2013年1月2日水曜日

「V字回復の経営 ― 2年で会社を変えられますか」

業績不振に陥った会社を立て直すべく、子会社から呼び戻された男を描く奮闘記。著者三枝匡氏は、MBAのはしりのような人で、ボストンコンサルティングのコンサルタントとして名を馳せ、実際に経営者としても、ミスミグループの経営をV字回復させた業績で知られている、らしい。

小説風に書かれているが、これは著者が「過去に関わった日本企業五社で実際に行われた事業改革を題材にしている」とのことである。後述のとおり、作品としては残念な点が多いが、ある程度現実に即したストーリーであるため、組織改革・企業変革の要諦を解説する書としてはそれなりに価値がある。

ストーリーの方はこんな感じだ。業績不振に悩むある製造業企業の社長・香川は、子会社の社長となっていた黒岩を改革のために呼び寄せる。黒岩は旧知の経営コンサルタント五十嵐を雇い、改革のためのタスクフォースを立ち上げる。精力的な社内ヒアリングの後、これはと思う人材をタスクフォースのメンバーに引き抜く。実務面で中心となるのは、開発と製造に広い業務知識を持ち、米国子会社の社長の経験もある川端という男である。困惑気味のブレインストーミングから始めて、五十嵐の適切な示唆の下、タスクフォースは不振事業の改革案をまとめる。それは今ある管理職ポストの多くをなくすドラスティックなものであったが、香川社長の100%のバックアップの下、タスクフォースは計画通りの変革を断行する。その結果、会社は文字通りのV字回復を果たす。

黒岩と五十嵐は、タスクフォースのメンバーに、現在の組織の問題点を自由に列挙するように指示する。そうしてそれらを除去するためにどうすればよいか問う。立ちすくむメンバーに、五十嵐は7つのヒントを与える。
  • 事業全体の「事業戦略」を明確に示せば解決できる問題点
  • 個々の「商品戦略」を明確に示せば解決できる問題点
  • 「人の評価」のシステムを変えれば解決できる問題点
  • 「数値管理」つまり経営報告や原価計算などの手法をよくすれば解決できる問題点
  • 「情報システム」を変えれば解決できる問題点
  • 「教育・トレーニング」のプログラムを充実すれば解決できる問題点
  • 各部署の固有問題として、それぞれの内部で解決改善に取り組むべき問題点
壁いっぱいにPost-itで貼られた問題点を、この7つに分けて分類することで、タスクフォースは業務改革の方向性を悟る。本書内でも明記されている通り、実現されるべきモデルについての主要なメッセージは、組織の全体最適化・一気通貫化である。著者はこれを、社内の部署間における5つの連鎖という言葉でまとめている。
  • 価値連鎖
    ある部署の業務が、後工程に対してどういう価値を付加するのかを明確化する。付加価値が明確でない部署は存在の是非含め検討する
  • 時間連鎖
    ビジネスの(製造業であれば開発、製造、販売という)サイクルにおいてそれぞれの部署が使っている時間を可視化する。サイクルのバランスを崩している工程があれば部署の存在の是非含め検討する
  • 戦略連鎖
    全社の戦略的経営目標を全部署で共有する。抽象的レベルではなくて、個々の部署の文脈で具体的にどう貢献するのかを全員に周知徹底する
  • マインド連鎖
    競合他社との競争に勝ち抜くという思いを、各組織で共有する。抽象的レベルではなくて、個々の部署の文脈で具体的に、その勝負にどう貢献するのかを全員に周知徹底する
  • 情報連鎖
    上記の情報のやり取りを、通常の業務として無理なく可能にするために、情報技術(IT)に基づくインフラを構築する。

これ自体は非常にうなづけるところだが、明らかに冗長である。本質的には、ビジネスの基本そのものである価値連鎖と、風土改善である戦略連鎖の2つしかなく、それらを具体的に可能とする手段として、「情報連鎖」すなわちITインフラがあるということになろう。

この冗長さ(あるいは暑苦しさ)は本書に非常に特徴的である。先に挙げた7つのヒントにしてもいかにも冗長で、このほかにも、「改革の9つのステップ」とか、ダメ組織の「症状50」とか、「改革の要諦50」とか、作中の見せ場となっている黒岩らの社長に向けた改革プランのプレゼンテーションにおいても「10の問題点」とか、何から何まで、空を仰ぎたくなるほど冗長である。これは最近のコンサルタントの手際よいスタイルとは似ていない。実地で使ったのと同じプレゼンテーション資料を再現した図も、いわゆるピラミッド原則を無視した古色蒼然としたものだ。このことを好意的に見れば、著者は、他人が作った「理論」をそのまま横流しするタイプではなく、自分の頭で考え、そしてそれを人に伝え、人を動かすことのできるタイプなのだと思う。人を動かすには情熱が必要である。わざわざマインド連鎖などというやや気恥ずかしい言葉を挙げているのは、それなりの思いがあってのことだろう。

