2013年3月31日日曜日

「江戸の性の不祥事」

書名の通り、江戸時代の性スキャンダルを、史料から丹念に拾って集めた本。娯楽小説や春本の類ではなく、「史料」とみなせる資料、すなわち、比較的客観的に事実が記されていると思われる随筆や日記、歴史書の類をもとに、史実を正確に再現していることが本書の特色である。江戸時代における性風俗の正確かつ貴重な資料になっている。面白い。

本書前半は将軍や大奥といった権力階級についてのエピソード、後半は庶民の間での事件が中心だ。見所はやはり奥女中にまつわるエピソードだろうか。興味深いことに、身分制度に縛られていた男たちと違い、町人や農民の娘たちには、「お屋敷奉公」といういわばエリートコースがあった。大名屋敷や旗本屋敷での女中奉公である。もしそこで屋敷の主にお手つきをされれば、一挙に身分は側室、両親は大名家の外戚である。大名の方にしても、政略結婚で決められた正室より、町民や農民から出た健康な側室を選ぶ傾向にあったというのは、なかなか示唆的で面白い。

庶民における性のエピソードも面白い。江戸の風俗産業の充実ぶりは本書で初めて知った。第6章冒頭によれば、江戸の風俗店の階層は次の通りだ。
  • 吉原。公許の遊郭。格式高く、ファッションの発信地でもある。
  • 宿場。飯盛り女という女郎を置くことを公認されている。
  • 岡場所。違法営業だが、儲けすぎるとか、刃傷沙汰を起こすとかしない限り事実上黙認。
  • 夜鷹。江戸の路上で客を引く街娼。
本書によれば江戸のいたるところに風俗店があったことがわかる。営業的アイディアも充実しており、素人っぽさをウリにする切見世(岡場所の大衆版)とか、ほぼラブホテルと同様の出合茶屋、そしてそこを使ったデリヘル同様のビジネス、などなど、まるで現代と変わらない。しかも、陰間茶屋という男娼の置屋まであったりして、むしろ江戸時代の方が奔放度は高いのかもしれない。


ちなみに、史料に基づくまじめな本書と相補的な位置に、田中優子著「張形と江戸をんな」がある。こちらは逆に、もっぱら春本春画の類に題材を求め、江戸時代の自由な性表現の実情を描いている。実はそれはほとんどが男の側からの妄想に基づいていて、「江戸の性の不祥事」の永井氏からすれば作り事として批判の対象なのだが、こちらの著者の意図は、春画を通して自由な女性のあり方を浮き彫りにしたいということである。すなわち意図はフェミニズム的信念の開陳にあり、性風俗はそのツールに過ぎない。

これらの本は、江戸時代における庶民の力強い自由を明確に表現している。現在の日本は比較的自由だが欧米の方がもっと自由で、だから昔の日本はとてつもなく不自由だった、というのはインテリからそれ以外まで広く信じられている言説だと思われるが、それはほとんど空想に過ぎない。性という人間のあり方に直結する領域においては、江戸時代のあり方は現代の日本と大した違いはない。むしろ、民主主義とか平等とか、そういう舶来の決め事に囚われている現代の方が不自由といえるのかもしれない。


江戸の性の不祥事 (学研新書)
  • 永井義男 (著) 
  • フォーマット: Kindle版 
  • ファイルサイズ: 1018 KB 
  • 紙の本の長さ: 228 ページ 
  • 出版社: 学研パブリッシング (2012/3/22) 
  • 販売: Amazon Services International, Inc. 
  • 言語 日本語 
  • ASIN: B007VAGT66 


張形と江戸をんな (新書y)
  • 田中 優子 (著) 
  • 新書: 186ページ 
  • 出版社: 洋泉社 (2004/03) 
  • ISBN-10: 4896918045 
  • ISBN-13: 978-4896918045 
  • 発売日: 2004/03 
  • 商品の寸法: 17.2 x 10.6 x 1.2 cm


2013年2月28日木曜日

「夫の悪夢」

婦人雑誌に連載された家族エッセイをまとめた軽いエッセイ集。著者藤原美子は、『国家の品格』の藤原正彦の奥様である。本書を購入したのは、ほぼ、新しく買ったKindle Paperwhiteのテストのためだけで、タイトルも不気味だし、表紙も意味不明、正直に言って中身はまったく期待してなかった。しかし予想に反して驚くほど面白い。

