2021年4月1日木曜日

Alone (邦題 Alone 孤独のサバイバー)

 

リアリティ番組が数多く放映されるアメリカで、今まで見た中でもっとも「ガチ」なサバイバル番組。日本でもAmazonHuluで見られるようだ。

 ゲームのルールは一言で言えば我慢比べである。参加者は、ナイフ、防水シート、寝袋、釣り針、など所定のリストの中から最低限の10点ほどのわずかな所持品を持って、人里離れた海や湖の近くにヘリコプターで降ろされる。Aloneというタイトルは、たった一人でサバイバルを行うというところから来ている。食料はもちろん、テントすらないので、木を切り、石を拾い、住居作りから始めなければならない。最大の問題は食料調達である。もちろん、素人がそういう状況で生き延びられるはずはないので、参加者は皆、例えばサバイバル教室の講師とか、海兵隊員とか、その道のプロである(第1シーズンだけはこの点微妙であるが)。

シーズンにより場所は異なるが、人口希薄なカナダの離島だったり、北極圏だったり、南米パタゴニアの山中だったりする。シーズンは秋に始まり、徐々に冬の季節が忍び寄ってくる。冬は飢えの季節である。当初10人いた参加者は、飢えと孤独に耐え切れず、ひとり、また一人と "tap out” (格闘技でいうギブアップのサイン)してゆく。最後まで耐えた人が、賞金の約5000万円を手にする(北極圏でのシーズン7では1億円)。

参加者にはカメラが渡されており、毎日の行動を記録することが義務付けられている。Tap outは、特別なトランシーバーで行う。1か月を超える頃には、残った参加者の顔には疲労と飢えの色が濃くなる。カメラに向けた状況報告も深刻なものが多くなる。肉体的に極限状況に至るため、後半は定期的にメディカルチェックが行われ、体重がある限度を超えて減少し、医学的に飢餓の状態に陥ったと判断された人は、その場で退場が宣告される。我慢だけでなくて、健康を保つことも重要なのである。

この番組を見ると、いかにかつての人類の生活環境が過酷だったか、いかに農業の発達が革命的なことだったかが分かる。これで思い出されるのはニューギニアで遊兵と化し、10年もの間、山中で原始人同様の生活を強いられた日本兵の手記である(『私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年』)。彼らは、危険を冒して残置された糧秣をなんとか収集して飢えをしのぎつつ、それが尽きると刻苦の努力を通して、なんとか農園らしきものの開拓に成功し、それで何とか明日の希望をつないだのであった。山中、どうしても不足するのが塩分である。同様にフィリピンのルバング島で30年「戦闘」を続けた小野田寛郎氏の場合、海岸や住民の塩田から多少の塩分を入手することができたが、それでも塩は貴重で、「魔法薬」と呼んで珍重している。疲労回復にてきめんな効果があったからである(『たった一人の三十年戦争』)。

 農業の発達、すなわちいわゆる新石器革命以前、人間は文字通りその日暮らしを続けていた。農業の可能性に気づき、数か月という単位で先を見通すようになると、時間と量に関する計算の必要が出てくる。食料に剰余ができると、海の民は肉や毛皮を、山の民は塩や魚を求めて交易が始まる。そのような、人類の何千年かの先史時代に思いを馳せることのできる真のリアリティ番組。

2021年3月7日日曜日

AmazFit Band 5

中国シャオミ(小米科技、Xiaomi)の子会社のHuami (華米科技)のスマートウォッチもしくは活動量計(fitness tracker)。AmazFitは普通アメイズフィットと発音する。2021年3月現在、日本だとアマゾンで7000円くらいするようだが、アメリカでは35ドル程度で売られている。本家の日本語サイトはこちら

先日、5年ほど使ってきた iPhone 6 を iPhone 12 mini に替えた。iPhone 6は一度無償での電池交換をしたので、電池の持ちも問題なく、メール確認やメッセンジャー、あるいはカーナビなどの用途に問題なく使えていた。しかしOSの更新をAppleが止めたため、次々にソフトウェア上の不適合が発生し、業務用含む多くのソフトウェアが使えなくなってしまった。やむを得ず買い替えることにしたのだが、新しい iPhone 12 mini は、大きさも画面のきれいさもまったく iPhone 6 と同じで、自分はいったい何に $700 も払ったのか、とむなしい気持ちになった。