作中でも中心人物のひとり川端に次のように語らせている。
私はアメリカで社長をしていた頃、営業でよくシリコンバレーのベンチャー企業を訪ねました。
米国人経営者はみんな一生懸命でした。夜中まで夢中で仕事をして...彼らの熱気を見て、私は脅威に思いましたよ。米国人がこれだけ働けば、日本も危ないのじゃないかと...。
そして4年前に日本に帰ってきたときに私は強烈な違和感を感じました。
昔の日本企業と違って、アスター事業部のオフィスは夕刻六時を過ぎたらガラガラで寂しくなるんです。お役所が定時に就業するみたい(笑)。
日本でも、皆の気持ちが燃えていれば、早く帰れと言っても、皆は夢中で仕事をするはずです。
そういうガンバリズムが古いなんていうのは絶対に間違いです。
米国のベンチャーなんか、ガンバリズムの塊ですから。朝食のミーティングから始まって、夜中まで。週末には家に仕事を持って帰るし...。
これは正しい指摘である。一方で食うか食われるかのぎりぎりのところで勝負している人間がいる時に、他方で定時に帰る楽な仕事ぶりでは勝負になるはずはない。日本のマスメディアの流す情報と異なり、公私混同とすら言える長時間労働、学歴(肩書き)主義は、米国エリートの通常の行動様式である。言うまでもないことだが、国際競争のない非国際的規制業種の代表であるマスメディアが垂れ流す海外情報のほとんどは、自己の願望を反映した不正確なものが多い。競争相手のプレッシャーの下、現状を突破して新しい地点に出るには、命を削るくらいの猛然とした頑張りが必要である。当たり前のことだ。

小説風改革指南書である本書においては、著者は、黒岩と五十嵐の一人二役を演じているという趣なのだろう。ただ、五十嵐の登場の仕方といい、泰然として100%のサポートを改革チームに与えつづける香川社長といい、どうも取ってつけたような感が否めない。小説風の地の文に、急に上記のようなインタビュー記事?が挿入されるスタイルも違和感を通り越して身勝手さを感じさせる。ストーリーとしてここまでリアリティに欠けてしまっては集中力を保つのは難しい。絶賛だらけのAmazonの書評は不可解としか言いようがなく、実際、私も酷評する前提でこれを書き始めたのだが、その過程で本書を読み返してみると、おそらくは著者の人柄から出るまっすぐさのためか、最終的には全体として好意的な文章となってしまった。なるほど、人を動かす人というのは、こういう人なのかもしれない。

一見馬鹿馬鹿しいが、得るものも大きい不思議な本。


  V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)
  • 三枝 匡 (著) 
  • 文庫: 458ページ 
  • 出版社: 日本経済新聞社 (2006/04) 
  • ISBN-10: 4532193427 ISBN-13: 978-4532193423 
  • 発売日: 2006/04 
  • 商品の寸法: 15 x 10.7 x 1.9 cm

2012年12月29日土曜日

Kindle Paperwhite

2012年11月に発売されたアマゾンの電子書籍リーダー(Amazonへのリンク)。発表から約2ヶ月、2012年の年末になり、ようやくWeb上でも「在庫あり」となった。量販店でも今では入手容易である。インターネット上のレビューも多く見受けられるが、提灯記事か、実地に使っているのかいないのかよくわからない浅い記事が多いので、あえて感想を書いてみる。

購入前に私が知りたかったのは、「Kindleは日本語書籍の実用的なリーダーになりえるのか・iPadに加えてKindleを買う意味があるのか」ということだ。結論から言えば次のようになる。
  • 屋外での使用時を除いて、Kindle Paperwhite の文字の見易さは Retinaディスプレイを備えたiPadよりかなり劣る。
  • しかし携帯性は大きく勝るため、持ち歩き用の「劣化版 iPad 」としてなら買う意味がある。

文字を電子リーダーで読む場合、最も重要なのは解像度とコントラストである。画素が活字の輪郭を崩してはならない。そしてその輪郭は、背景から浮き上がるように表示されなければならない。下記に、KindleとiPad(Retinaディスプレイを搭載した第3世代)の比較を示す。全体的にKindleはぼんやりした感じになっていることがわかる。画面も小さいため速読性に劣り、難しい内容を考えながら読むというより、本に身を預けて内容を消費する、といった読み方にふさわしいかもしれない。

