2014年8月31日日曜日

「ブラックジャックによろしく」

大学病院での研修医の葛藤の日々を描いた漫画。著者の佐藤秀峰氏はなかなかこだわりのある人のようで、本書はKindleで全巻無料で読める。第6回文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞という賞をもらったらしい。

この漫画の主人公は、「白い巨塔」の里見のような男で、病院の社会的使命のようなものとは無関係に、「患者ひとりひとりに向き合う」ことを志向する。こだわりの男だ。末期癌の患者に対して、大学側に緩和ケアを持ち出すところなどはフジテレビ版白い巨塔と完全に同じだ。

緩和ケアという発想自体はよい。問題は、それを大学病院で行うことが、社会全体の利益を最大にする選択かどうかということである。これはまさにトリアージの問題である。そもそも、「ひとりひとりに向き合う」などと言ってみたとしても、実質的には、無数の患者に順番をつけ、最初の「ひとり」を選んでいることと変わりない。選ばれなかった者からすれば、そこに合理的な理由は何もない。つまりそれは、自分が関係を結んだ患者だけを救うと言っているのと同じであり、親族に富を山分けする田舎の政治家と変わらない。自分が関わった患者だけしか救えないのだとしたら、確実に助かる患者を助ける、というのが当然の発想であり、その努力を放擲してひたすら独白にふける主人公は社会的には役立たずと言われても仕方ない。そのような自己満足を肯定的に描く著者のセンスはまったく救いがたい。

百歩譲って、そういう志向も多様な人物像の描写として認めるとしても、最後の精神医療の話には言い訳の余地はない。著者はおそらく、アルコール中毒を装い精神病院に潜入、その実態を描いて有名になった大熊一夫のルポまたはその要約を読み、その設定を借用したのだろう。その時代、1970年の頃の話だが、精神医療に多くの課題があったことは事実だ。ルポが描く精神病院は暗黒の牢獄の如しで、それが一面の真実であったことは確かである。

しかしこのルポが出た当時と今では精神病の治療技術はまったく変わっている。いまや急性症状の多くは薬物治療で抑えることが可能であり、一部の人格障害等を除けば、精神病の多くは制御可能なものである。脳内伝達物質の研究が劇的に進展したからである。本書で患者の人権蹂躙の象徴のように描かれている電気痙攣療法さえ、いまや薬物治療が効かない場合の良心的かつ適切な治療として確立している。

何より問題なのは、精神障害者の犯罪について、まったくでたらめな、被「差別」者を扇動するためのプロパガンダによく使われる論法をそのまま使っていることだ。精神病患者は健常者よりはるかに犯罪性向が低い、と作中の新聞記者に言わせるくだりがそれである。以前書いた文章から引用する。
一般的に、統合失調症(精神分裂病)の発症率は、国によらずほぼ一定で、1%程度であるとされている(出典)。そうして、刑法犯総数のうち精神分裂病患者の数は0.1%程度である(p.127)。これによれば、精神病患者は健常者よりはるかに犯罪性向が低い、と言える。これは今なお、精神障害者への「偏見」を戒めるロジックとして使われる。「しかし、殺人や放火などの重大な犯罪では一般よりも高くなる」(同)。本書によれば、やや古いデータであるが、1979から1981の3年間の殺人事件5113件のうち、333件が精神障害者によるものとされている。率にして6.5%である。放火の場合はもっと高い割合となることが知られているから、精神障害者が殺人や放火などの重大犯罪を犯す確率は健常者の10倍程度である、という結論が導かれる。

これも以前書いたことだが、精神病患者の大多数は善良な人々であるが、こと「急性期」の患者には、その症状がゆえの触法行為を犯さぬよう強い助けが必要である。そこには警察による強制力が必要な場合もあるし、閉鎖病棟が必要な場合もある。病棟を解放することが患者の「人権」を守るための最善の手段であるかのように描く著者の理解は、ほとんど半世紀前の反体制活動家のそれと変わらない。精神障害者が殺人や放火などの重大犯罪を犯す確率は健常者の10倍程度、という事実をまず受け止めて、その上で双方が最大限幸福になる方法を取るのが為政者の役目である。