本書は3部構成になっており、I部が主に夫にまつわる面白い話を集めたエッセイ、II部が家と家族についてのエッセイ、III部が個人的な思い出に関するものである。文体、リズムは藤原正彦の(特に若い頃の)エッセイととてもよく似ている。間接直接に影響を受けているのであろう。しかし野放図を装ってもどこか計算の跡が見える夫と違い、美子氏の文章には、みずみずしい感受性が隠しきれず現れていてとても好ましい。
成蹊大学の一角にあるその小学校は、天を衝くようなケヤキ並木を抜けた先にある。新緑の季節にはさわさわと若葉が揺れ秋には美しく色づくこの道は、武蔵野の面影を残し、私の大好きな散歩道のひとつである。(「つまらない本」)
この、「若葉」の前の「さわさわ」の使い方はすばらしい。同じような技巧がもうひとつある。
目の前に八ヶ岳の峰が望まれ、村中を八ヶ岳からの小川がさらさらと瀬音を立てて流れ、からりとした空気に包まれたこの村を、私は一目で気に入ってしまった。(「蓼科の夏」) 
文学に美を見たことがある者ならすぐに気づくだろう、「さらさら」の次に「瀬音」を置いたのが偶然ではないことを。本書の多くは雑誌に個別に掲載されたエッセイで、そのためか全体の統一が取れていないところもなくはないが、それでも、このようなさりげないが高度な技巧が前編にちりばめられており、しかし内容は思わず笑ってしまうような夫の変人エピソードや、著者本人のおてんば冒険記、家族との面白エピソードなど身近でかつ多彩、なるほど婦人雑誌で著者が人気のエッセイストになっている理由もよくわかる。

著者の周りの人脈の華麗ぶりはすごい。旦那の藤原正彦はもちろん、義父は新田次郎、義母は藤原てい。さらに藤原家の血筋にはFujiwhara Effectで有名な気象学者藤原咲平や、ハリウッドビューティーサロンの社長メイ牛山などがいる。著者の実家とは言えば、祖父は日本化学会会長をも務めた国際的に著名な化学者田丸節郎、実父もまた紫綬褒章や学士院賞にも輝く著名な化学者田丸謙二である(本人のホームページ。特に、一家の足跡がこちらに)。著者と双子の姉は、立教大学教授の大山秀子。何しろ田丸家の足跡そのものが化学遺産である。若い頃イケメンのモテモテだった小柴昌俊(後にノーベル賞受賞)とのエピソードなど、血筋ならではであろう。

軽く考えて読み始めた本であったが、エッセイとして一流の仕事である。正直に言って、著者とその家族に羨望を感じた。著者の文学的才能は確かだし、自分で考え、難題があっても夫と乗り越えていくさまは素朴に尊敬に値する。嫁入り前に母を亡くして、嫁入り修行もできなかったのに、料理も掃除も言い訳せずに手を抜かない。著者は生まれ持っての陽性で、周りを笑顔にできる人なのだろう。そういう人は多くない。ほとんどの人は自分を守ることに精一杯で、何か問題が発生すると自己弁護に走りがちだ。著者のように周囲にプラスを与えられている人がもっと増えたらこの国ももっと明るくなるだろう。


 夫の悪夢
  • 藤原 美子 (著) 
  • フォーマット: Kindle版 
  • ファイルサイズ: 994 KB 
  • 出版社: 文藝春秋 (2013/1/11) 
  • 販売: 株式会社 文藝春秋 
  • 言語 日本語 
  • ASIN: B00AQVE068

2013年1月31日木曜日

ブラウン オーラルB 電動歯ブラシ デンタプライド5000

オムロン、パナソニックに続き、私自身3機種目の電動歯ブラシ。前機種がついに起動しなくなったので購入を決めた。読者の参考のため、前機種と比較しつつ、淡々と感想を記したい。

電動歯ブラシ業界は、世界ではブラウンとフィリップスの2強状態だが、日本だとパナソニックが巧みなマーケティングにより首位を保っている。

結論から言えば、これら3ブランドのうち、海外に行かない人なら迷わずブラウンが買いだ。海外旅行時に携帯したい人は悩むが、歯垢除去性能からすればフィリップス、日本でのランニングコストからすればパナソニックというところか。裏技として、AC100-240Vの全世界対応であった時代のブラウンの型落ち品を買うという手もある。私が購入したのも、2012年発売の最新機種(D345355X)でなく、2007年発売の型落ち品(D325365X)であった。

