2011年5月31日火曜日

ThinkPad USB トラックポイントキーボード

トラックポイント付きのUSBキーボード。ThinkPadに慣れた人はもちろん、マウスを廃止して机を広く使い人にも便利な選択肢である。

トラックポイント付きキーボードの歴史は実は長く、鍵人というサイトで昔さんざん議論したことだが、1990年代前半から、日本語キーボードとしてはたとえば5576-C01、英語版だとこちらにあるような多くの機種が知られている。歴史的に見れば本機はその延長線上にある最新機種といった位置づけになる。

むろん、質感の観点では、座屈ばね機構を備えた古き良き高級機の足元にも及ばないことは明らかで、その意味で最初から使い捨て程度の認識であった。が、触ってみて感心した。この値段で、ドライバを含めたこのクオリティは立派である。

トラックポイント付きのような「特殊」なキーボードではしばしばドライバーの不適合が起こる。本機はキーボードの刷新と共にドライバーも改良がなされたようで、こちらから取得したドライバをインストールすることで、ThinkPadはもちろんPCにおいてもスクロールボタンなどの基本機能が問題なく動作する。私の場合PC切り替え器を使っているのだが、PC切り替え器を介してもセンターボタンが完全に動作したのには驚いた。

本機は、ウルトラナビ付きの、Lenovo ThinkPlus USBトラベルキーボード 31P9490 の後継として作られたものである。このキーボードの評判は悪かった。実は私も持っていたのだが、タッチパッド下のボタンを押すたびにギシギシ音がして耐え難く、何より本質的な問題は、タイプ時に取りこぼしが多発することである。これはその筋で国際的に有名な話で、どうやらある時期まで、欠陥製品が製造されていたようである。

私としてはこれがレノボか、と一瞬思っただけで、落胆すらしなかったのだが、レノボには骨のあるエンジニアがまだ残っていたらしい。本機は、取りこぼしのような基本的すぎる性能について問題ないのはもちろん、この軽さにしては全体的にしっとり感のある丁寧なつくりで好感が持てる。ドライバについての着実な改良もすばらしい。今のThinkPadの打鍵感が嫌いでなければ、確実に有用なキーボードとなろう。理想を言えば、鉄板を底に入れるなどして、ThinkPad 600シリーズのような剛性を達成してくれれば完璧だと思われるが、昨今の状況ではこれ以上の価格にするのは難しいのだろう。

以下、読者の便宜のため、細かい参考情報を載せる。
  • ThinkPadとの接続
    • ThinkPadの外付けキーボードとして本機は最適である。夏など、特にXシリーズはパームレスト部が熱くなり不快であるが、その場合、本機と外付けディスプレイを買えば圧倒的に快適な作業環境を実現できる(新しい機種はDisplayPort経由でディスプレイにデジタル接続もできるので、視認品質が下がることはなない)。
    • ThinkVintageボタン、ボリュームボタン、マイクOn/Offボタン、音声Offボタンのすべてが動作するので、ThinkPadを使っているのとまったく変わらない作業環境が達成できる。
    • なお、当然ながら、ThinkPad以外のPCではボリュームボタン等は動作しない。
  • スクロールボタンの機能制限
    • 現在のところ、リモートデスクトップ接続だとスクロールボタンが使えない模様である。ThinkPadにおいては、tp4table.dat の修正などのTipsがよく知られているが、本機に関しては適用不可能のようである。リモート接続を多用される方は注意されたい。
  • 打鍵感
    • おおむね最近のThinkPadに準ずる。薄く、軽いため、強く叩くと指に不快な揺れを残す。往年のModel M等とは比べようもないが、それでもこの軽さにしてはバランスよく作られており、ゴム足のダンパ機能も優秀である。


レノボ・ジャパン ThinkPad USB トラックポイントキーボード(英語) 55Y9003
  • 概要
    • トラックポイント付き
    • Fnホットキー付き
    • Volume Up/Downキー、Volume Muteキー、Microphone Muteキーあり
    • キーボードの角度調整可能
  • 一般
    • 製品番号 55Y9003
    • 商品名 ThinkPad USB トラックポイントキーボード(英語)
    • ダイレクト価格: ¥6,300 (税込)*
    • キャンペーン価格: ¥5,796 (税込)*
    • 保証期間 3 年
    • 奥行き 19 mm
    • 高さ 312.8 mm
    • 幅 220 mm

