしがたい。明るい屋外で見るのでなければ、iPadはKindleに圧勝という印象だ。

Kindle Paperwhite
iPad (第3世代)。
Kindleが出た時は、自発光でないので目が疲れない、と言っている解説が多くあったが、私の意見だと自発光かどうかは目の疲労に関係ない。重要なことは、まずは解像度とコントラストが紙の書籍並みであることと、さらに言えば、読み手が自由な姿勢を取れることである。Kindle Paperwhiteは、主にコントラストの観点で前者に難があると言わざるをえない。現状では、要するに通常の本のように、光のほうにKindleを向けて読まないと暗くて目が疲れるので、どうしても読み手の姿勢にも制約が出てしまう。

次に操作性、Wikipediaや辞書との連携性などの観点でも、KindleはiPadに劣る。たとえば、辞書を引きたい時、その反応の遅さにはややストレスを感じるし、辞書で調べられない時にインターネット検索に飛ぶ、などの芸当も、Kindleだと実用的な手間では難しい。実際、上記の写真は、河口慧海の「チベット旅行記」なのだが、地名をGoogleで調べてどういう光景なのか写真で眺める、などのいかにもマルチメディアを駆使した楽しみ方は、到底Kindleでは無理だと感じた。

それから、pdf等の、Kindleストアからの購入でない文献を閲覧するのにはKindleはまったく向いていない。私の使い方だと、数式の入った論文や書籍を閲覧するためにiPadを使うことがあるが、そういう使い方はKindleでは不可能である。Kindleにはpdfの余白をトリミングする機能がないのと、それを避けるためKindleのフォーマットに変換したくても、現状、数式や特殊文字を変換するのはとても難しいからだ。

ではどういう人にKindleは薦められるだろう。まず、外で本を読みたい人であろう。外光の下では、紙の書籍はコントラストが高すぎてむしろ読みにくく、iPadも、バックライトが太陽光に負けて見にくい。それに外の映り込みも気になる。一方、Kindleでは、外光の下では画面がまさにPaperwhiteに見え、すばらしい視認性を実現できる。散歩の時にさっと持ってゆくデバイスとして重宝しそうだ。

Kindle Paperwhite
関連して、移動中に本を読みたい人にも薦められる。満員電車だとiPadでは厳しいが、Kindleなら上着のポケットに入れておけるし、軽い。どうせ電車の中では集中を要するような読み方はできないので、視認性が多少劣っても問題ない。電池の持ちが非常によく、充電を気にしなくてもいいのも大きい。

iPad 第3世代
加えて、テキストだけの英語の本を読むことが多い人にも、Kindleは手軽なリーダーとしておすすめだ。日本語だともう一息という感じが否めないが、英語の書籍だとKindleもかなり健闘している。コントラストの低さは気になるが、それでも日本語の明朝体で気になるシャギーやかすれはほぼ気にならない。図とか式とかがなければ実用レベルだと思う(右図)。


総合的に見て、Kindleは、ベストセラーを手軽に消費する装置として非常によくできていると思う。売れ筋の本を、あまり難しいこと考えずに、いわば言われるがままに順繰りにページを送ってゆくような読み方。自分で作ったpdfを読みたいとか、じっくり机に座って内容を詳しく検討しながら読みたいとか、マニュアルや辞書のように、大量の情報を行きつ戻りつ眺めたいとか、そういう使い方には向いていない。だから私個人にとっては、Kindleはあくまで劣化版Retina iPadに過ぎない。

しかしそれでも、この、使い方によっては間違いなく紙の書籍の代替となる読書体験を提供できるKindleという製品の、いわば歴史的意味というものを考えてみるのは意味がある。おそらく、Kindleの前では、読書というものに過剰な意味づけをせず、知的探求とは直接関係のない、単なる情報の消費プロセスとして捉えるべきなのかもしれない。これは一見微妙な差異に見えるが、そこを割り切れるかどうかは大きい。読書の私的・知的側面に重きを置いて快適なリーダーを作りこむという方向と、Kindle ストアを介して、情報消費のための大規模なエコシステムを構築するという方向は、似て非なるものである。実は電子書籍リーダーという分野を開拓したのは日本企業であった。また、アメリカの市場の動向から、電子書籍が将来、紙の書籍を圧する存在になることは、もう3年も前からわかっていた。そうして3年前の時点で予想されていた通りのやり方で、Amazonという巨人が現れ、日本の電子書籍市場を制圧しようとしている。おそらく、日本の関係者もとっくにわかっていただろう、この戦いが、情報の大衆的消費のためのプラットフォームをめぐる争いであることを。しかしこの国には、この既視感あふれる敗北の物語を止める力のあるプレイヤーは出なかったのである。


Kindle Paperwhite
  • ディスプレイ
    ディスプレイサイズ6インチ、解像度212ppi、特許取得済み内蔵型ライト、フォント最適化技術、16諧調グレースケール 
  • サイズ
    169 mm x 117 mm x 9.1 mm 
  • 重量
    213グラム
  • システム要件 ワイヤレス接続対応、コンテンツのダウンロード時にPC不要 
  • 容量
    2 GB (使用可能領域約1.25 GB) 
  • バッテリー
    明るさ設定10、ワイヤレス接続オフで1日30分使用した場合、1回の充電で最大8週間利用可能
  • 充電時間
    PCからUSB経由で充電で約4時間 
  • 対応ファイルフォーマット
    Kindle(AZW3)、TXT、PDF、保護されていないMOBI、PRCに対応。HTML、DOC、DOCX、JPEG、GIF、PNG、BMPは変換して対応 
  • 同梱内容
    Kindle Paperwhite、USB 2.0充電ケーブル、保証書、スタートガイド

2012年11月30日金曜日

「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」

東京オリンピックで世界中のアイドルとなり、チェコ動乱の後のメキシコ五輪では悲劇のヒロインとして世界から愛された旧チェコスロバキアの体操選手 ベラ・チャフラスカの伝記。著者後藤正治氏の中では、ベラの記憶は、1960年代の若者の、そして著者自身の、反抗と放浪の記憶と結びついている。ベラの波乱に満ちた半生をたどることは彼自身の記憶をたどることでもある。しかし著者は自己満足に浸ることなく、プラハの春をめぐる出来事を縦糸に、ラチニナ、チャスラフスカ、クチンスカヤコマネチら、女子体操の名選手の足跡を横糸として絡ませることで、ひとつの時代を鮮やかに切り取ることに成功している。私の知る限り本書は、チャスラフスカについて世界中で出版されたあらゆる本の中で最も完成度が高い。

1964年、東京オリンピックにおいて、ベラはローズレッドのレオタードに身を包み、個人総合を含む3つの金メダルを獲得した。この年の体操競技の雰囲気の一端は、市川崑監督による有名な記録映画『東京オリンピック』により知ることができる。小柄な選手の曲芸大会になっている現代の女子体操と異なり、当時は、成熟した女性が演技の流れの中で技を披露する競技で、体操の専門知識がなくても、その絵画的美しさは映画監督の目にも明らかだったはずだ。スポーツそれ自体への無知が随所に見られる退屈なこの映画の中で、ベラの演技が異例の長回しで映し出されていることに、異議をさしはさむ者はおそらく誰もいないだろう。彼女は間違いなく東京大会最高のアイドルであり、その後時折大会のたびに来日する彼女を、日本国民は熱狂的に歓迎した。