Apple製品を買う・買いたくなる理由は、所有に至るプロセスが高度に演出されており、それに沿って新しい製品を手にした時に、いつも高いレベルの感動を与えてくれるという点にあると思う。製品のプロモーションもパッケージも、説明書の代わりにアップルのシールが入っている素っ気ない箱の中身も、そして何より間違いなく工業デザインの最高峰と言える製品そのものも、所有の満足感という点で、アップルの右に出るものはいない。ある意味、いつもアップルの演出に乗せられるわけだが、それを後悔させない手腕はすばらしい。しかし今回、買ってむなしい気分を味わったということは、もはや iPhone という製品カテゴリに、イノベーションのジレンマの病理が見えてきたということではないか。それで、アップルの生態系から外に出られないものかと、いろいろと見ているわけである。

Band 5を買った理由はだいたい3つある。最大の理由はランニング中の心拍数の測定である。過去8年ほど、Adidas Running(旧 Runtastic)でランニングの記録をつけてきたのだが、脚力と心肺機能が徐々に低下している気がして、客観的に運動負荷を測定したい気持ちになった。それと若干関係しているのだが、第2に、Covid-19騒ぎで血中酸素濃度計の重要さを知り、その計測を気軽にしたくなったということもある。別途パルスオキシメターを購入してはあるが、運動記録器と合体していれば便利ではある。第3に、アマゾンのAlexaで電灯の制御やらをできれば便利かなと思った点である。

もちろんこれらは、Apple Watch 6 を使えば完璧にできる(酸素濃度計があるのはこのモデルだけである)。iPhone と OSレベルで統合できるので、接続だの適合性だと一切の心配はいらない。しかし2021年3月現在、Apple Watch 6は一番安いモデルでも350ドルもする。このBand 5のちょうど10倍、iPhone 本体の半分の値段を、この、18時間しか電池が持たない腕時計に費やす価値はあるのか。逆に言えば、値段が1/10で、電池の持ちが10倍のこのBand 5が十分上記の用途に使えるならば、これは完全に破壊的インパクトを持った製品と言える。私の中ではそれはApple生態系からの脱出の号砲である。


Band 5を iPhone と接続する

Band 5は、ふつう Zeppというアプリを通して接続する。Zeppへの接続は簡単で何の問題もない。必要に応じて下記の動画を見るといいだろう。このアプリは高機能だが、メニューのどこに何があるのか複雑なため、個人開発?の簡素化版 AmazTools というアプリも検討してもいいのかもしれない。


スマートウォッチはもはや腕時計単体の機能よりも、アプリを含んだ生態系の使いやすさの勝負になっている。AppleやFitbit、あるいはGarminは、ソフトウェアを作りこむことで、この点でしっかりとユーザーを囲い込んできた。AmazFitはその価格競争力から、すでにイタリヤやインドなどの多くの国で市場占有率が首位になっている。現状、Zeppにはややたどたどしい点もあるが、本家中国市場での利用者の多さも考えると、このZeppなるアプリには臨界質量(critical mass)を超えるだけの開発投資がなされることは確実で、継続的な改善が望めよう。

ランニング管理アプリとZeppを連携させる

実はこのステップが長い間の懸案であった。Adidas Running(旧 Runtastic)は非常によくできたアプリで、おそらく10年くらい前までは押しも押されぬ業界のリーダーという感じだったと思う。しかしその後、開発が停滞し、新興のStrava等に押され気味になって今に至る。現状まったく不満はないのだが、残念ながら外部機器や他アプリとの連携の幅に難がある。StravaはAmazFitないしZeppとの連携を公式にサポートしているが、2021年3月現在、Adidas Runningから接続できるのは、Apple Watch, Garmin, Polar, Suunto, Coros のGPS付きスマートウォッチだけである。やむなくStravaへの移行を決心した。

ZeppアプリからStravaを認識させること自体は簡単である。2021年3月時点で、下記の5つのアカウントを登録できる。


ここで問題が3つある。

  1. Adidas Running(旧 Runtastic)のデータをStravaに移行できるか
  2. Band 5には心拍計はあるがGPSがついてない。Band 5で心拍計測し、iPhone でGPS信号をつかまえて、ひとつのランニングデータとして統合できるか。
  3. そのGPSと心拍計測を含むランニングデータをStravaに自動で転送できるか。

第1の点について、2021年3月時点で、公式アプリを通してこれを行う方法は存在しないが、代替策が2つある。ひとつは、RunGapというアプリを介してStravaにデータを渡すことである。データ取り込みは無償だが、書き出しは4ドルないし10ドルかかる。もう一つの方法は、ここの投稿を参考に、Thoms Mielke 氏の作った変換ツールを使うことである。これは、Runtasticからダウンロードしたデータ(これはjsonファイルがZIPされたもの)を、GPS Exchange format(GPX形式)に変換するものである。一部情報が欠落するが、走ったルートの情報、時間情報などは取り込むことができる。ただし、一度に読み込めるGPXファイルは25個が上限らしいので、数百個の履歴がある場合、手作業で何10回かアップロードを続ける必要がある。

