2012年10月31日水曜日

「流れる星は生きている」

敗戦時0歳、3歳、6歳であった3人の子供を連れて満州から帰国した著者の引き揚げの記録。著者藤原ていは、ソ連軍に連れ去られた夫(後の新田次郎氏)と連絡がつかない状況で、終戦から1年あまりを生き延び、3人の子供たちと無事に郷里に引き揚げた(真ん中の次男が藤原正彦)。個人的に、満州・朝鮮からの引き揚げの記録には興味があり、類書を多数読んだが、本書を越えるものはひとつもない。21世紀の今読んでも名作だと思うくらいだから、戦後まもなく、昭和24年に本書が発売された時に、人々に与えた感動はいかばかりかと思う。

実は私の父の一家も引き揚げ組である。私の父の一家は、終戦時、満州国の中心都市のひとつであった奉天(現 瀋陽)に住んでいた。南満州鉄道・奉天駅で働いていたと聞いている。終戦直前、私の祖父は軍に招集され、終戦時、父の家には私の祖母とその子供たちしかいなかった。新田次郎氏と同様、祖父は敗戦後シベリアに送られた。その意味でも本書の内容は他人事とは思えず、やはり著者同様女学校を出て嫁いだ私の祖母が、どれだけ辛酸をなめたかと思うとほとんど言葉もない。

昭和20年8月9日、ソ連参戦の日、著者の一家は突然集合命令を受ける。満州が戦乱の中に入ることを予期した関東軍が家族等関係者に退避命令を出し、著者の夫の勤務先であった新京市の観象台(気象台)の職員にも同様の指示が出たのである。この日、まだ新京までソ連は到達していない。列車も曲がりなりにも運行しており、一家はなんとか朝鮮領内の宣川(せんせん)という場所に到達する。

南下すべきか、それとも治安が回復しているという噂のあった満州領内に引き返すか。宣川の日本人には根拠不明の噂以外に頼る情報がない。それでもようやく観象台の一団が南下を決めたまさに昭和20年8月24日、38度線を境に交通が遮断され、それまでは平壌まで走っていた列車は運行を停止した。さらに、著者の夫を含むすべての壮年男子がソ連軍により連れ去られた。一団はそこで完全に足止めとなり、その後約1年、戸主を失った一家はその小さな地方都市で、すべての生活の基盤を失った状態で生きていく。昭和21年8月になり、噂だけを希望のよすがに宣川を立ち、観象台一団は38度線近くの新幕という駅まで下る。その後約2週間、38度線を挟んで南朝鮮側の開城にいたる徒歩での移動が本書の山場となる。
藤原一家の引き揚げ経路(Google Map

著者の記憶力は恐るべきものがあり、本書に描かれる日々の細かい生活の情景は非常にリアルだ。ただ、不思議なことに、ソ連軍による暴行・略奪の様子は本書にはほぼ何もかかれていない。本当にそういう出来事に出会わなかったのかもしれないし、著者が心情的に「進歩派」だったためかもしれない。真相はわからないが、終戦時7歳であった私の父を含む多くの人の心にはソ連軍の略奪・暴行の記憶が生々しいことを付言しておく(平和祈念展示資料館の所蔵の体験記)。


付記。本書の続編と言うべき『旅路』は「自伝小説」と銘打たれているだけあって、おそらくより事実に近い記述がある。興味深いのは同じ団にいた発狂した若奥さんの話である。『流れる星は生きている』では生活苦から発狂したことになっていたが、『旅路』ではソ連兵にさらわれて、1週間行方知れずになった後に発狂した若奥さんの話が出てくる(第三章 放浪生活・「眠れない夜が続く」)。その陰惨さは耐え難いものがある。おそらく著者は、編集者の意向か何かで親ソ的に事実を曲げざるを得なかったことを長い間気に病んでいたのだろう。戦後の日本のメディアの空気を示す一つの例である。


流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)
  • 藤原 てい (著)
  • 文庫: 332ページ
  • 出版社: 中央公論新社; 改版 (2002/7/25)
  • ISBN-10: 4122040639 ISBN-13: 978-4122040632
  • 発売日: 2002/7/25
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.8 cm

