2010年9月2日木曜日

「イノベーションのジレンマ ― 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」

市場での勝者がどのように生まれているかを、技術革新の不連続性に着目して実証的に説明する本。ビジネス書にありがちな主観的な断定、説教調の後付け的説明を徹底的に排し、ほとんど実験科学のようなスタイルで様々な結論を導く。理系研究者の読書に耐える稀有なビジネス書といえよう。ベストセラーとなった本だけにある意味侮っていたが、読んでみて反省した。

原著が出されたのはおよそ10年前のことだが、内容はまったく色褪せていない。むしろ出版がその時期だからこそ、過去のアップルの失敗にも率直な観察がなされており、勝ち馬に乗ってお追従を連ねるお手軽文筆業者の底の浅さを照射するという点でも面白い。

それはともかく、本書におけるもっと強烈なメッセージは、顧客第一主義は失敗する、というものである。持続的成長を遂げている企業の経営陣は優秀であり、市場すなわち既存顧客からの意見に直ちに耳を傾ける。しかし本書における数々の事例は、企業が失敗する場合、そういう「優秀な経営陣そのものが根本原因」(p.143)であることを教えている。

これはどういうことだろうか? 市場の声に耳を傾け、より利幅の大きい高性能・高品質の製品を開発することのどこがいけないのだろうか?

これを理解するために、実績ある企業の意思決定のパターンを見てみよう(p.77-84)。

  1. 技術的革新は、豊富な研究開発資源を持つ実績のある企業でなされることが多い。意欲ある技術者が試作品を作ることもあろう。
  2. 試作品や製品計画について既存顧客に意見を求める。破壊的革新のカテゴリに属するものに対する反応はたいてい鈍い。顧客自身も、現在のバリューネットの外に出るものに対する評価軸を持っていないからだ。
  3. その結果、実績ある企業は、技術開発の軸足を既存技術の延長線上に置く。それがビジネスを「右上の領域」、すなわち高収益領域に導くことは確実であるからである。
  4. 意欲ある一部の技術者がスピンアウトして新企業を作り、その破壊的技術を売る市場を見出す。その市場規模は既存市場と比べて桁違いに小さく、属するバリューネットも異なる。
  5. その新企業は新しい市場を掌握し、破壊的イノベーションの力で徐々に既存の上位市場を侵食し始める。5.25インチのハードディスクドライブが、メインフレームやミニコン用の大型ハードディスクドライブを駆逐していったように。
  6. この期に及んで、実績ある企業も新しい市場に参入を試みる。しかしすでに市場の多くの部分は、新規参入企業に持っていかれてしまった後である。収益は頭打ちになり、既存市場でのビジネスで肥大化した身体を維持することがてきず、急速に業績が悪化してゆく。

優秀な企業においては、現在のビジネスモデルに社内の判断基準が適合しているがゆえ、ある時期は高収益を上げ、企業の規模の成長してゆく。しかしそれがゆえに、まだ存在すらしない新市場に参入するのは困難となってゆく。

第4章にこのあたりの事情を面白おかしく解説したくだりがある。マーケティング部門の社員と技術部門の社員がそれぞれ、2階級上のマネージャーに新製品のアイディアを提案した。念頭に置かれているのはハードディスクドライブ(HDD)である。

マーケティング部門の社員は、既存製品を大容量化・高速化したものである。上級役員の質問に彼は如才なく答える。

  • どういう人がこれを買うだろうか
    • ワークステーション業界のある一分野全てです。この分野では、毎年、6億ドル以上がドライブに投資されています。今までの製品はそれほど大容量ではなかったので、この市場には手が届きませんでした。この製品なら参入できると思います。
  • このアイディアを潜在顧客に見せてみたのか
    • はい、先週カリフォルニアに行ってきました。各社ともできるだけ早くプロトタイプがほしいとのことで、設計までの猶予は9ヶ月でです。各社は現在の納入業者[競合他社X]と製品を開発中ですが、X社からうちに転職してきたばかりの者に聞いたところ、仕様を満たすのはかなりむつかしいようです。うちならやれると思います。
  • しかし技術者たちはできると言うだろうか。
    • ぎりぎりだというでしょうが、お分かりでしょう。やつらはいつもそう言うのです。
  • 利益率はどれくらいになるんだ
    • わくわくしますよ。現在のうちの工場で作れるとして、1MBあたりの価格をX社と同じで販売すれば、35%近いと思います。