2011年5月28日土曜日

iiyama ProLite E2607WS

イーヤマ(旧飯山電機)のWUXGA(1920×1200)の25.5インチ液晶ディスプレイ。

最近の大型液晶ディスプレイの価格下落はめざましい。これは主に量産効果によるものであろう。以前と異なり、家庭用テレビは液晶が主流になった。大型パネルのほとんどは、デジタル放送をそのまま(dot-by-dotで)表示できる1920×1080ドットのいわゆるフルHDという解像度を採用している。価格下落は、液晶ディスプレイの市場が、テレビ用という巨大な領域を得て爆発的に広がったためで、それは慶賀の至りなのだが、問題はこの16:9という横長サイズがPC上での作業といまひとつ相性がよくないことである。

研究なり事務処理などの実務において、A4サイズを画面上で読めるかどうかは本質的な違いである。これができないディスプレイだと紙による印刷が必須となり、プリンタを別途用意しなければならない。プリンタ自体は安くても、そのスペースや消耗品のコストをも考えれば、相当高くつくことは明らかである。つまりトータルで見て、エネルギー消費効率が悪い。したがって、A4を原寸大表示でき、なおかつそれと同等以上の作業スペースを確保できること。さらに願わくば、数十ワット以下の消費電力ですむこと。これはディスプレイに対する、エコな時代からの本質的な要請である。

本機の25.5インチ、1920×1200というスペックは、A3を原寸大表示するのに十分である。新鋭のLEDバックライト機には負けるが、最大52Wという消費電力は許容範囲である。しかも、2011年5月現在、実売最安値2万7000円程度と、驚くほど安い。スピーカーがついている点も、場所コストを考えればうれしい。

レノボ・ジャパン ThinkVision L2440p Wideモニター 4420HB2本機はかつては粗悪液晶の代名詞であったTN (Twisted Nematic) という方式の液晶を採用している。私を含め古いPCユーザーはTNに対して警戒心を抱いている場合が多い。実際、視野角についてのカタログスペックは高価なIPS液晶には劣っている。しかし、本機の視野角上下150度と、IPS液晶に典型的な178度というスペックとの違いが問題になる使い方など日常的にはほとんど想像すらできない。本機に関しても、たとえば5年前のディスプレイからの買い替えにおいて、見映えで落胆することはほとんどないだろう。実際、同じTN液晶で、本機よりも上下視野角が広いはずのレノボ ThinkVision L2440p Wideモニター をオフィスにて使っているのだが(詳細スペックはこちら)、このイーヤマよりも上下の視野角が狭いように感じる。だから、2万7000円という低価格に躊躇する理由はおそらくない。個人的にはよい買い物をしたと思った次第である。

読者の便宜のため、本機の特徴を羅列的に述べよう。
  • スピーカー
    • 背面についている。もちろん音質面ではオマケ的であるが、YouTubeを見る程度の用途には十分だろう。
  • ケーブル
  • スイッチ類
    • ディスプレイ縁の下部にあるので、ディスプレイを持ち上げるような格好でスイッチを入れる。これはやや押しにくいと思う人がいるかもしれないが、スイッチを押す際ディスプレイ位置がズレないという利点があり個人的にはベストな配置と思う。
    • 複数入力を切り替える場合、切り替えに数秒待たされるので、できるだけ避けた方がいい。ディスプレイに比べて高価であるが、素直にPC切り替え器を買って、ディスプレイとキーボードを一系統に集約した方が作業効率がよかろう。
  • 解像度
    • 1920×1200なので、(PC以外の)1920×1080のフルHD機器をつなぐと、基本的に縦が引き伸ばされる。言い換えると、ディスプレイ自体にアスペクト保持機能はない(イーヤマのサイトに明記されているように、アスペクトが保持されるのは4:3と5:4の信号だけである)
    • しかしPCとつなぐ限りにおいては、解像度の調整はPC側のビデオカードなりソフトウェアなりがやってくれるはずなので、たとえば地デジカード経由でテレビを見るのには支障はない
    • PC以外の機器、たとえばDVDプレイヤーなどをつなぐ必要があり、ディスプレイ側でフルHDのアスペクト保持回路が必要なら、たとえば三菱電機のMDT243WGIIなどのマルチメディア対応機か、1920×1080のモニタを買うべし。
  • モニタ台
    • 水平軸の周りに、10度ほど画面の下部を前方に持ち上げられるが、それ以外は固定である。垂直軸まわりの回転はできない。したがって、他人に見せるためにディスプレイを回すなどの用途には向かない(別途ターンテーブルを買う必要がある)
    • 若干足が高く、画面最下部まで10cmほどある。下向き目線でのディスプレイ配置が好みな人は目が疲れるかもしれない。
    • 汎用のディスプレイアームが取り付けられるらしいが未確認。
  • 寸法
    • 画面自体の大きさは予想通りだが、ディスプレイ面の厚さがほぼ全面にわたって10cmほどあるのがやや盲点か。小型ディスプレイから買い換える人は、寸法図をよく見て配置に注意すべし。
    • 画面が熱くなることはなく、カタログスペックの、最大52Wというのは偽りなさそうである。一方、旧機のナナオ FlexScan L567は、カタログ上は消費電力45Wなのだが、本機よりも発熱が多い気がする。


