事実自体は極めて文学的である。
操作ミスを惹起した潜水艇の設計を恥じ、黙して自裁した元海軍造船官。その責任の取り方の潔さは、事件についての述べられたすべての言葉の軽さを裏から照射し、結果として嘲笑しうるほどの重みを持つ。私は著者に、この極めてドラマティックな事件を文字にするにあたり感ぜずにはいられぬはずの逡巡を期待した。
この作品は、著者自身の分身である主人公たちが事件の謎解きをしてゆくという、小説的なスタイルを取っている。しかしそれがゆえに、どこまでが著者が調べた事実で、どこからが創作なのかが読者にはわからない。創作交じりのこの作品で、プライバシーを暴かれ、あるいは悪し様に言われた人たちを気持ちを思うと、なぜ著者と編集者がこのような形式を選択したのか私にはわからない。
はっきりと私は不愉快であった。偽主人公たちの言葉は、この厳粛なる死者に対峙するにはあまりにも白々しく、それがいわゆる「文学的」に整っているがゆえになおさら、人間としての軽さから来る著者の限界を思わせた。むしろ、大学生のレポート程度の稚拙な文章でもいい、真剣に事実と格闘して欲しかった。
この事件に興味を持つ人なら誰でも怒りを感じ、興味のない人なら小説として退屈すぎるであろう駄作。
(★☆☆☆☆ 飯尾憲士、静かな自裁、文芸春秋、1990)
0 件のコメント:
コメントを投稿