2015年5月1日金曜日

「朝日新聞 世紀の大誤報: 慰安婦問題の深層」

うやむやにしておけばいいものを、何を思ったかいまさら誤報を認めて、再起不能になった朝日新聞の慰安婦報道の検証本。基本的にブログ記事を羅列した本で、事実が断片的に記されており読みにくいが、本件をある程度公平かつ広範に調査した本としては、おそらく本書が最善であろう。

いわゆる慰安婦問題について、事実関係について特に難しい点はない。1章にも一部まとめられているが、改めて要約しよう。
  • 1945年まで朝鮮は日本の一部。朝鮮は日本の交戦国ではないし、戦勝国でもない。
  • 自国民を戦争遂行のために動員する法律は1939年の国民徴用令に始まるが、もっぱら適用は日本国民。朝鮮人への適用が始まったのは1944年8月から。結果として、国民徴用令で動員されたのは日本人が616万人、朝鮮人が245人(245万人ではなく、文字通り二百四十五人)
  • 朝鮮人のプライドに配慮してか、日本政府は朝鮮人の直接の動員を徹底的に避け、民間の業者を通した自発的志願という形をとった。募集に応じた結果、終戦時までに32万人以上が労働に従事した。この中には女性はいない。「女子は徴用の対象としないという方針が決まっていたためだ」。
  • 法的強制力を伴う女性の動員は、1944年8月の女子挺身勤労令に基づく。この対象は日本人のみ。朝鮮人は対象外。なお、女性の動員はアメリカ、イギリスでも行われた。
  • 慰安所に来た娼婦は、民間業者の募集に応じたもので、多数の日本人女性に加えて朝鮮人女性も含まれるが、日本政府および日本軍が強制的に募集する方針を決めたという事実はない。
これらは明確な証拠があり、争う余地は少しもない。では朝日新聞の報道の内容は何か。
  • 1980年代に数回、吉田清治という小説家が書いた「日本軍が済州島で朝鮮人女性を誘拐して慰安婦にした」という内容の猟奇小説を、事実として報道した
  • 1991年8月11日に、次の内容の記事を植村隆記者が書いた。
    • 日本軍が女子挺身隊の名の下に朝鮮人女性を強制連行した
    • 彼女たちに売春行為をさせた
    • その証人が1人名乗り出た
    • 売春行為の報酬の一部が未払いなので日本国が賠償するよう訴訟を起こした
  • 1992年1月11日、宮沢首相の訪韓直前に、「軍慰安所従業婦等募集に関する件という陸軍省公文書を、朝鮮人女性強制連行の決定的スクープとして朝日が報道。しかもそれを「挺身隊の名で連行された」証拠だとした
明らかにこの報道は少なくとも日本側から見た史実と矛盾している。上記の通り、朝鮮では女性の徴用は少なくとも公式には存在しないし、挺身隊と慰安婦はまったく関係ない。92年に報道された公文書は、普通に読めば、単に、子女を騙して慰安婦にする悪徳業者を取り締まれという趣旨である。だから、上記の報道がもし真実であれば、それこそ世紀のスクープというべきである。

日本を代表するこの大新聞の強烈なキャンペーンの前に、日本政府も動揺した。奴隷狩りのような行為が「なかった」ことの証明は、いわゆる「悪魔の証明」である。まさか、意図的印象操作のために事実を捻じ曲げているとは想像もしなかったのだろう。やむなく宮沢首相は当時の韓国大統領に謝罪し、そして謝罪したがゆえに、それを既定事実として、その後日本は、女性に対する最悪の人権侵害の加害者として国際的非難にさらされることになるのである。


上のグラフは、本書で引用されている韓国内での慰安婦報道のデータである(ここにも同じデータがある)。それまで話題にすらならなかった日本軍関係の慰安婦問題が、1991年に始まる朝日新聞のキャンペーンにより猛烈な勢いで韓国に浸透したことが分かる。日本国に対して朝日新聞がなした罪は非常に重いのである。