iiyama 25.5インチワイド液晶ディスプレイPro Lite E2607WS
  • メーカー型番 : PLE2607WS-B1
  • カラー : ブラック
  • 液晶サイズ : 25.5インチワイド
  • 解像度 : 1920×1200
  • 画素ピッチ : 0.2865×0.2865mm
  • 表示範囲 : 550.14×343.8mm
  • 輝度 : 300cd/m2
  • コントラスト比 : 1000 : 1(通常) 4000 : 1(ACR時)
  • 応答速度 : 2ms(G to G)
  • 視野角 : 左右85°/上80°下70°
  • 表示色 : 約1,670万色
  • 入力端子 : HDMI、HDCP機能付DVI-D、ミニD-SUB15ピン
  • スピーカー : 5W×2(アンプ付きステレオスピーカー)
  • フリーマウント : VESA規格200(100mmピッチ)×100mm対応
  • 電源 : 100V 50/60Hz
  • 消費電力 : 最大52W(省電力モード時 : 2W以下)
  • 外形寸法 : 597.5×460.5×238.0(幅×高×奥行き)
  • 重量 : 8.3kg
  • 適合規格 : VCCI-B
  • 付属品 : D-SUBミニ15ピンケーブル、DVI-Dケーブル、電源コード、オーディオケーブル、取り扱い説明書、保証書

2011年5月6日金曜日

「黒いスイス」

とかく理想化されがちなこの欧州の美しい永世中立国の黒歴史を解説した本。著者福原直樹氏は毎日新聞の記者だが、新聞記者には珍しくきちんと一次資料にあたっており、データが豊富に盛り込まれた良書である。しかも新聞記者のお家芸である当事者への直接取材がリアリティをかもし出しており、こういう記者ばかりだったらさぞかし新聞も面白かろうに、と思わせる。

第1章はスイスの半ば公的な団体がロマ(ジプシー)の子供を拉致し強制的に収容施設に隔離していたという話である。驚くべきことに拉致はつい最近、1970年代まで続き、スイス政府はこの団体に時に経費の1/4もの援助を与え、理事には大臣もしくはその経験者がついていたそうである。公式に政府が非を認めたのは1980年代後半からである。南アフリカの悪名高い人種隔離政策(アパルトヘイト)が猛烈な国際的非難の結果撤廃されたのが1994年だから、第2次大戦後の人類の恥部としてはこれと並ぶ横綱級である。

第2-3章ではユダヤ人へのホロコーストへのスイスの加担が説明される。スイス政府は系統的な殺戮こそ行わなかったが、ナチスドイツが大量殺戮を行っていることを承知で(虐殺現場の写真まで手に入れながら)国境を封鎖し、事実上ホロコーストに加担した。

ロマにしてもユダヤ人にしても、スイス政府の対応の底にある考えは同じである、と著者は指摘する。つまり、優れた民族と劣った民族がいるならば、優れた民族の生存権は、劣った民族に優先されなければならない、と。日本でも多かれ少なかれ異種排除の感情は存在するが、これに「優生学」のように学問的粉飾を凝らしたり、それこそ、ホロコーストのように産業として系統的に人種殲滅を図るという発想はちょっと思いつかない。

否、日本でも戦国時代くらいまでなら、お家断絶とか山ごと焼き討ちのようなことも行われたと思うが、「民族」という抽象的カテゴリに依拠して集団を丸ごと抹殺するという発想は難しい。もし日本にそういう発想があれば、李垠王は皇族として扱われることなく単に抹殺されただろうし、朝鮮半島なり台湾なりの人々が同格の日本市民として扱われることなどなかっただろう。