左: Kindle Paperwhite、右: iPad 第3世代

上記は英語の書籍だが、日本語の場合、画数の多い漢字やふりがながあるので、さらに条件は過酷になる。iPhoneで撮った汚い写真なのであまり違いがわからないかもしれないが、下記に示すとおり、kindle では昔の活版印刷のようにルビがかすれがちであり、何より、よほど強い外光の下で見ない限り、文字のコントラストが低く、読んでいて目が疲れる(なお、iPadの写真で見える格子状の模様はモアレ縞。画素の大きさを示しているわけではない)。バックライトの輝度を上げても、コントラストの低さはいかんともしがたい。明るい屋外で見るのでなければ、iPadはKindleに圧勝という印象だ。

Kindle Paperwhite
iPad (第3世代)。
Kindleが出た時は、自発光でないので目が疲れない、と言っている解説が多くあったが、私の意見だと自発光かどうかは目の疲労に関係ない。重要なことは、まずは解像度とコントラストが紙の書籍並みであることと、さらに言えば、読み手が自由な姿勢を取れることである。Kindle Paperwhiteは、主にコントラストの観点で前者に難があると言わざるをえない。現状では、要するに通常の本のように、光のほうにKindleを向けて読まないと暗くて目が疲れるので、どうしても読み手の姿勢にも制約が出てしまう。

次に操作性、Wikipediaや辞書との連携性などの観点でも、KindleはiPadに劣る。たとえば、辞書を引きたい時、その反応の遅さにはややストレスを感じるし、辞書で調べられない時にインターネット検索に飛ぶ、などの芸当も、Kindleだと実用的な手間では難しい。実際、上記の写真は、河口慧海の「チベット旅行記」なのだが、地名をGoogleで調べてどういう光景なのか写真で眺める、などのいかにもマルチメディアを駆使した楽しみ方は、到底Kindleでは無理だと感じた。

それから、pdf等の、Kindleストアからの購入でない文献を閲覧するのにはKindleはまったく向いていない。私の使い方だと、数式の入った論文や書籍を閲覧するためにiPadを使うことがあるが、そういう使い方はKindleでは不可能である。Kindleにはpdfの余白をトリミングする機能がないのと、それを避けるためKindleのフォーマットに変換したくても、現状、数式や特殊文字を変換するのはとても難しいからだ。

ではどういう人にKindleは薦められるだろう。まず、外で本を読みたい人であろう。外光の下では、紙の書籍はコントラストが高すぎてむしろ読みにくく、iPadも、バックライトが太陽光に負けて見にくい。それに外の映り込みも気になる。一方、Kindleでは、外光の下では画面がまさにPaperwhiteに見え、すばらしい視認性を実現できる。散歩の時にさっと持ってゆくデバイスとして重宝しそうだ。

Kindle Paperwhite
関連して、移動中に本を読みたい人にも薦められる。満員電車だとiPadでは厳しいが、Kindleなら上着のポケットに入れておけるし、軽い。どうせ電車の中では集中を要するような読み方はできないので、視認性が多少劣っても問題ない。電池の持ちが非常によく、充電を気にしなくてもいいのも大きい。

iPad 第3世代
加えて、テキストだけの英語の本を読むことが多い人にも、Kindleは手軽なリーダーとしておすすめだ。日本語だともう一息という感じが否めないが、英語の書籍だとKindleもかなり健闘している。コントラストの低さは気になるが、それでも日本語の明朝体で気になるシャギーやかすれはほぼ気にならない。図とか式とかがなければ実用レベルだと思う(右図)。


総合的に見て、Kindleは、ベストセラーを手軽に消費する装置として非常によくできていると思う。売れ筋の本を、あまり難しいこと考えずに、いわば言われるがままに順繰りにページを送ってゆくような読み方。自分で作ったpdfを読みたいとか、じっくり机に座って内容を詳しく検討しながら読みたいとか、マニュアルや辞書のように、大量の情報を行きつ戻りつ眺めたいとか、そういう使い方には向いていない。だから私個人にとっては、Kindleはあくまで劣化版Retina iPadに過ぎない。