東京の4年後、1968年、メキシコオリンピックの年を迎えても、チェコスロバキアの英雄 ベラ・チャスラフスカは、依然として女子体操の優勝候補筆頭であった。しかし東欧諸国の中で最強の工業国としての成功を謳歌していた彼女の祖国の情勢は1968年を境に暗転する。同年初頭にチェコ共産党の第一書記となり実権を握ったドゥプチェクは、「人間の顔をした社会主義」の標語の下、市場経済の導入、公安警察の縮小、西側との交流の緩和などの施策を次々と打ち出す。改革の理想は、「二千語宣言」と呼ばれる美しい文章にまとめられた。その宣言の末尾にはこうある。
今年の春、戦後と同じように、われわれには大きなチャンスがめぐってきた。われわれは、社会主義と呼んでいるわれわれの共通事業を再び手に取り戻し、われわれがかつて持っていた名声とわが国に関する比較的芳しい評判に、より適した形体をこの事業に与える可能性を持っている。今年の春は終わったばかりで、もう戻っては来ない。冬にはすべてがわかるであろう。(p.109)
ベラ・チャスラフスカ(1967)
(by Kroon, Ron / Anefo in Wikipedia)
この文書に謳われる「春」こそ、後年「プラハの春」と呼ばれることになるチェコスロバキアにおける体制内変革運動である。21世紀の我々には、社会主義という言葉が、このような高揚した調子の呼びかけと結びつくことがやや意外に思われる。しかし当時、資本主義とは人間を抑圧する悪の体制であり、その悪が明らかになった後は、すべての社会は社会主義に移行するはずであると、多くのインテリゲンチャに信じられていた。東側の最先端、成功した社会主義国のチェコスロバキアの試みは、ソ連の抑圧的な体制に辟易していた西側の若き理想主義者たちにも熱狂的に迎えられた。文化面においてチェコスロバキア社会主義の成功を象徴する存在であったベラ・チャスラフスカは、迷わずこの宣言に署名した。祖国の明るい未来を信じて。

しかしこの宣言は、東側の盟主を任じていたソ連の認めるところとならず、この年の夏、ドゥプチェクらはソ連から改革の撤回を表明するよう圧力を受ける。交渉が決裂した後、ソ連軍を主力とするワルシャワ条約機構軍の戦車部隊が一斉に国境を越え、プラハめがけてなだれ込んだ。メキシコオリンピックが開幕する1968年10月12日の、およそ2ヶ月前のことである。

ベラが祖国の英雄の一人として、二千語宣言に署名をしたことは西側でも広く知られていた。オリンピック開幕時、日本女子体操チームに伝えられていた情報では、ベラは行方不明、チェコスロバキアチームの不参加の可能性があるということであった。女子体操チームのリーダー荒川御幸は、メキシコで旧知のベラと感動の再会を果たす。
痩せて、やつれて、暗い顔をしたベラだった。目の周りに黒いくまのようなものも浮いている。かつて見たことのない姿だった。
ワルシャワ条約機構軍の侵攻があって以降、北モラビアの山奥の小屋に隠れ、村人の世話になっていたこと、体力が落ちないように、石炭運びをしたり、木の枝を使って体操の練習をしていたこと、迷惑がかからないように誰にも連絡を取らず、その小屋で三週間余り過ごしたこと──などを荒川が知ったのは後のことであった。再開した時、ベラはやつれてはいたが、尋常ならざる決意というものがにじみ出ていた。(p.99)
喪服を思わせる黒いレオタードをまとったベラは、観客の熱狂的応援にも後押しされ、個人総合の2連覇を含む4つの金メダルを獲得した。しかしその後、彼女は長い長い冬の時代を過ごすことになる。二千語宣言への署名の撤回要求を頑としてはねつけ続けた彼女が名誉回復を果たすのは、それから20年後、いわゆるビロード革命が、プラハの春の理想を実現するまで待たなければならなかった。

政治の時代の悲劇は、チャスラフスカのヒロイン性を際立たせる重要な要素である。しかし重要なことは、スポーツはそれ自体で独立した物語を紡ぐということである。チャスラフスカは、女性美が重要な評価基準であった時代の最後のスター選手であり、後進国であった当時の日本体操チームからすれば羨望の的であり、「敵国」の選手ながら「メキシコの花嫁」と呼ばれ愛されたソ連のクチンスカヤからしてみれば気難しいライバルであった。これらの個別の物語を、本人へのインタビューを含む丹念かつ誠実な取材に基づいて、ひとつの大きな物語に仕立てる著者の力量はすばらしい。

チャスラフスカという美貌のヒロインの半生記のみならず、近代女子体操史としても重要な史料となるであろう傑作。


ベラ・チャスラフスカ 最も美しく
  • 後藤 正治 (著)
  • 文庫: 431ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (2006/09)
  • ISBN-10: 4167679930
  • ISBN-13: 978-4167679934
  • 発売日: 2006/09
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.8 x 2 cm

2012年10月31日水曜日

「流れる星は生きている」

敗戦時0歳、3歳、6歳であった3人の子供を連れて満州から帰国した著者の引き揚げの記録。著者藤原ていは、ソ連軍に連れ去られた夫(後の新田次郎氏)と連絡がつかない状況で、終戦から1年あまりを生き延び、3人の子供たちと無事に郷里に引き揚げた(真ん中の次男が藤原正彦)。個人的に、満州・朝鮮からの引き揚げの記録には興味があり、類書を多数読んだが、本書を越えるものはひとつもない。21世紀の今読んでも名作だと思うくらいだから、戦後まもなく、昭和24年に本書が発売された時に、人々に与えた感動はいかばかりかと思う。

実は私の父の一家も引き揚げ組である。私の父の一家は、終戦時、満州国の中心都市のひとつであった奉天(現 瀋陽)に住んでいた。南満州鉄道・奉天駅で働いていたと聞いている。終戦直前、私の祖父は軍に招集され、終戦時、父の家には私の祖母とその子供たちしかいなかった。新田次郎氏と同様、祖父は敗戦後シベリアに送られた。その意味でも本書の内容は他人事とは思えず、やはり著者同様女学校を出て嫁いだ私の祖母が、どれだけ辛酸をなめたかと思うとほとんど言葉もない。

昭和20年8月9日、ソ連参戦の日、著者の一家は突然集合命令を受ける。満州が戦乱の中に入ることを予期した関東軍が家族等関係者に退避命令を出し、著者の夫の勤務先であった新京市の観象台(気象台)の職員にも同様の指示が出たのである。この日、まだ新京までソ連は到達していない。列車も曲がりなりにも運行しており、一家はなんとか朝鮮領内の宣川(せんせん)という場所に到達する。

南下すべきか、それとも治安が回復しているという噂のあった満州領内に引き返すか。宣川の日本人には根拠不明の噂以外に頼る情報がない。それでもようやく観象台の一団が南下を決めたまさに昭和20年8月24日、38度線を境に交通が遮断され、それまでは平壌まで走っていた列車は運行を停止した。さらに、著者の夫を含むすべての壮年男子がソ連軍により連れ去られた。一団はそこで完全に足止めとなり、その後約1年、戸主を失った一家はその小さな地方都市で、すべての生活の基盤を失った状態で生きていく。昭和21年8月になり、噂だけを希望のよすがに宣川を立ち、観象台一団は38度線近くの新幕という駅まで下る。その後約2週間、38度線を挟んで南朝鮮側の開城にいたる徒歩での移動が本書の山場となる。
藤原一家の引き揚げ経路(Google Map