第2と第3の点について答えはYesだが、細かいコツがいろいろある。結論からいえば、次の通りである。

  • iPhone 上での準備
    • BluetoothはON(当然)にしてBand 5との接続を確認。走っているときはBand 5に加えて iPhone も腕輪方式などで身に着ける。
    • GPSを使う他のすべてのアプリを消す。バックグラウンドでも動かさない。
    • Zeppの位置情報の利用は常時許可する。
    • Zeppを開き、データの同期を済ませる。iPhoneの画面は消してもよいが、アプリ自体は動かしておく。
  • Band 5 上での操作
    • Band 5の中からWorkoutを選び、そこでRunningを起動する。
      • iPhone上の Zepp app や Strava で記録開始をしないこと。
    • その際、Band 5上で、位置情報を認識したことを確認する(認識すると振動する)。
      • iPhone上でZeppが動いていないとGPSをつかまないようなので注意。
    • ゴールに着いたら、Band 5 上でRunningを終了する
      • 画面下部をタップして画面を出し、長押しする。
  • Band 5上で運動を終了させたら、携帯を開いてZeppとデータを同期する。
    • 位置情報と心拍情報が記録されていることを確認する。
    • Stravaには自動的に転送がなされる。

iPhone 上でStravaで運動を記録すると、当然、心拍計としてのBand 5は認識されないので、位置情報しか記録できない。心拍情報だけをStravaに別途読み込む方法も探したがどうやらなさそうである。また、Stravaには、Bluetoothでの転送機能を持つ心拍計を登録する機能があるが、それではBand 5は認識できなさそうである(おそらくBand 5をiPhone本体とBluetooth接続してしまうと、別途Strava側で認識できないのだと思うがよくわからない)。一方、 iPhone 上のZeppを使い運動を記録することもしてみたが、たまたまかもしれないが、心拍が記録されないという問題が発生した。

ということで、Band 5上で、iPhoneのGPSを認識させた上で運動を記録するのが最善(かつおそらく唯一の)方法のようである。なお、Band 5では、転送できるデータの項目数に限りがあるようで、心拍計を動かした場合、歩数計などの情報は転送されないようである。逆に、心拍情報がない場合には歩幅などの情報が転送されるようである。この点は何か不具合なのか仕様なのか、いずれにしても改善が待たれる。


心拍計、血中酸素濃度はおおむね正確

WesKnowsというYoutube チャンネルで詳しい計測結果が紹介されている。下記はこの動画からのスクリーンショット。


黄色い線がBand 5で、赤い線が胸に直接つけるタイプの心拍計。この程度の誤差であれば、運動記録器として何の問題もない。別途購入した安いパルスオキシメターで測っても心拍計はほぼ正確である。

一方、血中酸素濃度については、机に座って、腕を机に置いた状態で計測すると、パルスオキシメターとたいていの場合ほぼ一致する。違うとしてもたかだか数値で1くらいである。価格10倍のApple Watch 6 の場合、"mostly useless" などと言われているが、少なくともこのBand 5については十分有用だと思う。しかしこれまで数回、たとえば日光を横から浴びているときとか、寒くて手がかじかんでいるとき、装着状態がふだんと違うときなどに、値が低めに出ることもあった。基本的に信頼できるというのが私の印象だが、いつどのような場合に誤差が生じがちかは自分で経験の経験から判断した方がよさそうである。

通知機能とAlexa

iPhoneの通知機能がONになっている限り、任意の通知をBand 5に転送できる。私の環境ではデフォルトで次のような項目がある。メール特有の項目はないが、通知を受けたければ末尾の Other をONにする。

Band 5にはスピーカーがないので、通知は振動で来る。たとえば電話の場合、断続的にジジ・ジジ・ジジと振動が起きるのですぐわかる。電話に出ることはできないが、留守電に答えさせることはできる。会議などカレンダーの通知も振動で来る。音ではなくて振動での通知は思った以上に有用だと思った。まず、音と違い精神をかき乱される感じがしない。また、在宅勤務では自分の部屋から出て家事をしている場合もあるだろうが、例えば洗濯やら炒め物やらをしていて、携帯電話を持っていないか、騒音で通知音が聞こえない場合も、この軽いバンドを腕につけておけば安心である。通知の際、画面上に誰からの電話か、など要約情報が出るので、その場で重要度が確認ができる。ただ、画面が小さいため、腕を近づけて読まないと文字が小さすぎて読めないというのは確かで、画面の大きい上位機種が欲しくなるところである。