しかしそれでも、この、使い方によっては間違いなく紙の書籍の代替となる読書体験を提供できるKindleという製品の、いわば歴史的意味というものを考えてみるのは意味がある。おそらく、Kindleの前では、読書というものに過剰な意味づけをせず、知的探求とは直接関係のない、単なる情報の消費プロセスとして捉えるべきなのかもしれない。これは一見微妙な差異に見えるが、そこを割り切れるかどうかは大きい。読書の私的・知的側面に重きを置いて快適なリーダーを作りこむという方向と、Kindle ストアを介して、情報消費のための大規模なエコシステムを構築するという方向は、似て非なるものである。実は電子書籍リーダーという分野を開拓したのは日本企業であった。また、アメリカの市場の動向から、電子書籍が将来、紙の書籍を圧する存在になることは、もう3年も前からわかっていた。そうして3年前の時点で予想されていた通りのやり方で、Amazonという巨人が現れ、日本の電子書籍市場を制圧しようとしている。おそらく、日本の関係者もとっくにわかっていただろう、この戦いが、情報の大衆的消費のためのプラットフォームをめぐる争いであることを。しかしこの国には、この既視感あふれる敗北の物語を止める力のあるプレイヤーは出なかったのである。


Kindle Paperwhite
  • ディスプレイ
    ディスプレイサイズ6インチ、解像度212ppi、特許取得済み内蔵型ライト、フォント最適化技術、16諧調グレースケール 
  • サイズ
    169 mm x 117 mm x 9.1 mm 
  • 重量
    213グラム
  • システム要件 ワイヤレス接続対応、コンテンツのダウンロード時にPC不要 
  • 容量
    2 GB (使用可能領域約1.25 GB) 
  • バッテリー
    明るさ設定10、ワイヤレス接続オフで1日30分使用した場合、1回の充電で最大8週間利用可能
  • 充電時間
    PCからUSB経由で充電で約4時間 
  • 対応ファイルフォーマット
    Kindle(AZW3)、TXT、PDF、保護されていないMOBI、PRCに対応。HTML、DOC、DOCX、JPEG、GIF、PNG、BMPは変換して対応 
  • 同梱内容
    Kindle Paperwhite、USB 2.0充電ケーブル、保証書、スタートガイド

2012年11月30日金曜日

「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」

東京オリンピックで世界中のアイドルとなり、チェコ動乱の後のメキシコ五輪では悲劇のヒロインとして世界から愛された旧チェコスロバキアの体操選手 ベラ・チャフラスカの伝記。著者後藤正治氏の中では、ベラの記憶は、1960年代の若者の、そして著者自身の、反抗と放浪の記憶と結びついている。ベラの波乱に満ちた半生をたどることは彼自身の記憶をたどることでもある。しかし著者は自己満足に浸ることなく、プラハの春をめぐる出来事を縦糸に、ラチニナ、チャスラフスカ、クチンスカヤコマネチら、女子体操の名選手の足跡を横糸として絡ませることで、ひとつの時代を鮮やかに切り取ることに成功している。私の知る限り本書は、チャスラフスカについて世界中で出版されたあらゆる本の中で最も完成度が高い。

1964年、東京オリンピックにおいて、ベラはローズレッドのレオタードに身を包み、個人総合を含む3つの金メダルを獲得した。この年の体操競技の雰囲気の一端は、市川崑監督による有名な記録映画『東京オリンピック』により知ることができる。小柄な選手の曲芸大会になっている現代の女子体操と異なり、当時は、成熟した女性が演技の流れの中で技を披露する競技で、体操の専門知識がなくても、その絵画的美しさは映画監督の目にも明らかだったはずだ。スポーツそれ自体への無知が随所に見られる退屈なこの映画の中で、ベラの演技が異例の長回しで映し出されていることに、異議をさしはさむ者はおそらく誰もいないだろう。彼女は間違いなく東京大会最高のアイドルであり、その後時折大会のたびに来日する彼女を、日本国民は熱狂的に歓迎した。

