2019年12月8日日曜日

The Reluctant Communist: My Desertion, Court-Martial, and Forty-Year Imprisonment in North Korea


1965年に米国陸軍軍曹の身分で北朝鮮に投降し、その後日本人拉致被害者の曽我ひとみさんと結婚し、2003年に帰国を果たしたチャールズ・ジェンキンス氏の回顧録。原著のタイトルを直訳すると『不本意な共産主義者 ─ 脱走、軍事裁判、北朝鮮に閉じ込められた40年』。日本語版のタイトルは『告白』。

ジェンキンズ氏はノースカロライナ州の片田舎出身の、どこにでもいたようなアメリカ人の青年で、これと言って使命感があるわけでもなく何となく米陸軍に入り、ドイツ駐屯を経て朝鮮半島に配属される。朝鮮戦争が終わって約10年を経たころで、取り立てて危険な任務というのはなかったが、下士官に昇進してしばらくして、38度線前線での緊張を伴う偵察任務を与えられ、精神的に追い込まれる。折しもベトナム戦争に本格化の兆候があり、彼らの部隊が近々ベトナムで実戦に投入されるという噂があった。それを気に病んだ彼は、西ベルリンで投降しモスクワ経由で米国に送還されたある米兵士のニュースを見て、酩酊で半ば錯乱した精神状態で、本国送還を期待して38度線を徒歩で越え、北朝鮮軍に投降する。それが40年の長きにわたる監禁生活の始まりである。

解放に至る経緯は日本では語りつくされていると思われ、特に付け加えることはないが、拉致被害者解放に至るまで、日本の政治情勢と主要メディアの報道が明らかに異常であったということは記しておきたい。日本人が拉致された確実な証拠があり、実行犯まで逮捕されているにも関わらず(宇出津事件辛光事件など)、また、拉致にかかわった日本人グループの具体的な証言があるにもかかわらず、なぜか警察は動かず、安倍晋三氏をリーダーとする自民党の一部を除いて、ほぼすべての政治家と官僚は、この自国民に対する深刻な人権侵害を見殺しにしたばかりか、逆に朝鮮人への人権侵害と非難する始末であった。私自身、長い間、恥ずべきことにこれら無責任な政治家と同じような考えであったが、1998年ころまでに、石高健次氏らの著作から、拉致犯罪の実在を確信していた。普通の知的誠実さがあればそのような結論に至るのは当然のことである。

本書で特に興味深かった点は二つある。ひとつは、曽我ひとみさんと出会い、結婚し、家庭生活を営んでゆく経緯である。身から出た錆、囚われの身の日常で、しばしば投げやりな気持ちで生きてきたジェンキンス氏は、美しく純粋な若き日の曽我さんに会い、ある意味人間性を取り戻す(Chap 5. "Soga-san")。彼らの日常が望みがないものであればあるほど、彼らの純愛の物語はますます崇高さを増す。それはまるでサルトルが描いたナチス占領下のパリのようである ──「われわれは、ドイツ人に占領されていた間ほど、自由であったことはかつてなかった。われわれは、ものを言う権利を始めとして、一切の権利を失っていた。(中略)。全能な警察がむりやりわれわれの口を閉じさせようとしたからこそ、どの言葉もすべて原理の宣言としての価値をおびた。」(J.P. サルトル、『沈黙の共和国』。F. パッペンハイム『近代人の疎外』第1章所収) 。

もうひとつは、投降に関し軍事法廷での判決を得て、ある意味みそぎを済ませてから、本書日本版の印税をもとに航空券を買って、40年ぶりにノースカロライナの郷里に帰った時の情景である(Chap.10 ”Homecomings")。40年ぶりに会う老いた母親との感動の再会を期待していたジェンキンス氏は、認知症により息子や孫たちをうまく認識できない母親の様子にショックを受ける。さらに、多くのアメリカ人が監獄国家北朝鮮の現実をほとんど知らず、ジェンキンス氏のことを、敵国に投降した裏切り者、共産主義に洗脳された活動家、といった疑いのまなざしで見ていることを知り落胆する。それはまるで、捕虜になることを恥とした戦前戦中の日本のようで、軍事国家アメリカの負の一側面であろう。

せめてもの救いは、ジェンキンス氏が自分の過去を振り返り、自分の過ちで40年もの間囚われの身であったとしても、曽我さんに会えたという一点において、北朝鮮で過ごした自分の人生は無駄ではなかったと述べていることだ。日本では圧倒的多数の国民が、曽我さんやジェンキンスさんを心から気の毒に思い、彼らの生活が軌道に乗るようにできる限りのことをしたと思う。ジェンキンス氏も本書でそのことについて、繰り返し感謝を述べている。元の自分の郷里で傷ついたジェンキンス氏だったが、佐渡を生涯の住処として、2017年に亡くなるまで穏やかな晩年を過ごしたようである。


The Reluctant Communist: My Desertion, Court-Martial, and Forty-Year Imprisonment in North Korea
  • Charles Robert Jenkins
  • ペーパーバック: 192ページ
  • 出版社: Univ of California Pr (2009/3/10)
  • 言語: 英語
  • ISBN-10: 0520259998
  • ISBN-13: 978-0520259997
  • 発売日: 2009/3/10