Alexaも、Amazonのアカウントを接続すれば使える(2021年3月時点では、アメリカのAmazon.comに限られるようであるが詳細は知らない)。電灯のON-OFFもできるし、簡単な(英語の)質問(「How far is Tokyo, Japan, from NY? 」など)もできる。ただし、アマゾンのアカウントの仕様上?、ある程度時間が経つと再度ログインしないと認識されなくなってしまうようで、ほとんどの場合、Alexaにはつながらずじまいだった。Alexaは iPhone上のアプリもあり、そちらの方が立ち上げの時間は短いし、機能も多い。わざわざ小さな腕時計でAlexaを呼ぶ必然性もなく、結局使わなくなってしまった。使えることは使えるが、Alexaには期待しない方がいいかも知れない。

電池の持ちとその他の機能

私の場合、Apple Watchをこれまで避けてきたのは、高すぎる値段もあるが、1日しか電池が持たないという事実が最大の原因であった。私の持っている自動巻きの機械式腕時計ですら、2日くらいは動いている。それよりも短いというのは話にならない。この点を認識して、たとえばガーミン社では最近太陽電池を組み込んだ製品を出したりしている。しかしいかんせん高い。やはりBand 5の10倍という桁である。

米国企業に囲い込まれている米国市場ではあまり知られていないが、この点の技術革新はすでに中国で起こっている。中国におけるウェラブルデバイス市場で首位のHuawei(華為技術)は2018年にGoogle のWear OSをやめて独自開発のLite OSに移ることを発表した。同様に、Huami製のスマートウォッチも独自開発OSとチップを統合した黄山2号(Huangshan-2)というプラットフォーム上に開発されている。報道()によれば深層学習専用チップを含んだ高度なもので、それが低消費電力と高性能を両立させる鍵らしい。

実際、Sleep breathing quality monitoring をONにしなければ、一晩つけっぱなしでもほとんど電池が減ることはなく、宣伝の通り2週間くらいは持ちそうである。




その他、1週間ほど使ってみて、便利だと思った機能を羅列すると次のような感じである。
  • 天気予報。PC上でブラウザを立ち上げたり、アレクサにわざわざ声で質問するより、パッとBand 5をスワイプした方が楽である。
  • 睡眠記録機能。電池の持ちに不安がないので、夜もつけっぱなしにしているが、寝た時間などが記録されるのは、自分の健康についての認知を高めるのに有用である。寝入り時刻、起床時刻の測定は正確なように思える。
  • ランニング中のポッドキャストの制御。私の持っているBluetoothのヘッドフォンでは、「次の曲に行く」という制御ができなかった(または、やりにくかった)。そのため、つまらないポッドキャストを延々聞き続けるという苦痛を味わったことも多い。もちろん立ち止まって携帯電話上で制御することはできるのだが、時間を測っている以上、ラップを乱したくなかった。腕時計上でそれができるようになったのはうれしい。

まとめ

以上要点をまとめる。

  • よい点
    • 価格競争力。アメリカでは Apple Watch 6の1/10。
    • 電池持続期間。週2回のランニング、毎日の体操、睡眠トラッキング、をしても、2週間ほど充電せずにすみそう。
    • StravaおよびApple Healthとの自動連携。
    • スマートウォッチとしての基本機能(十分正確な心拍計と血中酸素濃度計、メール・電話・カレンダー等の通知と確認、音楽やカメラの簡単な制御、時計表示デザインの変更機能、など)
  • 将来に期待する点
    • 携帯アプリ Zepp のメニューが複雑でどこに何があるのかわかりにくい。
    • Alexaの接続の安定性が低い。
    • バンドが外れやすい。素材、薄さはよいと思うが、バンドの先端が寝ているときや走っているときにものに触れて外れることがある。

冒頭に述べた問い、すなわち、Band 5が通常のスマートウォッチとしての使用に耐えるか、という問いへの答えは、間違いなくYesである。Zeppアプリはまだ発展途上のように見えるが、それでも、Stravaとの連携、Apple Healthとの連携はスムースで、活動量計としては現時点でまったく問題ない。Appleが有効な運動記録アプリを持っていない以上、かならず何か外部アプリに頼らざるを得ない。もし運動記録がスマートウォッチの主たる目的なら、OSレベルでの統合は必ずしも必要ではないし、OSレベルで統合されていなくても、電話やメールの通知、音楽の制御は可能である。