著者の記憶力は恐るべきものがあり、本書に描かれる日々の細かい生活の情景は非常にリアルだ。ただ、不思議なことに、ソ連軍による暴行・略奪の様子は本書にはほぼ何もかかれていない。本当にそういう出来事に出会わなかったのかもしれないし、著者が心情的に「進歩派」だったためかもしれない。真相はわからないが、終戦時7歳であった私の父を含む多くの人の心にはソ連軍の略奪・暴行の記憶が生々しいことを付言しておく(平和祈念展示資料館の所蔵の体験記)。


付記。本書の続編と言うべき『旅路』は「自伝小説」と銘打たれているだけあって、おそらくより事実に近い記述がある。興味深いのは同じ団にいた発狂した若奥さんの話である。『流れる星は生きている』では生活苦から発狂したことになっていたが、『旅路』ではソ連兵にさらわれて、1週間行方知れずになった後に発狂した若奥さんの話が出てくる(第三章 放浪生活・「眠れない夜が続く」)。その陰惨さは耐え難いものがある。おそらく著者は、編集者の意向か何かで親ソ的に事実を曲げざるを得なかったことを長い間気に病んでいたのだろう。戦後の日本のメディアの空気を示す一つの例である。


流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)
  • 藤原 てい (著)
  • 文庫: 332ページ
  • 出版社: 中央公論新社; 改版 (2002/7/25)
  • ISBN-10: 4122040639 ISBN-13: 978-4122040632
  • 発売日: 2002/7/25
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.8 cm

2012年8月31日金曜日

「良い戦略 悪い戦略」

ビジネス戦略論の世界的権威リチャード・P・ルメルトによる一般向けの戦略論の本。著者の経歴は面白い。著者はもともとはNASAのジェット推進研究所のエンジニアで、その後ハーバードビジネススクールで経営学の(修士号でなく)博士号を取得、その後ハーバード大学を経てUCLAに移る。ハーバードビジネスレビュー誌によれば、経営分野でもっとも影響力のある理論家のトップ20に選ばれているという(2011年、p.198)。

正直なところ、経営学方面の研究者の話は、自明な結論のもっともらしい提示か、一般化不可能なケーススタディの羅列、といった印象が強い。本書もある意味そういう本と言えるかもしれないが、著者の気合の入った経歴からもわかる通り、著者の分析的な視点は確かで、豊富に引かれるケーススタディの記述も、ほうと思わせる内容にあふれており退屈しない。

本書ではまず、「悪い戦略」とは何かを例を使って述べる(第3章)。著者のポイントはおおむね3つにまとめられる。
  • 空疎である
  • 問題の同定が不十分
  • 粒度が不適切
空疎な戦略、目標は 非常に多い。第3章で挙げられているのはたとえば、大手リテール銀行の「戦略」である。この銀行では「我々の基本戦略は、顧客中心の仲介サービスを提供することである」という「戦略」を持っているのだが(p.56)、顧客中心でないサービス業はないので無内容だし、仲介サービスというのは銀行業そのものである。したがって、「この銀行の戦略から厚化粧をはがせば、『我々の基本戦略は銀行であることである』となってしまう」(p.56)。

実際のところそういう「戦略」は非常に多い。目標や願望と戦略は明確に区別されるべきだ。さらに例を挙げて著者は言う。
マクラッケンの「売り上げを50%伸ばせ」というのは典型的な悪い戦略である。この手のスローガンが戦略としてまかり通っている企業があまりに多い。マクラッケンは目標を立てただけで、それを実現するための方法を設計していない。さらに言えば、成長とはあくまで戦略がうまくできたときに結果としてついてくるものであって、成長そのものを作り出そうとするのは間違っている。(p.312)

著者によれば、よい戦略とは次のような要素を持つ(第5章、p.108)。
  • 診断。事実を収集し、課題を見極める。
  • 基本方針の提示。
  • 行動計画の提示。基本方針を実行するための、一貫性のある一連の行動。
これらを著者は「カーネル(核心要素)」と呼ぶ。言うまでもなく重要なのは基本方針の提示である。これは「目標はビジョンではないし、願望の表現でもない。難局に立ち向かう方法を固め、他の選択肢を排除するのが基本方針である」(p117)。金融大手ウェルズ・ファーゴの例だとこのようになる。
  • ビジョン: 「すべてのお客様の金融ニーズに応え、より良い資産形成をお手伝いする。活動するすべての市場において、最高級の金融サービス・プロバイダーになり、アメリカで最も優れた企業のひとつとして世界に知られるようになる」
  • 基本方針:「より多様な金融商品を扱いネットワーク効果を活用する」
ビジョンや願望を基本方針と混同している例は、著者に指摘されるまでもなく非常に多いはずだ。

戦略のためにはまず、問題が同定されていなければならない。そのためには、テコの支点となるような事実があるはずで(第6章)、前提として阻害要因が同定されている必要がある(第8章)。それに基づいて、直近のアクションが長期的なロードマップとともに提示されていなければならない(第8章)。そのアクションは、しばしば複雑な設計プロセスのパラメターチューニングと同様な、高度な最適化問題となる(第9章)。

では、良い戦略が成功を勝ち取るためにはどういう上限が必要なのか。著者は4つのポイントを挙げている。
  • ビジネスにおける競争優位の活用(第12章)
  • 市場環境の変化の活用(第13章)
  • 変化に抗う慣性の認識(第14章)
  • 統合され首尾一貫した行動(第15章)
このようにまとめるとある意味自明なことではあるが、実行は非常に難しいのが常である。本書にある豊富な事例は、具体的に問題を考えてみる上で非常に参考になる。本書はおそらく、上級管理職必読の書と言えよう。


良い戦略、悪い戦略
  •  リチャード・P・ルメルト (著), 村井 章子 (翻訳) 
  • 単行本: 410ページ 
  • 出版社: 日本経済新聞出版社 (2012/6/23) 
  • ISBN-10: 4532318092 
  • ISBN-13: 978-4532318093 
  • 発売日: 2012/6/23 
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.4 x 2.8 cm

2012年7月8日日曜日

「たかが英語」

英語公用語化を本気で進めている楽天の、英語化に関する中間報告的著作。

個人的には私はこれまで、日本市場を主とする日本企業での英語化にはどちらかというと反対であった。日本の、きわめて多様性の低い言語環境で通じ合う何かがチームの強みとなっているという事実は確かにあり、それはむしろ誇るべきものと考えていた。

しかし楽天で求められているのは、そういう静的な緻密さではなく、ダイナミックに変動するインターネットの世界(そこの共通語は英語だ)の勘所をつかまえ、それを世界市場に展開する動的な荒々しさであった。 将来にわたって収縮を続けることが確実な日本市場(原発の停止は確実にその収縮を早めるだろう)から世界市場に進出するため、三木谷氏は、2010年年初に、数年後には社内の会議を英語に、という方針を打ち出した。しかしそれに漠然とした物足りなさを感じていた三木谷氏は、こう考える。
創業以来僕たちは一度も全力疾走したことがなかったのではないか。楽天が持ちえるエネルギーを、まだ半分も出していないのではないか。そろそろギヤをトップに切り替え、フルスピードで失踪しなければならないのではないか。(p.17) 
そうして同年の2月、全社員に、社内公用語英語化を宣言する。それからの施策は徹底したもので、役員会議での英語化から始まって、TOEICの点数、英語での会議数やメール数等のKPI(Key Performance Indicator)を徹底的に管理し、組織ごとに競わせた。三木谷氏の宣言から2年、最初に定義したTOEICの基準点 
  • 役員 800 
  • 上級管理職 750 
  • 中間管理職 700 
  • 初級管理職 650 
  • アシスタントマネジャー、一般社員 600 
に達せず、「レットゾーン」「イエローゾーン」と定義されたを社員の割合は、当初の6割強から1割弱に激減した(p.83)。