東京の4年後、1968年、メキシコオリンピックの年を迎えても、チェコスロバキアの英雄 ベラ・チャスラフスカは、依然として女子体操の優勝候補筆頭であった。しかし東欧諸国の中で最強の工業国としての成功を謳歌していた彼女の祖国の情勢は1968年を境に暗転する。同年初頭にチェコ共産党の第一書記となり実権を握ったドゥプチェクは、「人間の顔をした社会主義」の標語の下、市場経済の導入、公安警察の縮小、西側との交流の緩和などの施策を次々と打ち出す。改革の理想は、「二千語宣言」と呼ばれる美しい文章にまとめられた。その宣言の末尾にはこうある。
今年の春、戦後と同じように、われわれには大きなチャンスがめぐってきた。われわれは、社会主義と呼んでいるわれわれの共通事業を再び手に取り戻し、われわれがかつて持っていた名声とわが国に関する比較的芳しい評判に、より適した形体をこの事業に与える可能性を持っている。今年の春は終わったばかりで、もう戻っては来ない。冬にはすべてがわかるであろう。(p.109)
ベラ・チャスラフスカ(1967)
(by Kroon, Ron / Anefo in Wikipedia)
この文書に謳われる「春」こそ、後年「プラハの春」と呼ばれることになるチェコスロバキアにおける体制内変革運動である。21世紀の我々には、社会主義という言葉が、このような高揚した調子の呼びかけと結びつくことがやや意外に思われる。しかし当時、資本主義とは人間を抑圧する悪の体制であり、その悪が明らかになった後は、すべての社会は社会主義に移行するはずであると、多くのインテリゲンチャに信じられていた。東側の最先端、成功した社会主義国のチェコスロバキアの試みは、ソ連の抑圧的な体制に辟易していた西側の若き理想主義者たちにも熱狂的に迎えられた。文化面においてチェコスロバキア社会主義の成功を象徴する存在であったベラ・チャスラフスカは、迷わずこの宣言に署名した。祖国の明るい未来を信じて。

しかしこの宣言は、東側の盟主を任じていたソ連の認めるところとならず、この年の夏、ドゥプチェクらはソ連から改革の撤回を表明するよう圧力を受ける。交渉が決裂した後、ソ連軍を主力とするワルシャワ条約機構軍の戦車部隊が一斉に国境を越え、プラハめがけてなだれ込んだ。メキシコオリンピックが開幕する1968年10月12日の、およそ2ヶ月前のことである。

ベラが祖国の英雄の一人として、二千語宣言に署名をしたことは西側でも広く知られていた。オリンピック開幕時、日本女子体操チームに伝えられていた情報では、ベラは行方不明、チェコスロバキアチームの不参加の可能性があるということであった。女子体操チームのリーダー荒川御幸は、メキシコで旧知のベラと感動の再会を果たす。
痩せて、やつれて、暗い顔をしたベラだった。目の周りに黒いくまのようなものも浮いている。かつて見たことのない姿だった。
ワルシャワ条約機構軍の侵攻があって以降、北モラビアの山奥の小屋に隠れ、村人の世話になっていたこと、体力が落ちないように、石炭運びをしたり、木の枝を使って体操の練習をしていたこと、迷惑がかからないように誰にも連絡を取らず、その小屋で三週間余り過ごしたこと──などを荒川が知ったのは後のことであった。再開した時、ベラはやつれてはいたが、尋常ならざる決意というものがにじみ出ていた。(p.99)
喪服を思わせる黒いレオタードをまとったベラは、観客の熱狂的応援にも後押しされ、個人総合の2連覇を含む4つの金メダルを獲得した。しかしその後、彼女は長い長い冬の時代を過ごすことになる。二千語宣言への署名の撤回要求を頑としてはねつけ続けた彼女が名誉回復を果たすのは、それから20年後、いわゆるビロード革命が、プラハの春の理想を実現するまで待たなければならなかった。

政治の時代の悲劇は、チャスラフスカのヒロイン性を際立たせる重要な要素である。しかし重要なことは、スポーツはそれ自体で独立した物語を紡ぐということである。チャスラフスカは、女性美が重要な評価基準であった時代の最後のスター選手であり、後進国であった当時の日本体操チームからすれば羨望の的であり、「敵国」の選手ながら「メキシコの花嫁」と呼ばれ愛されたソ連のクチンスカヤからしてみれば気難しいライバルであった。これらの個別の物語を、本人へのインタビューを含む丹念かつ誠実な取材に基づいて、ひとつの大きな物語に仕立てる著者の力量はすばらしい。

チャスラフスカという美貌のヒロインの半生記のみならず、近代女子体操史としても重要な史料となるであろう傑作。


ベラ・チャスラフスカ 最も美しく
  • 後藤 正治 (著)
  • 文庫: 431ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (2006/09)
  • ISBN-10: 4167679930
  • ISBN-13: 978-4167679934
  • 発売日: 2006/09
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.8 x 2 cm

2012年10月31日水曜日

「流れる星は生きている」

敗戦時0歳、3歳、6歳であった3人の子供を連れて満州から帰国した著者の引き揚げの記録。著者藤原ていは、ソ連軍に連れ去られた夫(後の新田次郎氏)と連絡がつかない状況で、終戦から1年あまりを生き延び、3人の子供たちと無事に郷里に引き揚げた(真ん中の次男が藤原正彦)。個人的に、満州・朝鮮からの引き揚げの記録には興味があり、類書を多数読んだが、本書を越えるものはひとつもない。21世紀の今読んでも名作だと思うくらいだから、戦後まもなく、昭和24年に本書が発売された時に、人々に与えた感動はいかばかりかと思う。

