2009年11月19日木曜日

「The Variational Principles of Mechanics」

わが青春の一冊。機械工学科の学生であった私が理論物理に転向しようと思ったのはこの本の存在が大きい。内容は、古典物理学の金字塔・解析力学を極値原理の立場から統一的に解説した本。実用的ガイドブックの対極と言える堂々たる内容だ。

教科書としてのこの本の最大の特徴は、その物語性にある。理論物理学は人間の創造と挑戦の歴史である。それは自然への挑戦であったし、時には教会権力などの既成秩序との戦いであった。かつてはアドホックな仮説の集積であった自然哲学が、長い長い創造と挑戦の歴史を経て、どこか合目的に見える極値原理(最大化原理)により統一的に記述される。驚くべきことに、古典力学の究極形態ともいえるハミルトン=ヤコビの理論のすぐ彼岸に、20世紀最大の知的創造物である量子力学が控えていたのである。

この事実は、すべての理論はパラダイムに過ぎず、絶対的正当化は不可能だ、と考える素朴相対主義への強い異議申し立てになると思う。人間には絶対的意味において美の基準を持つ、というのが私の持論だ。人間の感じ方は確かに千差万別であるが、人間が人間という種である以上、その多様さには一定の枠がある。その枠の中に何か絶対的な価値尺度というのはあると思う。その価値尺度ないし美のモチーフのようなものに合致している理論は美しい理論と呼ばれる。パラダイムがパラダイムとして成り立つためには、満たさねばならない絶対的条件というものがある。それは素朴相対主義ではつかみきれぬものだ。

本書のクライマックス、第8章の「THE PARTIAL DIFFERENTIAL EQUATION OF HAMILTON-JACOBI」(ハミルトン=ヤコビの微分方程式)の冒頭は、旧約聖書の出エジプト記から始まる。
Put off thy shoes from off thy feet, far the place whereon thou standest is holy ground. EXODUS III, 5

靴を脱げ。汝の立てるは聖なる地である。

聖なる地。美なる理論、正しき理論のために流された幾多の血を思うと、数百年の歴史の後に現れた力学のこの究極形態は、まさしく聖なる空気に満ち溢れている。「誰が何のために」。この余りに抽象的な理論に触れた学生は戸惑うに違いない。たとえばケプラー問題を解くという観点で言えば、正準変換は必須というわけではなく、むしろ、ルジャンドル変換や作用積分の変分法など、数学的準備が余りに大変で、実用上はデメリットの方が大きいと感じられる。やはりその最大目的は、実用とは別のところにあったと考えざるを得ない。ひとことで言えば、理論的様式美の追求である。様式美に全知全能なる者の姿を投影していたというのがおそらく真実であろう。

著者Lanczosはさらに続ける。

We have done considerable mountain climbing. Now we are in the rarefied atmosphere of theories of excessive beauty and we are nearing a high plateau on which geometry, optics, mechanics, and wave mechanics meet on common ground. Only concentrated thinking, and a considerable amount of re-creation, will reveal the full beauty of our subject in which the last word has not yet been spoken. We start with the integration theory of Jacobi and continue with Hamilton's own investigations in the realm of geometrical optics and mechanics. The combination of these two approaches leads to de Broglie’s and Schroedinger’s great discoveries, and we come to the end of our journey.

我々はこれまで山のかなり高いところまで登ってきた。今や我々は美しい理論がきらめく靄の中におり、幾何学、光学、力学、そして波動力学が一同に会する高みまでもうすぐだ。我々の主題の最後の言葉はまだ語られていない。凝縮された思考と、創造への強い思いだけが、その主題の美の全貌を明らかにしてくれる。我々はヤコビの統一理論から話を始め、幾何光学と力学についてのハミルトン自身の論考に筆を進める。これら二つの手法を組み合わせて、ド・ブロイとシュレーディンガーのあの偉大な理論が導びかれる。それを見届けて、我々の旅は終わる。

これほどの陶酔感を持つ文章を、他の教科書に見出すことはできるだろうか。古典力学の究極理論が、量子力学とほぼ同じ理論形式を持つという事実はほとんど奇跡的と思われる。そして繰り返すが、その奇跡の存在において私は、素朴相対主義には与しないのである。

理論物理学が才能あふれる若者すべてが目指すべき学問でなくなった今、本書の描き出す知的世界を理解できる人間はインテリゲンチャの中でも少なくなってきている。パラダイムやフレームワークは外から与えられるもので、それをいかに早く消化することが有能さの証だ、と真顔で信じる向きも多い。そういう「受験秀才」メンタリティへのアンチテーゼとして、本書は私の中では永遠に輝き続けることだろう。


The Variational Principles of Mechanics (Dover Books on Physics and Chemistry)
  • Cornelius Lanczos (著)
  • ペーパーバック: 418ページ
  • 出版社: Dover Publications; 4版 (1986/3/1)
  • 発売日: 1986/3/1

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