ただ、元左翼でNHK記者となり、取材の中で具体的な事実を知ることで左翼の敗北を悟った著者の軌跡はある程度興味深い。その観点で見れば、慰安婦問題、集団的自衛権、秘密保護法、原発、雇用制度改革、など個々の話題について、伝統的な左翼の問題設定がいかに非合理かを指摘する彼の分析は一般にはそれなりに意義もあろう。
はっきり言って私自身、これら個々の話題について取り立てて感想は浮かばない。あまりにも自明な問題に思えるし、本書エピローグにまとめられている通り、本来争点にすらならい問題だからだ。
今の日本で重要な政治的争点は、老人と若者、あるいは都市と地方といった負担の分配であり、問題は「大きな政府か小さな政府か」である。(「エピローグ」)
このようなことは少しのデータを見るだけで自明だ。しかしマスメディアで今でもほとんどすべてのスペースを占めるのは、要するに大昔から左翼が好んだ問題設定に基づく反政府的報道である。
例えば、自国民が拉致され、自国の国土が侵攻を受けたり(竹島、北方領土)、挑発を受けたりしているのに(尖閣諸島)、また、度重なる国家テロを反復している国家が隣にあるのに(大韓航空機爆破事件、ラングーン廟爆破事件、青瓦台襲撃事件、朝鮮戦争)、軍事的手段の準備と行使それ自体を問題にするのは不思議としか言いようがない。「彼らは反戦・平和を至上目的とし、戦争について考えないことが平和を守ることだという錯覚が戦後70年、続いてきた」。左翼の空想的平和主義はまるで、いつか白馬の王子様が迎えに来てくれると信じる少女のようで、現実味のなさは病的ですらある。
あまりにばかばかしいので本書では触れられてもいないが、日の丸・君が代反対運動というのも不思議だ。義務教育は義務であり権利ではない。義務を強制するのは国家である。多大なコストを投下してそれを実行するのは、究極的には、強い国を作るために他ならない。税金を使い運営を付託されている国家の立場から言えば、日本国のために忠誠を誓う人材を作るのは当然の目的といわざるを得ない。
日本国のために忠誠!おそらく左翼はここで絶叫するのだろうが、少し調べればいい。アメリカの公立小学校では、全員「忠誠の誓い」というのを暗唱させられる。それはある意味教育勅語のようである。国旗は校内いたるところにあり、あらゆる行事において国旗に敬意を表することを求められる。税金で運営されている学校としてこれは当然だろう。アメリカのような多民族国家では、合衆国とその象徴である国旗に忠誠を誓う限りにおいて、文化的多様性が許容される。無条件に、国内で民族の独自性が認められているわけではないのである。
しかしなぜか左翼はこういう事実を受け入れようとせず、空想的なコスモポリタニズムを繰り返すのみだ。これは何なのか。
著者はそれを、左翼が、万年野党であることを職業として追求しているためだと言う。つまりあえて責任を取らぬ外野という身分に自分を置くことで、理想主義者の芝居をしているだけだと。私は芝居ですらないと思う。あらゆる集団において、そういう「結果責任を取らない人たち」というのは出てくる。会社であれば新入社員や「腰掛OL」は経営の責任を負わない。家庭では専業主婦は収入を得る責任を負わない。社会では公務員は国際的市場競争の責任を負わない。国会であれば長い間野党は万年野党で、政策の責任を負わなかった。言ってみれば彼らは、現実に起こること責任を取らない(取りようがない)占い師のようなもので、だとしたらわざわざ現実の厳しさに目を向けるような面倒なことをせずに、願望と空想に基づいて好き放題にしゃべるのがある意味合理的だ。
それ自体は別にかまわない。日本の悲劇は、「東大法学部から朝日新聞に至る日本の知的エリート」が、そういう占い師同様の行動をとり、それが日本の針路に影響を及ぼしてきたということである。彼らの多くは弁護士や新聞社のような規制業種か、大学教授のような(ほぼ)公務員である。国家に寄生しながら、国家の経営に星占い程度の提言しかできない彼らの知的怠惰は、救いがたい。
左翼が社会を変えられなかったのか、という問いは、なぜ星占いが当たらなかったのか、という問いとほとんど違わない。
それだけの話だ。
- 池田 信夫 (著)
- 新書: 212ページ
- 出版社: PHP研究所 (2015/4/16)
- 言語: 日本語
- ISBN-10: 4569825117
- ISBN-13: 978-4569825113
- 発売日: 2015/4/16
- 商品パッケージの寸法: 17 x 10.6 x 1.4 cm
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