それぞれのブランドの特徴は次の通りだ。
  • Doltz(パナソニック)
    • リニアモーターによる小刻みな往復振動。
    • 換えブラシは(日本では)入手しやすい。最安で1本400円弱くらい。
    • 最新機種の充電器はAC100-240Vの全世界対応。
  • Sonicare(フィリップス)
    • 音波水流を発生させる高速往復振動。
    • 換えブラシは最安で1000円程度。
    • 最新機種の充電器はAC100-240Vの全世界対応。
  • Oral B(ブラウン)
    • 回転的往復振動
    • 換えブラシは最安で1本500円程度。
    • 前機種まではAC100-240Vの全世界対応だったが、2012年の最新機種から、充電器が日本国内のみ対応のAC100Vとなってしまった。
パナソニックのDoltzと、オムロンの旧機種に比べると、Oral Bは振動が非常に大きく最初は面食らったのだが、歯垢の除去能力は圧倒的に優れている印象だ。すばらしいのは、ある程度適当に歯ブラシを動かしていても、丸い形状のブラシが歯の上面はもちろん側面にも回りこんできれいにしてくれるという点だ。パナソニックの場合、鏡を見て丁寧に歯に当てなければ歯垢を取りきれない。(上下左右4通り)×(内側・かみ合わせ面・外側の3通り)の12箇所を意識して磨かないときれいにならない感じで、これだと必要な集中力が手磨きと大差なく、電動歯ブラシの意味があまりない。しかしブラウンだと、(上下左右4通り)×(内側外側2通り)の8箇所でいい、という感じであり、手間としては本当に3割以上減という実感がある。ネットを見ながら歯磨き、のような適当なやり方でも問題なくきれいにできるので、パナソニックとオムロンの比較では、圧倒的にブラウンがお勧めだ。

なお、回転式、と言っても実際にはぐるぐる回るのではなくて、狭い角度で往復的に動いているだけである。私の使い方では、歯茎への負荷は、振動式と大差はないというのが実感である。

店頭機種を触ったりして調べた印象では、Doltzは、フィリップスの劣化版という感じで、どうも振動があまり有効に歯垢を落とすためにできていない。私の経験からしても、Doltzでツルツルの歯を実現するのは集中力を要した。気を許すと、特に利き手側の歯の内側のツメが甘くなるのである。フィリップスは触った感じでもいかにも音波水流が巻き起こりそうで、歯科医の推薦度が高いというのもうなづける。つくりからして振動も少なくて、総合的な性能ではおそらくこういう感じだろう。
ブラウン ≒ フィリップス >> パナソニック、オムロン
ということで、歯の健康のためにはフィリップスとブラウンの2択と思われる。ブラウンは「ながら磨き」でもうまくいくし、何よりランニングコストが安いので、あの多大なる振動さえ気にならなければ、一般人にとっては現時点での最善の選択となろう。

ただ、非常に残念なことに、2012年の機種からブラウンはAC100Vのみの対応になってしまった。時差や移動で疲れる海外出張では、歯を清潔にしたいものである(海外フライトでは食後必ず歯磨きをする、というのは重要なTipsのひとつだと思う)。1日2回で10日持つ、ということになっているのだが、たとえば一家4人で使ったとしたら3日も持たない。充電器持参は必須だ。この点、是非改善してもらいたいものだ。

余談だが、Oral Bの回転ブラシのギミックは男の子のハートをつかむ何かがあるようで、子供が喜んで電動歯ブラシを使って磨くようになった。現時点ではとても満足している。


ブラウン オーラルB 電動歯ブラシ デンタプライド5000 D325365X
  • メーカー型番:D325365X 
  • サイズ:幅34×奥行54×高さ240mm 
  • 本体重量:173g 
  • 素材・材質:ASA(アクリロニトリル-スチレン-アクリル酸エステル)、ポリプロピレン 
  • 原産国:ドイツ 
  • 付属ブラシ:3本(プラークワイパー付フロスアクションブラシ(EB25)1本、ステインケアブラシ(EB18)1本、舌フレッシュナー(TF1)1本) 
  • 付属品:スマートガイド(単三乾電池2本付属)、トラベルケース、ブラシ収納ケース 
  • 充電時間:10時間 
  • 充電持続期間:10日間(1日2回、各2分使用) 
  • 電源方式:充電式/AC100-240V 50/60Hz 2.4W 
  • 最大振動数:上下振動:約40,000回/分、左右反転:約8,800回/分

2013年1月4日金曜日

Jugaad Innovation: Think Frugal, Be Flexible, Generate Breakthrough Growth

インドや中国といった新興国市場での最新の成功事例を元に、イノベーションのための新しいアプローチについて論じた本。書名のJugaadというのは「ジュガード」と読み、英語だとDo-it-yourself 、中国語だと自主創新にあたるらしい。日本語だと創意工夫精神、くらいか。

