北朝鮮に拉致され、生還した蓮池薫さんの内的葛藤の記録。淡々とした筆致で、絶望の中から希望を見つけ、その希望が失われる瀬戸際での「決断」の記録は心を打つ。子供を残して日本に残るという決断である。
北朝鮮での24年間、蓮池夫妻は自分の子供に、自分たちは日本に住んでいた朝鮮人だとうそをつき通してきた。日本語は教えなかった。それ以外に子供たちの未来を開く手段がなかったからである。北朝鮮には「成分」呼ばれるカーストさながらの身分階層があり、敵国の居住暦があるとまともな教育も受けられず、まともな職業にもつけない。蓮池夫妻はわが子にすら出自を隠し、子供たちを、自分たちの住む収容所から遠く離れた全寮制の学校に通わせた。
家庭での日常の些細なやり取りを想像してみると、本当に胸が痛む。たとえば、スポーツの試合があっても、ふるさとの国に肩入れする気持ちを表に出すことはできない。あらゆる時事問題について、敵国となっている自国についての気持ちを抑え、政府の公式見解に沿う形で子供に伝えなければならない。家庭で出自を隠すというのはそういうことだ。会社の同僚にプライベートを明かさないというのとはわけが違う。
彼らには北朝鮮には当然身寄りもなく、当局の監視下での生活では友人もできるはずもない。家族の絆と、子供たちの未来が蓮池夫妻の人生のすべてであり、それを失うことは絶対にできなかった。
この感覚は、日本人の大多数には理解が難しいのだろう。日本のあらゆる空間には、おそらく縄文時代から続く人間の歴史が染み込んでおり、その結果として、ほぼ同質の文化があらゆる空間に充満している。拉致被害者としての加害国での孤独さは、日本に存在するあらゆる孤独さよりはるかに深く、暗い。
未帰還の被害者に配慮してか、北朝鮮での具体的な行動については明確には書かれていないが、逆にそれだからこそ、行間に北朝鮮での軟禁生活の生々しい現実が見えるようにも思う。2001年に、夫妻は七宝山という名山に観光旅行に出かける。24年間の拉致生活で、7回目、そして最後の外泊旅行である。さりげなくこのような一節がある。
私と家内、それに指導員の三人の三日分の食事は、大きなカバン一つに入りきらなかった。
旅行といっても純粋な観光なはずもなく、監視員つきの学習ということであろう。そしてその監視員の飲食の面倒も見なければならない。この旅行の途中、咸鏡南道で、蓮池夫妻は極貧の人々に会う。日本植民地時代日窒コンツェルンの根拠地として栄え、巨大な水力発電所で潤っているはずの地域である。
拉致という犯罪は、蓮池夫妻に、虚偽の出自を子供に教えることを強いた。しかし思えば、この国の統治が拠って立つ基盤は、金日成が日本を打倒したという虚偽の英雄譚である。虚偽なしに正当性を言えないこの国の政権が、拉致犯罪の意味を露ほども考えたことがなかったとしても、特に驚くべきことではない。
本書の最後に、蓮池氏が帰国する際、記者会見で話すように練習させられたストーリーが書かれている。
海辺の人影のいないところにいたった二人は、肩を並べて座り、涼み行く夕日を見ながら話に夢中になっていた。すると、少し離れた波打ち際に一台のモーターボートがあるのに気づいた。周りには誰もいない。興味を引かれた私は、ボートのところに行ってみる。まだかなり新しいものだった。あたりをもう一度確認した私は、ボートに乗り込み、あちこち観察して見た。操作は簡単そうだった。懐にのって海原を縦横無尽に走ってみたいという思いに駆られる。 ...
少なくとも、国家レベルで確信的に犯罪を犯す国があるということは、政治的立場を超えて、覚えておいてもいい。
- 蓮池薫 (著)
- フォーマット: Kindle版
- ファイルサイズ: 423 KB
- 紙の本の長さ: 155 ページ
- 出版社: 新潮社 (2013/4/26)
- 販売: Amazon Services International, Inc.
- 言語: 日本語
- ASIN: B00C186HAQ
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