この本は、まともな出版社から出され、まともだとの評判を得ている本の中では、私の知る限り最悪の本である。取材の不足は目を覆うばかりであり、描かれる人物像の貧困は耐えがたい。この本を読んで肯定的に感動している人がいたら、自分の知的水準を疑ったほうがいい。


ブラックジャックによろしく 1~13 [Kindle版]
  • 佐藤 秀峰 (著)
  • フォーマット: Kindle版....
  • 販売: Amazon Services International, Inc..
  • 言語: 日本語

2014年8月1日金曜日

蛇腹つき延長シャワーヘッド(Waterpik NML-603(S) Linea 6-Mode Showerhead)


米国のホテルに滞在したことのある人は、風呂の使いにくさに頭を抱えたことだろう。圧力バランス弁(pressure balanced valve)というらしいが、最初に水が出て、反時計回りに回しきると熱いお湯が出てくるタイプのシャワー用ハンドル(下写真: American Standard社のWebサイトより)がほぼ全てのホテルで標準である。湯と水のハンドルが分離されてない。これはいくつかの点で日本人には非常に抵抗がある。

おそらく、違和感の根本は、湯を「いきなり」身体に当てるという点にあるのだと思う。シャワーヘッドは高い位置に固定されているので、蛇口から出るお湯をシャワーに切り替えた瞬間、頭上から水が降ってくる。日本式のホースの付いたシャワーであれば、普通の人はまずは手でお湯を受け、温度を確かめてから腕や脚などにお湯をかけつつ、胴体にお湯をかける。頭にいきなりお湯を当てる、というのは、真夏の行水でもなければ、日本人の入浴文化にはなじみが薄い気がする。

この圧力バランス弁というやつの使用感も不思議だ。日本人的な感覚では、ハンドルを回すと水量が増えるイメージがあるのだが、これはPressure-balancedの言葉通り、ほぼ水量が変わらない。これはどうやら、アメリカのボイラー文化の歴史的経緯によるらしい。Wikipediaによれば、アメリカにおいては、いくつかの地域で、この湯水一体式の蛇口が、Building Codeなる法律で義務付けられているらしい。これはおそらく、エレクトロニクス時代の以前、ボイラーの温度調節が簡単でなかった時代の遺物だと思われる。アメリカの不動産屋に聞いたところでは、アメリカのセントラルヒーティングの歴史はほとんど100年にもなる。100年前に、熱湯による火傷から人々を救うための最新のテクノロジーだったのだろう。

日本の場合、水と湯が分離した2つのハンドルが備えられていて、当然だが、湯の蛇口からは熱湯が出る。水と湯を混ぜることで好みの温度にする。熱湯が出る可能性があるのは確かに危険なのだが、シャワーヘッドは固定されているわけではないので、当然、シャワーヘッドを手で持ち、自分で安全を確認してシャワーを使うことが想定されている。つまり、システム上は最適化されていないのだが、各人がマニュアルで最適化するわけである。

対してアメリカでは、人間による最適化が基本想定されておらず、水から始まり湯にいたる特殊な弁が使われている。Wikipediaによれば、よそで水を使っていて水道管内の圧力が変化した場合でも湯温が変わらないようにするためらしい。つまりアメリカでは、どんながさつな人間でも火傷をすることがないように、システム側で最適化しているわけである。このあたりは、日米の設計思想の違いを明示していて興味深い。

さて、固定シャワーヘッドから降ってくる水による「いきなり」感を減らすだけなら簡単である。ホースつきのシャワーヘッドに換装すればいいだけである。アメリカのホームセンターでも、Handheld shower head(手持ち式のシャワーヘッド)が豊富に扱われていることからすれば、徐々に普及しているのかもしれない。

ただ問題は、一般にシャワーヘッドの取り付け位置が高すぎて、背丈の小さい人や子供には使いにくいということだ。片手でシャワーを持っている時はいいのだが、両手を自由にして湯を浴びたい時は、はるか上空からお湯が落ちてくる感じになる。それに、代替のシャワーヘッドのほとんどはプラスチック製の安物で、簡単に水漏れを起こしたりする。小さな子供がいる場合、ホースを引っ張ったりぶら下がったりしがちであり、この観点からも耐久性に問題が生じる。さらに、実際のところ、ホームセンターで売っている程度の20ドルくらいのシャワーヘッドだと、ホースの材質が固すぎて、シャワーヘッドの方向が自由に変えられないということが起きる。