実は私の父の一家も引き揚げ組である。私の父の一家は、終戦時、満州国の中心都市のひとつであった奉天(現 瀋陽)に住んでいた。南満州鉄道・奉天駅で働いていたと聞いている。終戦直前、私の祖父は軍に招集され、終戦時、父の家には私の祖母とその子供たちしかいなかった。新田次郎氏と同様、祖父は敗戦後シベリアに送られた。その意味でも本書の内容は他人事とは思えず、やはり著者同様女学校を出て嫁いだ私の祖母が、どれだけ辛酸をなめたかと思うとほとんど言葉もない。

昭和20年8月9日、ソ連参戦の日、著者の一家は突然集合命令を受ける。満州が戦乱の中に入ることを予期した関東軍が家族等関係者に退避命令を出し、著者の夫の勤務先であった新京市の観象台(気象台)の職員にも同様の指示が出たのである。この日、まだ新京までソ連は到達していない。列車も曲がりなりにも運行しており、一家はなんとか朝鮮領内の宣川(せんせん)という場所に到達する。

南下すべきか、それとも治安が回復しているという噂のあった満州領内に引き返すか。宣川の日本人には根拠不明の噂以外に頼る情報がない。それでもようやく観象台の一団が南下を決めたまさに昭和20年8月24日、38度線を境に交通が遮断され、それまでは平壌まで走っていた列車は運行を停止した。さらに、著者の夫を含むすべての壮年男子がソ連軍により連れ去られた。一団はそこで完全に足止めとなり、その後約1年、戸主を失った一家はその小さな地方都市で、すべての生活の基盤を失った状態で生きていく。昭和21年8月になり、噂だけを希望のよすがに宣川を立ち、観象台一団は38度線近くの新幕という駅まで下る。その後約2週間、38度線を挟んで南朝鮮側の開城にいたる徒歩での移動が本書の山場となる。
藤原一家の引き揚げ経路(Google Map

著者の記憶力は恐るべきものがあり、本書に描かれる日々の細かい生活の情景は非常にリアルだ。ただ、不思議なことに、ソ連軍による暴行・略奪の様子は本書にはほぼ何もかかれていない。本当にそういう出来事に出会わなかったのかもしれないし、著者が心情的に「進歩派」だったためかもしれない。真相はわからないが、終戦時7歳であった私の父を含む多くの人の心にはソ連軍の略奪・暴行の記憶が生々しいことを付言しておく(平和祈念展示資料館の所蔵の体験記)。


付記。本書の続編と言うべき『旅路』は「自伝小説」と銘打たれているだけあって、おそらくより事実に近い記述がある。興味深いのは同じ団にいた発狂した若奥さんの話である。『流れる星は生きている』では生活苦から発狂したことになっていたが、『旅路』ではソ連兵にさらわれて、1週間行方知れずになった後に発狂した若奥さんの話が出てくる(第三章 放浪生活・「眠れない夜が続く」)。その陰惨さは耐え難いものがある。おそらく著者は、編集者の意向か何かで親ソ的に事実を曲げざるを得なかったことを長い間気に病んでいたのだろう。戦後の日本のメディアの空気を示す一つの例である。


流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)
  • 藤原 てい (著)
  • 文庫: 332ページ
  • 出版社: 中央公論新社; 改版 (2002/7/25)
  • ISBN-10: 4122040639 ISBN-13: 978-4122040632
  • 発売日: 2002/7/25
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.8 cm

2012年8月31日金曜日

「良い戦略 悪い戦略」

ビジネス戦略論の世界的権威リチャード・P・ルメルトによる一般向けの戦略論の本。著者の経歴は面白い。著者はもともとはNASAのジェット推進研究所のエンジニアで、その後ハーバードビジネススクールで経営学の(修士号でなく)博士号を取得、その後ハーバード大学を経てUCLAに移る。ハーバードビジネスレビュー誌によれば、経営分野でもっとも影響力のある理論家のトップ20に選ばれているという(2011年、p.198)。

正直なところ、経営学方面の研究者の話は、自明な結論のもっともらしい提示か、一般化不可能なケーススタディの羅列、といった印象が強い。本書もある意味そういう本と言えるかもしれないが、著者の気合の入った経歴からもわかる通り、著者の分析的な視点は確かで、豊富に引かれるケーススタディの記述も、ほうと思わせる内容にあふれており退屈しない。

