戦場カメラマンという職業は今の日本ではいまひとつピンと来ないが、1970年前後、敗戦のネガティブな記憶が色濃く残る日本では、おそらく最高にカッコいい職業であったのだろう。一ノ瀬は、言ってみれば殉教者として、死後若者たちの英雄となる。ロバート・キャパ賞(Robert Capa Gold Medal)を追贈された沢田教一のような国際的大物と違い実績十分とは言いがたいにもかかわらず、いまだにこのように、新進気鋭の俳優の主演で演じられるほど伝説化しているのは、同名の書籍が彼の純粋な思いを色褪せぬ言葉と映像で世に伝え続けているためであろうか(私は書籍は読んでいない)。
一ノ瀬は、愛情ある知的な両親に育てられた。彼の死後、母上を中心に、遺稿の出版が幾度かなされた。母上のインタビュー記事を見ると、一ノ瀬が、ただの功名心に駆られただけの男とはどうやら一線を画していることがわかる。
大学時代はボクサーを撮ったりしてましたけど、『実際やらないとわからない、撮れない』と自分でもジムに通って練習して、試合にも出ていました。外からじゃなく、いつも被写体の中に入りこんで写真を撮っていました。戦地でも、まず現地の人々と心が通うこと。常にそこから撮っていたようです。(一ノ瀬信子さんインタビュー記事より)彼は反戦運動の政治的スローガンに踊って戦地に行ったのではなく、彼の中では、戦地のカンボジアに向かうことは何らかの内的必然性があったに違いない。ボクシングを撮るために自らボクサーになろうとしたように、人間の何かの真実が戦地にあると信じ、それを掴み取るために現地に飛んだに違いない。そういう芸術家の内的衝動を描くのに、映画というメディアはほぼ理想的だと私は思った。
しかし残念ながら、この映画には、浅野忠信という俳優を安く消費した映画、といった程度の感想しかない。一ノ瀬があの恐怖のクメール・ルージュ支配下のアンコールワットを目指した内的衝動は何一つわからないし、カンボジア人の「親友」との交流の描き方も表層的で、心に迫るものがない。現地の子供の人気者だった、しかし子供が内戦の巻き添えで死ぬ、あるいは地雷を踏んで死ぬ、悲惨だ、悲しい、というようなお手軽ストーリー。現地の美人ウェイトレスとの公式どおりの恋のシーン。視界が狭い画像。荒れた絵。浅野忠信のいかにも素人っぽいカメラ扱い。映画として楽しめる要素がほとんど何もなく、近年見た中で有数の退屈作といわざるを得ない。
一ノ瀬泰造は、この映画ほど退屈な男ではないと信じたい。
地雷を踏んだらサヨウナラ [DVD]
- 出演: 浅野忠信, 川津祐介, 羽田美智子
- 監督: 五十嵐匠
- 形式: Color, DTS Stereo, Widescreen
- 言語 英語, 日本語, ベトナム語
- 字幕: 日本語
- リージョンコード: リージョン2
- 画面サイズ: 1.78:1
- ディスク枚数: 1
- 販売元: アミューズ・ビデオ
- DVD発売日: 2006/06/23
- 時間: 111 分
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