2012年8月31日金曜日

「良い戦略 悪い戦略」

ビジネス戦略論の世界的権威リチャード・P・ルメルトによる一般向けの戦略論の本。著者の経歴は面白い。著者はもともとはNASAのジェット推進研究所のエンジニアで、その後ハーバードビジネススクールで経営学の(修士号でなく)博士号を取得、その後ハーバード大学を経てUCLAに移る。ハーバードビジネスレビュー誌によれば、経営分野でもっとも影響力のある理論家のトップ20に選ばれているという(2011年、p.198)。

正直なところ、経営学方面の研究者の話は、自明な結論のもっともらしい提示か、一般化不可能なケーススタディの羅列、といった印象が強い。本書もある意味そういう本と言えるかもしれないが、著者の気合の入った経歴からもわかる通り、著者の分析的な視点は確かで、豊富に引かれるケーススタディの記述も、ほうと思わせる内容にあふれており退屈しない。

本書ではまず、「悪い戦略」とは何かを例を使って述べる(第3章)。著者のポイントはおおむね3つにまとめられる。
  • 空疎である
  • 問題の同定が不十分
  • 粒度が不適切
空疎な戦略、目標は 非常に多い。第3章で挙げられているのはたとえば、大手リテール銀行の「戦略」である。この銀行では「我々の基本戦略は、顧客中心の仲介サービスを提供することである」という「戦略」を持っているのだが(p.56)、顧客中心でないサービス業はないので無内容だし、仲介サービスというのは銀行業そのものである。したがって、「この銀行の戦略から厚化粧をはがせば、『我々の基本戦略は銀行であることである』となってしまう」(p.56)。

実際のところそういう「戦略」は非常に多い。目標や願望と戦略は明確に区別されるべきだ。さらに例を挙げて著者は言う。
マクラッケンの「売り上げを50%伸ばせ」というのは典型的な悪い戦略である。この手のスローガンが戦略としてまかり通っている企業があまりに多い。マクラッケンは目標を立てただけで、それを実現するための方法を設計していない。さらに言えば、成長とはあくまで戦略がうまくできたときに結果としてついてくるものであって、成長そのものを作り出そうとするのは間違っている。(p.312)

著者によれば、よい戦略とは次のような要素を持つ(第5章、p.108)。
  • 診断。事実を収集し、課題を見極める。
  • 基本方針の提示。
  • 行動計画の提示。基本方針を実行するための、一貫性のある一連の行動。
これらを著者は「カーネル(核心要素)」と呼ぶ。言うまでもなく重要なのは基本方針の提示である。これは「目標はビジョンではないし、願望の表現でもない。難局に立ち向かう方法を固め、他の選択肢を排除するのが基本方針である」(p117)。金融大手ウェルズ・ファーゴの例だとこのようになる。
  • ビジョン: 「すべてのお客様の金融ニーズに応え、より良い資産形成をお手伝いする。活動するすべての市場において、最高級の金融サービス・プロバイダーになり、アメリカで最も優れた企業のひとつとして世界に知られるようになる」
  • 基本方針:「より多様な金融商品を扱いネットワーク効果を活用する」
ビジョンや願望を基本方針と混同している例は、著者に指摘されるまでもなく非常に多いはずだ。

戦略のためにはまず、問題が同定されていなければならない。そのためには、テコの支点となるような事実があるはずで(第6章)、前提として阻害要因が同定されている必要がある(第8章)。それに基づいて、直近のアクションが長期的なロードマップとともに提示されていなければならない(第8章)。そのアクションは、しばしば複雑な設計プロセスのパラメターチューニングと同様な、高度な最適化問題となる(第9章)。

では、良い戦略が成功を勝ち取るためにはどういう上限が必要なのか。著者は4つのポイントを挙げている。
  • ビジネスにおける競争優位の活用(第12章)
  • 市場環境の変化の活用(第13章)
  • 変化に抗う慣性の認識(第14章)
  • 統合され首尾一貫した行動(第15章)
このようにまとめるとある意味自明なことではあるが、実行は非常に難しいのが常である。本書にある豊富な事例は、具体的に問題を考えてみる上で非常に参考になる。本書はおそらく、上級管理職必読の書と言えよう。


