2021年4月1日木曜日

Alone (邦題 Alone 孤独のサバイバー)

 

リアリティ番組が数多く放映されるアメリカで、今まで見た中でもっとも「ガチ」なサバイバル番組。日本でもAmazonHuluで見られるようだ。

 ゲームのルールは一言で言えば我慢比べである。参加者は、ナイフ、防水シート、寝袋、釣り針、など所定のリストの中から最低限の10点ほどのわずかな所持品を持って、人里離れた海や湖の近くにヘリコプターで降ろされる。Aloneというタイトルは、たった一人でサバイバルを行うというところから来ている。食料はもちろん、テントすらないので、木を切り、石を拾い、住居作りから始めなければならない。最大の問題は食料調達である。もちろん、素人がそういう状況で生き延びられるはずはないので、参加者は皆、例えばサバイバル教室の講師とか、海兵隊員とか、その道のプロである(第1シーズンだけはこの点微妙であるが)。

シーズンにより場所は異なるが、人口希薄なカナダの離島だったり、北極圏だったり、南米パタゴニアの山中だったりする。シーズンは秋に始まり、徐々に冬の季節が忍び寄ってくる。冬は飢えの季節である。当初10人いた参加者は、飢えと孤独に耐え切れず、ひとり、また一人と "tap out” (格闘技でいうギブアップのサイン)してゆく。最後まで耐えた人が、賞金の約5000万円を手にする(北極圏でのシーズン7では1億円)。

参加者にはカメラが渡されており、毎日の行動を記録することが義務付けられている。Tap outは、特別なトランシーバーで行う。1か月を超える頃には、残った参加者の顔には疲労と飢えの色が濃くなる。カメラに向けた状況報告も深刻なものが多くなる。肉体的に極限状況に至るため、後半は定期的にメディカルチェックが行われ、体重がある限度を超えて減少し、医学的に飢餓の状態に陥ったと判断された人は、その場で退場が宣告される。我慢だけでなくて、健康を保つことも重要なのである。

この番組を見ると、いかにかつての人類の生活環境が過酷だったか、いかに農業の発達が革命的なことだったかが分かる。これで思い出されるのはニューギニアで遊兵と化し、10年もの間、山中で原始人同様の生活を強いられた日本兵の手記である(『私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年』)。彼らは、危険を冒して残置された糧秣をなんとか収集して飢えをしのぎつつ、それが尽きると刻苦の努力を通して、なんとか農園らしきものの開拓に成功し、それで何とか明日の希望をつないだのであった。山中、どうしても不足するのが塩分である。同様にフィリピンのルバング島で30年「戦闘」を続けた小野田寛郎氏の場合、海岸や住民の塩田から多少の塩分を入手することができたが、それでも塩は貴重で、「魔法薬」と呼んで珍重している。疲労回復にてきめんな効果があったからである(『たった一人の三十年戦争』)。

 農業の発達、すなわちいわゆる新石器革命以前、人間は文字通りその日暮らしを続けていた。農業の可能性に気づき、数か月という単位で先を見通すようになると、時間と量に関する計算の必要が出てくる。食料に剰余ができると、海の民は肉や毛皮を、山の民は塩や魚を求めて交易が始まる。そのような、人類の何千年かの先史時代に思いを馳せることのできる真のリアリティ番組。

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