2024年3月17日日曜日

AI研究と社会: 過去10年の振り返り

 今から20年前と10年前に、機械学習の研究コミュニティの様相についてコメントをしたことがあります。それをふとしたはずみで思い出し、ある意味定点観測として、AI研究についての2024年時点での雑感を述べます。



早いものでさらに10年が経ちました。大きな変化として挙げられるのは3つあると思います。

第1に、プレプリントサーバーの利用はほぼデフォルトになりました。DBLPでも arXiv 論文が引用されるようになり、昨今の低いアクセプト率を反映して、arXiv のまま本出版に至らない論文も多数あり、arXiv であっても数百の引用数を誇る論文すらあります。

第2に、2012年ころから急速に進んだ深層学習革命により、機械学習のコミュニティの陣容も大幅に入れ替わり、査読の様相も様変わりしたことです。新世代の多くは、深層学習のAPIを使ったエンジニアリングに習熟してはいますが、コミュニティのすそ野が広がった結果として、統計学、情報理論、機械学習の基礎理論への深い理解を欠いた人も多く、いわば世代間の葛藤が生じています。ただ、「つないでホイ」というタイプの方法論で解ける問題は大方解きつくされたように思われ、深層学習以前に開発された技術との融合、そしてそれによる新たな技術革新が生まれてゆくことでしょう。例えば、最近流行の拡散モデルに基づく密度推定(サンプリング)の技術はその代表と言えるでしょう。

第3に、これは日本人として大変残念なことですが、人工知能研究において、日本はアジア地区での輝ける一等国という地位を完全に失い、アメリカ側から見た存在感で言えば、インド、中国、韓国、シンガポールあたりに次いだ5番目くらいの、「その他大勢」組に落ちてしまったということです。中国を中心に人工知能の技術が社会を大きく変える中、日本は臨機応変に対応することができませんでした。日本国内で閉じ、国際競争の当事者ではない既得権益層が、強固に「開国」を拒んだからです。既得権益を代表する業種としてマスメディアが挙げられると思います。マスメディアといわば結託した(不思議なことにマスメディアでの解説記事や商業出版を主要な業績として挙げることが許される)日本の文化系アカデミアの大半も同じ穴の貉です。

米国で経済成長の大半を担ういわゆる Magnificent Seven (Apple, Microsoft, Google, Amazon, Nvidia, Meta, Tesla) は、人工知能を主要な技術要素として、社会ネットワーク、 eコマース、クラウドコンピューティング、電気自動車といった分野を足場に大胆に社会を変えてきました。これらの分野を立ち上げるには、高度で大量な知的作業が必要です。それを担う若い PhD を系統的に供給しなければなりません。AIで高度化された情報技術が海のものとも山のものともつかなった15年前とかの段階ならともかく、今に至るまで大学の定員すらまともにいじれない日本の現状は残念というしかありません。

「社会を変える」というのは、既存秩序を破壊し、その結果として既得権益層に表舞台からの退場を強制することです。価値の低い情報しか伝えられないメディア企業は倒産し、国際的に評価されうる論文を書けない文系教授は失職し、いびつな健康保険制度に寄生している病院はつぶれてゆくということです。日本ではこれがまったくできませんでした。UberやAirBnBすらろくに営業ができません。

今起きていることは、戦前の日本とある意味でよく似ています。当時、最大の既得権益層は陸軍と海軍でした。既得権益層からの攻撃を恐れた結果、撤兵も軍縮も、陸海軍双方を統べる戦略・戦術指導も政策的選択肢として挙げることすらできませんでした。抜本的対策を妨げたのがメディアであるというのも、中等教育で作られた狭いコミュニティが政策を動かしているのも(陸軍幼年学校か名門中高一貫校か)同じであるように見えます。そして、表面的な弥縫策で時を浪費し、最後には不合理な願望に基づいた破滅的な意思決定に突き進んだのでした。


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