良い戦略、悪い戦略
  •  リチャード・P・ルメルト (著), 村井 章子 (翻訳) 
  • 単行本: 410ページ 
  • 出版社: 日本経済新聞出版社 (2012/6/23) 
  • ISBN-10: 4532318092 
  • ISBN-13: 978-4532318093 
  • 発売日: 2012/6/23 
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.4 x 2.8 cm

2012年7月8日日曜日

「たかが英語」

英語公用語化を本気で進めている楽天の、英語化に関する中間報告的著作。

個人的には私はこれまで、日本市場を主とする日本企業での英語化にはどちらかというと反対であった。日本の、きわめて多様性の低い言語環境で通じ合う何かがチームの強みとなっているという事実は確かにあり、それはむしろ誇るべきものと考えていた。

しかし楽天で求められているのは、そういう静的な緻密さではなく、ダイナミックに変動するインターネットの世界(そこの共通語は英語だ)の勘所をつかまえ、それを世界市場に展開する動的な荒々しさであった。 将来にわたって収縮を続けることが確実な日本市場(原発の停止は確実にその収縮を早めるだろう)から世界市場に進出するため、三木谷氏は、2010年年初に、数年後には社内の会議を英語に、という方針を打ち出した。しかしそれに漠然とした物足りなさを感じていた三木谷氏は、こう考える。
創業以来僕たちは一度も全力疾走したことがなかったのではないか。楽天が持ちえるエネルギーを、まだ半分も出していないのではないか。そろそろギヤをトップに切り替え、フルスピードで失踪しなければならないのではないか。(p.17) 
そうして同年の2月、全社員に、社内公用語英語化を宣言する。それからの施策は徹底したもので、役員会議での英語化から始まって、TOEICの点数、英語での会議数やメール数等のKPI(Key Performance Indicator)を徹底的に管理し、組織ごとに競わせた。三木谷氏の宣言から2年、最初に定義したTOEICの基準点 
  • 役員 800 
  • 上級管理職 750 
  • 中間管理職 700 
  • 初級管理職 650 
  • アシスタントマネジャー、一般社員 600 
に達せず、「レットゾーン」「イエローゾーン」と定義されたを社員の割合は、当初の6割強から1割弱に激減した(p.83)。

しかしTOEICは、一流大学に入れる程度の学力があれば800点くらいは取ることができよう。ある種「受験勉強」と割り切れば対応はできそうだ。難しいのは実業務そのものを英語化することだ。2012年2月末に「現在のあなたの英語スキルで、対応可能なシチュエーション」についてとったアンケートの結果が示されている。結果は相当悲観的で、「口頭で上司の指示を受け理解する」が30%、逆に「口頭で部下への業務の意図を説明、指示する」が15%強、「会議へ参加し、発言する」も15%程度、面談・交渉・商談にいたっては7-8%といったところだ。これらは普通の日常業務であるから、これができないというのは非常に厳しい。三木谷氏も、「最終的には社員全員がTOEICで800点を超え、実用レベルのスピーキング、ライティングの力をつけていかなくてはならない。これからさらに2~3年はかかるだろう。」と述べている(p.90)。

これを愚かと言うか勇断と言うか。三木谷氏は上記のように述べた後に、非常に興味深い考えを付け加えている。 
英語化プロジェクトを進めるうちにわかってきたことがある。それは、英語が特殊な能力ではなくなるということだ。みんなが英語をしゃべれるようになるので、それまで英語が得意で目立っていた人も、周囲に埋もれて目立たなくなってしまうからだ。英語のコミュニケーション能力のおかけでうわべをつくろってきた人は、英語ができる人ばかりの環境では通用しなくなるだろう。(中略)本当に重要なのはその人の専門知識であり、ノウハウであるということが際立つようになる(p.91)。 

これは重要な指摘である。これは個人のレベルでいわゆる「英語屋」が消えるということばかりではない。逆に、日本語ないし日本法規の障壁に守られた業界、たとえば、マスメディア、建築、金融、等の業界のナンセンスを、内側から照射する力にもなる。

上述の通り、日本企業の英語化について、私は最近まで非常に明確に反対の立場をとってきた。デメリットがメリットを大きく上回る、というのが理由だ。しかし最近考え方を変えた。実は私の勤める(外資系)企業でも、日本法人の国際的存在感のなさは問題視されており、抜本的対策が不可避な状況である。というより、もはや選択肢はない。われわれがこのまま沈んでいくのなら、単にその存在はないものとして扱われるだけの話だ。中国やインドなど、魅力ある成長市場が、優れた人材とビジネス機会を豊富に与えてくれるのだから。

