2010年5月5日水曜日

「あさま山荘1972」

連合赤軍のNo.3で、永田洋子とともに死刑判決を受けた坂口弘の回想記。上巻では坂口の生い立ちと、革命運動に参加する経緯、同志殺しの惨劇と、あさま山荘篭城事件に至る経緯が記述されている。下巻があさま山荘事件と同志粛清に至る詳細、続巻には同志粛清の詳細と、逮捕後の出来事がまとめられている。連合赤軍関連の書籍では、おそらく最も詳細に事実を記述している本だと思われる。3冊組で長いが、印刷はきれいで文字も見やすく、坂口のビビッドな自分史と重ねあわせて書かれていて飽きさせない。連合赤軍事件関連書籍の決定版と言える。

私がこの本を買おうと思ったのは、佐藤優氏のベストセラーになった「国家の罠」第6章に、「三十一房の住人」として坂口らしき政治犯が好意的に紹介されていたのがきっかけであった。死刑囚という身にあって坂口は、礼節を忘れず非常に厳しく身を律し、しかも拘置所の住人たちの待遇改善のために言うべきことは言うというスタンスで、囚人たちの間からはもちろん、拘置所側からも尊敬を集めている由である。そして私も、読み始めたこの坂口の回想記の尋常ならざる生真面目ぶりに触れ、この特異な事件に引き込まれていった次第である。

坂口は、森恒夫と永田洋子が一緒に逮捕された後、すでに敗残兵となっていたとは言え、連合赤軍のNo.1となり、あさま山荘であの有名な銃撃戦を繰り広げた。同志殺しが判明するまでのわずかな期間、一時は左翼学生のヒーローであったようだ。

政治党派の起こした立てこもり事件のはずなのに、何を要求するわけでも、何を主張するわけでもないこの事件について、私は長い間怪訝に思っていた。本書を読むと、彼らの目的が銃撃戦の実行そのものにあったことがわかる。彼らはそれを「殲滅戦」と呼び、非常に重要視していた。しかしわずか数丁の銃と、軍人でもない数名の学生で一体何ができるのか。今となっては非常に理解しがたいが、彼らの情勢認識では、日本は革命前夜で、彼らの少数の蜂起が起爆剤となり連鎖反応的に社会転覆が起こる、と考えていたらしい。


本書における坂口の最大のテーマは、同志殺しのメカニズムを解明することであった。赤軍派と合同して連合赤軍ができた後は、独裁者として君臨していた森恒夫が「共産主義化」論なるもののを根拠にして、「総括」と呼ばれるリンチを主導したと、この事件のすべての被告が一致して証言している。

この「共産主義化」というのは、強大な権力に立ち向かう以上、個々の革命戦士は鉄の規律と肉体を持たねばならない、というような超精神主義のことである。マルクス主義というのは史的唯物論を前提とするはずである。つまり、経済のマクロな運動法則がその時その時の時代の平均的な精神のありようを規定する、というもののはずである。赤軍派なり革命左派なりという党派は、本来、マルクス主義に依拠するはずなのだが、山岳ベース事件に関する限り、マルクス主義とは無関係のように見える。このような根本的というか基本的な部分で不可解さを含み、それに誰も気づかないという事実自体、1970年前後のインテリが陥っていた病理を示して余りある。

坂口は森のロジックを解明するために刻苦の数年を費やし、同志殺しが森の理論の必然であるとの彼なりの理解に到達している。しかし森の直接的な指導下に入る以前に、坂口の属した革命左派というセクトは、2人の同志を殺害しているのである(印旛沼事件)。印旛沼事件に関しては、当時はまだ赤軍派という他セクトのリーダーだった森の「殺るべきだ」という教唆が直接の引き金だったにせよ(上、p.337)、最終的には最高指導者永田洋子と坂口の決断で処刑が決められている。この事件はおそらく、森の理論云々以前に、哲学なき組織の悲劇と、指導者の器でない者が組織を指導者に頂いた組織の悲劇が凝縮されているように思う。

坂口の属する革命左派は、川島豪というカリスマ性のある指導者により指導されていた。坂口は大学時代に川島に出会い、自身認めているように、川島をほとんど崇拝するようになる。それは思想が持つ論理的必然性というよりは、カリスマに跪く宗教的熱狂があるばかりである。実際、坂口は、オウム真理教事件に際して、当時の自分と林泰男を対比して次のように述べている。
僧侶の林さんと左翼の私とは、住む世界が異なりますが、それにもかかわらずお互いによく似た傾向があることに気づかされます。それは、カリスマ性をもつ指導者への帰依です。かつての私は、この傾向が人一倍強い人間で、恋も及ばぬほど熱烈に指導者を愛し、忠誠を誓い、この人のためなら死んでもおしくないとまで思っていました。
(1996年4月24日朝日新聞夕刊。「1969-1972 連合赤軍と『二十歳の原点』」所収。)
 
坂口はかつて、朝日新聞の短歌コーナーである「朝日歌壇」への常連投稿者であり、歌集も出版されている。たぶん1990年頃、私は朝日歌壇に掲載された坂口の短歌を偶然目にしたことがある。何かリンチ事件の後悔を歌った歌だと記憶しているが、「事件そのものを知らないと鑑賞のしようもない」と、やや突き放した印象を持ったのを覚えている。しかし団塊の世代にとっては、この事件は、ある意味青春を象徴する特別な出来事だったのだろう。坂口が主導してきた数々の事件、とりわけ同志殺しへの関与に関しては、いかなる意味においても正当化することはできないが、それが純粋な魂の所産であったことは、本書によりはっきりと理解できる。美しい理想を思って走り抜けたその先に、完璧な絶望だけが待っていたとは。これほど痛ましい物語を私は知らない。
 

あさま山荘1972〈上〉
  • 単行本: 350ページ
  • 出版社: 彩流社 (1993/04)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4882022524
  • ISBN-13: 978-4882022527
  • 発売日: 1993/04

あさま山荘1972〈下〉
  • 単行本: 308ページ
  • 出版社: 彩流社 (1993/05)
  • ISBN-10: 4882022532
  • ISBN-13: 978-4882022534
  • 発売日: 1993/05

続 あさま山荘1972
  • 単行本: 318ページ
  • 出版社: 彩流社 (1995/05)
  • ISBN-10: 4882023385
  • ISBN-13: 978-4882023388
  • 発売日: 1995/05

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