さらに広く、睡眠管理含む健康管理器としての用途なら、睡眠ログを取る以上は、1週間程度の電池寿命は必須となる。腕に着けている間は充電できないためである。この点において、Apple Watchおよびその類似製品は実用性を欠くと言わざるを得ない。値段が1/10で、電池が10倍持ち、機能が同等、というのではもう競争にならない。OSレベルでの統合は確かに快適であるが、ほとんどの人にとって、それに10倍の値段を払う価値はないと思う。

上に述べた通り、市場占有率の観点でAmazFitは順調に成長しており、間もなくApple Watchを凌駕する存在になる可能性が高い。驚異的な価格競争力については言うまでもなく、頻繁な充電から人々を解放することで、AmazFitが、スマートウォッチという製品カテゴリにおいてDisruption(破壊的インパクト)をもたらしたのは明らかである。国外においては巨人Appleに、国内においては半官企業Huaweiに果敢に挑戦し、この技術革新を生じせしめた小米科技 Xiaomi および華米科技 Huami は尊敬に値する企業だと思う。HuamiはHuami AI Research InstituteというAIの研究所を持っているらしい。輝く未来を持つであろう企業で、このような優れた製品から得られるデータを用いAIのアルゴリズムを研究する技術者は幸せである。


2021年2月20日土曜日

『事件現場から: セシルホテル失踪事件』

 

2013年に起きたLAでのカナダ人女子大学生失踪事件を追ったNetflixのドキュメンタリー。原作は Crime Scene The vanishing at the Cecil Hotel (Netflix Series, directed by Joe Berlinger)。事件の詳細については英語版のWikipediaをほぼそのまま訳した日本語の項目がある。エリサ・ラム事件、というのがそれである。


これはカナダの超名門大学ブリティッシュコロンビア大学(日本で言えば京大や阪大にあたる)に通う21歳の女子学生が単身カリフォルニアを旅行中にLAのセシルホテル(Cecil Hotel。英語ではシーシルと発音する)というホテルで失踪したという事件である。防犯ビデオの分析の結果、彼女はホテルから外に出ていないと推定され、ホテル内で警察犬を動員して大掛かりな操作が行われた。

セシルホテルはLAにおける最悪の犯罪地帯とされるスキッド・ロウ地区(日本だと西成のあいりん地区などに当たると思う)に立つ。何度も米国における有名な犯罪の舞台になったことで知られ、現地では悪名高い場所である。それがゆえ繁華街至近という立地ながら部屋代は非常に安く、主に海外からの若い客を多く引き付けてきた。LA市の規制により、ホテルの上層階は貧困層の長期滞在者向け住居になっており、ナイトストーカーことリチャード・ラミレス、日本で言うと永山則夫にあたる獄中作家ジャック・アンターウェガーなど、身の毛がよだつ殺人事件の犯人たちが滞在したのはそこである。

この時点で警察の捜査は、現地事情を知らないうぶな女子学生、しかも若い美人の彼女が、この悪名高いホテルで犯罪者の餌食になったことを暗に想定するものであった。しかし大がかりの操作の結果、何一つ手掛かりは得られなかった。そこでLA市警は、失踪の直前に彼女をとらえたビデオをマスメディアに公開することを決断する。それが下記の動画である。

https://www.youtube.com/watch?v=_rfLSVIA0L0

そこにとらえられたエリーサの不可思議なふるまいはインターネット上で爆発的な議論を引き起こした。彼女はまるで何者かに追われているかのようで、パニック状態でエレベーターのボタンを押し続けているようにも見える。一方で、両手をひらひらさせる様子からは、何かの薬物の影響下にあるかのようにも見える。

動画が公開されて数日後、宿泊者から水の出が悪いとの苦情を受けたホテルは、屋上のタンクを点検する。そこで作業員はタンクの水に、全裸のエリーサが浮いているのを発見したのである。名門大学に通う彼女には一切の犯罪歴はなく、多くの "web sleuth"(ネット探偵)たちが、いかにスキッド・ロウの犯罪者が若い娘を餌食にしたかについて自説を展開した。

しかし不思議なことに、警察の多大な努力にも拘わらず遺体からも何の手がかりも得られなかった。外傷もなければ、薬物も検出されない。仮に彼女が意志に反してタンクに投げ捨てられたのならば、犯人は、遺体を背負って何メートルも階段を上り、屋根の上から2メートル程度下にあるタンクの上に降り、そして50㎝角かそこらの小さな保守用の窓から遺体を入れなければならない。机上で考えるとそれも不可能でなさそうに思えるが、下記のNBCニュースの動画を見ると、現場に何の痕跡も残さず、かつ、遺体に一切の外傷を残さずにそれを行うのはまず不可能であることが分かる。


