2010年1月5日火曜日

「数学者の言葉では」


国家の品格』であまりにも有名になってしまった藤原正彦氏が、時事放談的雑文を書き散らすようになる以前、エッセイストとして最も輝いていた頃の珠玉のエッセイ集。題材は多岐にわたるが、ここでは「学問を志す人へ ─── ハナへの手紙」というエッセイを紹介したい。

これは著者が助教授として滞米中に、ハナという女子大学院生から受け取った手紙をめぐるエッセイである。手紙は、研究者としての入り口で逡巡する若者の苦悩にあふれるものであった。

ハナは著名な物理学者を父に持つ成績抜群の大学院生で、数学を専攻していた。日米問わず、大学院生はつらいものである。研究の最前線で繰り広げられる戦いに参加するためには、最低限、その戦いの前提知識を身につけなければならない。数学のような理論系の学問では、それはひたすら論文や専門書を読んでいくことだ。世俗的なすべてを捨てて、全精力をそれに注ぎ込まなければならない。その傍らで、学生から研究者への飛躍の準備もしなければならない。既存の学問的成果を理解するだけでも苦しいのに、それを越える何かを求められるのである。しかもそれらすべての作業を、周りの院生との競争の中で、学部を出てからのわずか2-3年で一段落つけることを要求されるのだ。過酷である。

普通の感受性を持つ若者であれば、時折不安に襲われても不思議ではない。自分がこれから登ろうとしている山は、果たして自分が登れるほどの高さなのだろうか。刻苦の努力の末にその山の頂にたどり着いたとして、そこから見える景色は、自分が思い描いていたのと同じく美しいものだろうか。もし幻滅が待っているのだとしたら...。

かつて私も不安であった。だからこのエッセイを繰り返し読んだ。藤原氏は、大学院生の陥りがちな不安として、次の3つを挙げている(p.25)。
  • 自分の能力に対する不安
  • 自分のしていることの価値に関する不安
  • 自分の将来に対する不安
そして、これらを乗り越えるための研究者の資質として、次の4つを挙げている。
  • 知的好奇心が強いこと
  • 野心的であること
  • 執拗であること
  • 楽観的であること
しかし正常人であるかぎり、これらのすべてを兼ね備えていたとしても、上記三大不安との戦いは常に付きまとう。自分の知的営為は決して完璧ではありえないから、基準の取り方によっては、自分の能力、研究の価値、自分の将来、いずれにも否定的な評価を与えることは可能である。ほどほどのところで自分を満足させるというのは確かに挫折もしくは妥協であるが、藤原氏によれば、既成研究者の大半は「不安が頭をもたげる度にそれを、なだめつ、すかしつ、だましつ、研究に支障をきたさないよう処理している。妥協を通して、不安と共存しているのである」(p.28)。

若いハナはあまりに潔癖であり、不安をやり過ごす老獪さを持ち合わせていなかった。彼女は結局大学院をやめることになる。溢れる才能があったとしても、研究者として成功するのは簡単ではない。すんなり楽観派に移行して一本立ちできたように見えても、それは「研究がうまく起動に乗ったり、好論文が一つ書けたり、あるいは指導者に励まされたり」(p.29)といった小さなきっかけによるものかもしれない。それは自分の力の外にある僥倖のはずである。まともな教育を受ける機会に乏しい田舎で育った私にはそれがよくわかる。他人への対抗意識だけで生きているような人も世には多いけれど、私は、さりげなくそういう僥倖を与える側になれたらと思う。



数学者の言葉では (新潮文庫)
  • 藤原 正彦 (著)
  • 文庫: 255ページ
  • 出版社: 新潮社 (1984/01)
  • ISBN-10: 4101248028
  • ISBN-13: 978-4101248028
  • 発売日: 1984/01

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