売れっ子を叩くことで自分も名を売ろうという下心があるのかないのか、牽強付会な感のある悪意の筆致にはやや閉口せざるを得ない。しかし、彼女をまるで自己啓発セミナーのカリスマ教祖のように崇め奉る女性はどうやら百万人規模でいるようだから、この種の事実の指摘には意味があるといえるのかもしれない。当たり前だが、勝間和代も、ほかのすべての人間同様、不完全な存在である。追従者になるのもいいが、その「教祖」も生身の人間であることを常に認識すべきだ。
長女との関係において、勝間は大きな問題を抱えているようだ。長女が書いたというブログの文面は非常にどぎつい。
「お母さんと下の株と近所の神社に初詣に行った。母さんが肩に触れてきたのを、なんとなく身をよじったら、お母さんに泣かれた。」
「経済評論家のK氏の自宅が本日燃えて死亡
氏は出張中で、娘二人がベッデオに横たわる姿でまっくろこおげ!(略) K氏は悲しみを胸に1冊の小説を書き起こし、大ヒット! ノーベル文学賞と経済学賞を同時に受賞! 受賞した日にひと言。『人生に無駄な経験はありません 火事を起こした長女も浮かばれていることでしょう』」
この話に話題が及ぶと、勝間は目を真っ赤にして泣き出したという。長女は母親に素朴な共感を求めているだけのように思える。肯定も否定も、最適化も価値判断もしないただの情報共有。この記事にあるブログの引用がフェアなものだと仮定すればだが、女性特有なそういう心の動きに、勝間は比較的疎いのかもしれない。

主に勝間により進められた離婚処理は、有無を言わさぬくらいに手際よいものだったらしい。しかしその後、子供との交通権などの離婚条件の実行をめぐって事態は泥沼化する。離婚後まもなく勝間は新しいパートナーと同棲を始めた。しかしそれは、勝間自身の浮気に端を発するものであった。すなわち勝間は、離婚条件に重大な影響を与える自らの不法行為を隠すことで、離婚交渉を優位に進めたことになる。
それは卑劣と言えば卑劣なのだが、この、勝間に対して悪意あふれる記事を読んでも、私は特に勝間に対して悪感情を持つことはなかった。誰しも若い頃は不完全なものである。「できちゃった婚」は若すぎた二人の青春の蹉跌だったのだろうし、それが破綻する過程では、お互いがそれぞれの限界に応じて、卑劣と非難されうることをほとんど必ずするはずである。相手を一方的に責めることは、人間としての器の小ささを認めることである。
ちなみに、記事に出てくる元夫のブログも、長女のブログも、今では見ることができないようだ。この記事のような悪意を、彼らは想定していなかったのではないだろうか。わずかな不幸の兆候を第三者が拡大するのはよい趣味ではない。このような、一般人なら確実に名誉毀損となる記事が公に出回ってしまうとは、売れっ子もつらいものだ。これにめげず、勝間氏には今後ともいっそうがんばってもらいたい。
勝間和代「男とウソ」
- 青沼陽一郎 著
- 週刊文春 第52巻 第1号
- 2010年1月7日発行
- pp.218-221