4回シリーズの最終回、エリーサに何があったのかについて、確度の高い推測が明らかにされる。エリーサはI型の重篤な双極性障害に苦しんでいた。症状の再発により大学の授業もきちんと受けられず、友人たちが一人前の社会人になるべく着々と準備をしているように見える中、病気のためにまだまっとうな人間になれずにいる自分を非常に苦にしていた。毎日飲むことを義務付けられている大量の薬。聡明な彼女は、それが症状のコントロールのために必須であることを頭では理解していただろうが、一方で、薬に頼らずに力強く生きる自分をいつでも夢見ており、そして時折、おそらくそれも躁状態の症状のひとつであるが、薬を勝手に中断してしまったことがかつてあった。彼女の姉妹の証言から明らかになったことには、過去の断薬は幻聴・妄想を伴う重い症状をもたらし、幻聴から逃れるためにベッドの下に隠れていたこともあったのだという。

彼女がカリフォルニアを旅行先に選んだのは、かつてフロンティアと呼ばれていた場所で、本当の自分を見つけたいという願いからであった。LA中心部の華やかな雰囲気の中、彼女は身体的には健康なのにもかかわらず薬に縛り付けられているかのような自分をみじめに思ったに違いない。検死結果から明らかになった通り、彼女はLAに来てからほとんど薬を飲んでおらず、精神的な破綻はおそらく時間の問題であった。

実際エリーサは、部屋を共有していた2人の女性宿泊者に対して、「出ていけ」「消えろ」(Get away, get out, go home)などと書いた紙を相手のベッドに張り付けたり、同居者が外出から戻ると内側から鍵をかけ、合言葉を言わない限り中に入れない、などの異常な行動をとった。妄想の支配下にあったのであろう。さらに失踪の日、彼女はLAでテレビの公開収録に出かけ、筋の通らない手紙を番組のホストに渡そうとして警備員に制止されるという事件を起こしている。同居者からの苦情により、ホテルは彼女を別の部屋に移した。エリーサのチェックアウト予定日の前日のことである。当時ホテルの支配人だったAmy Price氏によれば、その晩彼女はロビーに降りてきて、「あたしキチガイなの!でもそれはLAも一緒でしょ!」("I'm crazy, but so is L.A.")などと手を広げて叫んでいたらしい。


エレベーターのビデオにとらえられた奇妙な様子はおそらくその直後の彼女の様子である。法医学者のJason Tovar 博士、精神科医のJudy Ho博士らの解釈によれば、彼女は妄想上の悪者から逃れるため、安全と思われる隠れ場を必死に探していた。運の悪いことに彼女が向かったのは火災の際の避難に使う非常用階段で、それが唯一、警報機を鳴らさずに屋上にたどり着ける経路なのであった。彼女は屋上にある建物の上に上り、4つのタンクが眼下にあるのを見つける。検査用の小さな窓があるのを見た彼女は、そこが唯一、魔物から自分を隠せる場所だと信じた。


多くの人は、人間の脳の複雑な仕組みを知らないし、知ろうともしない。この事件で不幸だったのは、精神障害が公に口にするをの憚られる類の病気であるがゆえ、明らかに奇矯なエリーサのふるまいが長く表に出なかったことである。遺体発見当時タンクのふたは閉じられていたはずだとLAの警察担当者が誤って発表してしまったのも火に油を注いだ。ふたは実際には開かれたままであった。したがって第三者による隠蔽の可能性はほぼありえず、何らかの事故を強く示唆するものであった。

何者かになるためにあがいている時期の若者の心は傷つきやすいものである。心身が健康であっても不安定になりがちだというのに、躁鬱病による精神状態の極度の変動は彼女を強烈に痛めつけていたに違いない。おそらく彼女にとっては、陽光あふれるフロンティアとしてのカリフォルニアへの一人旅を成功させることは、自己再生のための必須の儀式のように感じられていたはずだ。そう思い詰めた先に、これまでにない深さでの闇と破局が待っていたのである。ネット探偵の多くは、彼女の気持ちに寄り添うふりをしながら、実は、彼らの想像力の枠の中に彼女を当てはめて自己満足に浸っていたに過ぎない。自己満足だけならばいいが、YouTube などを通して多くの人たちを結果として扇動し、無実の人たちへの攻撃に導いた責任は大きい。自分が何を分かっていないかを知らない善意の人たちほど手に負えない人たちはいないのである。