この新たな課題を何とかする方法を考えていたのだが、冒頭の写真のWaterpikという会社の、蛇腹つきシャワーヘッドはよい感じだ。50センチ近い長さの金属製の蛇腹がついているので、自由に方向を変えて固定できる。「冷たい水がお湯に変わるまで待っている」間は、単に、水を壁の方向に向けておけばいい。腰の部分にお湯を当てる、などの制御も簡単だ。その上、ホースがないので水漏れの余地も少ないし、見栄えもよい。小学生が使うには位置がやや高すぎるが、それでも風呂椅子等を使えば、たいていは手が届くはずだ。

これを使っていて、違和感の由来がもうひとつあったことに気づいた。高い位置から降ってくるシャワーだと、どうも湯が散る感じがして、水量に対しての満足度のようなものが低かった。シャワーヘッドの位置を身体に近づけることで、この違和感もなくなった。米国製シャワーの簡素な構造による利点を生かしつつ、使い手の側での最適化に可能になった。小さな例ではあるがこういうことはいろいろ他にもあるに違いない。


Waterpik NML-603(S) Linea 6-Mode Showerhead with OptiFLOW, Chrome
  • Part Number NML-603 .
  • Item Weight 1 pounds 
  • Product Dimensions 18 x 3.8 x 7.8 inches 
  • Item model number NML-603(S) 
  • Color Chrome Item Package Quantity 1 
  • Flow Rate 2.5 GPM Water Consumption 2.5 GPM ..
  • Certification No..

2014年7月14日月曜日

サムソナイトの角型折り畳み傘


サムソナイト製の小型折りたたみ傘。長い間、カバン用に常備できる折り畳み傘を探していた。東京で使っていたTumiのバックパックにも時折普通の折り畳み傘を差していたが、頭がはみ出すその様子はいかにもダサく、なんとかできないものかと常々思っていた。軽く、小さく、強く。全ての条件を満たすこの傘は、米国のamazonでわずか16ドル(2014年4月現在)。サムソナイトのロゴも美しく、最近買った製品で最も満足度の高いものの部類に入る。

この傘の特徴は、なんと言っても扁平な形になることである。折りたたむと長さ20センチ強、幅6センチ、厚さ2センチくらいの羊羹のような形になる。厚さ2センチであれば、いかなるビジネスバックでも余裕であろう。しかも重さはわずか4オンス、100グラムちょっとしかない。PCのACアダプタの1/3くらいだろう。

しかもうれしいことに、ビジネスマン御用達のTumi Alphaシリーズにはこれに完璧にフィットするナイロン製ポケットがある(少なくとも私の持っている26141の場合)。この傘が入るために作られたと思うくらいだ。ポケットの頭からわずかにSamsoniteのロゴがのぞく。この傘を自分のAlphaに納めた時の満足感は、個人的には非常に高かった。

なぜこのような羊羹型の折り畳み傘がこれまで一般的でなかったのだろうか。おそらく探せば日本にもあるのだと思うのだが、少なくとも私は出会うことができなかった。構造に特殊なところは何もない。単に骨が、いわば楕円対称になるように角度をつけてつけられているというただそれだけである。開けば円になる。しかし開けば円であるものが、閉じた時に円筒形である必要はない。鞄の形が直方体であれば、その形からいわば逆算して傘をデザインするという行き方も、考えてみればあると思う。その柔軟な発想といい、質感といい、さらに価格といい、さすがと思わされた。全てのビジネスマンに勧められる逸品。


Samsonite Manual Flat Compact, Black, One Size
  • ASIN: B00BPEEFUG
  • Product Dimensions: 8.6 x 2.4 x 0.8 inches; 4 ounces
  • Shipping Weight: 4 ounces (View shipping rates and policies)
  • Shipping: This item is also available for shipping to select countries outside the U.S.
  • Item model number: 51697 .