本書5章以降は、スイス社会の息の詰まるような相互監視、異分子排除ぶりが記されていて興味深い。令状を取らない盗聴。スイス国籍を取得する際の差別意識丸出しの住民投票のエピソード。明らかに日本もまた、これらの事実の底にある思想と無縁ではない。しかし少なくともスイスが理想郷ではないことだけは確かである。外国を美化し、返す刀で日本批判に転じる論理は明らかにおかしい。結局大切なのは、ある程度の多様性、開放性を確保することが国全体にとって中長期的にメリットがあるという事実である。差別か反差別か、という立論からはたいてい実りある結論は導かれない。

黒いスイス (新潮新書)

  • 福原 直樹 (著)
  • 新書: 206ページ
  • 出版社: 新潮社 (2004/03)
  • ISBN-10: 4106100592
  • ISBN-13: 978-4106100598
  • 発売日: 2004/03

2010年12月1日水曜日

「132億円集めたビジネスプラン」

旧態依然の規制業種の代表のように思われている日本の保険業界に72年ぶりに新規参入した件で話題になっているライフネット生命の創業者の一人、岩瀬大輔氏によるビジネスプラン作成指南書。実質的に創業期のあれこれの回想記のような体裁である。文章は簡潔明瞭で読みやすい。

本書は知り合いに勧められて読んでみたものであるが、申し訳ないことに、正直、感心するポイントがほとんど何もなかった。電車の中の30分でもういいやと思った次第である。

著者はハーバードビジネススクール(HBS)を上位5%の成績で修了したというのをとても誇りに思っているらしく、本書でもHBSではこういうことを学んだ、とか、こういう見方を教えてくれた、のようなくだりが頻繁に出てくる。しかし研究者的観点から言わせてもらえば、学校で教わったことを嬉々として繰り返しているようでは話にならない。それもわざわざHBSなどと略して繰り返された日には、もう、恥ずかしいとしか言いようがない。

たとえば「東大ではこんなことを学んだ」のような言い方はまともな大人はしない。「開成(麻布、灘、...)ではこういうことを学んだ」みたいな言い方も多分ない。いや、「陸軍士官学校では○○精神を叩き込まれた」みたいな言い方は聞いたことがある気がするから、あるいは過去の栄光を回顧したい老人ならそういう言い方をするかもしれない。彼らは「今」に恥じらいがないからである。

文章の明瞭さから察するに、岩瀬氏は優秀な人物である。しかしHBSがどうのという言い方に何の恥じらいもないところから見て、彼は世界を創れない人である。HBSという枠組みにすばやく自分を同化させ、その同化能力において、優秀な成績を収めたのであろう。しかしビジネスのダイナミクスは物理学の法則と違い融通無碍である。むしろ上位5%というその触れ込み自体が、彼の創造力の欠如を証明しているように思えてならない。おそらく彼は知らないだろう。無から世界を構想できる人間が存在しているという事実を。

上で感心するポイントがほとんど何もないと書いたが、実はひとつある。それはライフネット生命の広報戦略である。楽天の三木谷社長の言葉を引いて岩瀬氏は言う。「ネットショッピングの時代こそ、人々は商品だけではなくその背後にあるドラマや物語も共有したいと思っている」(p.110)。おそらくこれは正しい。

実際、私が岩瀬氏の名前を知ったのは、一時期は無料でpdfが公開されていた『生命保険のカラクリ』という本を通してである。戦略は巧妙であった。電子書籍が話題になっている最中、おそらく日本で最初に、新書の全文pdf公開ということをやったのである。あたらし物好きの多くはそれをダウンロードしたろう。私もそうであった。本の中身といえば、彼の個人的物語も交えつつも、実質的にはライフネット生命の宣伝なのであった。その戦略は本当に見事であった。

物語の共有 ── これはネット時代に限らず、広報というものの原点であると私は思う。物語を作るのには才能が必要であるが、多くの人にはそれがない。そのことを考える時、岩瀬氏らが仕掛けた広報戦略は驚嘆に値すると言ってよい。真っ当に受け取れば駄作と言わざるを得ない本書が、その幼稚としか思えない物言いも含めて、実は彼の広報戦略の一環なのだとしたら ── もし本当にそうなら、彼は真の天才である。