イノベーションのやり方に変革が必要であると主張する著者らの主たる根拠は、世界の経済の中心が新興国市場にシフトしつつあるということだ。The West、すなわち西欧の先進国では、これまで大きな研究開発部門を持つ会社でシステマティックに新技術を生み出すというやり方が主流であった。しかし新興国市場ではそういうやり方はうまくいかないだろうと著者らは説く。

著者らによれば新興国市場の特徴は次の5つの言葉でまとめられる。

  • scarcity
    資源はますます欠乏してゆく。これまでのような大量消費型のモデルはうまくいかない
  • diversity
    インドや中国では地域ごとの多様性が高い。アメリカのような一様な消費社会は前提にできない
  • interconnectivity
    新興国では携帯電話に代表される新しいIT機器への渇望が強く、そのようなメディアを使った口コミが急速に進展する
  • velocity
    製品のライフサイクルはますます短くなる
  • breakneck globalization
    経済の重心は急速に米国からアジアに移動する
このような背景を共有した後、著者らは次のように述べる。
It is clear that the West must build a new innovation engine that allows it to innovate faster, better, and cheaper. To do so, Western firms must find new sources of inspiration. (p.17)
歯切れよい宣言である。そしてその実行に向けて、著者はJugaadの6原則というのを次のように列挙する。
  • Seek opportunity in adversity
    製品の想定が市場に合わないことがわかったら、それを新たな機会と捉える
  • Do more with less
    新興国では巨大インフラや、高価な設備を前提しない新しいモデルを想定する方がいい
  • Think and act flexibly
    従来型のモデルに合わない状況が出てきても、むしろ自分をそこにあわせるよう柔軟に考える
  • Keep it simple
    コテコテを機能を盛り込もうとするエンジニア的発想ではなくて、市場が本質的に求めている機能に絞る
  • Include the margin
    いわゆるLong-tailの部分など、従来はマイナーなセグメントだと思われていた市場に着目する。
  • Follow your heart
    研究室にこもっていないで市場の声に耳を傾ける。

そしてこれらは、オーケストラではなくてまるでジャズのように、同時多発的・即興的なやり方でクイックに作られ、試されなければならない。Chapter 2以降、これらのそれぞれについて、豊富な成功事例を元に、我々がどうすべきかの示唆を与える。

本書で紹介されるそれぞれの事例は非常に興味深い。たとえば、いまや世界最大の家電メーカーとなったハイアールの例では、中国において頻発する洗濯機の故障を分析して、農村部では洗濯機を使って野菜を洗うユーザーが多いことを見出す。通常の企業だと「それは仕様外」と言うことになろうが、ハイアールは、排水パイプを極太にするなどの改良を重ねて、野菜も洗える洗濯機、という新製品を発売する。それはまさに創意工夫の勝利であり、新興国市場の状況を象徴的に表す。

ただ、その事例にしても、「うまくいったから正しい」という後付けの理由に過ぎないようにも見える。たとえば、顧客の声に耳を傾ける、というのは聞こえはよいが、そうしたからと言って常にうまくいくわけではない。有名な反例が「ハンドルつきのLet's note」だ。

著者らは、従来のシステマティックな、Six Sigma流のアプローチでは新しいイノベーションは生まれないと説く。3Mにおいて、そのようなアプローチがいかに業績を沈滞させたかがChap 2において詳しく解説される。イノベーションと、システマティックな改善活動との間の緊張関係は、Innovator's Dilemma でも論じられたようによく知られており、実際には、破壊的イノベーションは常に従来の枠組みから外れたところで現れる。AS-ISのあり方を前提に、それを改善し精度を上げるというアプローチとはある意味で逆である。この意味で、異質な環境が新しい思考を要求する新興国市場は、イノベーションの格好の揺り篭になりえるという著者らの直感は正しい。

ただ、豊富な事例を挙げれば挙げるほど、著者らのロジックはやはりアドホックに聞こえがちである。Jugaadをビジネスにおいてどう実践するか。この問いに答えるために、Chap 8ではGEにおける事例が詳しく紹介される。GEは、インドを中心にして、ヘルスケアビジネスで大きな成功を収めている。その要因は、現地の事情に即したモデルをいち早く構築したことにある。たとえば、ポジトロン断層法とかCTスキャナ、あるいは超音波診断装置はインドでは高価すぎてマーケットが広がらない。そこで、GEのエンジニアは超小型の心電図測定装置や、携帯型の超音波診断装置を開発した。また、現地企業と協業してポジトロン断層法で必要な放射性同位元素を現地調達できる仕組みを調達した。しかし、確かにそれはインドで成功したという意味ではJugaadな性質を持っていたともいえるのだろうが、装置の小型化は通常のシステマティックなR&Dの枠内とも言える。著者らの主張は必ずしも明確ではない。