今われわれに求められているのは、荒々しいアイディアで世界をリードしきる力だ。緻密なチームワークは優先順位としてはその次にならざるを得ない。もしそうであるのなら、職場の多様性を大幅に上げ、国際的な主導権争いの場での内弁慶的カルチャーを打破せざるを得ない。この三木谷氏の試みは、単に国際市場云々の目先の利益を求めた判断というより、荒々しい国際リーダーシップへ向けた意識革命の運動と理解すべきだろう。英語化の中で日本の美点を知るというのもおそらく真だろう。三木谷氏の試みを敬意を持って見守りたいと思う。

なお、本書は紀伊国屋の電子書籍による購入である。ページ数は手元の iPad 版に依拠する(紙版と同じではないかもしれない)。AmazonがKindleを発売したのが2007年11月である。それから5年近くが経ち、アメリカではすでに電子書籍の売り上げが紙版を上回ったにもかかわらず、いまだに利害関係者の調整がつかない日本の出版業界の後進性を悲しみつつ筆を置く。


たかが英語
  • 三木谷 浩史 (著) 
  • 単行本(ソフトカバー): 194ページ
  • 出版社: 講談社 (2012/6/28)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4062177633
  • ISBN-13: 978-4062177634
  • 発売日: 2012/6/28
  • 商品の寸法: 18.6 x 12.8 x 1.4 cm

2012年5月31日木曜日

ThinkPadをSSDに換装(Crucial CT512M4SSD2)


ノートパソコンのハードディスクの取替えに関するちょっとした雑感。

ハードディスクドライブ(HDD)に対するフラッシュメモリ型ディスク(いわゆるSSD: solid-state drive)の優位性がもはや誰の目にも明らかになり、自腹でも換装を志す向きも多かろう。私が仕事で使っているThinkPad T410 (2522) は、かなり重たいことを除けばよくできたマシンで、これまで悩まされてきた問題
  • 熱い。手を置く部分が熱くて集中力を削ぐ 
  • スタンバイ状態に移れない。あるいはスタンバイ状態から復帰に失敗する。 
がほとんどなく、大変安定している。HDDとしては贅沢にも7200回転の高速2.5インチHDDが入っていて、それまでのマシンに比べるときびきびしているし、休止状態からの復帰も速い。ただ、さすがに使用から2年ほど経ち、起動がかなり遅くなってきたことと、時折動作がフリーズするのが気になってきた。調べると、どうもHDDの一部が痛んでいるらしい。ということで、連休を利用してHDD換装を決心した。

ThinkPadの場合、物理的なHDDの入れ替えは著しく簡単で、10円玉ひとつでHDDを取り出せる。ただ、次の問題がある。
  • 今の業務用モデルでは、リカバリDVDが添付されていない。作ることもできない(作成機能がオフになっている仕様) 。だからSSD上にOSのクリーンインストールというのができない。
  • HDDには、 Windowsからはアクセスできないリカバリ用の領域が数GBある。それも完全に移行する必要がある。
  • セキュリティ上の理由から、外付けメディアへの書き込みを禁止する常駐ソフトが強制導入されており、それを削除する方法がない 。そのため、USB接続でSSDにHDDのクローンを作る、ということができない。

特に第3点の点は深刻で、これのためメールのバックアップも事実上とれない。これらの理由から、換装にはいろいろと工夫が必要である。インターネット上ではなかなか同じ条件での体験談が見当たらず、いろいろ試行錯誤をせざるを得なかった。結論から言うと、下記がすべてのPCにおいて最も安全かつ手早く換装が済む手順である。

