2011年8月31日水曜日

「天才になる!」

写真家・荒木経惟(のぶよし)氏の半生記。聞き手飯沢耕太郎によるインタビュー記事を元に書籍にまとめた形態であるが、編集が秀逸で、話し言葉を文字化したときにありがちな不明瞭さがない。面白い。

我々の社会は混沌の中ある。既存のものの単なる延長線上には何も生まれないことは誰でも知っている。無から有を創造しなければならない。これからは天才の時代だ。

天才とは、既存の世界の彼岸へと跳躍できる人のことである。その向こう岸は誰もまだ見たことがない。暗闇に底なし沼が広がっているかもしれない。その彼岸に向けて跳躍するという行為は、合理的計算の所産ではありえない。しかし天才はそれをあえてする人である。何かの内的衝動に従って。

この社会を形作るほとんどの人は、そういう彼岸へと跳躍したことはない。それが一体どういうことなのか想像すらできないだろう。矛盾をはらんだ乱雑な現実が、何か甘美で、透明で、あらゆるものが意識下に置かれているような、美しい世界に溶解してゆく。その創造の瞬間を言語化するのは一般には難しいが、荒木氏の場合、写真というメディアを通して、現世の彼岸へと瞬時に跳躍するのである。
アウトサイダーアートとかを見てると、奴らにはかなわないって思う。狂気があいつらにとっては本気だからな。でも考えてみると、写真っていうメディアはそこまでいかせない抑制のメディアでもあるんだよ。(...)文学やってて、すごく小さな中でピュアに徹底的に考えちゃった奴は自殺しちゃったりするんですよ。でも、写真は、シャッター音が川に落ちるのを止めてくれる。心中を止めるんだよ。(...)写真家は境界線だからね。こっち側とあっち側の、此岸と彼岸の。(p.167-168)

実際のところ、荒木氏の作品にはウソハッタリも多く含まれていて、注意しないといけないのだが、たとえば、彼の電通時代の作品「女囚2077」の迫力は圧倒的である。
「女囚2077」の2077っていうのは、彼女の社員番号だよ。会社員っていうのは囚人なんだぞって言って、それでこんなトーンで延々と撮りまくって。(p.103)
言葉だけだと限界があるこの表象を、2次元のモノクロの世界にエンコードすることで我々の精神に衝撃を与えるのである。これは一種の奇跡であろう。

天啓というべき着想に従って、次々に創造の波を作り出す荒木氏。彼は、いわゆる世間に言う秀才の類型とはまったく違う。現在「知的」というカテゴリでもてはやされる人々を荒木氏と対比してみるのは面白い。もっともエネルギーが必要な創造のステップを省略し、既存の知識をいかにすばやく吸収するかを書いている書物は、「効率が10倍アップする新・知的生産術」とか「官僚に学ぶ仕事術 ──最小のインプットで最良のアウトプットを実現する霞が関流テクニック」などなど、まさに有象無象、無数にある。荒木氏の電通入社試験でのエピソードは、まるでこれらの著者の凡庸さをあざ笑っているかのようである。
他の奴らはみんな手際はいいけど、あがりを見ると構成力ないし、色彩感覚悪いから。楽勝なんだよ。要するに、テクニックは入ってから一ヶ月で覚えられるから、そんなものは試験では見ないっていう自信をもって、「おれはうまい!」って思ってやったの。p.81
然り、「テクニックは入ってから一ヶ月で覚えられる」のであり、テクニックの次元でしか語る言葉を持たない人間と、創造者の間には越えがたい壁がある。ただの情報リサイクルを、「知的生産」と持ち上げざるを得ないこの国のメディアの知的水準を、心から残念に思う。


天才になる! (講談社現代新書)
  • 荒木 経惟 (著)
  • 新書: 230ページ
  • 出版社: 講談社 (1997/9/19)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 406149371X
  • ISBN-13: 978-4061493711
  • 発売日: 1997/9/19
  • 商品の寸法: 17.2 x 10.6 x 1.4 cm

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