2014年6月30日月曜日

「不格好経営 ― チームDeNAの挑戦」

DeNAの創業者南場智子氏の半生記。創業から社長交代までの波乱万丈の記録。面白い。内容も面白いが文章もいい。プラスもマイナスも、全ての出来事を陽性の物語に変えてしまう筆力は並みではない。

DeNAは日本発のインターネットオークションサイトを目指して設立された会社である。南場氏は、マッキンゼー前職時代のコネクションを生かしてソニーとリクルートから出資の約束を取り付ける。その時点で半ば勝ったようなものである。アメリカではすでにeBayが大々的にビジネスをしており、日本は明らかな空白地帯であった。しかし1999年といえばまだ日本ではGoogleさえほとんど知られていない時代だ。ただでさえ暗闇の混沌にも等しいインターネットの世界に、オークションというある意味あやしい仕組みを作るのは、確かに賭けであったろう。

そうして生まれたのが、結局ヤフーに先を越されたが、ビッダーズというオークションのサイトである。ビッダーズがDeNAのサイトであったというのはこの本を読んで初めて知った。確かに、ヤフーオークションが2002年にオークション利用料の値上げを発表した時、ヤフーの会員であった私はビッダーズのオークションに入会してみた。結局、品数のショボさは否めず、ヤフーに戻ることになった。DeNAはオークションにおいてヤフーとの戦いに敗れたのだが、その後、eコマースサイトで黒字化に成功、その後、モバイルゲームの世界でひと山当てたというわけである。

私が大学院を出て民間企業に就職したのは2000年のことだ。会社の中でそれなりに激しい動きを体験してはいたのだが、私にはDeNAのようなベンチャーに自分の未来を賭けるだけの先見の明はなかった。私が見ていた世界はものすごく限られていた。社会がこの先どうなるという確信もなかった。要するに世間知らずだった。草創期のこの会社に、自分から売り込みに行った若者たちの情熱とセンスには、素直に脱帽である。

これまで私は、女性実業家、みたいな人の成功物語にはあまり興味がなかった。たいてい、それ自体に宣伝臭さを感じてしまうからだ。しかしこの本はおそらく違う。ひとつの踏み絵のようなものだが、次のような記述がある。
女性として苦労したことは何ですか、どうやって乗り越えましたかと尋ねられるといつも困ってしまう。(中略)。職場において、自分が女性であることはあまり意識したことがないし、女性として苦労したこともまったくない。しかし、得をすることはよくあった。(中略)。今はどうか知らないが、その時代は若い女性が経営の話をするだけで珍しがられ、耳を傾けてもらえた。最後はむき出しの内容勝負だが、聞いてもらえるところまでは確実にたどり着ける。(第7章 「女性として働くこと」)

これは私の実感にも合う。政治的寝技が物を言う規制業種(新聞、テレビ、銀行、土木建築、公務員、など)とは違い、市場においてある意味フェアに評価される業界においては、使えるやつが使えるのであり、結局はそれだけである。

本書第2章「生い立ち」は、厳格な家庭に育ち、父からの自立を経て、米国留学、マッキンゼー就職、ハーバードでのMBA取得、までの半生記である。実績から見ても文章からみても才能あふれるこの著者にすら、ゼロからイチを作り出すために苦悶した時代があったという事実は、若者には重要なメッセージとなろう。グリーに対する独占禁止法違反事件、本書末尾に書かれた人材引抜きをめぐるある背信。いろいろときわどいこともあったのだろう。しかしそれを含めた会社の歴史を、前向きな物語として読者と共有できる筆力はすばらしい。オークションといういわば二番煎じのビジネスモデルから始めたDeNAだが、モバゲーの時代になるころには世界を先導する意志を手にしていた。力強く前向きなトーンにあふれる最後の8章は、閉塞状況にある日本では久々に見る明るいニュースとさえ言える。ぜひがんばってほしい


不格好経営 ― チームDeNAの挑戦
  • 南場 智子 (著)
  • フォーマット: Kindle版
  • ファイルサイズ: 2318 KB
  • 紙の本の長さ: 163 ページ
  • 出版社: 日本経済新聞出版社 (2013/8/2)
  • 販売: Amazon Services International, Inc.
  • 言語: 日本語.

