実は私の父の一家も引き揚げ組である。私の父の一家は、終戦時、満州国の中心都市のひとつであった奉天(現 瀋陽)に住んでいた。南満州鉄道・奉天駅で働いていたと聞いている。終戦直前、私の祖父は軍に招集され、終戦時、父の家には私の祖母とその子供たちしかいなかった。新田次郎氏と同様、祖父は敗戦後シベリアに送られた。その意味でも本書の内容は他人事とは思えず、やはり著者同様女学校を出て嫁いだ私の祖母が、どれだけ辛酸をなめたかと思うとほとんど言葉もない。
昭和20年8月9日、ソ連参戦の日、著者の一家は突然集合命令を受ける。満州が戦乱の中に入ることを予期した関東軍が家族等関係者に退避命令を出し、著者の夫の勤務先であった新京市の観象台(気象台)の職員にも同様の指示が出たのである。この日、まだ新京までソ連は到達していない。列車も曲がりなりにも運行しており、一家はなんとか朝鮮領内の宣川(せんせん)という場所に到達する。
南下すべきか、それとも治安が回復しているという噂のあった満州領内に引き返すか。宣川の日本人には根拠不明の噂以外に頼る情報がない。それでもようやく観象台の一団が南下を決めたまさに昭和20年8月24日、38度線を境に交通が遮断され、それまでは平壌まで走っていた列車は運行を停止した。さらに、著者の夫を含むすべての壮年男子がソ連軍により連れ去られた。一団はそこで完全に足止めとなり、その後約1年、戸主を失った一家はその小さな地方都市で、すべての生活の基盤を失った状態で生きていく。昭和21年8月になり、噂だけを希望のよすがに宣川を立ち、観象台一団は38度線近くの新幕という駅まで下る。その後約2週間、38度線を挟んで南朝鮮側の開城にいたる徒歩での移動が本書の山場となる。
藤原一家の引き揚げ経路(Google Map) |
著者の記憶力は恐るべきものがあり、本書に描かれる日々の細かい生活の情景は非常にリアルだ。ただ、不思議なことに、ソ連軍による暴行・略奪の様子は本書にはほぼ何もかかれていない。本当にそういう出来事に出会わなかったのかもしれないし、著者が心情的に「進歩派」だったためかもしれない。真相はわからないが、終戦時7歳であった私の父を含む多くの人の心にはソ連軍の略奪・暴行の記憶が生々しいことを付言しておく(平和祈念展示資料館の所蔵の体験記)。
付記。本書の続編と言うべき『旅路』は「自伝小説」と銘打たれているだけあって、おそらくより事実に近い記述がある。興味深いのは同じ団にいた発狂した若奥さんの話である。『流れる星は生きている』では生活苦から発狂したことになっていたが、『旅路』ではソ連兵にさらわれて、1週間行方知れずになった後に発狂した若奥さんの話が出てくる(第三章 放浪生活・「眠れない夜が続く」)。その陰惨さは耐え難いものがある。おそらく著者は、編集者の意向か何かで親ソ的に事実を曲げざるを得なかったことを長い間気に病んでいたのだろう。戦後の日本のメディアの空気を示す一つの例である。
流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)
- 藤原 てい (著)
- 文庫: 332ページ
- 出版社: 中央公論新社; 改版 (2002/7/25)
- ISBN-10: 4122040639 ISBN-13: 978-4122040632
- 発売日: 2002/7/25
- 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.8 cm
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