しかしTOEICは、一流大学に入れる程度の学力があれば800点くらいは取ることができよう。ある種「受験勉強」と割り切れば対応はできそうだ。難しいのは実業務そのものを英語化することだ。2012年2月末に「現在のあなたの英語スキルで、対応可能なシチュエーション」についてとったアンケートの結果が示されている。結果は相当悲観的で、「口頭で上司の指示を受け理解する」が30%、逆に「口頭で部下への業務の意図を説明、指示する」が15%強、「会議へ参加し、発言する」も15%程度、面談・交渉・商談にいたっては7-8%といったところだ。これらは普通の日常業務であるから、これができないというのは非常に厳しい。三木谷氏も、「最終的には社員全員がTOEICで800点を超え、実用レベルのスピーキング、ライティングの力をつけていかなくてはならない。これからさらに2~3年はかかるだろう。」と述べている(p.90)。

これを愚かと言うか勇断と言うか。三木谷氏は上記のように述べた後に、非常に興味深い考えを付け加えている。 
英語化プロジェクトを進めるうちにわかってきたことがある。それは、英語が特殊な能力ではなくなるということだ。みんなが英語をしゃべれるようになるので、それまで英語が得意で目立っていた人も、周囲に埋もれて目立たなくなってしまうからだ。英語のコミュニケーション能力のおかけでうわべをつくろってきた人は、英語ができる人ばかりの環境では通用しなくなるだろう。(中略)本当に重要なのはその人の専門知識であり、ノウハウであるということが際立つようになる(p.91)。 

これは重要な指摘である。これは個人のレベルでいわゆる「英語屋」が消えるということばかりではない。逆に、日本語ないし日本法規の障壁に守られた業界、たとえば、マスメディア、建築、金融、等の業界のナンセンスを、内側から照射する力にもなる。

上述の通り、日本企業の英語化について、私は最近まで非常に明確に反対の立場をとってきた。デメリットがメリットを大きく上回る、というのが理由だ。しかし最近考え方を変えた。実は私の勤める(外資系)企業でも、日本法人の国際的存在感のなさは問題視されており、抜本的対策が不可避な状況である。というより、もはや選択肢はない。われわれがこのまま沈んでいくのなら、単にその存在はないものとして扱われるだけの話だ。中国やインドなど、魅力ある成長市場が、優れた人材とビジネス機会を豊富に与えてくれるのだから。

今われわれに求められているのは、荒々しいアイディアで世界をリードしきる力だ。緻密なチームワークは優先順位としてはその次にならざるを得ない。もしそうであるのなら、職場の多様性を大幅に上げ、国際的な主導権争いの場での内弁慶的カルチャーを打破せざるを得ない。この三木谷氏の試みは、単に国際市場云々の目先の利益を求めた判断というより、荒々しい国際リーダーシップへ向けた意識革命の運動と理解すべきだろう。英語化の中で日本の美点を知るというのもおそらく真だろう。三木谷氏の試みを敬意を持って見守りたいと思う。

なお、本書は紀伊国屋の電子書籍による購入である。ページ数は手元の iPad 版に依拠する(紙版と同じではないかもしれない)。AmazonがKindleを発売したのが2007年11月である。それから5年近くが経ち、アメリカではすでに電子書籍の売り上げが紙版を上回ったにもかかわらず、いまだに利害関係者の調整がつかない日本の出版業界の後進性を悲しみつつ筆を置く。


たかが英語
  • 三木谷 浩史 (著) 
  • 単行本(ソフトカバー): 194ページ
  • 出版社: 講談社 (2012/6/28)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4062177633
  • ISBN-13: 978-4062177634
  • 発売日: 2012/6/28
  • 商品の寸法: 18.6 x 12.8 x 1.4 cm

2012年5月31日木曜日

ThinkPadをSSDに換装(Crucial CT512M4SSD2)


ノートパソコンのハードディスクの取替えに関するちょっとした雑感。

ハードディスクドライブ(HDD)に対するフラッシュメモリ型ディスク(いわゆるSSD: solid-state drive)の優位性がもはや誰の目にも明らかになり、自腹でも換装を志す向きも多かろう。私が仕事で使っているThinkPad T410 (2522) は、かなり重たいことを除けばよくできたマシンで、これまで悩まされてきた問題
  • 熱い。手を置く部分が熱くて集中力を削ぐ 
  • スタンバイ状態に移れない。あるいはスタンバイ状態から復帰に失敗する。 
がほとんどなく、大変安定している。HDDとしては贅沢にも7200回転の高速2.5インチHDDが入っていて、それまでのマシンに比べるときびきびしているし、休止状態からの復帰も速い。ただ、さすがに使用から2年ほど経ち、起動がかなり遅くなってきたことと、時折動作がフリーズするのが気になってきた。調べると、どうもHDDの一部が痛んでいるらしい。ということで、連休を利用してHDD換装を決心した。

ThinkPadの場合、物理的なHDDの入れ替えは著しく簡単で、10円玉ひとつでHDDを取り出せる。ただ、次の問題がある。
  • 今の業務用モデルでは、リカバリDVDが添付されていない。作ることもできない(作成機能がオフになっている仕様) 。だからSSD上にOSのクリーンインストールというのができない。
  • HDDには、 Windowsからはアクセスできないリカバリ用の領域が数GBある。それも完全に移行する必要がある。
  • セキュリティ上の理由から、外付けメディアへの書き込みを禁止する常駐ソフトが強制導入されており、それを削除する方法がない 。そのため、USB接続でSSDにHDDのクローンを作る、ということができない。

特に第3点の点は深刻で、これのためメールのバックアップも事実上とれない。これらの理由から、換装にはいろいろと工夫が必要である。インターネット上ではなかなか同じ条件での体験談が見当たらず、いろいろ試行錯誤をせざるを得なかった。結論から言うと、下記がすべてのPCにおいて最も安全かつ手早く換装が済む手順である。

準備
  1. SSDを用意する。フォーマット等は不要。
  2. USB接続のハードディスクケースを用意する。私が使ったのは「裸族のお立ち台
  3. HDDクローン用のソフトウェアを用意する。ここではAcronis True Imageを使う。任意のPCに入れておき、Acronisの「ブータブルCD」(ハードディスクが空でも起動できるCD)を作る。
  4. 現在使用中のHDDの暗号化は戻し、BIOSのパスワードなどは外しておく。
実行
  1. ThinkPadにおいて、HDDを取り出し、USB接続しておく。ブータブルCDを入れる。起動させる。
  2. Acronisのメニューの「ツールとユーティリティ」から、「クローン作成」を選択。クローンの方法としては「手動」を選ぶ。 
  3. データ領域(ThinkPadの場合は"Preload")とリカバリ領域("SERVICEV001”)の双方をコピー元に設定。当然SSDをコピー先とする
  4. パーティションを確認する。当然、Preloadの容量を増やすように設定。
  5. クローン作成を実行。数時間かかる(100GB程度のデータの場合、表示では30分程度と出たが、その4倍くらいは優にかかるので注意)
  6. 終了したらシャットダウンする。外付けのHDDを取り外して再起動
  7. (ThinkPadの場合)F1を押し続け、適切にBIOSの設定を行う。私の会社の場合、セキュリティ規定に応じて、Power-on passwordとHDDパスワードを設定することが必要(HDDパスワードは画面の下に隠れていることがあるのでスクロール) 