告白
  • チャールズ・R・ジェンキンス  (著)
  • 文庫: 320ページ
  • 出版社: 角川書店 (2006/9/22)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4042962017
  • ISBN-13: 978-4042962014
  • 発売日: 2006/9/21


Infidel

ソマリア出身で現在主にアメリカでイスラム教にまつわる人権問題に活発に発言を続けるアヤーン・ヒルシ・アリの半生記。原著タイトルのInfidelは「異教徒」の意味。和訳の表題は、『もう、服従しない―イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した』。

ヒルシ・アリはソマリアの著名な政治的指導者のひとりヒルシ・マガンの娘として生まれ、母国の混乱と氏族内での問題から、23歳の時にオランダに亡命する。それは直接的には、父親から強いられた結婚から逃れるためであった。氏族の面汚しの汚名を背負った彼女は、ムスリムであることと、自分の人生の関係を深く考えるようになる。ソマリ人の同胞の多くが生活保護を頼って自堕落に生きているのを横目に、彼女は通訳として生計を立てながら勉学に励み、30歳の時にオランダの名門ライデン大学で政治科学の修士号を取得する。

オランダ労働党のシンクタンクで働いているときに、当時オランダでも大きな社会問題になりつつあったイスラム教徒との文化的政治的摩擦についてのコメンテーターとしてメディアで有名になる。アメリカの同時多発テロ事件のころである。彼女はオランダで国会議員にまでなるが、イスラム教における人権侵害を厳しく指摘する彼女はイスラム教徒からの攻撃に常にさらされており、その政治的立場は危ういものであった。実際、彼女とイスラム教における女性迫害を告発した映画 "Submission"(服従) を撮った 有名な映画監督テオ・ヴァン・ゴッホは、映画の公開後まもなく路上でイスラム教徒に惨殺されてしまう。遺体には手紙がナイフで突き刺してあり、そこにはヒルシ・アリに対する殺害予告が書かれていた。彼女はその後常にボディーガードとともに行動せざるを得なくなる。

私がヒルシ・アリの名前を初めて知ったのは、”Is Islam a religion of peace?”(「イスラム教は平和の宗教か」) と題したディベートを聴いた時であった。現代のアメリカでは、イスラム教の存在自体に疑念を表明するのは政治的に不可能に近い。今からおよそ10年前、2010年10月にはそれがまだ可能であったという事実はほとんど驚くべきことである。テロを警戒しものものしい警備がなされたディベートの会場で、No monotheistic religion can be a religion of peace (いかなる一神教も平和の宗教にはなりえない)と言い切る彼女の強さ、勇敢さはどこから来るのか。

彼女は敬虔なイスラム教徒の母のもとに生まれ、十代の頃、イスラムの教えは彼女の中では絶対の価値であった。しかし、祖母に強制された自身の割礼の苦痛、一夫多妻の反作用で精神を病む母親、世俗国家ケニアに住んでいるときに読んだ恋愛小説とあまりに違う級友の結婚の現実、ひっきりなしに起こる名誉殺人、自分自身に強いられた結婚、など、それまで彼女が折に触れ感じた疑問が、異国オランダで独り立ちし生きる力を得たときに、彼女の中で臨界点を超える。不可侵の聖典であるコーランを字義通りに読む限り、女性を家畜同様に扱っている現実はイスラム教の必然的帰結である。現代的な人権概念とイスラム教の教えは根本的に矛盾し、イスラム教の教え自体が、人間による聖典の変更・再解釈を禁じている以上、原理的に妥協点は存在しない。彼女によれば、イスラム原理主義者による異教徒へのテロはイスラム教の正しい実践であり、異端でも何でもないのである。

本書は、現代民主国家の脆弱性に多くの示唆を与える。オランダは現代アメリカと同様、移民の受け入れと文化的多元主義に価値を置いてきた先進的な民主国家である。しかし奇妙なことに、ヒルシ・アリが、名誉殺人、すなわち、レイプされたという理由で父親や兄弟に殺されるムスリム女性たちの理不尽がイスラムの聖典自体に根差す構造的な問題だと訴えるとき、彼女は常に人権活動家からの攻撃にさらされた。「極右排他主義者」、「反イスラム主義者」、等々の名のもとに。人権を守るための具体的な行為が、人権活動家から攻撃を受けるという皮肉は、現代民主国家のあらゆるところに見られる。同時多発テロから18年、アメリカではテロ支援国家からの常識的な渡航制限すら実行困難な状況に陥っている。信教の自由は、現代民主国家が刻苦の歴史の末確立した人権概念の金字塔というべきものであるがゆえ、そこから派生する原理的な問題は、現代民主国家の統治機構の盲点になっている。筑波大助教授殺害事件は別に特殊な例ではない。この世界の先行きは暗い。


Infidel
  • Ayaan Hirsi Ali 
  • ペーパーバック: 384ページ
  • 出版社: Simon & Schuster (2008/3/3)
  • 言語: 英語
  • ISBN-10: 9781416526247
  • ISBN-13: 978-1416526247
  • ASIN: 1416526242
  • 発売日: 2008/3/3


もう、服従しない―イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した 
  • アヤーン・ヒルシ・アリ 
  • 単行本: 488ページ
  • 出版社: エクスナレッジ (2008/9/30)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 476780681X
  • ISBN-13: 978-4767806815
  • 発売日: 2008/9/30