本書の多くの部分は、恋人のキタローこと渡辺正則についての思いに費やされている。政治の季節の党派の言葉で彩られているけれども、基本的にそれは誠実に生きたいと願う若い男女の、切ないやり取りの記録である。
しかし1970年末に彼女が属していた党派が起こした大事件が、彼女の日記の筆致を一変させる。上赤塚交番襲撃事件である。この事件で、彼女もよく知る同志であった柴野は射殺され、恋人・渡辺も重傷を負い獄につながれる。それまで観念的世界の産物であった暴力や死が、強いリアリティをもって彼女の想念の世界を支配するようになる。
その恐怖と葛藤、そして恋人を失った不安定さのうちに、地下潜行中の彼女は、あれほど焦がれていた恋人を、俗な言い方をすれば、裏切る。71年2月27日の文章はそれを暗示する。
しかし彼女は、どういうわけかこの「彼」ことニヒルな文学青年に惹かれてゆく。彼をめぐる彼女の感情の正負の位相の反転はきわめて激しい。
「哀しみが覆いかぶさり、耐え難い空洞をもち、彼は我の内に響いては来ず、ある時は怒りを嫌悪を生起させさえした。」(p.166)
一旦は転向して起訴猶予を得たこと。英雄的に闘った同志を裏切り、文学青年との情事におぼれていること。そして、身近に感じた暴力の恐怖。これらの混沌の中で、彼女が自己浄化・自己破壊の衝動に駆られたとしても不思議はない。
「私は何を好んで、いや何に魅かれて、彼の門を叩いたのか。彼のあの反吐をはきたくなるような内面の志向、かたくなな蝸牛の城。」(p.182)
「彼の中にある、いわば崩壊の兆しを私自身が自らの内にも予感するからか。」(p.182)
「最も嫌悪したい。実にいやらしい、不健康さを装っているが故に不健康な彼一切を嫌悪する。」(p.184)
「狂気した情念の、そのあまりの虚しさに、水をたたえてはおかぬ広漠たる砂地のように枯渇した吐息がもれる。」(p.185)
「こんなにも内部にその位置を占められていて、こんなにもいちいちのことに生身を傷つけられて...。」(p.186)
「そう、何を隠そう、彼を私のものとしたいのだ。無縁であることを拒否したいのだ!」(p.188)
おそらく、彼女が山岳ベースに行かなかったとしても、彼女の先には黒く大きな穴が待ち受けていたに違いない。それをうやむやにやり過ごすにはあまりに彼女は若かった。
実際、日記が途絶えた後の彼女の先にあったのは地獄であった。かのニヒルな文学青年・向山茂徳は、権力との内通の嫌疑から、組織により処刑が決定される。坂口弘の手記によれば、その決定に最も大きな役割を果たしたのは大槻節子である。「向山を殺るべきだ」。彼女は永田洋子にそう言ったという(あさま山荘1972(上)、p.328)。
その自己浄化の衝動の先に、山岳ベースでの彼女の総括死があったのである。私はそこに、どこか必然の物語を見た。
★★★★☆ 優しさをください―連合赤軍女性兵士の日記
- 大槻節子
- 彩流社(新装版)
- 1998
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