見所はおそらく2つだ。ひとつは、1925年、「ヘルゴランド島の夜明け」として知られる量子力学発見の感動的瞬間であり、もうひとつはその20年後、原爆の開発成功とその投下を知った際の苦悩の記録である。通俗的な表現を使うなら、天国と地獄、というわけであるが、それぞれのエピソードが「部分と全体」というモチーフに絡みつきながら時系列的に進行してゆくあたり、文学的にもなかなかのものである。
1925年の春、24歳のこの青年物理学者はひどい花粉症にかかり、2週間ほど休暇をとって、海の空気を吸いにヘルゴランド島というドイツ北方の小島を訪れた(地図)。彼は当時の理論物理学の最大の問題であった水素のスペクトル線の謎を解くための理論的モデルの確立に取り組んでいた。彼は、いくつかの試みのあと到達した定式化をあらゆる角度から検討した。そしてある日のほとんど明け方になって、最大の懸案であったエネルギー保存則の証明にようやく成功する。
最初の瞬間には私は心底から驚愕した。私は原子現象の表面を突き抜けて、その背後に深く横たわる独特の内部的な美しさをもった土台をのぞきみたような感じがした。そして自然が私の前に展開してみせたおびただしい数学的構造のこの富を、今や私は追わねばならないと考えたとき、私はほとんどめまいを感じたほどだった。ひどく興奮していた私は寝ることなど考えることもできなかった。そこで家を後にして、明るくなりだした夜明けの中を台地の南の突端へと歩いて行った。そこには、海の方へ張り出して超然とつっ立っている岩の塔があった。それは、今までいつも私に岩登りの誘惑をよびおこしていたものだった。私は大して苦労することもなくその塔によじ登ることに成功し、その突端で日の出を待ったのであった。
私がヘルゴランドの夜に見たものは、もちろんアーヘン湖畔の山で見た、あの陽光に照り輝やいいた岩壁のすばらしさより、いくらかまさっていたであろうか。(p.101)
これが量子力学誕生の瞬間、「ヘルゴランド島の夜明け」のエピソードである。何ヶ月もの、深い深い思考の末に、ごくまれに出会える創造の感動。これは昨今流行の「知的生産の方法」(これとかこれのたぐい)とは、まったく、少しも、関係がない。当たり前であるが、歴史の検証に耐えるのは、情報リサイクル業者ではなくて、真の創造者の仕事である。
この感動を味わった20年後、ハイゼンベルグは焼け野原になった敗戦国ドイツで、同盟国日本に対する原爆投下のニュースを聞く。ドイツの物理学者のうち、原子核分裂の発見者であるオットー・ハーンの苦悩は深刻であった。
一九四五年八月六日の午後のことであった。 一個の原子爆弾が日本の広島市の上に投下されたということをたった今ラジオで聞いたと言ってカール・ビルツが突然私の所へやってきた。
最もひどいションクを受けたのは、当然のことながらオットー・ハーンであった。ウランの核分裂は彼の最も重大な発見であったし、それは原子技術への決定的で、かつ誰にも予想さえつかなかった第一歩であった。そしてこの一歩が、今や一つの大都市とその市民に、しかもその大部分の者は戦争について責任はないはずの武器を持たない人々に、恐るべき結末をひき起こしたのであった。ハーンのションクはひどく、取り乱して彼の部屋にもどって行った。われわれは彼が自殺するのではないかと真剣に心配した。(p.310-311)
そうして、「この不幸について、われわれは皆共犯なのだろうか。またこの罪は、そもそもどこにあるのだろうか?」と問いかけ、長い対話が始まる。伝統的に、特に欧州では、物理学とは神の創造したこの世界を理解するための純粋で崇高な営みであると固く信じられていた。しかし、非戦闘員の無差別殺戮という行為に結びついた科学的知見に、何らかの罪の影を見ることは容易である。これは衝撃的な出来事であったに違いない。
ハイゼンベルクらの議論は、透徹さより狼狽を感じるものであるが、到達した結論は、学問上の発見(理学)と発明(工学)、それに政治的権力を混同すべきではないという、素朴だが今もなお繰り返し確認すべき価値のある命題であった。「部分」としての各研究者は、各人の営みが「全体」としての社会や歴史にどういう影響を与えるかあらかじめ計算しておくことはできない。この不可知性があるがゆえ、原爆という悲劇から逆にたどって、物理学者を責めることは論理的に不可能だ、というのが彼らの考えである。おそらくそれは正しい。