著者らの、CEOに向けたメッセージはこのようなものだ。
  • トップダウンよりボトムアップなイノベーションに注目せよ
  • 社内にもあるはずのJugaadを顕彰せよ
  • 現在のR&Dモデルが恐竜化していることに危機感を喚起せよ
  • 発明を事業化するスピードに注意を払え
  • ソーシャルメディアを活用せよ
それぞれに反対する理由はないのだが、それを具体的にどうするかはやはりよくわからないのである。

本書は、新興国における豊富なケーススタディを要領よくまとめており、米国のビジネスのコミュニティでの新興国に向ける熱い視線がよくわかる。しかし新イノベーション論として読むためには考察が浅いと感じざるを得ない。繰り返しになるが、新興国において成功した事例にJugaad的特徴があることはわかるが、論理的には、それは必要条件を言っているだけであり、十分条件ではない。結局、Jugaadなアプローチを従来型R&Dと相補的に使うことでスピードとスケーラビリティの両方を実現できる、というような結論になるのだが、冒頭で力強く述べられたリソースの欠乏とビジネス的スケーラビリティとの関係など、わからないことが多い。

悪く言えば、米国的大量消費モデルを国外に拡張して、これまでのような経済的繁栄を謳歌しようという、米国的強欲が透けて見えると言えなくもない。素直に取れば、真のJugaadとは、massとして成長しないことを前提にした新たな世界観とともにあるべきではないのか。本書においては悲しいほど無視されているわが日本であるが、そこには日本人的なセンスが必要になると信じたい。


Jugaad Innovation: Think Frugal, Be Flexible, Generate Breakthrough Growth
  • Kevin Roberts (はしがき), Navi Radjou (著), Jaideep Prabhu (著), Simone Ahuja (著) 
  • ハードカバー: 288ページ 
  • 出版社: Jossey-Bass; 1版 (2012/4/10) 
  • 言語 英語, 
  • ISBN-10: 1118249747 ISBN-13: 978-1118249741 
  • 発売日: 2012/4/10 
  • 商品の寸法: 16.2 x 2.6 x 23.7 cm

2013年1月2日水曜日

「V字回復の経営 ― 2年で会社を変えられますか」

業績不振に陥った会社を立て直すべく、子会社から呼び戻された男を描く奮闘記。著者三枝匡氏は、MBAのはしりのような人で、ボストンコンサルティングのコンサルタントとして名を馳せ、実際に経営者としても、ミスミグループの経営をV字回復させた業績で知られている、らしい。

小説風に書かれているが、これは著者が「過去に関わった日本企業五社で実際に行われた事業改革を題材にしている」とのことである。後述のとおり、作品としては残念な点が多いが、ある程度現実に即したストーリーであるため、組織改革・企業変革の要諦を解説する書としてはそれなりに価値がある。

ストーリーの方はこんな感じだ。業績不振に悩むある製造業企業の社長・香川は、子会社の社長となっていた黒岩を改革のために呼び寄せる。黒岩は旧知の経営コンサルタント五十嵐を雇い、改革のためのタスクフォースを立ち上げる。精力的な社内ヒアリングの後、これはと思う人材をタスクフォースのメンバーに引き抜く。実務面で中心となるのは、開発と製造に広い業務知識を持ち、米国子会社の社長の経験もある川端という男である。困惑気味のブレインストーミングから始めて、五十嵐の適切な示唆の下、タスクフォースは不振事業の改革案をまとめる。それは今ある管理職ポストの多くをなくすドラスティックなものであったが、香川社長の100%のバックアップの下、タスクフォースは計画通りの変革を断行する。その結果、会社は文字通りのV字回復を果たす。

