2026年7月5日日曜日

日本の住宅のエネルギー効率は先進国最低である

100万人あたりの熱中症死亡率
現在NY地区は記録的な熱波が発生しており、華氏100度近い温度が数日続いています。電力供給が若干不安定になりつつあり、これを機に、日米での一般家庭のエネルギー消費と住宅事情について調べてみました。

日米住宅断熱事情

私がかつて住んでいた東京近郊の家は3つとも、夏は暑く冬は寒く、寒いばかりか窓には結露がひどく、灯油ストーブで暖房すると、天井付近と床で顕著な温度差が感じられ、北海道の高断熱住宅で育った私には、正直とても不愉快でした。結露も温度差も、断熱性能に劣る家の典型的症状です。

夏は夏で、冷房の風が来るところでないと暑いが、かといって冷房の風に当たって寝ると体調を崩す、という調子でどうにも対処のしようがなく、結果、夏は毎年夏バテをしていました。これも、冷房を消した瞬間に室温が上がるという、断熱性能の低さからくる問題だったのだと思っています。

NYの気候は北海道に似ていて、本州で言えば軽井沢とかその程度です。東京近郊の標準的な家がもしあれば、特に冬は悲惨な居住環境だったでしょうが、今の家は相対的にとても快適です。冬はベースボードヒーターと呼ばれる温水暖房が各部屋に完備され、私の家の場合2ゾーンで温度管理できます。窓は二重ガラスの断熱窓が標準で、結露は全然ありません。夏は全館冷房で、ダクトからマイルドな冷風が流れてきます。

ガス・電気代は冬は500ドルくらい、その他の季節は200から400ドルくらいです。日本に住んでいたころはガス・電気料金はおそらく合計2万円くらいだったと思うので、高いと言えば高いのですが、日本の家にありがちなとてつもなく寒い風呂場とか、灼熱の西部屋、みたいなことは全然なく、その快適さは段違いです。アメリカ駐在員のブログあたりには「食事もサービスも全然なってない!日本最高!」などと書かれがちですが、こと住宅環境に関しては、広さとか狭さとかそれ以前に、米国の一般住居の建築基準と、日本の建築品質の多大な格差を体感した次第です。

日本の最新の建築基準の実体

私が体感した格差は実は建築基準を少し調べると明確な事実として明らかになります。2000年代以降、省エネ・エコが全世界的潮流になった後ですら、日本政府は住宅断熱について有効な施策をとっておらず、結果として、欧米先進国に比べて最低の住宅性能に甘んじる国になってしまったのでした。2025年の基準ですら、窓の断熱性能において、中国、韓国、その他欧米先進国に比べて最低の水準であり、たとえばドイツの基準を使えば、北海道以外の場所で建てられている家の多くは基準を満たさぬ違法建築です。少し古いですが、2014年に日本経済新聞に掲載された松尾和也氏の記事 [1] が全体像を把握するのに参考になるでしょう。

[1] 松尾和也, 低い断熱性なぜ放置、世界に遅れる「窓」後進国ニッポン, 日本経済新聞, 2014年11月7日 [link]

もう少し定量的に話をしましょう。住宅の断熱性能は、物理学的には熱伝達率で表現できます。単位は W/m2 K です。住宅エネルギー収支の分野では、熱伝達率、すなわち、単位面積・単位温度差あたりに移動する熱を U値あるいは日本語で熱貫流率 と呼びます。これは住宅の冷暖房におけるエネルギー損失を表現するために国際的に使われる指標です。住宅での熱の流出(冬季)の6割、流入(夏季)の7割は窓から起こりますので [1]、窓のU値が特に重要です。窓を通して出入りする熱は

(1秒当たりに窓から出入りする熱) Q = U × (内外の温度差) × (窓の面積)

と表されます。したがってUが大きいほど素通し度が高く、無駄が大きい、ということになります。どういう事情か知りませんが、日本では、北海道以外の地域ではほとんどの窓がアルミサッシです。問題は、アルミニウムは熱伝導性が木や樹脂素材に比べて1000倍くらい高いため、U値を低くすることが物理学的に不可能だということです。一級建築士の吉田武志氏の記事によれば、先進国の大半が樹脂製ないし木をベースとした素材に移行する中、日本は9割以上がアルミサッシで、これは世界中の国の中で圧倒的な特異点となっています。

