2009年12月26日土曜日

「瀬島龍三 参謀の昭和史」


現在話題を集めているテレビドラマ「不毛地帯」のモデルと言われている元大本営参謀・瀬島龍三についてのルポルタージュ。昭和62年に月刊『文芸春秋』誌に掲載された「瀬島龍三の研究」をベースに加筆修正したものである。著者にはかなりの調査費が与えられていたらしく、凡百の週刊誌的噂話集のようなものと異なり、自分以外にもスタッフを使いつつ、非常に丹念に証言を集めている。いくつかの主観的感想の部分は除外するとしても、調査報道としては非常にレベルが高い。

瀬島本人の言によれば、瀬島の人生は4つに大別される。ひとつは大本営参謀としての時期。2つ目は11年間のシベリア抑留。3つ目は伊藤忠商事に入社し会長にまで上りつめる時期。最後が、政府委員として第2臨調や臨教審で政府のブレーンとして活躍した時期である。抑留時代は別にしても、各時期において望みうる最高の成功を手に入れたこの瀬島という人物は多くの人の興味を引くはずである。山崎豊子のベストセラー「不毛地帯」のモデルとなればなおさらである。

最初に言っておくが、「不毛地帯」における主人公は、確かに瀬島と似た人生経歴をたどるが、その人物の実像は大きくドラマと異なる。著者が丹念に調べた事実から察するに、瀬島は、何か大枠が与えられた時にその中でのリソースの配分に力を発揮するタイプの人間であり、価値の大枠自体を提示できる人物ではない。だから瀬島は、瑣末なことは語るが本質は語らない、といった印象を著者に常に与えている。おそらくそれは何か狡猾な計算に基づくというよりは、瀬島の行動様式そのものなのであろう。

そしてその行動様式が時の権力者に愛され、瀬島は人生の各時期において、異様とも言える成功を収める。しかしその代償として、各期において虚実織り交ぜた噂が流布されている。本書はそのそれぞれについて詳細に調べ上げている。

大本営参謀時代の瀬島には、幻の台湾沖航空戦を否定する大本営情報課参謀・堀栄三の電報を握り潰し、結果としてそれがレイテ決戦の悲惨きわまる結果につながったという批判がある(堀については別稿参照)。これは堀本人その他複数の証言があり、事実のようである。しかし本書に詳述されているように、大本営というところは、ルーズベルト大統領から天皇陛下への親電の受信を、勝手な判断で15時間も遅延させることを是とするような組織である(p.110)。その独特の雰囲気の中では、情報の握り潰しなどは日常茶飯であったろう。それに仮にその電報がしかるべく処理されていたとしても、超好戦的な空気に満たされた大本営の奥の院たる作戦課の行動には大きな影響を与えなかったことだろう。

瀬島に関する噂でもっとも深刻に語られるのは、関東軍参謀として、日本将兵のシベリア抑留を認める密約をソ連と結んだというものである。その根拠の出所は、日本がソ連に和平の仲介を依頼した際の日本側のレジュメ(「対ソ和平交渉の要綱(案)」)にあった次の一節である(p.69)。

  • 海外にある軍隊は、...、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむことに同意す(第3項)。
  • 賠償として一部の労力を提供することには同意す(第4項イ項)。

そして、関東軍の武装解除の際、このような条件がソ連側に提示され、ソ連はいわば半合法的にシベリア抑留という歴史上まれにみる犯罪行為を行ったというのである。むろん瀬島は一介の参謀に過ぎず、国家を代表してこのような条件を提示する権限などないのだが、武装解除の交渉の現場に立ち会った当事者のうち長く存命していたのが瀬島だけだったため(p.72)、瀬島には真実の証言が強く求められた。しかしなぜか瀬島は、結局一切の証言をせずに鬼籍に入るのである。

これまで、その「密約疑惑」を確証する歴史的な事実は知られていない。そもそも、ハーグ陸戦協定は、捕虜の労役を認めており、捕虜として拘束された日本将兵が労役に供されること自体は異常なことではない。同協定の第6条には、「国家は将校を除く俘虜を階級、技能に応じ労務者として使役することができる」などとある。

問題は、戦争終結後11年にわたり、1割の人間が死ぬような過酷な環境で使役をする是非である。むろんそれを正当化する根拠など何もないし、ポツダム宣言にすら反している。したがって、素人なりに常識的に判断すれば、仮に、武装解除の過程で何らかの条件や手続きの提示があったとしても、その悲劇の責任のほぼすべてはソ連側にある。日本側で犯人探しをするのは了見が違うと思う。

このように、瀬島に関する非難の多くは、反軍・反日が知性の証のように思われていた戦後日本の悲しい心性に由来するものが多く、ほとんどの場合、瀬島としても黙殺するしか道はなかったろう。残念なことに本書の著者もそういう時代的制約から自由ではありえず、たとえば、日本ほどいい国はないと述べた瀬島の言葉を捉えて、それを「偏狭なナショナリズム」などと決めつけている(p.272)。それは無茶というものだ。

そういう批判の理不尽さを差し引いても、しかし、私はこの瀬島という人物を好きにはなれないだろうと感じた。個々の局面において、瀬島のマネジメント能力は一級品だったのだろう。社会的成功を遂げたところから見て、人間的魅力にも特筆すべきものはあったのだろう。しかし先に書いた通り、彼は我々に何も新たな価値を残しはしなかったように思える。本書で紹介される彼の言葉は弱く、ありきたりだ。おそらく、瀬島は来た球を器用に打ち返せる人であったが、決して球を投げ込む人ではなかった。瀬島はその時その時で善と信ずる行為をしようとしたように見える。しかし来た球を打つだけの人は、状況が変わるたびにその行動指針も変化せざるを得ない。ある人はそれを変節と言い、無責任と呼ぶだろう。そこには人間の不可避的な弱さがあり、それを責めるのは酷ではあるが、瀬島が手にした社会的権力を考えれば、言ってみれば超人的な首尾一貫性を求めたくなるのは仕方なかろう。この点において、著者による瀬島批判には基本的に同意するものである。


瀬島龍三  参謀の昭和史 (文春文庫)
  • 保阪 正康 (著)
  • 文庫: 302ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (1991/02)
  • ISBN-10: 4167494035
  • ISBN-13: 978-4167494032
  • 発売日: 1991/02

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