準備
  1. SSDを用意する。フォーマット等は不要。
  2. USB接続のハードディスクケースを用意する。私が使ったのは「裸族のお立ち台
  3. HDDクローン用のソフトウェアを用意する。ここではAcronis True Imageを使う。任意のPCに入れておき、Acronisの「ブータブルCD」(ハードディスクが空でも起動できるCD)を作る。
  4. 現在使用中のHDDの暗号化は戻し、BIOSのパスワードなどは外しておく。
実行
  1. ThinkPadにおいて、HDDを取り出し、USB接続しておく。ブータブルCDを入れる。起動させる。
  2. Acronisのメニューの「ツールとユーティリティ」から、「クローン作成」を選択。クローンの方法としては「手動」を選ぶ。 
  3. データ領域(ThinkPadの場合は"Preload")とリカバリ領域("SERVICEV001”)の双方をコピー元に設定。当然SSDをコピー先とする
  4. パーティションを確認する。当然、Preloadの容量を増やすように設定。
  5. クローン作成を実行。数時間かかる(100GB程度のデータの場合、表示では30分程度と出たが、その4倍くらいは優にかかるので注意)
  6. 終了したらシャットダウンする。外付けのHDDを取り外して再起動
  7. (ThinkPadの場合)F1を押し続け、適切にBIOSの設定を行う。私の会社の場合、セキュリティ規定に応じて、Power-on passwordとHDDパスワードを設定することが必要(HDDパスワードは画面の下に隠れていることがあるのでスクロール) 

これ以外のやりかたはいろいろと考えられる。
  • たとえばこういうハードディスクケースを使ってハードウェア的にHDDのクローンを作る。
  • Windows上でAcronisなどのソフトウェアを起動し、外付けのハードディスクケースにSSDを入れ、今Windowsが動いているHDDのクローンを作る。
  • 別のPCに、Acronisなどのソフトウェアを使って、HDDの中身をバックアップする。次いでそれをSSD上にリカバリする。
  • HDDをSSDに入れ替えた状態で、リカバリDVDを使ってリカバリをする
ネット上の情報では、1番目のものの成功例は見当たらず、2番目のものが主流のようだ。しかし今の私の会社の設定では、外付けメディアへの書き込みはOSレベルで禁止されていて、それを解除する方法はないので無理である。3番目のものの成功例もあるのだが、私が試した限りうまくいかない(終了しないか、エラーが出る)。たぶん書かれていないTipsがあるのだろう。比較的確実と思われるのが4番目の手法だが、リカバリDVDを入手する必要がある。リカバリDVDが手元にあるのなら、クリーンインストールの状態になってもよければよい方法かもしれない。

クローニング用のソフトウェアがポイントとなるが、いろいろと情報を総合すると、Acronis True Image Homeがよさそうである。フリーウェアのEseUS Todo Backup   というソフトもほぼ同様のことができそうだが、アラインメントの問題や、コピーに時間がかかるなどの問題があるようだ。

最後に、CrystalDiskMarkでベンチーマークしてみた。会社の決まりで、セキュリティ上の理由から、ある常駐ソフトウェアを使って全ディスクの暗号化を求められているため、猛烈に遅い。CrucialのWebサイトによれば、
  • Sustained Sequential Read: Up to 500 MB/s(SATA 6Gb/s)
  • Sustained Sequential Write: Up to 260 MB/s(SATA 6Gb/s)
ということなのだが、上記のとおり、この1/10程度の値になってしまっている。しかしそれでも体感的にはHDDよりはずっと快適になった。ついでにクリーンインストールまでしたので、起動時間がそれまでの約15分(!)から、1分ちょっとになった。おかげで、ソフトウェア強制導入による再起動も別に恐れる必要はなくなった。おかげで業務効率も上がることだろう。

2012年5月9日水曜日

「反原発」不都合な真実


すべての経済活動の基盤にはエネルギーがある以上、エネルギー問題はまずは経済問題である。エネルギーを作らない(発電しない)という選択肢はない。それは窮乏への道だからだ。

実際、反原発を主張する人々にも、原始的な山村生活を是としている人は少数だろう。圧倒的多数は、ペットボトルに入ったきれいな水を飲み(言うまでもなくペットボトルの生産には化石燃料を大量に消費する)、インターネットを楽しみ(インターネットを維持するためには莫大なお金をかけて海底ケーブルやルーターその他のインフラを持ち続ける必要がある)、夏には冷蔵庫に入った冷たい麦茶でも飲むことを前提に、おそらくは素朴な善意から、原発がなしですむものならその方がよいと考えているはずだ。「子どもたちの未来が!」と叫ぶ反原発の母親も、原発を廃棄した結果、電気代が2倍になったり、化石燃料の消費により温暖化がさらに進んだり、夏に停電になり冷房がきかず、それこそ赤ん坊と一緒に摂氏35度の灼熱の中で右往左往する現場など、想像しているわけではあるまい。