2025年の日本の基準では、窓のU値として事実上 4.65 W/(m2 K) が挙げられています [2]。ドイツのU=1.3、米国の U < 2 と比べた時、日本の基準の周回遅れぶりが際立ちます。ドイツではU > 4 の窓は販売すらできません。既存住宅の大半はアルミサッシの単板ガラスで、このU値は6.5くらいだそうです。ドイツの標準的な窓の5倍もの損失があるということです。私が日本にいた時に結露に悩まされたのもうなづけます。上記日経の記事 [1] では、「日本に5700万戸あるといわれる住宅の8割以上は、U値が6.5W/m2・Kというレベルでしかない」と明確に述べています。日本の住宅の大半は、欧米先進国では断熱性能において違法アングラ建築の水準なのです。一時期はテクノロジーで世界経済の覇者となったはずの日本の、極めて恥ずかしい現実がここにあります。

さらに救いがたいことは、この恥ずべき現実を意図的に隠蔽している痕跡すらあることです。日本の2025年の基準では、家全体の、すなわち、窓も屋根も壁もひっくるめた平均熱貫流率(UA値)の0.87 という値のみを指定しています。窓のU値についての単純明快で強制力のある基準は存在しません。上記、窓のU=4.65というのはUA値計算のための既定値として出てくるのですが [2]、これは現行のアルミサッシを温存した時にも達成可能な値です。厳しいドイツの窓の熱貫流率の基準 U=1.3 より一見小さいUA=0.87 という数字を出すことで、日本はエネルギー効率の優等生という虚構を維持したかったのかもしれませんが、窓より壁の断熱性能が高いのは当たり前ですから、上記の通り、熱損失の6-7割が窓から起こることを考えれば、窓、壁、屋根、すべてひっくるめて面積当たりの値を出すという操作は、科学的にも統計学的にも全く意味をなしません。公務員試験を通過した国土交通省住宅局の職員がこれを理解する程度の知能がないとは思えませんから、意図的に日本で主流のアルミサッシの断熱性能の悪さを隠し、関連メーカーの利潤確保を支援する意図があったと疑われても仕方ありません。普通に考えると、国交省関連議員および国交省住宅局幹部と、アルミサッシのメーカーとの間に、何らかの癒着が疑われます。

[2] 平間昭光, "建築物の開口部(窓)に求められる断熱性能(基準の解説)," ウッディエイジ, 01/2024 [link].

劣悪な住宅で死んでゆく日本人

いやいや、『徒然草』の、「家のつくりやうは、夏をむねとすべし」、の言葉の通り、高断熱気密住宅は日本の文化にそぐわない、風通しの良い家で暑さ寒さををやり過ごすすべを知っている日本文化をむしろ誇るべきだ、という意見もあるでしょう。しかしデータは残酷です。主に劣悪な住居環境に由来すると思われる heat stroke(熱中症) による人口100万人当たりの死者数は、世界のあらゆる国の中で突出して悪い、という動かしがたい事実が The Lancet という権威ある医学学術誌で報告されています [3]。冒頭の棒グラフは同論文から持ってきたものです。

[3] Tobias A, Honda Y, Madaniyazi L et al. "Variation in reporting of heatstroke mortality: evidence from a multi-country study," The Lancet Public Health, 11, e156-e163, 2026.

日本においてはエアコンの世帯普及率は9割を超えます。なのに熱中症で世界で最も人が死ぬ。昼間にエアコンで暑さをしのいでも、消すと瞬く間に冷気が逃げる劣悪な住宅が日本人を苦しめています。真夏でも夜間では気温は下がります。その冷気を保持できない劣悪な断熱性能が人を殺しています。日本の住居環境は、省エネの国際的潮流の中で国際社会の足を引っ張っているばかりか、自国民の健康を危険にさらしていると言えます。

日本のエネルギー効率についての神話

日本のマスメディアでは、「日本はエネルギー効率優等生、すでに効率が究極まで上げられているので、他国並みに温室効果ガスの削減をコミットするのは不公平だ」、などとの意見が頻繁に流布されます。実際、家庭部門でのエネルギー消費を世帯数で割った世帯あたりのエネルギー消費量では、米国はおよそ3倍です。しかしこれは日本の住宅が3倍高効率であることを意味しません。むしろ逆です。少し考えてみるだけで、劣悪な住宅環境が日本製冷暖房機器の優秀な効率を打ち消して余りあるという実態がわかります。