このドキュメンタリーは、ホテル側、警察側、ネット探偵側、そして第三者的立場の医学の専門家の意見をうまく配し、それぞれの考えを引き出しつつ、最後に説得力のある結論に導くことに成功している。ネット探偵たちの、心情的には理解できるものの結果として無責任な意見を繰り返し繰り返し取り上げることで、作品としてはやや間延びした印象にもなったが、ディレクターのJoe Berlinger氏としては、あえてそれをすることで社会に対して警鐘を鳴らすという意図もあったのだろう。主観的感想と直接観察された事実、それから科学的推論を適切に区別することためには、高い知性と教養が必要である。それは日本のメディア業界では望むべくもないが、アメリカにはそれをきっちりと、しかも商業ベースのメディアで行える環境があるのである。

2021年2月1日月曜日

Lean In: Women, Work, and the Will to Lead ( by Sheryl Sandberg)

 

邦訳もされ、もはや説明する必要もないほど有名なシェリル・サンドバーグ氏の主著。ある意味、2020年におそらくピークを迎えた #MeToo 運動 への、ビジネス側からの強力な応援として、日本でも多くの人が影響を受けたに違いない。書名はおそらく、身を乗り出して前向きに取り組む、という状況を比喩的に表したもので、強いて訳せば「一歩踏み出そう」という感じだと思う。

 市場競争にさらされる「健全な」業界においては、金銭的な評価、いわゆる「ボトムライン」の数字が結局すべてであり、そこには性別は直接の関係はない。女性だろうが男性だろうが、たくさん売ってくれる営業員がよい営業員であり、CEOが男性だろうが女性だろうが企業価値を上げてくれる人物がよい経営者である。最近、ある国際的企業で長くCEOとして君臨していた女性がCEO交代を発表したとたん株価が急騰したという話があった。それは別に株主が女性差別主義者だったからではなく、過去何年にわたり首尾一貫して企業価値を損ない続けてきたCEOの成績を見て、多くの株主が彼女の退場を願っていたということに過ぎない。逆に、Google で Google Map などのすばらしく革新的なプロジェクトをリードしたマリッサ・メイヤー氏がYahoo!のCEOに就任した年に株価が74%も上がったのは、彼女の実績と手腕への期待ゆえであろう。大多数の理性的な株主は単に企業価値を見ているだけであり、それ以外ではないのである。

科学技術の開発についても同じことが言える。 サンドバーグ氏の属するFacebookのR&D部門は、2021年時点で、Google、Amazon、Microsoftなどのアメリカ企業や、Baidu、Alibaba, Tencent などの中国企業と並び、AI(人工知能)分野での最強の技術力を持っていると考えられている。AIの最重点領域としての機械学習やデータマイニングの分野では、最新技術は主に学術会議の論文集(Proceedings)として発表される。これらは、ほとんどすべてが二重ないし三重の匿名査読方式(double/triple blind review)を採用しており、査読する側は、誰が書いたか・どこの所属か・性別は何か、など何もわからない。性別が評価基準に入る余地は基本的にない。 ── などと言っても、そもそも「査読」という仕組みを理解するためには大学院修了程度の経歴が必須なので、日本の新聞記者には信じがたいだろうが、本当である。たとえば私は、AI分野のトップ会議のひとつである International Joint Conference on Artificial Intelligence (IJCAI) の Senior Program Committee (SPC) Memberを務めたことが2度あるが、投稿者の名前を知る手段は、末端の査読者はもちろんのこと、それを統括するSPC メンバーにすら全然ない。近年、多くの主要会議では、投稿情報の管理は Microsoft's Conference Management Toolkit というサイトで行われている。データベースのアクセス管理は商用システムと同程度の堅牢さで作られており、元の投稿データに触れるのは本当に一握りの管理者のみである。会議の委員長は毎年変わり、運営委員も多様な背景の人々から選ばれるので、奥の院でこっそり何の不正をする、というような余地は全くない。犯罪的な意図を持って計画的に証拠隠滅でもすれば別なのかもしれないが、もうそれは完全に常人ができる範囲を超えている。