132億円集めたビジネスプラン

  • 岩瀬 大輔 (著)
  • 単行本(ソフトカバー): 177ページ
  • 出版社: PHP研究所 (2010/11/16)
  • ISBN-10: 4569771904
  • ISBN-13: 978-4569771908
  • 発売日: 2010/11/16
  • 商品の寸法: 18.6 x 13 x 2 cm

2010年11月29日月曜日

「零戦の遺産―設計主務者が綴る名機の素顔 」

零戦の主任技師として有名な堀越二郎技師の回想録。数多くの制約の中でいかに最高の戦闘機を作り上げたかについて、当事者ならではの貴重な証言が数多く書かれており、一次資料として外せない本である。

しかし、この英雄的で悲劇的な兵器の物語として我々が期待するほど本書は読みやすくはなく、何より、世界中の文献から零戦を賞賛する引用をほとんど無数に引いていて、こういう要するに自慢満載の本を出版できる点に、堀越氏の特異なキャラクターが透けて見える。

堀越氏が何度も痛切の思いで語るのは、日本には高性能のエンジンを作る能力がなかったという点である。大戦後期に零戦を餌食にした米軍のF6Fヘルキャットが積んでいたのは2000馬力級のエンジンである。この2000馬力というのは、日本が作ることのできた最高のエンジンのほとんど2倍の出力である。軽自動車とスポーツカーくらい違う。しかし当時の戦士たちは、軽自動車に乗ってどうやってスポーツカーに勝つかを考えねばならなかった。そこで出てきたのが、軽装・軽量の機体により格闘戦に持ち込む、という戦術思想である。

この思想に基づいて、三菱の技師たちは最高の作品を作り上げた。大戦初期、まだエンジンの出力において日本の技術力の劣勢が顕著でなかった頃は確かに零戦は無敵であった。しかし産業の広がりにおいて圧倒的に勝る米国が強力なエンジンを作り上げた時、たとえ空力性能として凡庸なものであったとしても、それを搭載した戦闘機たちに、わが零戦が対抗する余地はほとんどなかったのである。

このエンジンについての彼我の能力差を理解することはこの戦争で日本海軍が取った戦術を理解する上で非常に重要である。よく言われることであるが、零戦の防御は米軍の戦闘機に比べて貧弱であった。しかし零戦は軽自動車なのである。軽自動車にボルボ並みの安全性能を求めるのは無理というものである。だとすれば、防御を犠牲にしても機体を軽量に保ち、高い格闘性能を求めるしか道はない。それは「進歩派」の人が指摘するような軍の人名軽視思想の現われということではなく、技術的に合理的な選択に過ぎないのである。


零戦の遺産―設計主務者が綴る名機の素顔 (光人社NF文庫)
堀越 二郎 (著)
文庫: 220ページ
出版社: 光人社 (2003/01)
ISBN-10: 4769820860
ISBN-13: 978-4769820864
発売日: 2003/01
商品の寸法: 15 x 10.6 x 0.8 cm

2010年11月27日土曜日

「MADE IN JAPAN ― わが体験的国際戦略」

ソニーの創業者のひとりで、長らく日本の国際的な顔であった故・盛田昭夫氏の自伝。本書が書かれたのは1987年、まさにバブル絶頂期であり、「ライジング・サン」日本の代表的国際企業としての盛田氏の意気も軒昂である。それをあえて衰退局面に入っていると思われる今の日本で読むことには意義があろう。

本書第3章までは、裏通りのボロ屋から始めて、ソニーが国際的大企業になってゆく疾風怒濤の記録である。今風に言えば、ソニーは大学発ベンチャーということになろうか。創業メンバーは超エリートの出である。

盛田氏は海軍技術士官から東工大講師になり、その後、GHQによる軍人の学校からの追放を理由に、ソニーの前身・東京通信工業に移った(p.58)。一方、盟友の井深大氏は、元早大理工科講師で、戦時中は軍向けに磁気探知装置の部品を作っていた(p.52)。

盛田氏は名古屋の造り酒屋の長男で、子供の頃から裕福に育った。好奇心の赴くままに、お屋敷に工作室的なものをこしらえ、そこで電気工作などにも精を出し、すでに旧制中学の時に『無線と実験』誌により磁気録音についての技術的な情報を得ていた。子供の頃に聞いた電気蓄音機の音のすばらしさへの感動。それはその後の盛田氏の製品開発の原点となる。