2014年6月14日土曜日

「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」

ライブドア事件の刑期を満了し、自由になった堀江貴文氏が自分を振り返る自叙伝。前半の3章までは、九州の田舎の冴えないサラリーマン家庭から東大に合格し、東大で起業するまでの半生記。後半が「なぜ働くのか」というテーマへの彼なりの答えになっている。


刑期満了後、堀江氏はひとつ考え方を大きく変えた。収監前、田原総一郎氏から、ネクタイして老人にゴマをすっておけばうまく行ったのに、そしてそれはわかり切っていたことなのに、なぜあえてそれをやらなかったのかと聞かれる。それを振り返り、彼はこう書く。
これまで僕は、自分ひとりで突っ張ってきた。裸の王様を指さして、世の中の不合理を指さして、ひとり「なんでみんなネクタイなんかしているの?!」と大声で笑ってきた。それでみんな気づいてくれると思っていた。でもそんな態度じゃダメなのだ。世の中の空気を変えてゆくには、より多くの人たちに呼びかけ、理解を求めてゆく必要がある。(第4章 僕は世の中の「空気」を変えていきたい)

アマゾンのサイトにある動画からも想像できる通り、本書は堀江氏の体験が反映されてはいるが、文章自体はチームで作り上げたようだ。その成果として、読者から反感を買いそうな箇所は注意深く取り除かれている。堀江氏の考え方は昔から何も変わっていないのだが、いわば広報戦略を変更したわけである。

自分の離婚のエピソードに関して、彼はこう書く。
決断とは「何かを選び、他の何かを捨てる」ことだ。(第4章 孤独と向き合う強さを持とう)
一方で、彼はこうも言っている。
何事に対しても「できる!」という前提に立って、「できる理由」を考えていく。そうすると、目の前にたくさんの「やりたいこと」が出てくるようになる。(中略)。 僕からのアドバイスはひとつ、「全部やれ!」だ。ストイックにひとつの道を極める必要なんてない。(第3章 やりたいことは全部やれ!)
これらに一貫性があるかと問われれば微妙である。投資対効果を考えるというビジネスの基本すら欠落している。こういう不整合は、本書に象徴的なのだと思う。おそらく過去の彼であれば、こういうことはしなかっただろう。しかし彼が書くように、それではダメなのだ。矛盾と逡巡から自由ではない自分をある意味さらけ出し、意見が同じ人も違う人も、あらゆる人をいわば抱きしめてあげる態度が必要だったのだと思う。すでに時代に合わなくなっている社会システムを変革し、面白くて豊かな社会を作ってゆこうという方向性には、同世代の者として大いに共感を覚える。しかしなぜそれが多くの人の理解されるところにならなかったのかを考えるのは、彼にとっても、我々にとってもとても意味のあることだ。

彼の言う「ゼロ」を理解するために、我々はゼロ歳の自分についてちょっとだけ考えてみるといいかもしれない。堀江氏は、九州の田舎にいる時、自分はゼロであったと感じていた。これまでの人生は、そのゼロである自分をイチに引き上げてゆく過程であったと彼は言う。未来へ向けて自分を投げかけて新しい価値を作るためには、自分のゼロを認識しなければならない。これは実は簡単なことではない。堀江氏が「あなたは本当に『自立』できているか」(第4章)と問いかけるのはそのためである。子育てをしてみて私も驚いたのだが、実際のところ過半数の大人は実は自立していない。たとえば子供の世話も、住む所も、何らかの意味で親から独立ではない。経済的な独立なしに思考の独立もありえないというのは、堀江氏が言わずとも当然のことだ。
たとえば、あなたが転職するときや引越を考える時、「きっとお父さんは反対するだろうな」とか「お母さんは心配するかもな」といった思いがよぎるとしたら、それはまだ「子ども」の意識が抜けず、自立しきっていない証拠だ。(中略)。もし親孝行という言葉が存在するのなら、それは、一人前の大人として自立することだ。(中略)。親から自立できてない人は、「自分の頭で考える」という習慣づけができていない。そうなれば、会社や組織からも自立することができず、いつまでもおもちゃ売り場の子どもみたいに駄々をこねるだけだろう。(第4章 あなたは本当に『自立』できているか)
すなわち自立とは、自分の心の中の価値の座標軸を、親とか会社とか「世間」とか、そういうものに相対的に決めるのではなく、自分だけの価値の絶対軸を定義することだ。本ブログでたびたび書いてきたように、それができる人は非常に少ない。堀江氏が誤解される理由のひとつはそれである。