これ以外のやりかたはいろいろと考えられる。
  • たとえばこういうハードディスクケースを使ってハードウェア的にHDDのクローンを作る。
  • Windows上でAcronisなどのソフトウェアを起動し、外付けのハードディスクケースにSSDを入れ、今Windowsが動いているHDDのクローンを作る。
  • 別のPCに、Acronisなどのソフトウェアを使って、HDDの中身をバックアップする。次いでそれをSSD上にリカバリする。
  • HDDをSSDに入れ替えた状態で、リカバリDVDを使ってリカバリをする
ネット上の情報では、1番目のものの成功例は見当たらず、2番目のものが主流のようだ。しかし今の私の会社の設定では、外付けメディアへの書き込みはOSレベルで禁止されていて、それを解除する方法はないので無理である。3番目のものの成功例もあるのだが、私が試した限りうまくいかない(終了しないか、エラーが出る)。たぶん書かれていないTipsがあるのだろう。比較的確実と思われるのが4番目の手法だが、リカバリDVDを入手する必要がある。リカバリDVDが手元にあるのなら、クリーンインストールの状態になってもよければよい方法かもしれない。

クローニング用のソフトウェアがポイントとなるが、いろいろと情報を総合すると、Acronis True Image Homeがよさそうである。フリーウェアのEseUS Todo Backup   というソフトもほぼ同様のことができそうだが、アラインメントの問題や、コピーに時間がかかるなどの問題があるようだ。

最後に、CrystalDiskMarkでベンチーマークしてみた。会社の決まりで、セキュリティ上の理由から、ある常駐ソフトウェアを使って全ディスクの暗号化を求められているため、猛烈に遅い。CrucialのWebサイトによれば、
  • Sustained Sequential Read: Up to 500 MB/s(SATA 6Gb/s)
  • Sustained Sequential Write: Up to 260 MB/s(SATA 6Gb/s)
ということなのだが、上記のとおり、この1/10程度の値になってしまっている。しかしそれでも体感的にはHDDよりはずっと快適になった。ついでにクリーンインストールまでしたので、起動時間がそれまでの約15分(!)から、1分ちょっとになった。おかげで、ソフトウェア強制導入による再起動も別に恐れる必要はなくなった。おかげで業務効率も上がることだろう。

2012年5月9日水曜日

「反原発」不都合な真実


すべての経済活動の基盤にはエネルギーがある以上、エネルギー問題はまずは経済問題である。エネルギーを作らない(発電しない)という選択肢はない。それは窮乏への道だからだ。

実際、反原発を主張する人々にも、原始的な山村生活を是としている人は少数だろう。圧倒的多数は、ペットボトルに入ったきれいな水を飲み(言うまでもなくペットボトルの生産には化石燃料を大量に消費する)、インターネットを楽しみ(インターネットを維持するためには莫大なお金をかけて海底ケーブルやルーターその他のインフラを持ち続ける必要がある)、夏には冷蔵庫に入った冷たい麦茶でも飲むことを前提に、おそらくは素朴な善意から、原発がなしですむものならその方がよいと考えているはずだ。「子どもたちの未来が!」と叫ぶ反原発の母親も、原発を廃棄した結果、電気代が2倍になったり、化石燃料の消費により温暖化がさらに進んだり、夏に停電になり冷房がきかず、それこそ赤ん坊と一緒に摂氏35度の灼熱の中で右往左往する現場など、想像しているわけではあるまい。

であるならば、仮にエネルギー問題が環境問題として語られる必要があったとしても、それは損と得の間のバランスから議論されるべきだ。

本書は、経済問題としてのエネルギー問題という立場から、原発がない世界がどういうものかを定量的かつ実証的に議論した本である。本書の多くの内容、特に、原発がつい最近までは環境問題のいわば切り札というような扱いをされていたこと、再生可能エネルギーのほとんどが到底原発の置換になりえず、むしろ送電網を不安定化させうること、などは普通の教養のある人なら知っていたことだろう。

私を含めて最も欠けていたのは、おそらく、放射線による健康被害の知識だろう。とりわけ、今回問題になるのはいわゆる低線量被爆と言われる100mSv以下の被爆である。これについては2つの考え方がある。
  • 人間の細胞には修復機能がある。そのため、少量の被爆には健康被害はない
  • いかなる低線量でも被爆は有害であり、有害と無害を区別する境目の値はない
後者を閾値なし仮説(LNT仮説: Linear Non-Threshold model)と呼び、国際放射線防護委員会(ICRP, International Commission on Radiation Protection)という団体が採用している考え方である。低線量被爆による人体の健康被害については信頼しうるデータは現時点でも存在しない(むしろ無害であるというデータは数多くある)が、
経験的に低線量は無害だと思っていた多くの医学者の反対を押し切って、ショウジョウバエにX線を宛てる研究をしていた遺伝学者の意見を採用し、低放射線の安全基準値をこの閾値のない比例モデルを使って決めることにした(p.53)
とのことである。ICRPは単なる民間の学術団体であるが、半世紀以上前から世界保健機構の諮問機関として勧告を出すなど、権威ある組織として国際的に認知されている。日本の放射線防護基準もICRP勧告を基本としている(三省堂 大辞林による)。

本書の主題のひとつはこのICRPモデルの妥当性である。これは、(1)人体の修復機能をあえて軽視している、(2)他のリスク要因との比較を無視している、という2つの意味で非常に厳格な、安全側に振った考え方だといえるだろう。今のところ、放射線の健康被害についての最も信頼しうるデータは広島と長崎の被爆者のデータである。これによれば、腫瘍にしても白血病にしても、被爆量100mSv以下のリスクはばらつきが多く、有害なのか有益なのか直ちに結論が出ない。下記に、白血病についての疫学研究のデータをこの論文*から引いておこう。右のグラフが500mSv以下のデータである。非常にばらつきが多く、被爆したほうががんになりにくいという結論すら導けることがわかる。しかし100mSv(0.1Sv)以下では、特段の危険は読み取れないことがわかる。しかもこれは一気に短時間で、おそらくは生体の修復能力をはるかに超えた速度で放射線を受けた場合のデータである。客観的に見て、100mSv程度では、被爆の健康被害は仮にあったとしても軽微で、他のリスク要因に埋もれてしまうだろう。

* Preston DL, Pierce DA, Shimizu Y, Cullings HM, Fujita S, Funamoto S, Kodama K.
Effect of recent changes in atomic bomb survivor dosimetry on cancer mortality
risk estimates. Radiat Res. 2004 Oct;162(4):377-89.

では「他のリスク要因」と比べてどうなのか。本書では、タバコや、火力発電による大気汚染による健康被害など、広汎な例を挙げて、原発による健康被害のリスクが非常に小さいことを論証する。しかも、原発の廃止には、大気汚染リスクに加えて、年間4兆円という莫大な追加の燃料代がかかる(p.118)。

まとめると、現時点での結論は、
  1. 放射線医学のデータを普通に眺める限り、合計100mSv以下の被爆に害はない。あったとしても、運動不足とか野菜不足よりはるかに小さいリスクである。恐れる必要はない。
  2. 原発の廃止に合理性はない。追加の燃料代4兆円は国富の流出を意味する上、国際政治上日本の地位を危ういものにする。
ということだ。リスクゼロを求める「庶民」の思いもわからなくないが、会社で労働者の給与を無制限に上げられないのと同様、リスクゼロのために無制限のコストをかけることはできない。


「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)
  • 藤沢 数希 (著)
  • 単行本: 208ページ
  • 出版社: 新潮社 (2012/2/17)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4106104571
  • ISBN-13: 978-4106104572
  • 発売日: 2012/2/17
  • 商品の寸法: 17.2 x 11 x 1.4 cm