ソニーの成功の歴史は、破壊的イノベーションの歴史である。設立時、東通工でどのような製品を作るか議論した際、当然話題になったのはラジオ受信機である。当時の最大の娯楽でありマスメディアであり、市場規模は大きく、需要も旺盛なのは明らかだったからだ。しかし井深氏はそれに断固反対する。先行する大企業には正規戦では勝ち目がなく、ニッチに追いやられるのが関の山だというのがその理由である。「井深氏と私が描いていた新しい会社の構想は、時代に先がけた独創的な新製品を生産することだった。単なるラジオの製造では、この理想とあまりにかけはなれている」(p.60)。

これはまさに、破壊的イノベーションが顧客第一主義からは決して生まれないという実例である。盛田氏らはテープレコーダーの試作をはじめ、なんとか実用に耐えうるものを作ることに成功する。しかしテープレコーダーは最初まったく売れなかった。市場がないのだから当然である。思い悩んでいた盛田氏は、あるとき、骨董屋を通りかかり、テープレコーダーよりも高い壷が買われていくさまを目撃する。

その骨董品蒐集家はそのつぼの価値を十分知っているから、買ったのだ。あれほど多額の投資をする正当な根拠が彼にはあった。...テープレコーダーを売るためには、この製品の価値をわかってくれる個人や機関を見分ける必要があったのだ。偶然通りかかった骨董屋で、私は目が開かれる思いがした。そして、売るためには、買い手にその商品の価値をわからせなければならない。やっとそういう結論に到達したとき、私は、自分がこの小企業のセールスマンの役割を果たさなければならないと考えた。(p.69)

これがソニーの、技術開発主導・市場創造型のビジネスモデルの原型となる。その後、トランジスタラジオ、ウォークマンなど、市場創造型と言え、ソニーの名声を不朽のものとした。

第4章以降は、1987年当時の盛田氏の経営論である。この頃は日本の人件費はアメリカ等と比べて競争力のある水準にあった。日本市場もまだ未成熟な大市場と考えられており、ちょうど現在の中国と同様な勢いがあった。バブル絶頂期のこの盛田氏の言に接すると、日本型雇用慣行や日本型経営というものが、単に経済発展のある段階において可能な偶然の産物であったことがよく分かる。盛田氏は同じく終身雇用を標榜していたIBMと日本型経営との類似を指摘しているが、IBMの終身雇用も、単にメインフレームビジネスが好調で、右肩上がりの成長が約束されていた時代の産物である。本書出版の5年後には、その後のダウンサイジングの波をかぶり、IBMは創業以来最大のリストラに踏み切ったことはよく知られている。

日本企業も同様である。賃金水準が先進諸国に相対的に競争力を持ち、国内市場・国外市場共に拡大基調にあれば、企業を単調に大きくしてゆくことができる。しかし前提が崩れてしまえば、あとは経済原則に従った合理的な判断があるのみである。

本書にある盛田氏の経営論、ついでにいえば教育論のようなものも、このように若干斜から構えた視線を投げかけざるを得ないのだが、しかしそれを差し引いても、若き盛田氏の疾風怒濤の活躍はまさに痛快そのものである。

裕福な造り酒屋に生まれた盛田氏は、家を継いで家長として安定して裕福に暮らす選択肢があった。しかし彼はそれをせず、むしろ現在の世界の延長線上にない新しい世界を創造し、それを現実のものにした。現在の市場にあまり重きを置かないことを破壊的イノベーションの特徴とするならば、自分を育んだ旧世界にあえて背を向けた若き盛田氏の人生選択は、それ自体が破壊的イノベーションの象徴になっているように思う。「最近の若者はハングリーさが足りない」などと、貧困こそが革新の原動力であるとする見方は今も根強いが、盛田氏の場合、革新を可能にしたのは、ふんだんに「研究費」と自由を与えられた時に広がる創造力の翼に他ならない。


MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略 (朝日文庫)

  • 盛田 昭夫 (著), エドウィン ラインゴールド (著), 下村 満子
  • 文庫: 534ページ
  • 出版社: 朝日新聞社 (1990/01)
  • ISBN-10: 4022605820
  • ISBN-13: 978-4022605825
  • 発売日: 1990/01
  • 商品の寸法: 14.8 x 10.6 x 2.4 cm