著者中條高徳氏は、1982年にアサヒビール常務取締役営業本部長に就任、かねてからの主張に基づき、「アサヒスーパードライ」作戦を強力に推進、その後同社トップに上りつめる。その経歴を、陸士で教えられた兵法に結びつけて回想しているのだが、当然といえば当然だが、
「将たる者、方向を指示し、兵站す」(『統帥綱領』)という程度の抽象論であり、実際のところ話の本筋に陸軍士官学校は直接関係しないのだが、それでも、日本軍の戦訓とビジネス的な意思決定を結びつけることで、それなりに読ませる。たとえば、戦力の逐次投入の愚をガダルタナルでの敗戦につなげるエピソードは、意思決定のリスクを避けるために当たり障りない策を提示しがちな多くの管理職には耳が痛い話であろう。要するに、リーダーの原則はどこでも同じ、ということで、兵法がビジネスに役に立つことがあるのは当然で、逆もまた真ということだろう。
成功物語としてはなかなか面白い。1962年、入社10年目、販売課主任の時、中條氏は、下がり続けるシェアに言及する社長の訓示を聞き涙を流す。その日の夕方、社長に呼ばれ、シェア回復の作戦を作り提出するようにいきなり指示される。ビール作り現場の技術者に聞いて回ったところ、ビールは生が一番うまいとの結論に達する。その後は、激励されたり干されたり、紆余曲折を経ながらも実績を積み重ね、上述の成功に至る。
当時の最高のエリートコースであった士官学校に入ったという経験を、戦後、絶対不可能と言われたアサヒの復活に重ね合わせたこの本は、著者にとってはこの上ない自己満足を与えたことだろう。しかし21世紀に生き抜かなければならない我々は、アサヒビールの戦いが、大枠が決められた上での「追いつけ追い越せ」式の戦いであったことを指摘せざるを得ない。つまりこれは高度成長期の成功物語としては非常によくできているのだが、今の日本の停滞に資するところは非常に少ない。たとえば、この本からはiTunesは絶対に出てこない。
使命感、統制、一点集中、などの美徳は、「方向を指示し」の後の話である。しかし今は、その方向が見えない時代だ。国は縮んでゆく。縮む市場でのシェア争いは明らかに消耗戦だ。国際競争に出ようにも、国際競争力のない国内の規制業種が国富の過半を食いつぶしている現状では、最初から巨大な負を背負っているのも同然だ。我々に必要なのは、この国のエスタブリッシュメントを ── 評論家然と出る杭を打ちまくり、なんら恥ずるところがない彼らを、軽々と飛び越えるほどの狂気だ。
だから私は、本書には、兵法云々も悪くないのだが、日本軍におけるイノベーションのエピソードを盛り込んでほしかった。敗戦から帰納して、日本軍が非合理思考の権化のごとく塗りつぶすのは、士官学校の兵法を神聖視するのと同じくらいの知的怠惰であると思う。たとえば、零戦の設計、戦艦武蔵の戦術思想、あるいは、サイパンでの水際攻撃失敗の戦訓をいち早く取り込み敵に大損害を与えた硫黄島の戦い、などなど、現在の日本同様、負の慣性が強い状況での合理的な思考がどこから生まれ、どう実現されたのか。真に学ぶべきはそういう点だと思う。
陸軍士官学校の人間学 戦争で磨かれたリーダーシップ・人材教育・マーケティング
- 中條 高徳 (著)
- フォーマット: Kindle版
- ファイルサイズ: 519 KB
- 紙の本の長さ: 208 ページ
- 出版社: 講談社 (2012/9/28)
- 販売: 株式会社 講談社
- 言語: 日本語
- ASIN: B009I7KOUW.
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