2012年4月30日月曜日

「サイゴンから来た妻と娘」

駐在員時代に出会ったベトナム人の母娘を、ベトナム戦争終結の混乱の中で日本に逃がし、東京で暮らしてゆく中で経験するカルチャーギャップのエピソードを軽妙に描いた本。とりわけ食に対するエピソードが面白い。ライギョとの死闘、ペットのウサギを食べてしまった話、などなどまったく飽きさせない。著者は産経新聞の記者としてボーン・上田国際記者賞を受賞したこともある大物記者であるが、新聞記者には珍しくとても謙虚な感じのする人柄で、読後感が非常によい。出版(1978年)から34年も経過した今でも楽しく読める好著である。

別途、「アヘン王国潜入記」の方でも書いたが、本書が今読んでも面白いのは、居丈高に「正義」を語ることをほとんどしていないという点が大きい。しかしこういう個人的な題材を描いた本ですら、当時の世論に遠慮してか、微妙な表現がところどころに出てくる。ベトナム戦争の終結により「解放」されたはずの南ベトナムから大量の難民が国外に逃げた。この現実と、「解放」勝利で華々しく喧伝された理想とのギャップに言及して、著者はこう書く。

同時に私には、いまなお難民を生むことの悲しみに最も心を痛めているのは、ハノィの指導者たちではないのか、と思えてならない。ハノィはいま、すべての手段に訴えて、国家再建のために正しいと信じた方針を実施し、根付かせていかなければならない。戦場での戦いと同じように、外部の価値判断など超越した手段で人々を教育し、駆り立て、改造して大きな流れに巻き込んでいかなければならない。ベトナム共産党にとって、これは戦場とまったく同様の、生きるか死ぬかの、そしてこんどはベトナム全体がつぶれるかつぶれないかの、死に物狂いの戦いなのだ。これにうち勝つためには、当然、タガを締め、無数の汚い方便にも訴えぎるを得まい。力でおどし、心理でおどし、必要なら非同調者を容赦なく抹殺していくような真似だってやらぎるを得ないだろう。

しかし、汚職したり弾圧したりすることが旧チュー体制の本質でも目的でもなかったと同様に、取り締まったり、自由を制限したり、耐乏を強いたりすることは、ハノィの本質でもあるまい。(p.234)

上記、ハノイとは旧北ベトナムの首都で、ここでは共産党政権のことを指す。なぜ著者は、このように実質的に無内容なことを長々と書かねばならなかったのか。現実を見れば、共産主義の人間観が幼稚であり、ベトナム戦争の「解放」は人間の解放ではありえないことは明確ではないか。

それが歴史的限界なのである。歴史には正義の方向がある、というのが当時のインテリ多数派の共通理解であった。その動きに水を差す言動は文字通り「反動」であり、激しい攻撃の対象であった。ベトナム戦争に関して言えば、アメリカ帝国主義が反動で、北ベトナム軍が正義であった。この「教義」に、多少なりとも異を唱えるためには、上記のような、慎重にも慎重を重ねた言い訳が必要だったのである。

そうは言っても著者は知っている。著者は書く。
それならば、陥落前のサイゴン住民を支配したあの必死の空気は何だったのか、また、あのおびただしい数のソ連製の戦車群を目にしたときに私自身の全身を包んだ、あの、何か荒蓼とした感覚は何だったのか、と私は問い続ける。(p.235)

時代の制約に配慮しつつも、著者のスタンスは結局はぶれてはいない。このことが本書を不朽の名作にしているゆえんであろう。


サイゴンから来た妻と娘
  • 近藤 紘一 (著)
  • 文庫: 267ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (1981/7/25)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4167269015
  • ISBN-13: 978-4167269012
  • 発売日: 1981/7/25
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.6 x 1.4 cm

2012年4月5日木曜日

追憶 コレクターズ・エディション [DVD]


バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの共演による名作。学生時代、テレビか何かで中途半端に見て、一度ちゃんと見たいとずっと思っていた。1000円でDVDが買えるとはいい時代になったものである。

理想主義者のケイティー(バーブラ・ストライサンド)は学生時代から政治活動に没頭していた。生真面目な彼女は文学の愛好者でもあったが、 キャンパスでも勉強しているそぶりすら見せなかったスポーツマンのハベル(ロバート・レッドフォード)が、すばらしい短編を文学創作の授業で提出したことを知り衝撃を受ける。女子学生憧れの的のハベルのノンポリぶりに時折いらだちつつも、ケイティーは彼の才能に惹かれてゆく。

卒業後偶然の出会いを果たした時、彼女は自分の家でハベルに一冊の本を見せる。それは出版社の目に留まり本となったハベルの短編であった。卒業後、彼女の中では、いつしかハベルは理想の人となっており、彼の成功をまるで自分のことのように思うようになっていた。ケイティーは彼の心を射止めることに情熱を燃やす。ハベルは彼女を当初は敬遠していたが、ケイティーが彼の才能の最良の理解者であることを悟り心を開く。

ケイティーは文学を追求すべきとの考えであったが妥協し、小説を映画のシナリオとして売るべく二人でハリウッドに行く。当初は当時の純文学の聖地フランスの文壇で勝負するとの考えをケイティーは捨てていなかったが、当座の成功と、それがもたらす豊かな生活に、人生最良の時をお互い楽しむ。

しかしまもなく戦後のマッカーシズムの嵐が二人の関係に少しずつ亀裂を生む。理不尽な査問にあくまで反対すべきというケイティー。青い理想主義は何にもならないと言うハベル。ケイティーは彼の成功のために、政治的な理想主義を降ろすことを決心するが、その頃には諍いに疲れ、また作家としても自信をなくしていたハベルが、学生時代の恋人キャロル(ロイス・チャイルズ)との関係を復活させていた。ケイティーは、自分の愛が結局彼を変えることができなかったことを悟る。彼女の理想の人ハベルは、現実には存在しなかったのだ。彼もまた、文学の理想をあきらめ、いわば商業主義に迎合した手っ取り早い成功の道を選ぶ。

別離の後、偶然二人はニューヨークのプラザホテルの前で会う。ケイティーは反核活動家としてビラをまき、ハベルはテレビのシナリオライターとして新しい妻とホテルに滞在していた。二人はお互いが、分かれた時と同じベクトルで、違う方向にそのまま進んでしまったことを認める。お互いの距離はもう埋められない。以前の楽しかった思い出は、もう思い出の中にしかない。「追憶のテーマ」が切なく流れ、映画は終わる。

青春の理想主義の切なさを、アメリカ映画らしからぬ哀愁に乗せて描く名作。



追憶 コレクターズ・エディション [DVD]
  • バーブラ・ストライサンド (出演), ロバート・レッドフォード (出演), シドニー・ポラック (監督) | 形式: DVD
  • 出演: バーブラ・ストライサンド, ロバート・レッドフォード, ブラッドフォード・ディルマン, ビベカ・リンドフォース
  • 監督: シドニー・ポラック
  • 形式: Color, Subtitled
  • 言語 英語
  • 字幕: 日本語
  • リージョンコード: リージョン2
  • ディスク枚数: 1
  • 販売元: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • DVD発売日: 2011/01/26
  • 時間: 118 分

2012年3月31日土曜日

「アヘン王国潜入記」

黄金の三角地帯として知られるミャンマー、タイ、中国の国境山岳地帯にあるミャンマーの「ワ州」に入って数ヶ月起居を共にし、なんとアヘンの栽培まで一緒にやって、しまいには自分がアヘン中毒になってしまった顛末を記したルポルタージュ。あらかじめビルマ語でも中国でもない「ワ語」を習ってまで入り込む作者は、気合十分すぎる冒険ジャーナリスト、現代の偉人である。本書は、本人が「文庫版あとがき」に書く通り、作者高野氏の著作の中で「背骨」にあたる代表作である。その臨場感は圧倒的で、望むらくはもう少し写真がほしいところだが、それでも民族ものルポルタージュの中では疑いなく最高傑作の部類に入る。