黒岩と五十嵐は、タスクフォースのメンバーに、現在の組織の問題点を自由に列挙するように指示する。そうしてそれらを除去するためにどうすればよいか問う。立ちすくむメンバーに、五十嵐は7つのヒントを与える。
  • 事業全体の「事業戦略」を明確に示せば解決できる問題点
  • 個々の「商品戦略」を明確に示せば解決できる問題点
  • 「人の評価」のシステムを変えれば解決できる問題点
  • 「数値管理」つまり経営報告や原価計算などの手法をよくすれば解決できる問題点
  • 「情報システム」を変えれば解決できる問題点
  • 「教育・トレーニング」のプログラムを充実すれば解決できる問題点
  • 各部署の固有問題として、それぞれの内部で解決改善に取り組むべき問題点
壁いっぱいにPost-itで貼られた問題点を、この7つに分けて分類することで、タスクフォースは業務改革の方向性を悟る。本書内でも明記されている通り、実現されるべきモデルについての主要なメッセージは、組織の全体最適化・一気通貫化である。著者はこれを、社内の部署間における5つの連鎖という言葉でまとめている。
  • 価値連鎖
    ある部署の業務が、後工程に対してどういう価値を付加するのかを明確化する。付加価値が明確でない部署は存在の是非含め検討する
  • 時間連鎖
    ビジネスの(製造業であれば開発、製造、販売という)サイクルにおいてそれぞれの部署が使っている時間を可視化する。サイクルのバランスを崩している工程があれば部署の存在の是非含め検討する
  • 戦略連鎖
    全社の戦略的経営目標を全部署で共有する。抽象的レベルではなくて、個々の部署の文脈で具体的にどう貢献するのかを全員に周知徹底する
  • マインド連鎖
    競合他社との競争に勝ち抜くという思いを、各組織で共有する。抽象的レベルではなくて、個々の部署の文脈で具体的に、その勝負にどう貢献するのかを全員に周知徹底する
  • 情報連鎖
    上記の情報のやり取りを、通常の業務として無理なく可能にするために、情報技術(IT)に基づくインフラを構築する。

これ自体は非常にうなづけるところだが、明らかに冗長である。本質的には、ビジネスの基本そのものである価値連鎖と、風土改善である戦略連鎖の2つしかなく、それらを具体的に可能とする手段として、「情報連鎖」すなわちITインフラがあるということになろう。

この冗長さ(あるいは暑苦しさ)は本書に非常に特徴的である。先に挙げた7つのヒントにしてもいかにも冗長で、このほかにも、「改革の9つのステップ」とか、ダメ組織の「症状50」とか、「改革の要諦50」とか、作中の見せ場となっている黒岩らの社長に向けた改革プランのプレゼンテーションにおいても「10の問題点」とか、何から何まで、空を仰ぎたくなるほど冗長である。これは最近のコンサルタントの手際よいスタイルとは似ていない。実地で使ったのと同じプレゼンテーション資料を再現した図も、いわゆるピラミッド原則を無視した古色蒼然としたものだ。このことを好意的に見れば、著者は、他人が作った「理論」をそのまま横流しするタイプではなく、自分の頭で考え、そしてそれを人に伝え、人を動かすことのできるタイプなのだと思う。人を動かすには情熱が必要である。わざわざマインド連鎖などというやや気恥ずかしい言葉を挙げているのは、それなりの思いがあってのことだろう。

作中でも中心人物のひとり川端に次のように語らせている。
私はアメリカで社長をしていた頃、営業でよくシリコンバレーのベンチャー企業を訪ねました。
米国人経営者はみんな一生懸命でした。夜中まで夢中で仕事をして...彼らの熱気を見て、私は脅威に思いましたよ。米国人がこれだけ働けば、日本も危ないのじゃないかと...。
そして4年前に日本に帰ってきたときに私は強烈な違和感を感じました。
昔の日本企業と違って、アスター事業部のオフィスは夕刻六時を過ぎたらガラガラで寂しくなるんです。お役所が定時に就業するみたい(笑)。
日本でも、皆の気持ちが燃えていれば、早く帰れと言っても、皆は夢中で仕事をするはずです。
そういうガンバリズムが古いなんていうのは絶対に間違いです。
米国のベンチャーなんか、ガンバリズムの塊ですから。朝食のミーティングから始まって、夜中まで。週末には家に仕事を持って帰るし...。
これは正しい指摘である。一方で食うか食われるかのぎりぎりのところで勝負している人間がいる時に、他方で定時に帰る楽な仕事ぶりでは勝負になるはずはない。日本のマスメディアの流す情報と異なり、公私混同とすら言える長時間労働、学歴(肩書き)主義は、米国エリートの通常の行動様式である。言うまでもないことだが、国際競争のない非国際的規制業種の代表であるマスメディアが垂れ流す海外情報のほとんどは、自己の願望を反映した不正確なものが多い。競争相手のプレッシャーの下、現状を突破して新しい地点に出るには、命を削るくらいの猛然とした頑張りが必要である。当たり前のことだ。

