2009年11月15日日曜日

「ゲバルト時代」



元赤軍派の活動家の面白回顧録。今では想像もつかないが、反体制運動が若者の憧れであった時代に生きた若者の、疾風怒濤ハチャメチャ青春記。

古くは樺美智子『人しれず微笑まん』や奥浩平『青春の墓標』、ついで高野悦子『二十歳の原点』あたりの悲愴感極まれりな調子とは真逆に、軽快おちゃらけな調子で話が進む。

現代は、十代の若者の周りにある世界はあまりに磐石不変に見えるので、この著者のようにいったん浪人生活に入ったなら、大学を出る通常ルート以外の世界はほとんど想像すらできないが、著者の青春時代には、アナザー・ワールドを街頭の経験から実感できたのだ。ある意味うらやましい。

キレイゴトに終始する「革命ごっこの親玉」を揶揄する著者のスタンスからの必然として、全共闘世代の若者の生態がいろいろと活写され飽きさせない。

個人的には、その後赤軍関係の事件で有名になる連中のエピソードが面白かった。たとえば数年前に逮捕がテレビ報道された重信房子は若い頃相当な美人で、銀座のホステスをやって活動資金を作っていた由(p.222)。また非業の総括死を遂げる遠山美枝子が総括を求められたきっかけとなった指輪は、革命運動に理解があった母親が、万一のときはお金に換えなさいと持たせてくれたものだったらしい(p.309)。リンチのあと縛られ放置されて、ほとんど死ぬ直前に、「お母さん、美枝子がんばる」とうわ言をいっていたとの話(坂口弘『あさま山荘1972』)と併せると、どうしようもなくやりきれない思いになる。

運動の高揚期から衰退期、そして連合赤軍事件などを経て、著者はついに運動に愛想をつかす。観念だけを肥大化させたかつての幹部たちの、ちっとも反省しない現在の生態に、著者は強烈な批判を加える。
現在の世界情勢、今後の課題としての民族と宗教と国家とグローバル金融資本の間題に、なぜ正面から立ち向かわないのか? 自称エコロジストも百姓も物書きも、相手が物言わぬ地球や無名の読者なら、自分の思い通りになるし(といっても現実には叛逆されるが)、老後の権力欲、プライド、名誉欲、趣味(?)欲を満たすのだろう。特に「革命ごっこの規玉」時代のクサレ肩書きを持ち出してきて、憲法九条を守れという時代錯誤の連中には、呆れはてて物も言えないが。
過去の失敗者が自己変革も思想の進化もできずにいるなら、深く静かに無名の老人として腐肉の塊となり、千の風になって果てるのが、六〇年代から七〇年にかけて若くして亡くなった活動家に対する礼儀であろう。(p.313)

著者は、「革命ごっこの親玉」たちのキレイごとを真に受けるほど素直ではなかった。というよりも、最初から面白さの基準を心に持っていた著者は、それに照らして面白かったので運動(というか騒動)に参加し、街頭で機動隊に制圧された経験から武装闘争の必要を感じて最左翼の赤軍派に関与した。そうして逮捕され身寄りもなくし、しかし自分の責任は自分で取るスタンスを貫き通している。

私の周りではいわゆる団塊世代の評判はすこぶる悪く、頼まれてもご一緒したくはないのだが(なぜあんなにエラそうなのだ?)、こういうオッサンであれば飲みに行っても面白そうだと思った次第。


★★★★☆ ゲバルト時代 SINCE1966-1973 あるヘタレ過激派活動家の青春
  • 中野正夫 (著)
  • ハードカバー: 388ページ
  • 出版社: バジリコ (2008/6/4)
  • 発売日: 2008/6/4

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