2010年9月12日日曜日

「戦艦武蔵ノート」

終戦から20年経った1960年代に、史上最大空前絶後の巨大戦艦・武蔵の建造から沈没までをたどった取材記録。三菱重工関係者へのインタビューなどをもとに、類書にない貴重な情報を多数引き出しており、この巨大戦艦に興味を持つ人ならおそらく必読である。

本書は、当時のベストセラー小説であった『戦艦武蔵』という小説の取材記録を時系列的にまとめたものとしての位置づけで、たとえば著者が太宰治賞を受賞したくだりなど、武蔵とは無関係の著者の生活にまつわるエピソードなども盛り込まれている。この点、ルポルタージュとしては散漫な印象を与えなくもないのだが、ほとんど異常とも言える誠実さをもって実行される圧倒的な取材記録の前には、誰しも頭を垂れざるを得ない。

本書の最大の特色は、敗戦後の時点から見たありがちな政治的解釈を徹底的に排している点であろう。本書冒頭はいきなり、いわゆる「進歩的文化人」の変わり身の早さを非難する部分から始まる。
過ぎ去った戦争について、多くの著名な人々が、口々に公の場で述べている。「戦争は軍部が引き起こした」「大衆は軍部にひきずられて戦争にかり立てられたのだ」等々...。それらも、おそらく本心からの声なのだろうが、私のこの眼でみた戦争は、まったく種類の異ったものにみえた。正直に言って、私は、それらの著名人の発言を、彼ら自身の保身のための卑劣の言葉と観じた。
嘘ついてやがら ── 私は、戦後最近に至るまでの胸の中でひそかにそんな言葉を吐き捨てるようにつぶやきつづけてきたのだ。(p.5-6)
そしてこの強い思いを原動力に、当時武蔵に関わったすべての人の情熱と献身を著者は描いてゆく。敗戦という大事件から自由に想像力を働かせることは容易なことではない。たとえば、同じく多数のインタビューに基づいてはいるが、日本軍=悪の組織、との後付けの政治的ストーリーで塗りつぶされた『沖縄住民虐殺 ─ 証言記録』と対比する時、本書の著者吉村氏の知的強靭さは特筆に価する。

よく知られているように、戦艦武蔵は、大鑑巨砲時代の最後の「作品」であった。しかもその建艦思想が時代遅れであることを証明したのが、大日本帝国連合艦隊の太平洋戦争初期の戦果であった(p.17)。いうなれば武蔵は大日本帝国滅亡の象徴と言える。そういう、武蔵の存在自体が帯びる悲劇性から容易に導かれるストーリーは、日本海軍は時代遅れの巨艦を作る計画を変更できないほど頑迷であり、技術者はその頑迷な軍部に強制されて酷使されたのであり、機密保持のためにさまざまな制約を強いられた三菱重工長崎造船所の周辺住民は特高の目におびえて抑圧されていたというものであろう。

しかし著者が何度も繰り返すように、敗戦まで、日本において戦争は悪ではなく、むしろ正論を通すための正当な行為であった。少なくとも圧倒的多数の国民はそう信じていた。だとすれば、勝負がついた時点から逆算して勝ち馬に乗って、見てきたようなことを書き連ねるような知的態度では見えないであろうドラマが、武蔵という悲劇の作品の周りにあるはずだ ── そう考える著者のセンスは鋭い。

戦艦武蔵が明白な戦略的失敗の所産だとの指摘すら、我々が戦後の時点から思うほど単純ではない。元造船少佐の福井静夫氏へのインタビュー記録は興味深い(p.177-)。

  • 日本海軍の用兵思想は世界でもっとも進んでいた
    • ドイツ海軍は大和、武蔵の18インチ砲より大きな20インチ砲を持つ戦艦の建造を計画していた。
    • アメリカ海軍も戦艦重視の思想を持っていた。
    • 日本海軍は、世界の趨勢に反して、戦艦よりも航空母艦を主と考えており、太平洋戦争開戦時点で、世界最強の航空母艦群を保有していた。
  • 日本海軍の砲撃術は列強の中で抜群に優れていた
    • 日露戦争の日本海海戦では、ロシア艦隊の命中率は2パーセント(6000メートル程度の距離)。一方日本海軍は3パーセント。
    • 第1次大戦のジュットランド海戦では、イギリス艦隊は3パーセント、ドイツ艦隊は5パーセント程度の命中率(8000から1万メートル)で、ドイツ海軍が格段に優秀であった。
    • 太平洋戦争開始時の日本海軍は、3万メートルの大距離で、戦艦金剛が26%もの命中率。比叡長門陸奥はそれよりさらに優れる。これは全世界の海軍の中で一段と群を抜いたもの。
  • 武蔵、大和の建造は、上記の事実から導かれる合理的戦略であった
    • アメリカ海軍の戦艦の射程距離は3万メートル。
    • 武蔵、大和の主砲は4万メートルで、しかも、砲撃の精度は圧倒的に日本海軍が優れる。

先進的な用兵思想と共に、海戦における砲撃精度は日本海軍の最大の強みのひとつであった。すでに世界最大の航空母艦群を持ち、しかも零式艦上戦闘機のような世界最大の航続距離を持つ戦闘機を豊富に保有していた日本海軍にとってみれば、武蔵、大和の建造により万全を期したというのが事実だったのではないか。この視点からすれば、硬直化した愚かな組織による愚かな判断、という武蔵に関するありがちな評価もまた変わってくる。日本海軍に誤算があったとすれば、大戦中にアメリカ軍が、レーダーVT信管などのエレクトロニクス兵器を成功裏に実戦投入したことであろう。それを開発するだけの産業の広がりは日本にはなかった。しかしそれは軍の失敗ではない。

歴史を学ぶことの意義が、未来への教訓を得ることだとすれば、当時の意思決定プロセスを正しく理解することは重要である。それは現時点での偏見に基づいて、いわば勝ち馬に乗った上で居丈高に敗者を非難することとは、ほとんど対極にある知的作業である。このことが、先の大戦のみならず、今に生きる我々のあらゆる意思決定に当てはまることに注意したい。たとえば企業の栄枯盛衰の歴史を語る際、現在の勝ち組企業の戦略をそのまま追認し、返す刀で競争相手を非難する論法は、ありとあらゆるところで目にする。そういう態度は、上記「進歩的文化人」の態度と同様、あまり知的な態度とは私には思われないのである。


戦艦武蔵ノート (岩波現代文庫)
  • 吉村 昭 (著) 
  • 文庫: 288ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2010/8/20)
  • ISBN-10: 4006021720
  • ISBN-13: 978-4006021726
  • 発売日: 2010/8/20
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.2 cm

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