東南アジアを描いたノンフィクションは、日本との歴史的な経緯もあり非常にたくさんある。その中で、何の気負いもなく面白いものを面白く描いている本書に、強い感慨を覚えざるを得なかった。

それはこういうことだ。ベトナム戦争の頃、といっても私もまだ生まれているかいないかの遠い昔、海外旅行さえまで一般的でなかった時代、民族もののルポルタージュというのはジャーナリストの専売特許のようなものであった。その多くには、歴史の進むべき方向にはある正義があり、その正義に沿って進むよう世界に訴えかけることが自らの使命であるとの思いが多かれ少なかれ存在していることがわかる。ベトナム戦争は、超大国アメリカが、いわば帝国主義的悪意から小国を服属させんと全力を挙げる戦いであると当時は考えられていた。小国ベトナムは、民族自決と社会的不平等の撤廃などの理想的理念を掲げて、乏しい武器で大国に立ち向かう。米国の物量に敗れた敗戦の記憶ともあいまって、大多数の市民はベトナムに肩入れした。

しかし今から当時を見れば、ベトナム戦争は単に冷戦の所産、代理戦争と言わざるを得ず、「ベトナム解放」後、共産党政権による人権蹂躙によって100万人以上のインドシナ難民が発生した。今ではベトナム政府は、経済的には市場経済路線を採択するに至っている。醒めた目で見れば、当時信じられていた歴史の必然というものはほとんど何の痕跡もないとすら言える。

当時のジャーナリストたちが書いた「正義の」民族的ルポルタージュは、時代に消費され朽ちていった。当時信じられた歴史の必然などというものは幻で、そういう幻に依拠した物語はいわばオカルトに過ぎない。我々の時代は、当時信じられた歴史の座標軸を失った時代である。だからこそ、自分の興味それ自体を普遍化する作業が必要である。それは面白いものを面白く描くということであるが、単なる自慰の枠を出るためには、既成の「正義」に寄りかかるよりはるかに高度な才能が必要である。

なお、あとがきにあるように、本書は当初日本では出版社の興味を引かず、英訳版が先行して発売された。 そのあたりの経緯も、この国の今を考える上では興味深いものがある。


アヘン王国潜入記
  • 高野 秀行 (著)
  • 文庫: 392ページ
  • 出版社: 集英社 (2007/3/20)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4087461386
  • ISBN-13: 978-4087461381
  • 発売日: 2007/3/20
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.6 x 2 cm


The Shore Beyond Good and Evil: A Report from Inside Burma's Opium Kingdom
  • Hideyuki Takano
  • ハードカバー: 277ページ
  • 出版社: Kotan Publishing, Inc.; illustrated edition版 (2002/7/1)
  • 言語 英語, 英語, 英語
  • ISBN-10: 0970171617
  • ISBN-13: 978-0970171610
  • 発売日: 2002/7/1
  • 商品の寸法: 22.2 x 15.4 x 2.5 cm

2012年3月10日土曜日

地雷を踏んだらサヨウナラ [DVD]

カンボジアで消息を絶った若き戦場カメラマン一ノ瀬泰造のカンボジアでの日々をつづった映画。

戦場カメラマンという職業は今の日本ではいまひとつピンと来ないが、1970年前後、敗戦のネガティブな記憶が色濃く残る日本では、おそらく最高にカッコいい職業であったのだろう。一ノ瀬は、言ってみれば殉教者として、死後若者たちの英雄となる。ロバート・キャパ賞(Robert Capa Gold Medal)を追贈された沢田教一のような国際的大物と違い実績十分とは言いがたいにもかかわらず、いまだにこのように、新進気鋭の俳優の主演で演じられるほど伝説化しているのは、同名の書籍が彼の純粋な思いを色褪せぬ言葉と映像で世に伝え続けているためであろうか(私は書籍は読んでいない)。

一ノ瀬は、愛情ある知的な両親に育てられた。彼の死後、母上を中心に、遺稿の出版が幾度かなされた。母上のインタビュー記事を見ると、一ノ瀬が、ただの功名心に駆られただけの男とはどうやら一線を画していることがわかる。
大学時代はボクサーを撮ったりしてましたけど、『実際やらないとわからない、撮れない』と自分でもジムに通って練習して、試合にも出ていました。外からじゃなく、いつも被写体の中に入りこんで写真を撮っていました。戦地でも、まず現地の人々と心が通うこと。常にそこから撮っていたようです。一ノ瀬信子さんインタビュー記事より) 
彼は反戦運動の政治的スローガンに踊って戦地に行ったのではなく、彼の中では、戦地のカンボジアに向かうことは何らかの内的必然性があったに違いない。ボクシングを撮るために自らボクサーになろうとしたように、人間の何かの真実が戦地にあると信じ、それを掴み取るために現地に飛んだに違いない。そういう芸術家の内的衝動を描くのに、映画というメディアはほぼ理想的だと私は思った。

しかし残念ながら、この映画には、浅野忠信という俳優を安く消費した映画、といった程度の感想しかない。一ノ瀬があの恐怖のクメール・ルージュ支配下のアンコールワットを目指した内的衝動は何一つわからないし、カンボジア人の「親友」との交流の描き方も表層的で、心に迫るものがない。現地の子供の人気者だった、しかし子供が内戦の巻き添えで死ぬ、あるいは地雷を踏んで死ぬ、悲惨だ、悲しい、というようなお手軽ストーリー。現地の美人ウェイトレスとの公式どおりの恋のシーン。視界が狭い画像。荒れた絵。浅野忠信のいかにも素人っぽいカメラ扱い。映画として楽しめる要素がほとんど何もなく、近年見た中で有数の退屈作といわざるを得ない。

一ノ瀬泰造は、この映画ほど退屈な男ではないと信じたい。


地雷を踏んだらサヨウナラ [DVD]
  • 出演: 浅野忠信, 川津祐介, 羽田美智子
  • 監督: 五十嵐匠
  • 形式: Color, DTS Stereo, Widescreen
  • 言語 英語, 日本語, ベトナム語
  • 字幕: 日本語
  • リージョンコード: リージョン2 
  • 画面サイズ: 1.78:1
  • ディスク枚数: 1
  • 販売元: アミューズ・ビデオ
  • DVD発売日: 2006/06/23
  • 時間: 111 分

2012年2月5日日曜日

「オールコックの江戸―初代英国公使が見た幕末日本」

英国の初代駐日公使ラザフォード・オールコックの日本での足跡を追った本。本国から隔絶された未知の島国に足を踏み入れ、日本の芸術作品の完成度への感動、開港を先延ばししようとする幕府との葛藤など、正負を激しく行きつ戻りつしながら、日本国史上初の遣欧使節団を成功裏に送り出すまでのオールコックの足跡が、一次資料をふんだんに用いて緻密に描かれる。その緻密ぶりはほとんど実験科学を思わせる恐るべきもので、しかし史料の羅列に堕しない著者の筆力はすばらしい。新書版にしては珍しく、日本の内と外という2つの視線の交差するところで仕事をしたい、という著者本人の思い入れが脱色されることなくたっぷり記されており、一読者としてはきわめて印象に残る本となっている。

