本書前半は将軍や大奥といった権力階級についてのエピソード、後半は庶民の間での事件が中心だ。見所はやはり奥女中にまつわるエピソードだろうか。興味深いことに、身分制度に縛られていた男たちと違い、町人や農民の娘たちには、「お屋敷奉公」といういわばエリートコースがあった。大名屋敷や旗本屋敷での女中奉公である。もしそこで屋敷の主にお手つきをされれば、一挙に身分は側室、両親は大名家の外戚である。大名の方にしても、政略結婚で決められた正室より、町民や農民から出た健康な側室を選ぶ傾向にあったというのは、なかなか示唆的で面白い。
庶民における性のエピソードも面白い。江戸の風俗産業の充実ぶりは本書で初めて知った。第6章冒頭によれば、江戸の風俗店の階層は次の通りだ。
- 吉原。公許の遊郭。格式高く、ファッションの発信地でもある。
- 宿場。飯盛り女という女郎を置くことを公認されている。
- 岡場所。違法営業だが、儲けすぎるとか、刃傷沙汰を起こすとかしない限り事実上黙認。
- 夜鷹。江戸の路上で客を引く街娼。
ちなみに、史料に基づくまじめな本書と相補的な位置に、田中優子著「張形と江戸をんな」がある。こちらは逆に、もっぱら春本春画の類に題材を求め、江戸時代の自由な性表現の実情を描いている。実はそれはほとんどが男の側からの妄想に基づいていて、「江戸の性の不祥事」の永井氏からすれば作り事として批判の対象なのだが、こちらの著者の意図は、春画を通して自由な女性のあり方を浮き彫りにしたいということである。すなわち意図はフェミニズム的信念の開陳にあり、性風俗はそのツールに過ぎない。
これらの本は、江戸時代における庶民の力強い自由を明確に表現している。現在の日本は比較的自由だが欧米の方がもっと自由で、だから昔の日本はとてつもなく不自由だった、というのはインテリからそれ以外まで広く信じられている言説だと思われるが、それはほとんど空想に過ぎない。性という人間のあり方に直結する領域においては、江戸時代のあり方は現代の日本と大した違いはない。むしろ、民主主義とか平等とか、そういう舶来の決め事に囚われている現代の方が不自由といえるのかもしれない。
江戸の性の不祥事 (学研新書)
- 永井義男 (著)
- フォーマット: Kindle版
- ファイルサイズ: 1018 KB
- 紙の本の長さ: 228 ページ
- 出版社: 学研パブリッシング (2012/3/22)
- 販売: Amazon Services International, Inc.
- 言語 日本語
- ASIN: B007VAGT66
張形と江戸をんな (新書y)
- 田中 優子 (著)
- 新書: 186ページ
- 出版社: 洋泉社 (2004/03)
- ISBN-10: 4896918045
- ISBN-13: 978-4896918045
- 発売日: 2004/03
- 商品の寸法: 17.2 x 10.6 x 1.2 cm
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