ハイゼンベルクらの議論は、透徹さより狼狽を感じるものであるが、到達した結論は、学問上の発見(理学)と発明(工学)、それに政治的権力を混同すべきではないという、素朴だが今もなお繰り返し確認すべき価値のある命題であった。「部分」としての各研究者は、各人の営みが「全体」としての社会や歴史にどういう影響を与えるかあらかじめ計算しておくことはできない。この不可知性があるがゆえ、原爆という悲劇から逆にたどって、物理学者を責めることは論理的に不可能だ、というのが彼らの考えである。おそらくそれは正しい。
部分と全体との間に、不可知性を媒介にした緊張関係があるという事実は、物理学上の諸問題ではありふれたモチーフであるが、一般にはあまり知られていないようである("More is different")。1945年当時の、核技術の利用についての、限界はあるにせよ誠実な対話と、「ヘルゴランド島の夜明け」の美しいエピソードは、もう少し広く共有したいものである。
部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話
- W.K. ハイゼンベルク (著), Werner Karl Heisenberg (原著), 山崎 和夫 (翻訳)
- 単行本: 403ページ
- 出版社: みすず書房; 新装版 (1999/11)
- ISBN-10: 4622049716
- ISBN-13: 978-4622049715
- 発売日: 1999/11
- 商品の寸法: 19 x 13.2 x 2.8 cm
≪…おびただしい数学的構造…≫
返信削除西洋数学の成果の6つのシェーマ(符号)【e ⅰ π ∞ 0 1】からの『贈り物』として【[桁表示]の[0 1 2 3 4 5 6 7 8 9]】よる[十進法]の基での【e】【π】を関係付けていたものは、[自然数]の[1 2 3 4]である。
それは、[直交座標]の【e】で基底(保型)する平行線の[正方形の面積(二次元の量(数))]と[極座標]の【π】で[保型]する[球の大円の面積(二次元の量(数))]とで[直交座標]では【e】が隠れ、[極座標]では【π】が顕れることだ。
【e】【π】は、[カオス表示] [1 2 3 4]は、[コスモス表示] [0]は、[カオス・コスモス表示]とする。
[極座標]と[直交座標]の各々の[次元]の[0][1 2 3 4]の[コスモス表示]の徴表する代表(《部分》と《全体》)をイメージする。
[次元] [極座標] [直交座標]
《全体》 《部分》 《全体》 《部分》
『次元の数』 『球の数』 『平面の数』
0 ― 0 ― 0
1 2π …∞ …∞ 1
2 π …∞ …∞ 1
3 4π …∞ …∞ 1
4 (4/3)π …∞ …∞ 1
《部分》と《全体》を[直交座標]と[極座標]において[時間]と[空間]との関係付けを『球の数』と『平面の数』にネガテイブケイパビリティしてみる。
[極座標]は、【π】を獲得し[時間](連続)して、[時間]を[空間]に閉じ込めての[球の数]の徴表と観る。
一次元は、過去と未来の二事象 → 2
二次元は、[円]は『時間を持つ』 → 1
三次元は、[時間を主張]した[空間] → 4
四次元は、[時間]を[空間]で単位化 → 4/3
[直交座標]は、【e】を内在し[空間]を[時間]に閉じ込めての[平面の数]の徴表と観る。
一次元は、【e】【i】(『自然比矩形』)を通して → 1
二次元は、【i】と[1次元の1]で → 1
(「正方形」は『時間を内在』) → 1×1
三次元は、【i】と[2次元の1]で → 1
(「立方体」は『時間を内在』) → 1×1×1
四次元は、[空間]を[時間]で単位化 → 1
[時間]と[空間]を[無次元化] → 1=[(4/3)×(?)]
[直交座標]の[立方体]の中心と頂角の距離は、[√3/2]の1次元の数であるが2次元の数[3/4](?)で観ると[空間]を[時間]で単位化していることに生る。
二次元は、[極座標]と[直交座標]との交叉点で[時間]と[空間]を[無次元化](1)する。
【e ⅰ π ∞ 0 1】からの『贈り物』の『自然数』は、『次元の数』にも意味ある徴表に気が付く。
『自然数』を[スービタイズ数]と深淵すると《部分》と《全体》の『時空間』を絡めた眺望からも≪…おびただしい数学的構造…≫を観ることになりそうだ。
≪…おびただしい数学的構造…≫は、
返信削除[絵本]「もろはのつるぎ」で・・・