本書ではまず、「悪い戦略」とは何かを例を使って述べる(第3章)。著者のポイントはおおむね3つにまとめられる。
  • 空疎である
  • 問題の同定が不十分
  • 粒度が不適切
空疎な戦略、目標は 非常に多い。第3章で挙げられているのはたとえば、大手リテール銀行の「戦略」である。この銀行では「我々の基本戦略は、顧客中心の仲介サービスを提供することである」という「戦略」を持っているのだが(p.56)、顧客中心でないサービス業はないので無内容だし、仲介サービスというのは銀行業そのものである。したがって、「この銀行の戦略から厚化粧をはがせば、『我々の基本戦略は銀行であることである』となってしまう」(p.56)。

実際のところそういう「戦略」は非常に多い。目標や願望と戦略は明確に区別されるべきだ。さらに例を挙げて著者は言う。
マクラッケンの「売り上げを50%伸ばせ」というのは典型的な悪い戦略である。この手のスローガンが戦略としてまかり通っている企業があまりに多い。マクラッケンは目標を立てただけで、それを実現するための方法を設計していない。さらに言えば、成長とはあくまで戦略がうまくできたときに結果としてついてくるものであって、成長そのものを作り出そうとするのは間違っている。(p.312)

著者によれば、よい戦略とは次のような要素を持つ(第5章、p.108)。
  • 診断。事実を収集し、課題を見極める。
  • 基本方針の提示。
  • 行動計画の提示。基本方針を実行するための、一貫性のある一連の行動。
これらを著者は「カーネル(核心要素)」と呼ぶ。言うまでもなく重要なのは基本方針の提示である。これは「目標はビジョンではないし、願望の表現でもない。難局に立ち向かう方法を固め、他の選択肢を排除するのが基本方針である」(p117)。金融大手ウェルズ・ファーゴの例だとこのようになる。
  • ビジョン: 「すべてのお客様の金融ニーズに応え、より良い資産形成をお手伝いする。活動するすべての市場において、最高級の金融サービス・プロバイダーになり、アメリカで最も優れた企業のひとつとして世界に知られるようになる」
  • 基本方針:「より多様な金融商品を扱いネットワーク効果を活用する」
ビジョンや願望を基本方針と混同している例は、著者に指摘されるまでもなく非常に多いはずだ。

戦略のためにはまず、問題が同定されていなければならない。そのためには、テコの支点となるような事実があるはずで(第6章)、前提として阻害要因が同定されている必要がある(第8章)。それに基づいて、直近のアクションが長期的なロードマップとともに提示されていなければならない(第8章)。そのアクションは、しばしば複雑な設計プロセスのパラメターチューニングと同様な、高度な最適化問題となる(第9章)。

では、良い戦略が成功を勝ち取るためにはどういう上限が必要なのか。著者は4つのポイントを挙げている。
  • ビジネスにおける競争優位の活用(第12章)
  • 市場環境の変化の活用(第13章)
  • 変化に抗う慣性の認識(第14章)
  • 統合され首尾一貫した行動(第15章)
このようにまとめるとある意味自明なことではあるが、実行は非常に難しいのが常である。本書にある豊富な事例は、具体的に問題を考えてみる上で非常に参考になる。本書はおそらく、上級管理職必読の書と言えよう。


良い戦略、悪い戦略
  •  リチャード・P・ルメルト (著), 村井 章子 (翻訳) 
  • 単行本: 410ページ 
  • 出版社: 日本経済新聞出版社 (2012/6/23) 
  • ISBN-10: 4532318092 
  • ISBN-13: 978-4532318093 
  • 発売日: 2012/6/23 
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.4 x 2.8 cm

2012年7月8日日曜日

「たかが英語」

英語公用語化を本気で進めている楽天の、英語化に関する中間報告的著作。

個人的には私はこれまで、日本市場を主とする日本企業での英語化にはどちらかというと反対であった。日本の、きわめて多様性の低い言語環境で通じ合う何かがチームの強みとなっているという事実は確かにあり、それはむしろ誇るべきものと考えていた。