意図的か偶然か、「塀の中にいても、僕は自由だった」(第5章)というくだりは、サルトルの有名な文章を思い出させる。
われわれは、ドイツ人に占領されていた間ほど、自由であったことはかつてなかった。われわれは、ものを言う権利を始めとして、一切の権利を失っていた。(中略)。全能な警察がむりやりわれわれの口を閉じさせようとしたからこそ、どの言葉もすべて原理の宣言としての価値をおびた。(J.P. サルトル、『沈黙の共和国』(F. パッペンハイム『近代人の疎外』第1章所収) )
今がゼロであることを認識しているからこそ、どちらの向きに一歩を踏み出すか、という選択が厳粛な意味を持つのである。これまでの堀江氏の主張の各論には、賛同できる点もあるし、よくわからない点もある。人格者なのかと言われれば、それはおそらく違うだろう。しかしこの感覚の大本──投企による実存の絶え間ない再定義──はよくわかる。そして堀江氏が、これまでも、これからも、おそらく孤独であるであろうことも。それがゆえに、堀江氏が、これまで無駄に彼を苦しめてきたコミュニケーション上の問題に気づいたというのは大きい。

彼を悪人だと信じている人のほぼ全員は、その容疑事実について何も知らないだろう。今の時点で、およそ10年前に書かれた彼の主著『稼ぐが勝ち~ゼロから100億、ボクのやり方~ 』を見返してみると、堀江氏の先見性に改めて驚く。同書「おわりに」では、近鉄球団の買収に関して、読売グループのボス渡邉恒雄を名指しで、彼の共産党員だった過去すら挙げながら、強烈に批判している。これを読むと、ライブドア裁判が、極めて恣意的な、ほとんど報復攻撃とでも言うべきものであったことに、確信めいた感情を抱かざるをえない。

かつて、彼は確かに、「金で頬をひっぱたく」ようなことをやろうとしたと言えるのかもしれない。しかし閉塞状況にある日本では、あえてそこから前向きなメッセージを見出すべきだ。自由になるために全ての常識を疑おう、自由になるために働こう、との訴えは、その観点でとても力強く響く。これは重要な第一歩だと思う。堀江氏が旧著をはじめとした媒体で繰り返し主張する社会変革の必要性は誰の眼にも明らかで、それは歴史的必然と言ってよい。国がどうなっても自分自身の目先の既得権益が大事だと開き直るのなら別だが、その変革を拒むのは愚かなことである。

私はいまだに、彼らの近鉄球団の買収提案の何が問題だったのかわからない。旧著を読んで堀江氏を攻撃した人の論理の多くも的を外しているように思える。既得権益の受益者というのなら、あるいは単に、成功者を妬み、足を引っ張りたいというのなら理不尽な批判の由来を理解することはできるが、それはそれこそ自立した大人として恥ずかしいことではないのだろうか。堀江氏の書くとおり、人間はお金で変わる。それを否定するのは、お金を稼いだことのない人か、誰がお金を払っているのか意識しなくても許される幸せな職種、たとえば公務員とか、公正な国際市場競争が不可能な規制業種(新聞、テレビ、土木、建設、銀行、など)の人であろう。

ジェフ・ベソススティーブ・ジョブスといった「暴君」が普通に活躍できるアメリカに比べると、日本という国の小ささはどうしても目に付く。しかし一方で、ソフトバンクにしても楽天にしてもDeNAにしても、それなりのプロトコルを身につけさえすれば、何かをできるチャンスはあるはずだ。彼のような大物が、不要な摩擦を避ける戦術を身につけたことは、日本の将来にとっては悪くない。人の心は金で買えないなどという見え透いたきれいごとはもういい。未来側に立つのか、それとも既得権益側に立ちこのまま朽ち果てるのか、我々の前にはそれだけしかない。


ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく
  • フォーマット: Kindle版
  • ファイルサイズ: 910 KB
  • 紙の本の長さ: 252 ページ
  • ページ番号ソース ISBN: 4478025800
  • 出版社: ダイヤモンド社; 1版 (2013/11/5)
  • 販売: Amazon Services International, Inc.
  • 言語: 日本語. ..
  • ASIN: B00G9KDQQU