一方、価格、サイズ、速度、容量、全てにおいて下回る新しいカテゴリの製品を技術者が考案しそれを新製品として提案したと想像してみよう。新しいカテゴリであるがゆえ、彼の答えは具体性を欠く。

  • どういう人がこれを買うだろうか
    • わかりませんが、どこかに市場はあるはずです。小型で安いものを求める人は必ずいますから。ファックスとかプリンターとかに使えるんじゃないかと思います。
  • このアイディアを潜在顧客に見せてみたのか
    • ええ、先日トレードショーに行ったとき、アイディアをスケッチして、今の顧客の一人に見せてみました。興味はあるが、どういう風に使えばいいかわからないと言っていました。現在、必要なものを全部入れるには270MBが必要ですが、これにそんな容量を詰め込むのは無理な話です...少なくとも、当面は。ですから、あの顧客の反応は驚くほどのことじゃありません。
  • ファックスのメーカーはどうだね。なんと言っていたんだ。
    • 分からない、といっています。興味はあるが、製品の規格案はもうできているし、その中でディスク・ドライブを使う予定はないと
  • このプロジェクトで利益が得られると思うかね
    • ええ、思います。もちろん、価格をいくらに設定するかによりますが

このやり取りを読めば明らかな通り、「既存ユーザーのニーズに的を絞ったプロジェクトは、かならず、存在しない市場向けに商品を開発する企画に勝つ」(p.127)。当然である。確実なリターンが望めるからだ。優秀な管理職であればあるほど、破壊的イノベーションにつながる決定からは逃げる傾向にある。

結局、実績のある企業においては、通常業務のプロセスの中で破壊的イノベーションをサポートすることはきわめて難しい。本書はそのための処方箋として、スピンアウト型の進出を勧めている。この成功例としてはQuantum社の3.5インチHDDの例と、IBMのPCの例を挙げている(第5章)。前者では、新カテゴリの製品であった3.5インチディスクの開発をスピンオフした別会社にやらせ、Quantum社本体は出資という形で関係を保った。市場がすっかり3.5インチに席巻されてしまった後は、その別会社の方が事実上本体を吸収する形で、新生Quantumは生き残った。IBMのPC事業では、本流事業から遠い西海岸で、大幅な自由度を持った独立な事業部が、メインフレーム事業との利害関係から離れてPC事業を成功させたのであった。

しかしこのモデルは、労働市場が最初から流動的なアメリカでは機能するだろうが、日本だと難しい。大企業を辞めて起業するリスクが高すぎるのである。本書において豊富なデータで論じられているあらゆる事例は、現在の日本の国際的企業の苦境の多くを説明するが、本書が提示する処方箋は、残念ながら日本では有効ではない。労働市場の流動化は企業の枠を超えた話である。政治のリーダーシップが望まれるが、散々指摘されているように、労働組合を支持母体として持つ民主党政権には改革の当事者能力はないであろう。

繰り返しておこう。「企業が破壊的技術を、現在の主流顧客のニーズに無理やり合わせようとするとほぼ間違いなく失敗する」(p.295)。主流顧客のニーズをサポートするための組織が、破壊的技術を排除するように設計されているからだ。才能ある人材をひきつける程度に実績ある企業においては、破壊的技術の目は先進的な技術者により社内ですでに知られていることが多い。スピンオフ型の事業展開を実現できるかどうかが、後の時代に名を残す経営者になれるかどうかの分かれ道である。


イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
  • クレイトン・クリステンセン (著), 伊豆原 弓 (翻訳), 玉田 俊平太
  • 単行本: 327ページ
  • 出版社: 翔泳社; 増補改訂版版 (2001/07)
  • ISBN-10: 4798100234
  • ISBN-13: 978-4798100234
  • 発売日: 2001/07
  • 商品の寸法: 19 x 13.2 x 2.8 cm

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