小説風改革指南書である本書においては、著者は、黒岩と五十嵐の一人二役を演じているという趣なのだろう。ただ、五十嵐の登場の仕方といい、泰然として100%のサポートを改革チームに与えつづける香川社長といい、どうも取ってつけたような感が否めない。小説風の地の文に、急に上記のようなインタビュー記事?が挿入されるスタイルも違和感を通り越して身勝手さを感じさせる。ストーリーとしてここまでリアリティに欠けてしまっては集中力を保つのは難しい。絶賛だらけのAmazonの書評は不可解としか言いようがなく、実際、私も酷評する前提でこれを書き始めたのだが、その過程で本書を読み返してみると、おそらくは著者の人柄から出るまっすぐさのためか、最終的には全体として好意的な文章となってしまった。なるほど、人を動かす人というのは、こういう人なのかもしれない。

一見馬鹿馬鹿しいが、得るものも大きい不思議な本。


  V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)
  • 三枝 匡 (著) 
  • 文庫: 458ページ 
  • 出版社: 日本経済新聞社 (2006/04) 
  • ISBN-10: 4532193427 ISBN-13: 978-4532193423 
  • 発売日: 2006/04 
  • 商品の寸法: 15 x 10.7 x 1.9 cm

2012年12月29日土曜日

Kindle Paperwhite

2012年11月に発売されたアマゾンの電子書籍リーダー(Amazonへのリンク)。発表から約2ヶ月、2012年の年末になり、ようやくWeb上でも「在庫あり」となった。量販店でも今では入手容易である。インターネット上のレビューも多く見受けられるが、提灯記事か、実地に使っているのかいないのかよくわからない浅い記事が多いので、あえて感想を書いてみる。

購入前に私が知りたかったのは、「Kindleは日本語書籍の実用的なリーダーになりえるのか・iPadに加えてKindleを買う意味があるのか」ということだ。結論から言えば次のようになる。
  • 屋外での使用時を除いて、Kindle Paperwhite の文字の見易さは Retinaディスプレイを備えたiPadよりかなり劣る。
  • しかし携帯性は大きく勝るため、持ち歩き用の「劣化版 iPad 」としてなら買う意味がある。

文字を電子リーダーで読む場合、最も重要なのは解像度とコントラストである。画素が活字の輪郭を崩してはならない。そしてその輪郭は、背景から浮き上がるように表示されなければならない。下記に、KindleとiPad(Retinaディスプレイを搭載した第3世代)の比較を示す。全体的にKindleはぼんやりした感じになっていることがわかる。画面も小さいため速読性に劣り、難しい内容を考えながら読むというより、本に身を預けて内容を消費する、といった読み方にふさわしいかもしれない。

左: Kindle Paperwhite、右: iPad 第3世代

上記は英語の書籍だが、日本語の場合、画数の多い漢字やふりがながあるので、さらに条件は過酷になる。iPhoneで撮った汚い写真なのであまり違いがわからないかもしれないが、下記に示すとおり、kindle では昔の活版印刷のようにルビがかすれがちであり、何より、よほど強い外光の下で見ない限り、文字のコントラストが低く、読んでいて目が疲れる(なお、iPadの写真で見える格子状の模様はモアレ縞。画素の大きさを示しているわけではない)。バックライトの輝度を上げても、コントラストの低さはいかんともしがたい。明るい屋外で見るのでなければ、iPadはKindleに圧勝という印象だ。

Kindle Paperwhite
iPad (第3世代)。
Kindleが出た時は、自発光でないので目が疲れない、と言っている解説が多くあったが、私の意見だと自発光かどうかは目の疲労に関係ない。重要なことは、まずは解像度とコントラストが紙の書籍並みであることと、さらに言えば、読み手が自由な姿勢を取れることである。Kindle Paperwhiteは、主にコントラストの観点で前者に難があると言わざるをえない。現状では、要するに通常の本のように、光のほうにKindleを向けて読まないと暗くて目が疲れるので、どうしても読み手の姿勢にも制約が出てしまう。

次に操作性、Wikipediaや辞書との連携性などの観点でも、KindleはiPadに劣る。たとえば、辞書を引きたい時、その反応の遅さにはややストレスを感じるし、辞書で調べられない時にインターネット検索に飛ぶ、などの芸当も、Kindleだと実用的な手間では難しい。実際、上記の写真は、河口慧海の「チベット旅行記」なのだが、地名をGoogleで調べてどういう光景なのか写真で眺める、などのいかにもマルチメディアを駆使した楽しみ方は、到底Kindleでは無理だと感じた。