この朝日のキャンペーンには答えられるべき疑問がいくつかある。ひとつは、1991年の報道で証人として挙げられた金学順という女性の証言を、誰がなぜ捻じ曲げて報じたかである。無垢なうら若き女性を日本軍が奴隷のように強制連行したかのように報じる朝日の記事に反し、当の韓国のメディアは1991年5月15日に次のように報じている
1991年5月15日「ハンギョレ新聞」では、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」という彼女の証言を報道している。
清田治史鈴木規雄ら朝日新聞の幹部と植村隆は、この経緯を知りながら、あえて(1)肉親により売春宿に売られたという事実を隠し、また、(2)女子挺身隊と慰安婦は無関係という事実を捻じ曲げ、国家政策としての徴用と慰安婦を結びつける報道を行った、というのが本書の批判のポイントのひとつである。

もうひとつの疑問は、宮沢首相の訪韓寸前に、このような情報操作を行った記事を、誰がなぜ出したかである。よく指摘されるのが、件の記事を書いた植村隆記者の義母梁順任が、太平洋戦争犠牲者遺族会なる賠償請求の当事者であったという事実である。しかし本書では、丹念な考察をもとに、もっとスケールの大きな、少なくとも朝日新聞幹部の清田治史鈴木規雄の合意のもとに進められた社を挙げてのキャンペーンと断じている。これが本書の最大の功績だ。単なる誤解と済ませられたかもしれない誤報を、20年以上にわたり、時に強弁しつつ隠蔽し続けてきたという事実は、確かにそのような事情を強く想像させる。さらに本書では、梁順任の人脈と、金丸信らの訪朝に絡む密約疑惑、さらに本件の裏でうごめいた高木健一ら日本人弁護士の発言から、著者は北朝鮮の浸透工作の存在の可能性を示唆している

最後の疑問は、なぜ今さら朝日新聞が報道の取り消しを行ったかである。そもそもが特定の政治的信念から「角度をつけて」なされた報道である。関係者一同、事実との齟齬は分かっていたはずだ。であるなら、そのままの姿勢で行くのが合理的であろう。なぜ方針転換を決めたのか。本書でそれは明確に説明されていないが、特に若年層における新聞の売り上げ低下と、入社希望者の激減に危機感を持っていたとの推測がなされている。

2014年に朝日は自社の報道を見直し、次のような趣旨の記事を書いた。
  • 吉田清治の「証言」は虚偽であり、報道を取り消す。
  • 女子挺身隊と慰安婦は無関係である。
当然である。だとしたら残る論点は何か。端的に言って何もない。日本軍がやったことは、どう過大に見積もっても韓国軍が1970年前後にベトナム戦争でやったことと同程度か、おそらくそれよりはましだ軍が慰安所を設置し、民間業者に運営させた。応募してきた慰安婦は、売春行為に基づき報酬を得た。軍が売春に加担していたという歴史は日本の恥部であるが、第2次大戦当時の世界において、それを非難できる国はどこにもないのである。当の韓国にしても、ハンギョレ新聞が引用するとおり
朴槿恵大統領が慰安婦問題を内政と外交の道具としてでなく、真に人権問題として考えるならば(中略)韓国人慰安婦女性たちの事例と同様に(この懸案に対しても)率先して調査するだろう。そうでないならば(韓国は)自身に不利な事実には目を瞑り歴史を直視しない国家だということを国際社会に自ら証明することになるだろう
という批判は「腹立たしくはあるが反論しにくい主張」として受け止めねばならないはずだ。

管理売春という行為自体、人道にもとる行為であることは確かだ。しかしかつて米国で奴隷制が合法であったのと同様、当時は管理売春も合法であった。日本政府は、いわば軍事作戦の一部として慰安所を設置したことに人道的見地から謝罪をしており、非公式に賠償までしている。韓国に関しては、交戦国ではない韓国には本来戦争賠償の必要はないにも関わらず、韓国の国家予算の3倍にも上る巨額の資金を提供することで、「韓国の日本に対する一切の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく関係正常化が合意されている。それ以上日本政府は何をすればいいのか、という著者の疑問は正しい。

言い値で認められれば1兆円にものぼるであろう巨額の賠償を、自国政府から特定国に支払わせるために暗躍した清田治史鈴木規雄植村隆らの朝日新聞の面々と高木健一福島瑞穂戸塚悦朗らの弁護士。清田と鈴木は素朴な正義感から、植村・高木・福島は多少の正義感とおそらくは金銭的私欲からそれを画策し、上のグラフに示すとおり、日韓関係を破壊したばかりか、日本国民の対外的イメージを著しく下げた。