しかし楽天で求められているのは、そういう静的な緻密さではなく、ダイナミックに変動するインターネットの世界(そこの共通語は英語だ)の勘所をつかまえ、それを世界市場に展開する動的な荒々しさであった。 将来にわたって収縮を続けることが確実な日本市場(原発の停止は確実にその収縮を早めるだろう)から世界市場に進出するため、三木谷氏は、2010年年初に、数年後には社内の会議を英語に、という方針を打ち出した。しかしそれに漠然とした物足りなさを感じていた三木谷氏は、こう考える。
創業以来僕たちは一度も全力疾走したことがなかったのではないか。楽天が持ちえるエネルギーを、まだ半分も出していないのではないか。そろそろギヤをトップに切り替え、フルスピードで失踪しなければならないのではないか。(p.17) 
そうして同年の2月、全社員に、社内公用語英語化を宣言する。それからの施策は徹底したもので、役員会議での英語化から始まって、TOEICの点数、英語での会議数やメール数等のKPI(Key Performance Indicator)を徹底的に管理し、組織ごとに競わせた。三木谷氏の宣言から2年、最初に定義したTOEICの基準点 
  • 役員 800 
  • 上級管理職 750 
  • 中間管理職 700 
  • 初級管理職 650 
  • アシスタントマネジャー、一般社員 600 
に達せず、「レットゾーン」「イエローゾーン」と定義されたを社員の割合は、当初の6割強から1割弱に激減した(p.83)。

しかしTOEICは、一流大学に入れる程度の学力があれば800点くらいは取ることができよう。ある種「受験勉強」と割り切れば対応はできそうだ。難しいのは実業務そのものを英語化することだ。2012年2月末に「現在のあなたの英語スキルで、対応可能なシチュエーション」についてとったアンケートの結果が示されている。結果は相当悲観的で、「口頭で上司の指示を受け理解する」が30%、逆に「口頭で部下への業務の意図を説明、指示する」が15%強、「会議へ参加し、発言する」も15%程度、面談・交渉・商談にいたっては7-8%といったところだ。これらは普通の日常業務であるから、これができないというのは非常に厳しい。三木谷氏も、「最終的には社員全員がTOEICで800点を超え、実用レベルのスピーキング、ライティングの力をつけていかなくてはならない。これからさらに2~3年はかかるだろう。」と述べている(p.90)。

これを愚かと言うか勇断と言うか。三木谷氏は上記のように述べた後に、非常に興味深い考えを付け加えている。 
英語化プロジェクトを進めるうちにわかってきたことがある。それは、英語が特殊な能力ではなくなるということだ。みんなが英語をしゃべれるようになるので、それまで英語が得意で目立っていた人も、周囲に埋もれて目立たなくなってしまうからだ。英語のコミュニケーション能力のおかけでうわべをつくろってきた人は、英語ができる人ばかりの環境では通用しなくなるだろう。(中略)本当に重要なのはその人の専門知識であり、ノウハウであるということが際立つようになる(p.91)。 

これは重要な指摘である。これは個人のレベルでいわゆる「英語屋」が消えるということばかりではない。逆に、日本語ないし日本法規の障壁に守られた業界、たとえば、マスメディア、建築、金融、等の業界のナンセンスを、内側から照射する力にもなる。

上述の通り、日本企業の英語化について、私は最近まで非常に明確に反対の立場をとってきた。デメリットがメリットを大きく上回る、というのが理由だ。しかし最近考え方を変えた。実は私の勤める(外資系)企業でも、日本法人の国際的存在感のなさは問題視されており、抜本的対策が不可避な状況である。というより、もはや選択肢はない。われわれがこのまま沈んでいくのなら、単にその存在はないものとして扱われるだけの話だ。中国やインドなど、魅力ある成長市場が、優れた人材とビジネス機会を豊富に与えてくれるのだから。

今われわれに求められているのは、荒々しいアイディアで世界をリードしきる力だ。緻密なチームワークは優先順位としてはその次にならざるを得ない。もしそうであるのなら、職場の多様性を大幅に上げ、国際的な主導権争いの場での内弁慶的カルチャーを打破せざるを得ない。この三木谷氏の試みは、単に国際市場云々の目先の利益を求めた判断というより、荒々しい国際リーダーシップへ向けた意識革命の運動と理解すべきだろう。英語化の中で日本の美点を知るというのもおそらく真だろう。三木谷氏の試みを敬意を持って見守りたいと思う。

なお、本書は紀伊国屋の電子書籍による購入である。ページ数は手元の iPad 版に依拠する(紙版と同じではないかもしれない)。AmazonがKindleを発売したのが2007年11月である。それから5年近くが経ち、アメリカではすでに電子書籍の売り上げが紙版を上回ったにもかかわらず、いまだに利害関係者の調整がつかない日本の出版業界の後進性を悲しみつつ筆を置く。


たかが英語
  • 三木谷 浩史 (著) 
  • 単行本(ソフトカバー): 194ページ
  • 出版社: 講談社 (2012/6/28)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4062177633
  • ISBN-13: 978-4062177634
  • 発売日: 2012/6/28
  • 商品の寸法: 18.6 x 12.8 x 1.4 cm