2014年5月31日土曜日

Luxe Bidet Neo 110(米国製ウォシュレット)


写真はLuxe Bidet Neo 110
日本を訪れる多くの観光客を驚かせるのが、日本のトイレのハイテクぶりらしい。洗浄便座はすでに世帯普及率80%に迫ろうとしている由で、ほぼ全家庭に行き渡ったと言ってよい。ここまで普及すると、飲食店やホテルなどもそれに追随せざるを得ず、少なくとも関東地区では、洗浄便座がついてない場所を探すのが難しくなったという印象だ。

これは国際的には突出した普及率らしい。何がこの違いを生み出しているのか、というのは、イノベーションの受容という観点で、ビジネススクールの事例研究としては格好だと思う。しかしこの差異がゆえに、私を含め、日本を出て海外で働く多くの日本人をひそかにしかし深刻に悩ませているはずである。

たとえばアメリカだと、ねじはインチねじであり、日本のメートルねじとは違う。しかもTOTOやINAXの便器などあるはずはなく、American Standard などのメーカーである。日本で使っていたウォッシュレットなりがそのまま使えるはずもなく、しかもそもそもアメリカではほとんど普及していない機械だけに英語ですら情報収集がままならない。

Tアダプタにより水道を分岐させる
私も現地で不動産屋に聞いたのだが、まともな情報は帰ってこなかった。日系の業者がウォッシュレット設置を1000ドル(約10万円)くらいで請け負うといううわさを聞いたくらいである。生活の立ち上げで苦労している間に、バスルームの快適さが担保されないのは辛すぎる。

ということで、アメリカ、特にニューヨーク、ボストンなど東海岸に向かう日本人に、洗浄便座設置の成功事例を共有したい(おそらくロサンゼルスやサンフランシスコ、あるいはシアトルなどの西海岸でも同様だと思われるが不明)。数ヶ月のリサーチの後、私が購入したのがLUXEという会社の製品である。 Amazon.comで買うと、2014年6月現在、30ドル(約3000円)もしない。

この手の製品の最大の関門は、ねじとの接続性である。LUXE Bidetシリーズの製品は、マニュアルにあるように、2つの金属製柔軟ホースがついている。
  • 1/2インチ・1/4インチナットホース
  • 15/16 インチ・9/16インチナットホース 
私の家のAmerican Standard社の便器の場合、トイレのタンクにTアダプタを直結させ、その下部に15/16のホースをつなぎそのまま給水パイプにつないだ。洗浄便座とT-アダプタは細いほうのホースである。取り付け方は同社のWebサイトに動画がある。簡単だ。

もし新居を下見する機会があるのなら、モンキーレンチ等を持参して、ナットの大きさを測るといい。ナットの径が、15/16 インチ(23.8ミリ) と 9/16(14.3ミリ)のパイプでタンクと水道が接続されていたら、何も考えずにこの洗浄便座がつなげる。もしサイズが違っていたとしても、Home Depot 等のホームセンターやAmazonなどでも容易に代替ホースを探せるだろう。

この機械は電気を使わないので、つまみを回すと単純にその水圧で水が出てくるだけである。便座ヒーターや乾燥機能など何もない。単純であるが、おそらくこれで十分だと思う。構造も簡単で軽量、便座そのものを置換する日本方式と違い、便座はそのままで、便座の下に挟み込むように設置する。つくりが若干華奢な気もするが、所詮日本円で3000円ほどである。それだけのお金で、ほぼ日本と同様の快適さが得られるようになって心から満足した次第である。

Luxe Bidet Neo 110 (Elite Series) Fresh Water Non-Electric Mechanical Bidet Toilet Seat Attachment w/ Strong Faucet Valves and Metal Hoses
  • Part Number Neo-110
  • Item Weight 2.2 pounds
  • Product Dimensions 13.5 x 7 x 3 inches
  • Item model number Neo 110
  • Material Plastic
  • Item Package Quantity 1
  • Number Of Pieces. 1
  • Special Features Easy to Install, Adjustable.