それから、pdf等の、Kindleストアからの購入でない文献を閲覧するのにはKindleはまったく向いていない。私の使い方だと、数式の入った論文や書籍を閲覧するためにiPadを使うことがあるが、そういう使い方はKindleでは不可能である。Kindleにはpdfの余白をトリミングする機能がないのと、それを避けるためKindleのフォーマットに変換したくても、現状、数式や特殊文字を変換するのはとても難しいからだ。

ではどういう人にKindleは薦められるだろう。まず、外で本を読みたい人であろう。外光の下では、紙の書籍はコントラストが高すぎてむしろ読みにくく、iPadも、バックライトが太陽光に負けて見にくい。それに外の映り込みも気になる。一方、Kindleでは、外光の下では画面がまさにPaperwhiteに見え、すばらしい視認性を実現できる。散歩の時にさっと持ってゆくデバイスとして重宝しそうだ。

Kindle Paperwhite
関連して、移動中に本を読みたい人にも薦められる。満員電車だとiPadでは厳しいが、Kindleなら上着のポケットに入れておけるし、軽い。どうせ電車の中では集中を要するような読み方はできないので、視認性が多少劣っても問題ない。電池の持ちが非常によく、充電を気にしなくてもいいのも大きい。

iPad 第3世代
加えて、テキストだけの英語の本を読むことが多い人にも、Kindleは手軽なリーダーとしておすすめだ。日本語だともう一息という感じが否めないが、英語の書籍だとKindleもかなり健闘している。コントラストの低さは気になるが、それでも日本語の明朝体で気になるシャギーやかすれはほぼ気にならない。図とか式とかがなければ実用レベルだと思う(右図)。


総合的に見て、Kindleは、ベストセラーを手軽に消費する装置として非常によくできていると思う。売れ筋の本を、あまり難しいこと考えずに、いわば言われるがままに順繰りにページを送ってゆくような読み方。自分で作ったpdfを読みたいとか、じっくり机に座って内容を詳しく検討しながら読みたいとか、マニュアルや辞書のように、大量の情報を行きつ戻りつ眺めたいとか、そういう使い方には向いていない。だから私個人にとっては、Kindleはあくまで劣化版Retina iPadに過ぎない。

しかしそれでも、この、使い方によっては間違いなく紙の書籍の代替となる読書体験を提供できるKindleという製品の、いわば歴史的意味というものを考えてみるのは意味がある。おそらく、Kindleの前では、読書というものに過剰な意味づけをせず、知的探求とは直接関係のない、単なる情報の消費プロセスとして捉えるべきなのかもしれない。これは一見微妙な差異に見えるが、そこを割り切れるかどうかは大きい。読書の私的・知的側面に重きを置いて快適なリーダーを作りこむという方向と、Kindle ストアを介して、情報消費のための大規模なエコシステムを構築するという方向は、似て非なるものである。実は電子書籍リーダーという分野を開拓したのは日本企業であった。また、アメリカの市場の動向から、電子書籍が将来、紙の書籍を圧する存在になることは、もう3年も前からわかっていた。そうして3年前の時点で予想されていた通りのやり方で、Amazonという巨人が現れ、日本の電子書籍市場を制圧しようとしている。おそらく、日本の関係者もとっくにわかっていただろう、この戦いが、情報の大衆的消費のためのプラットフォームをめぐる争いであることを。しかしこの国には、この既視感あふれる敗北の物語を止める力のあるプレイヤーは出なかったのである。


Kindle Paperwhite
  • ディスプレイ
    ディスプレイサイズ6インチ、解像度212ppi、特許取得済み内蔵型ライト、フォント最適化技術、16諧調グレースケール 
  • サイズ
    169 mm x 117 mm x 9.1 mm 
  • 重量
    213グラム
  • システム要件 ワイヤレス接続対応、コンテンツのダウンロード時にPC不要 
  • 容量
    2 GB (使用可能領域約1.25 GB) 
  • バッテリー
    明るさ設定10、ワイヤレス接続オフで1日30分使用した場合、1回の充電で最大8週間利用可能
  • 充電時間
    PCからUSB経由で充電で約4時間 
  • 対応ファイルフォーマット
    Kindle(AZW3)、TXT、PDF、保護されていないMOBI、PRCに対応。HTML、DOC、DOCX、JPEG、GIF、PNG、BMPは変換して対応 
  • 同梱内容
    Kindle Paperwhite、USB 2.0充電ケーブル、保証書、スタートガイド