2010年11月27日土曜日

「MADE IN JAPAN ― わが体験的国際戦略」

ソニーの創業者のひとりで、長らく日本の国際的な顔であった故・盛田昭夫氏の自伝。本書が書かれたのは1987年、まさにバブル絶頂期であり、「ライジング・サン」日本の代表的国際企業としての盛田氏の意気も軒昂である。それをあえて衰退局面に入っていると思われる今の日本で読むことには意義があろう。

本書第3章までは、裏通りのボロ屋から始めて、ソニーが国際的大企業になってゆく疾風怒濤の記録である。今風に言えば、ソニーは大学発ベンチャーということになろうか。創業メンバーは超エリートの出である。

盛田氏は海軍技術士官から東工大講師になり、その後、GHQによる軍人の学校からの追放を理由に、ソニーの前身・東京通信工業に移った(p.58)。一方、盟友の井深大氏は、元早大理工科講師で、戦時中は軍向けに磁気探知装置の部品を作っていた(p.52)。

盛田氏は名古屋の造り酒屋の長男で、子供の頃から裕福に育った。好奇心の赴くままに、お屋敷に工作室的なものをこしらえ、そこで電気工作などにも精を出し、すでに旧制中学の時に『無線と実験』誌により磁気録音についての技術的な情報を得ていた。子供の頃に聞いた電気蓄音機の音のすばらしさへの感動。それはその後の盛田氏の製品開発の原点となる。

ソニーの成功の歴史は、破壊的イノベーションの歴史である。設立時、東通工でどのような製品を作るか議論した際、当然話題になったのはラジオ受信機である。当時の最大の娯楽でありマスメディアであり、市場規模は大きく、需要も旺盛なのは明らかだったからだ。しかし井深氏はそれに断固反対する。先行する大企業には正規戦では勝ち目がなく、ニッチに追いやられるのが関の山だというのがその理由である。「井深氏と私が描いていた新しい会社の構想は、時代に先がけた独創的な新製品を生産することだった。単なるラジオの製造では、この理想とあまりにかけはなれている」(p.60)。

これはまさに、破壊的イノベーションが顧客第一主義からは決して生まれないという実例である。盛田氏らはテープレコーダーの試作をはじめ、なんとか実用に耐えうるものを作ることに成功する。しかしテープレコーダーは最初まったく売れなかった。市場がないのだから当然である。思い悩んでいた盛田氏は、あるとき、骨董屋を通りかかり、テープレコーダーよりも高い壷が買われていくさまを目撃する。

その骨董品蒐集家はそのつぼの価値を十分知っているから、買ったのだ。あれほど多額の投資をする正当な根拠が彼にはあった。...テープレコーダーを売るためには、この製品の価値をわかってくれる個人や機関を見分ける必要があったのだ。偶然通りかかった骨董屋で、私は目が開かれる思いがした。そして、売るためには、買い手にその商品の価値をわからせなければならない。やっとそういう結論に到達したとき、私は、自分がこの小企業のセールスマンの役割を果たさなければならないと考えた。(p.69)

これがソニーの、技術開発主導・市場創造型のビジネスモデルの原型となる。その後、トランジスタラジオ、ウォークマンなど、市場創造型と言え、ソニーの名声を不朽のものとした。

第4章以降は、1987年当時の盛田氏の経営論である。この頃は日本の人件費はアメリカ等と比べて競争力のある水準にあった。日本市場もまだ未成熟な大市場と考えられており、ちょうど現在の中国と同様な勢いがあった。バブル絶頂期のこの盛田氏の言に接すると、日本型雇用慣行や日本型経営というものが、単に経済発展のある段階において可能な偶然の産物であったことがよく分かる。盛田氏は同じく終身雇用を標榜していたIBMと日本型経営との類似を指摘しているが、IBMの終身雇用も、単にメインフレームビジネスが好調で、右肩上がりの成長が約束されていた時代の産物である。本書出版の5年後には、その後のダウンサイジングの波をかぶり、IBMは創業以来最大のリストラに踏み切ったことはよく知られている。

日本企業も同様である。賃金水準が先進諸国に相対的に競争力を持ち、国内市場・国外市場共に拡大基調にあれば、企業を単調に大きくしてゆくことができる。しかし前提が崩れてしまえば、あとは経済原則に従った合理的な判断があるのみである。

本書にある盛田氏の経営論、ついでにいえば教育論のようなものも、このように若干斜から構えた視線を投げかけざるを得ないのだが、しかしそれを差し引いても、若き盛田氏の疾風怒濤の活躍はまさに痛快そのものである。

裕福な造り酒屋に生まれた盛田氏は、家を継いで家長として安定して裕福に暮らす選択肢があった。しかし彼はそれをせず、むしろ現在の世界の延長線上にない新しい世界を創造し、それを現実のものにした。現在の市場にあまり重きを置かないことを破壊的イノベーションの特徴とするならば、自分を育んだ旧世界にあえて背を向けた若き盛田氏の人生選択は、それ自体が破壊的イノベーションの象徴になっているように思う。「最近の若者はハングリーさが足りない」などと、貧困こそが革新の原動力であるとする見方は今も根強いが、盛田氏の場合、革新を可能にしたのは、ふんだんに「研究費」と自由を与えられた時に広がる創造力の翼に他ならない。


MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略 (朝日文庫)

  • 盛田 昭夫 (著), エドウィン ラインゴールド (著), 下村 満子
  • 文庫: 534ページ
  • 出版社: 朝日新聞社 (1990/01)
  • ISBN-10: 4022605820
  • ISBN-13: 978-4022605825
  • 発売日: 1990/01
  • 商品の寸法: 14.8 x 10.6 x 2.4 cm

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