一生懸命、一心不乱。著者の気真面目ぶりは尋常ではない。まっとうに働いていればこの人は一流の仕事を為せたかもしれないのだが、幸か不幸か、絶滅危惧種の左翼セクトにハマってしまった。本書は系統としては、奥浩平『青春の墓標』とか高野悦子『二十歳の原点』と同様の「悲愴系」で、以前評した『ゲバルト時代』にあるようなオチャラケ要素が何もない。最後の方に出てくる心中のシーンはすごい。活動資金を作るべく事業を始め、それに失敗して借金を背負った元彼を助けようと、彼女に好意を持つ男たちに金を貢がせトラブルになり、一緒に死んでくれと首を絞められる。結局大事には至らなかったのだが、そういう、自らの善なる魂が周りを不幸にしてゆくエピソードがたくさんある。それを真に受けて読むと気が滅入るので、イタい女のアホアホ道中、みたいに笑い飛ばすのが、おそらく当事者たちにとっても幸せだろう。何しろ、この気真面目集団が青春を捧げた組織は消滅してしまっているのだ。すべてを喜劇と見てあげるのが思いやりというものだろう。
著者は、目の前の現実がかりそめの汚れた世界で、世界を覆う黒い霧のようなものを一挙に晴らす魔法のようなものが存在する、といつも信じているタイプのように見える。残念ながら著者の筆力は乏しく、しかも特に後半は編集者も手を抜いたようで文章もグダグダで、著者がなぜそのような感覚を持つにいたったのかという点は読者にはわからない。しかしそのようなことをまるで気にかけないかのように、文中の著者は疾走を続ける。しかしそれが強がりでも何でもなく、おそらく素のままの自分を書き連ねたというのが感じられ、不思議と読後感は悪くない。周りの男が彼女に巻き込まれていったのは、たぶん間違いなくこの素の一生懸命さが故であろう。これは文学にはならないが、悪いオトコにつかまりがちな女性たちとか、自己啓発セミナーにハマりがちな青年たちは、自分の姿を著者に重ねて感動することもできるだろう。
ただし言っておく。青春のすべてを捧げ、しかも自分ばかりか周りの人間まで運動に巻き込んだにしては、運動それ自体の理解が心もとない。その点において、いわゆる全共闘世代と共通の醜さを感ぜずにはいられない。著者にとっては「革命」は、黒い霧を一挙に晴らす情緒的な魔法なのかもしれないが、党派が消滅したという事実が示すように、客観的にはそれは無、それどころか悪であり、その悪に加担したという罪は一生消えない。当人にとっては美しき青春の思い出なのかもしれないが、彼女にオルグされ人生を狂わされた有為な青年たちには、悪を為したのである。それを忘れてはなならない。深刻に反省せよ。
I LOVE 過激派
- 早見 慶子 (著)
- 単行本: 276ページ
- 出版社: 彩流社 (2007/09)
- ISBN-10: 4779112893
- ISBN-13: 978-4779112898
- 発売日: 2007/09
- 商品の寸法: 18.6 x 13 x 2.4 cm
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