アメリカでは、家が大きくかつセントラル冷暖房が一般的なため、冒頭に述べた快適さと引き換えに、1世帯当たり、日本に比べてざっくり5倍くらいの空間・時間の空調を行う必要があります。さらに、アメリカでは寒冷地に人口が多いため、冬季の暖房の需要が平均的にいって日本の2倍くらいです。これらはもしも同一機器で同じような使い方をしていれば、日米の住宅のエネルギー消費は1対10くらいになるはず、ということです。日本の空調機器のエネルギー性能は優秀で、これを大雑把に2倍のエネルギー効率とすれば、本来あるべき日米の住宅でのエネルギー消費量の比は、1対20くらいに開きます。

ではなぜデータ上は、日米1対20じゃなくて、たったの1対3にしかならないのか。差の17はどこに行ったのか。主たる要因の一つは断熱性能が劣悪な住宅によるエネルギーの損失で、残りは、快適性を犠牲にした運用、すなわち、日本人お得意の我慢で何とかしているということです。その結果、圧倒的に人が死んでいると。

変わらない日本: システムの失敗を個人で糊塗する悲劇

まとめましょう。日本の家庭部門がエネルギー優等生というのは虚構です。1世帯当たり日本が米国の1/3のエネルギーしか使わないのは、単に、国民の大多数が温暖な地域に住んでいるため暖房の必要が少なく、かつ、家が狭くて局所的な冷暖房しかしないからです。寒い部屋、暑い部屋が家の中にあっても、それを根性で我慢しているというだけです。根性だけなら美徳ですが、問題は、世界最高レベルの効率を持つ冷暖房機器のエネルギーを、劣悪な断熱性能を持つ家が浪費していることです。これは世界的な省エネルギーの潮流への反逆だとすらいえます。

客観的なデータは、日本の住宅の断熱性能が先進国最低であることを疑問の余地なく示しています。数パーセントどうこうという話ではなくて、もう何倍というオーダーで、絶望的に悪い。にもかかわらず、日本では、2026年の今に至るまで、住宅のエネルギー損失の最大要因である窓についての基準すらありません。これほど省エネが叫ばれている中で、漫然とこれを放置している日本政府、特に1999年以降の歴代の国交省大臣と、国土交通省住宅局幹部は、Lancet論文が示す通り毎年数千名の国民の命を不必要に奪っているという点において、文字通り犯罪的であると言わざるを得ないでしょう。「国民の住生活および建築物の質の向上、安全で快適な生活環境の確保を担います」などと書く彼らの一人一人に、自分たちの仕事に本当に誇りが持てるのか一度聞いてみたいです。

今起こっていることは、国家レベルの政策の失敗を、個人の根性で糊塗しているということです。東京の夏のオフィスの暑さは異常です。政策レベルの失敗を、個々人の我慢で埋め合わせるという構造は、戦略の失敗を末端の兵士の根性で埋め合わせていた先の戦争の時の状況とそっくりです。悲しいことに、日本人はそれから何も学んでいないということです。

2026年3月4日水曜日

ANOVAと統計学者の憂鬱

 


少し前から半導体製造における機械学習の応用について考えています。半導体製造では、品質のばらつきを極限まで抑えることが大切です。ある指標においてブレが観測された場合、それがどこに起因するか。それを調べる問題を英語で attribution といいます。意訳すると、「責任度計算問題」とでもなるでしょうか。

先進的な半導体装置の中にはそういう解析機能を組み込んだものがあります。ある企業の装置のその手の機能を調べていたのですが、どうやら裏で動いているのがANOVA (analysis of variance)という統計学の手法らしい。ANOVAについては昔から知っていましたが、実応用ではそもそもF分布に基づく漸近的な近似が成り立つことはまずないし、だとするとANOVAには偏差-分散分解程度の意味しかなく、特にそれ以上の使い道がないのでまともに考えたことがありませんでした。