であるならば、仮にエネルギー問題が環境問題として語られる必要があったとしても、それは損と得の間のバランスから議論されるべきだ。

本書は、経済問題としてのエネルギー問題という立場から、原発がない世界がどういうものかを定量的かつ実証的に議論した本である。本書の多くの内容、特に、原発がつい最近までは環境問題のいわば切り札というような扱いをされていたこと、再生可能エネルギーのほとんどが到底原発の置換になりえず、むしろ送電網を不安定化させうること、などは普通の教養のある人なら知っていたことだろう。

私を含めて最も欠けていたのは、おそらく、放射線による健康被害の知識だろう。とりわけ、今回問題になるのはいわゆる低線量被爆と言われる100mSv以下の被爆である。これについては2つの考え方がある。
  • 人間の細胞には修復機能がある。そのため、少量の被爆には健康被害はない
  • いかなる低線量でも被爆は有害であり、有害と無害を区別する境目の値はない
後者を閾値なし仮説(LNT仮説: Linear Non-Threshold model)と呼び、国際放射線防護委員会(ICRP, International Commission on Radiation Protection)という団体が採用している考え方である。低線量被爆による人体の健康被害については信頼しうるデータは現時点でも存在しない(むしろ無害であるというデータは数多くある)が、
経験的に低線量は無害だと思っていた多くの医学者の反対を押し切って、ショウジョウバエにX線を宛てる研究をしていた遺伝学者の意見を採用し、低放射線の安全基準値をこの閾値のない比例モデルを使って決めることにした(p.53)
とのことである。ICRPは単なる民間の学術団体であるが、半世紀以上前から世界保健機構の諮問機関として勧告を出すなど、権威ある組織として国際的に認知されている。日本の放射線防護基準もICRP勧告を基本としている(三省堂 大辞林による)。

本書の主題のひとつはこのICRPモデルの妥当性である。これは、(1)人体の修復機能をあえて軽視している、(2)他のリスク要因との比較を無視している、という2つの意味で非常に厳格な、安全側に振った考え方だといえるだろう。今のところ、放射線の健康被害についての最も信頼しうるデータは広島と長崎の被爆者のデータである。これによれば、腫瘍にしても白血病にしても、被爆量100mSv以下のリスクはばらつきが多く、有害なのか有益なのか直ちに結論が出ない。下記に、白血病についての疫学研究のデータをこの論文*から引いておこう。右のグラフが500mSv以下のデータである。非常にばらつきが多く、被爆したほうががんになりにくいという結論すら導けることがわかる。しかし100mSv(0.1Sv)以下では、特段の危険は読み取れないことがわかる。しかもこれは一気に短時間で、おそらくは生体の修復能力をはるかに超えた速度で放射線を受けた場合のデータである。客観的に見て、100mSv程度では、被爆の健康被害は仮にあったとしても軽微で、他のリスク要因に埋もれてしまうだろう。

* Preston DL, Pierce DA, Shimizu Y, Cullings HM, Fujita S, Funamoto S, Kodama K.
Effect of recent changes in atomic bomb survivor dosimetry on cancer mortality
risk estimates. Radiat Res. 2004 Oct;162(4):377-89.

では「他のリスク要因」と比べてどうなのか。本書では、タバコや、火力発電による大気汚染による健康被害など、広汎な例を挙げて、原発による健康被害のリスクが非常に小さいことを論証する。しかも、原発の廃止には、大気汚染リスクに加えて、年間4兆円という莫大な追加の燃料代がかかる(p.118)。

まとめると、現時点での結論は、
  1. 放射線医学のデータを普通に眺める限り、合計100mSv以下の被爆に害はない。あったとしても、運動不足とか野菜不足よりはるかに小さいリスクである。恐れる必要はない。
  2. 原発の廃止に合理性はない。追加の燃料代4兆円は国富の流出を意味する上、国際政治上日本の地位を危ういものにする。
ということだ。リスクゼロを求める「庶民」の思いもわからなくないが、会社で労働者の給与を無制限に上げられないのと同様、リスクゼロのために無制限のコストをかけることはできない。