オールコックにしてみれば、史上初めて女王陛下の国を訪れた「大君の都」の使者たちは、いわば彼の作品であった。一行は、旅程の最後に、ロンドンで行われた第2回ロンドン万国博覧会へ参加する。
サウス・ケンジントンの万博会場では、11月の会期終了まで、オールコックの送った日本の品物が評判を集め続けた。オールコックがこの仕事をきっかけに、現在に至るまで、ジャポニスムの祖としてヨーロッパの美術界に ── 彼が外交官であったことを知らなかった人の間にさえも ── 名をとどめていることを思えば、その注目度は十分に想像できよう。(p.240)

日英修好通商条約の履行をめぐるオールコックと幕府との、そして攘夷派との緊張関係を丹念に追いつつも、著者は時折、万国博覧会のその会場で、ヨーロッパの人々がいかに興味津々で日本のすばらしい漆器や織物を眺めていたのか、ありありと想像していたのであろう。異なる文化の出会うところではいつでも、人間の心に何かが生まれる。異質のものを互いに斥けあうばかりでなく、時に、文化や距離の相違を飛び越えて、いとおしい何かの感情を共有できるのである。これはほとんど奇跡的なことである。そういう、陳腐な言葉であえて言ってしまえば人間一般に対する愛のようなものが、史料研究の行間から隠しようもなくにじみ出ており、本書の読後感はこの上なくよい。

この、日本文化が西洋と初めて出会った物語は、残念ながら少なくとも短期的にはハッピーエンドにはならなかった。オールコックの在任期間は幕末期、攘夷と開国で揺れながら江戸幕府が崩壊に向かう過程そのものであった。遣欧使節団が帰国したのは、攘夷の機運が極大化した頃であり、使節団の居場所は日本にはもはやなかったのである。

本書のクライマックスとなるロンドン万博の1862年という年から、もう150年が経過している。その後日本は、幾多の世界史的事件を経験した。国際的な交流の量は当時とは比較しようもない。しかし今もなお我々は、外から我々を見る視線と、自分を見る視線の間のギャップに戸惑っているように見える。異文化の狭間で我々はどうあるべきなのか。それを考える上で、本書が丹念に追った幕末期の出来事と、本書の著者のスタンスは、非常に示唆的であるように思われる。


オールコックの江戸―初代英国公使が見た幕末日本 (中公新書)

  • 佐野 真由子 (著)
  • 新書: 283ページ
  • 出版社: 中央公論新社 (2003/08)
  • ISBN-10: 4121017102
  • ISBN-13: 978-4121017109
  • 発売日: 2003/08
  • 商品の寸法: 17.5 x 11 x 2 cm

2012年1月15日日曜日

「仕事と子育てどっちが大変?」

ふとしたはずみで目にした読売新聞の掲示板「発言小町」に載ったトピックが興味深かったので取り上げてみる(2012年1月現在有効なリンクはここ)。タイトルの通り、子育てと仕事のどちらが大変か問うもので、このトピックについた返答は100を超え、そこそこ盛り上がったトピックとなっている。

およそ100件のうち、仕事が大変とする回答はむしろ少数派で、過半は、どっちもどっち、というような回答か、はっきりと育児が大変と答えるものである。この掲示板の会員の統計は公開されていないが、掲示板の内容から察して、圧倒的多数、おそらく90パーセント以上は女性だと思われる。そしてそのうち過半数がおそらく主婦であろう。内容から見て、育児の方が外で働くより大変だ、というのは主婦の代表的な意見のようだ。

なぜ育児の方が大変だと思うのか。その理由は驚くほど多様性がなく、ほとんどすべては下記の4つのどれかになっている。

  • 仕事はやめられるが子育てはやめられない
  • 仕事は途中で休憩があるが子育ては24時間休めない
  • 仕事は自分のペースできるが子育てはそうできない
  • 仕事は失敗しても何とかなるが子育てはそうでない

本気でこう思っているのだろうか?というのが感想であった。肉体労働としての子育てが大変なのは高々2-3年である。「子育ては24時間休めない」と言うが、最も手のかかる新生児でさえ授乳は2時間おきという程度で、それ以外の時間は眠っている(夜に双子のうちのひとりを担当して、泣いて起こされるたびミルクをあげたのはいい思い出だ)。その後は幼稚園なり保育園なり、育児を外注できる仕組みが全国的にほぼ確立している。24時間休めない、という状況がちょっと私には想像できなかった。

その上、育児は自分自身およびその未来への投資として大変意味あるものである。子どもに絶対に必要とされているという充足感、育児により果たせる共同体への責務、あたかも自分の生が継続するというような安心感、老後のある意味での保障、等々、もし苦労があったとしてもそれ見合う喜びや安心感がある、と、誰しも考えるものかと思っていた。

言うまでもなく、家族を養うための仕事には辞めるという選択肢はほぼ存在しない。仕事上の失敗が取り返しの付かない結果をもたらすリスクも高い。会社員なら解雇され家族が路頭に迷う恐怖がまずあるし、加えて、たとえば、人の安全に関係する仕事であれば刑事罰を受ける可能性すらある。医療従事者、鉄道管理者、自動車や家電の製造販売業者、食品製造業者、などなど、読売新聞の掲示板なら、そういうニュースも見ているだろうに、と思う。そういう責任を知っているから、失敗を避けるために全身全霊を投入するわけである。

時折休んだりしながら自分のペースで進められて、失敗しても責任を負わずに済むというような仕事を、普通「腰掛」と呼ぶ。「『腰掛OL』やっているより、生命を育むことは価値あります」、と言うのはもちろん正しい。しかし社会的富の源泉となる生産的活動に従事する労働を同列に対比して、主婦業を上位に置く発想はあまりに傲慢と言わざるを得ない。生産的活動がすべての基盤にあり、その上で、育児という崇高な作業を行うのである。

憂うべきは、このような公の場所に、育児は大変だ(だからそれに見合う見返りをよこせ)と言わんばかりの言説があふれかえっているという現状である。あえて言うが、おそらくは会社の末端でのルーチンワーク程度の経験しかない人間が、全世界に向けて自信満々にそう主張しているのである。これは非常に不気味なことだ。現代日本においても、主婦的身分は既婚女性の主流派である。やや古いが平成15年のデータでは、夫が正社員である世帯において、妻のおよそ8割は主婦である(パート労働者含む)。その8割の人々が、この掲示板に書かれているような不気味な信念を持ち、恥じるところがないとすれば、この国の将来に関して悲観的な気持ちになる。

救いがあるとすれば、この掲示板の読者にも、まともな人が相当数いるということだ。そのうちのひとつを下記に引用する。このすばらしい日本という国が、今後ともすばらしくあり続けることを願う。

育児は大変だけど、幸せなこと
ふみふみ 2012年1月9日 8:38 
育児は大変ですが、「仕事より大変」という視点で考えたことがありません。比較対象ではないというか。育児は、確かにやめられない。でも、「やめられないから大変」とは、全く思いません。 
私は、小学生と幼児がいて、フルタイムで働いています。育休中は、乳幼児二人いて実家も遠方だったため、今思うと大変だったなぁと思いますが、それ以上に、子供達と一緒にいられる幸せの方が勝っていました。今も多忙ですが、子供といられること自体がうれしくて、夫婦で「忙しいけれど幸せだね」と育てています。 
それから、「仕事の方が楽」というのは、働いて家族を支えている人自身が言うのはよいとしても、支えてもらっている人が言うのは失礼ではありませんか。一生懸命に仕事をしている人、「家族を一生養う」という重圧を抱えて働く人に、私は言えません。 (ユーザーID:6592335097)