今回、その装置のANOVA解析の出力を正確に理解する必要があり、いろいろ調べていたのですが、改めて統計学という学問の病理を知り、切ない気持ちになりました。統計的機械学習の観点では、ANOVAは制約付きの混合ガウスモデルのあてはめに帰着することができます。そのように理論を見直すと、古典的ANOVAの、実務者から見た時の危険性がよくわかります。いろいろ問題はあるのですが、一番大きいのは次の2つでしょうか。

  • ガウス分布の前提では、ばらつきの起源は、カテゴリごとの平均の違いと、分散の違いという2つがあり得るが、ANOVAでは、暗黙のうちに、分散の違いを無視して、平均の違いだけに着目している。
  • たとえば 2-way ANOVAにおける2乗和分解公式は、二つのカテゴリカル変数の統計的独立性を暗に仮定している。

仮定を設けた上で理論を構築するのはまったく普通のことですが、頻度派の論法の問題は、実世界のデータ解析をする人の痛みとは全く無関係に天下り的に統計量を持ち出し、上記のような理論的な仮定に明示的に言及することなく、あたかもそれが普遍的な解析手段であるかのように見せかけることです。そういう病理は、ANOVAまで行かずとも、たとえば、以前『二つの分散:不偏推定量と最尤推定量のどちらを使うべきか』というエッセイにも書いた通り、平均値という単純素朴な概念にすら現れます。

以前より薄々感じていた頻度派統計学への疑念は、数年前に、統計学の大御所 Bradley Efron とTrevor Hastie の大著 "Computer Age Statistical Inference" を諸事情により翻訳して出版した時に、私の心の中で確定してしまいました。これはひどい本でした。監訳者まえがきに、次のように書きました。

機械学習の研究者の多くにとって、統計学者との付き合いは、その研究内容の著しい近接性にもかかわらず、時に緊張を強いるものである。少なくとも私にとってはそうであった。機械学習的方法論に統計学者たちがしばしば寄せる冷淡な態度や、主流派とおぼしき統計学者のベイズ理論への非妥協的な仕方での非難は、私にとって大きな謎の1つであった。

本書は、私のような疑問を持っていた機械学習の研究者にとって、極めて興味深い読み物になるだろう。21世紀の爆発的な機械学習の発展を前に、統計学者たちが何を得、そして何を失ったと考えているのか。なぜ彼らは、機械学習研究者から見て、気まぐれで無慈悲な王女様のように見えるのか。これらの答えの一端は、冒頭から3章くらいまでと、「むすび」にざっと目を通すだけで、何となく見えてくるであろう。

本書は、現代の統計学界の最高の巨人の一人であるエフロン教授の、言外のニュアンスをたっぷり含んだ気ままなエッセイという性質を持つがゆえ、翻訳プロジェクトは多大な困難を伴うものであった。計画は遅延を重ね、いくつかの章は監訳者自身が訳し直す羽目になり、いくつかの章では一部の訳者が監訳者としてほぼ再翻訳にも等しい作業を行わざるを得なかった。最低限の製品品質は達成できていると信じるが、正直、最後には力尽きた。読者からの批判を待ちたい。

統計学では、過去、ほとんど1世紀に渡り、頻度派とベイズ派の勢力争いが続いてきました。私のような部外者からすれば、論理的な決着はついていて、もはや論点すら存在しないように見えますが、業界内では宗派論争の色彩を帯びているようです。以前、アメリカの有名な頻度派の教授の研究室出身の若い統計学者と雑談していて、彼が、ガウス過程はベイズじゃない、すべて頻度派理論で議論できる、などと強弁するのを聞いたとき、この対立はもうちょっとやそっとでは解消できないな、と思ったものでした。

ANOVAは、頻度派の思考過程の病理を示すとてもよい題材になってしまっています。

最近、物理学者や化学者が機械学習の手法を使って面白い発見を次々に報告しています。そこで使われるのは圧倒的に広義のベイズ派に属する機械学習の手法です。それもそのはず、ベイズ統計学の生成モデリング (generative modeling) という見方は、物理学者が世界を見る見方ととても相性が良いからです。天下りの統計量をありがたがるのは、実社会と乖離した狭い研究コミュニティの中だけ、というのは言い過ぎでしょうか。

理論的整合性の観点でも、実世界モデリングのための利便性という観点でも、歴史的評価という意味でもほぼ決着はついているようにも見えてしまうのですが、苦しい自己防衛を続ける頻度派統計学者の皆さんは、これからどこに行くのでしょうか。