「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)
  • 藤沢 数希 (著)
  • 単行本: 208ページ
  • 出版社: 新潮社 (2012/2/17)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4106104571
  • ISBN-13: 978-4106104572
  • 発売日: 2012/2/17
  • 商品の寸法: 17.2 x 11 x 1.4 cm

2012年4月30日月曜日

「サイゴンから来た妻と娘」

駐在員時代に出会ったベトナム人の母娘を、ベトナム戦争終結の混乱の中で日本に逃がし、東京で暮らしてゆく中で経験するカルチャーギャップのエピソードを軽妙に描いた本。とりわけ食に対するエピソードが面白い。ライギョとの死闘、ペットのウサギを食べてしまった話、などなどまったく飽きさせない。著者は産経新聞の記者としてボーン・上田国際記者賞を受賞したこともある大物記者であるが、新聞記者には珍しくとても謙虚な感じのする人柄で、読後感が非常によい。出版(1978年)から34年も経過した今でも楽しく読める好著である。

別途、「アヘン王国潜入記」の方でも書いたが、本書が今読んでも面白いのは、居丈高に「正義」を語ることをほとんどしていないという点が大きい。しかしこういう個人的な題材を描いた本ですら、当時の世論に遠慮してか、微妙な表現がところどころに出てくる。ベトナム戦争の終結により「解放」されたはずの南ベトナムから大量の難民が国外に逃げた。この現実と、「解放」勝利で華々しく喧伝された理想とのギャップに言及して、著者はこう書く。

同時に私には、いまなお難民を生むことの悲しみに最も心を痛めているのは、ハノィの指導者たちではないのか、と思えてならない。ハノィはいま、すべての手段に訴えて、国家再建のために正しいと信じた方針を実施し、根付かせていかなければならない。戦場での戦いと同じように、外部の価値判断など超越した手段で人々を教育し、駆り立て、改造して大きな流れに巻き込んでいかなければならない。ベトナム共産党にとって、これは戦場とまったく同様の、生きるか死ぬかの、そしてこんどはベトナム全体がつぶれるかつぶれないかの、死に物狂いの戦いなのだ。これにうち勝つためには、当然、タガを締め、無数の汚い方便にも訴えぎるを得まい。力でおどし、心理でおどし、必要なら非同調者を容赦なく抹殺していくような真似だってやらぎるを得ないだろう。

しかし、汚職したり弾圧したりすることが旧チュー体制の本質でも目的でもなかったと同様に、取り締まったり、自由を制限したり、耐乏を強いたりすることは、ハノィの本質でもあるまい。(p.234)

上記、ハノイとは旧北ベトナムの首都で、ここでは共産党政権のことを指す。なぜ著者は、このように実質的に無内容なことを長々と書かねばならなかったのか。現実を見れば、共産主義の人間観が幼稚であり、ベトナム戦争の「解放」は人間の解放ではありえないことは明確ではないか。

それが歴史的限界なのである。歴史には正義の方向がある、というのが当時のインテリ多数派の共通理解であった。その動きに水を差す言動は文字通り「反動」であり、激しい攻撃の対象であった。ベトナム戦争に関して言えば、アメリカ帝国主義が反動で、北ベトナム軍が正義であった。この「教義」に、多少なりとも異を唱えるためには、上記のような、慎重にも慎重を重ねた言い訳が必要だったのである。

そうは言っても著者は知っている。著者は書く。
それならば、陥落前のサイゴン住民を支配したあの必死の空気は何だったのか、また、あのおびただしい数のソ連製の戦車群を目にしたときに私自身の全身を包んだ、あの、何か荒蓼とした感覚は何だったのか、と私は問い続ける。(p.235)

時代の制約に配慮しつつも、著者のスタンスは結局はぶれてはいない。このことが本書を不朽の名作にしているゆえんであろう。


サイゴンから来た妻と娘
  • 近藤 紘一 (著)
  • 文庫: 267ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (1981/7/25)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4167269015
  • ISBN-13: 978-4167269012
  • 発売日: 1981/7/25
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.6 x 1.4 cm