市場競争にせよ、技術競争にせよ、競争が本気の「ガチ」であればあるほど、性別など些細な属性に構っている暇はないのである。興味深いことに、それとは正反対のベクトル、すなわち資本主義の打倒が女性解放の唯一の道だと信じられていた時代があった。1990年に出版された上野千鶴子氏の主著『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』はその集大成と言うべきものである。そのメッセージは明確だ。資本主義社会においては、女性差別は経済原則からの必然である。だとすれば、資本主義の下での真の女性解放は、資本主義の打倒と共産主義革命の成就によってなされるべき、というのが論理的な帰結となる。副題に「マルクス主義」フェミニズム、とあるのはそういうことだ。今の若い人には、なぜ多くのマスメディアの記者や野党の政治家が、虚偽の主張をしてまで自国政府を攻撃するのか不可解だと思うが、もし資本主義の打倒が絶対善なのだとしたら、資本主義国の政府を攻撃するのも絶対善であり、その前にあらゆる手段は正当化されうる、というのが彼らの信念なのである。悲しいことに、上野氏の主著が発売された1990年という年は、東西ドイツの統一がなされ、誰の目にもマルクス主義の理想が、少なくとも社会主義という形では実装しえないという事実が明らかになった年であった。社会主義の退潮を察して、もちろん上野氏も共産主義革命を叫んだりはしていないのだが、上野氏や彼女のサークルの多くの人々は、私の知る限り、論理の根幹に関わるところで主張の総括をすることなくラベルを付け替えて、うやむやのままに相も変わらず正義の旗手のような顔で、現代の #MeToo に流れ込んだわけである。

話がそれた。

歴史的な経緯を普通に眺める限り、自由な競争の保証こそが女性解放の唯一の正しい道である、という主張は説得力があるものである。学業の能力で、男女に顕著な能力差があるというデータは私の知る限り存在しない。女性でも男性でも、賢い人は賢い。業務処理能力についても同じである。優秀な人は優秀であり、男女問わずだらしない人はだらしない。だから単に、優れた人が公正に競争できる仕組みと、十分な雇用の流動性さえあれば、基本的には問題は解決するはずである。公正な市場競争が貫徹するテック業界の、ボトムラインでの評価が貫徹する経営陣であればなおさらのこと、そのような信念の信奉者なのだろうと勝手に思っていた。

しかしこの本はそういう本ではない。Studies show...という形で女性の置かれた不利な状況を繰り返し繰り返し紹介し、女性が意志をもって上のレベルの判断に参画することの重要性を説きはするが、いかにして制度的に自由な競争を保証するかという話は、私の誤解でなければ、具体的にはひとつも出てこない。あらゆる意思決定は論理的に厳密な意味で不公平である(「醜い家鴨の仔の定理」)。したがって、あらゆる仕組みを不公平だ不公正だと批判するのはたやすいのだが、では全方位に公正な仕組みとはどういうものか(「男性の新規採用や昇進を禁止すれば公正なのか」など)という肝心な問いへの答えは本書にはない。真剣に女性の能力を活用するための具体的方策を考えている経営者なり政府関係者は困ってしまうのではないだろうか。本書は、女性へを励まし、lean-in を促す暖かい言葉に満ちている。有力なメンターを持ち(つまり子分筋になり)、アンテナをいつでも張って、機会を逃すな、というようなある種の心構え論である。それはすばらしい。しかし、相当程度出会いの運に影響されるはずの親分・子分関係が、組織の系統的な運営手段になるはずもない。

自分がトップを極めた後、後に続く人たちに対し本当の励まし・贈り物ができるとすれば、それは、自分の子分を優遇するというような狭い話ではないと思う。制度的に、いつでも、どんな出自の人でも、たとえば、田舎の出身でも、家庭的な事情から地方大学にしか通えなかった人でも、子持ちの人でも、未婚の人でも、素朴に、優秀な人がその優秀さを発揮できるような仕組みの整備と言うことになるはずである。性別や出自に業務能力が関係しないのならば(それがフェミニズムの大前提であろう)、その仕組みは性別や出自に中立でなければならない。

不思議なことに、本書からはそういう話が読み取れないのである。それは単に過渡期としての限界なのだろうか。そうかもしれない。特権的エリートの限界なのだろうか。それもあるのかもしれない。しかし私はもっと深く、かつて上野氏の本で感じたような後味の悪さを感ぜざるを得なかった。階級闘争論は人類を幸せにはしなかった。同様に、Identity politicsもまた問題解決の手段にはなりえないと思う。現代の #MeToo 運動にある種のデジャブを感じるとしたら、その人の感覚は正しい。


Lean In: Women, Work, and the Will to Lead

  • Sheryl Sandberg (Author)
  • Publisher : Knopf; 1st edition (March 12, 2013)
  • Language : English
  • Hardcover : 240 pages
  • ISBN-10 : 0385349947
  • ISBN-13 : 978-0385349949
  • Item Weight : 1.05 pounds
  • Dimensions : 6.01 x 1.02 x 9.58 inches