2014年3月1日土曜日

「桶川ストーカー殺人事件 ── 遺言」

ストーカー防止法の元になった有名な事件の取材録。並の取材録ではない。警察がまるで動かない中、当時Focus誌の記者だった著者が自らの情報網を使い犯人に肉薄、虚偽報道に心を痛める被害者家族・友人の信頼を得つつ、最終的に犯人を追い詰めるまでの生生しい記録だ。私はもちろんこの事件を知っていたが、恥ずかしながらこの記者の取材記録については何も知らなかった。驚いた。一気に読んだ。大げさに言えばこれは、日本経済の成長の足を引っ張る非競争的セクターの病理の典型事例であり、組織の生産性を上げるために何をすべきかについての格好の反面教師となっている。冗長な著者の文章スタイルを差し引いても、現代インテリゲンチャ必読の書だと思う。

この事件自体は有名なので繰り返さない。 著者が指摘する問題は2つだ。まずはまったくやる気のない上尾署という組織。それに対し何の監視能力も持たない記者クラブ所属のマスコミ。 上尾署の独特の空気は記者会見からもよく伝わる。



一方、事件発生後、事実と異なる報道を大量に垂れ流した記者側の論理はこうだ。

 「僕らは事件記者じゃないんです。警察に詰める警察記者なんですよ」 わかりやすい話だった。警察詰め記者イコール事件記者ではないのだ。そうか、彼らはあくまで警察を担当している記者なんだ。だから警察発表を記事にしていくのは何ら不思議ではないのか...。 私が取材で求めているものと、警察に詰める記者達や新聞社が求めているものは似ていて違うのだ。私は事件を取材する。だから事件記者。彼らは警察を取材する。だから警察記者。(「第6章 成果」) 

結果論からすれば、彼らは人の心を持たぬ鬼のように思える。しかし単にそう断罪するだけでは何も進まない。彼らの行動を支えた論理について想像力を働かせ、反面教師として未来につなげるべきだ。

おそらく、警察も記者クラブ記者も、業務において量の上で大半を占める日常のルーティンワークが、いつしか価値の上でも最上位に来ると考えるようになったのだろう。そもそも何のために業務があるかを忘れ、単に目前の業務を右から左に流す。そうなると、日常の定型的な事務処理から外れる捜査とか取材とか、そういうものはただの面倒、さらにはむしろ存在すべきでない悪に見えてくる。

この連鎖を断つ鍵は、組織自体の目的を、個々の業務といかにつなげるかという点にある。少なくとも経済原則から言えば、警察は、究極的には、納税者にサービスを提供する組織である。一部の人権を暴力的に制限することで、最大多数の最大幸福を目指すという意味で、高度な倫理観と使命感が要求される。マスメディアも非常によく似ている。彼らは第一義的には、新聞購読者や、スポンサー企業およびその顧客に、情報サービスを提供するのが目的となる。事件報道の場合、一部の人権を制限することで最大多数の最大幸福を目指す。

 要するに、誰が「お客様」なのかという点さえ覚えておけば、日常業務における価値の転倒が起こることはないのだが、日常的に市場での競争にさらされていない彼らには、それを考える動機などないのだろう。自発的にそれが起こりえないのだとしたら、上位の目的を下位の業務と関連付けるために、組織の長の強力なリーダーシップを期待したいところだが、それもまた望み薄なのだろう。 

この最悪の事件が、ある意味業務に忠実な、真面目な人たちによる、真面目な業務への専念により引き起こされたということは銘記しておきたい。


桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)
  • 清水潔 (著)
  •  フォーマット: Kindle版 
  • ファイルサイズ: 1536 KB 
  • 出版社: 新潮社 (2013/5/24) 
  • 販売: Amazon Services International, Inc. 
  • 言語: 日本語 
  • ASIN: B00CL6N0GW

0 件のコメント:

コメントを投稿