2009年9月27日日曜日

「新版 卑弥呼の謎」

数理歴史学の手法で、邪馬台国の位置を推定し、卑弥呼=天照大神という結論を導く本。結論にいたる前提が公理系として明示されており、また、使われる手法も統計学的に一応妥当なものなので、非常に説得力があると感じられる。これを15年ほど前に読んだ時、やっと歴史学も硬直したマルクス主義史観もしくは皇国史観の負の影響から脱し、まともな科学になったのだなと感銘を受けた。

むろん前提は前提、仮説は仮説である。また、統計的ばらつきを考慮すれば、それぞれの天皇の在位期間の和が著者の結論とまったく異なったものになる可能性もある。しかしこれは一種の「フェルミ推定」の類と考えねばなるまい。フェルミ推定というのは、たとえば、「日本にある犬小屋の数はどのくらいか」「湘南海岸にある砂粒の数はくつか」というような、公の文献に頼るだけでは答えが出しようがないような問題への対処法(というよりそれへの心構え)のことである。ゆえ、「著者の結論が間違いである可能性が存在する」ことをもって批判するのは正しい態度ではない。

しかし、やはりというべきなのか、どうやらこの種の数理的な手法は、いまだ学会の主流となりえていないらしい。そればかりか、上記のような、ある程度の知性を持った人間なら当たり前の事実のはるか以前の地点から論難が浴びせかけられているらしい。この現状を眺める時、考古学や歴史学に携わる人たちの科学的精神の乏しさに愕然せざるを得ない。

たとえばたった一人の発掘捏造者の存在が、歴史区分を一変させるなどということは、成熟した学問分野ではありえないことだ。未熟な学者の書いた教科書を読まされる子供たちは、本当に気の毒だと思う。(本稿初出 2004/05/17、一部修正。)



新版 卑弥呼の謎
  • 安本美典
  • 講談社現代新書
  • 1988

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