今になってはっきりしたことは、慰安婦をめぐるこの騒動により、日本国が傷ついたのと同じくらい、あるいはそれよりももっと深く、これらの人々も傷ついたということである。この虚偽報道で誰か得をした日本人はいただろうか。おそらくいない。自国を外国に売り渡す行為は、自国で生き続けることを前提にする場合、決して合理的ではありえないのだ。20世紀の日本の知識人の混乱を象徴する本当に悲しい、悲しいエピソードである。


  • 池田 信夫 (著)
  • 新書: 200ページ
  • 出版社: アスペクト (2014/11/20)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4757223803
  • ISBN-13: 978-4757223806
  • 発売日: 2014/11/20
  • 商品パッケージの寸法: 17.4 x 11 x 1.8 cm

「戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか」

表題の通り、現在でも新聞やテレビで力を持つ左翼人たちの限界を書いた本。著者のブログ記事の散漫な羅列であり、本自体の完成度は低い。著者のブログ、特に書名と同じこれを読めば十分である。

ただ、元左翼でNHK記者となり、取材の中で具体的な事実を知ることで左翼の敗北を悟った著者の軌跡はある程度興味深い。その観点で見れば、慰安婦問題、集団的自衛権、秘密保護法、原発、雇用制度改革、など個々の話題について、伝統的な左翼の問題設定がいかに非合理かを指摘する彼の分析は一般にはそれなりに意義もあろう。

はっきり言って私自身、これら個々の話題について取り立てて感想は浮かばない。あまりにも自明な問題に思えるし、本書エピローグにまとめられている通り、本来争点にすらならい問題だからだ。
今の日本で重要な政治的争点は、老人と若者、あるいは都市と地方といった負担の分配であり、問題は「大きな政府か小さな政府か」である。(「エピローグ」) 
このようなことは少しのデータを見るだけで自明だ。しかしマスメディアで今でもほとんどすべてのスペースを占めるのは、要するに大昔から左翼が好んだ問題設定に基づく反政府的報道である。

例えば、自国民が拉致され、自国の国土が侵攻を受けたり(竹島、北方領土)、挑発を受けたりしているのに(尖閣諸島)、また、度重なる国家テロを反復している国家が隣にあるのに(大韓航空機爆破事件ラングーン廟爆破事件青瓦台襲撃事件、朝鮮戦争)、軍事的手段の準備と行使それ自体を問題にするのは不思議としか言いようがない。「彼らは反戦・平和を至上目的とし、戦争について考えないことが平和を守ることだという錯覚が戦後70年、続いてきた」。左翼の空想的平和主義はまるで、いつか白馬の王子様が迎えに来てくれると信じる少女のようで、現実味のなさは病的ですらある。

あまりにばかばかしいので本書では触れられてもいないが、日の丸・君が代反対運動というのも不思議だ。義務教育は義務であり権利ではない。義務を強制するのは国家である。多大なコストを投下してそれを実行するのは、究極的には、強い国を作るために他ならない。税金を使い運営を付託されている国家の立場から言えば、日本国のために忠誠を誓う人材を作るのは当然の目的といわざるを得ない。

日本国のために忠誠!おそらく左翼はここで絶叫するのだろうが、少し調べればいい。アメリカの公立小学校では、全員「忠誠の誓い」というのを暗唱させられる。それはある意味教育勅語のようである。国旗は校内いたるところにあり、あらゆる行事において国旗に敬意を表することを求められる。税金で運営されている学校としてこれは当然だろう。アメリカのような多民族国家では、合衆国とその象徴である国旗に忠誠を誓う限りにおいて、文化的多様性が許容される。無条件に、国内で民族の独自性が認められているわけではないのである。

しかしなぜか左翼はこういう事実を受け入れようとせず、空想的なコスモポリタニズムを繰り返すのみだ。これは何なのか。

著者はそれを、左翼が、万年野党であることを職業として追求しているためだと言う。つまりあえて責任を取らぬ外野という身分に自分を置くことで、理想主義者の芝居をしているだけだと。私は芝居ですらないと思う。あらゆる集団において、そういう「結果責任を取らない人たち」というのは出てくる。会社であれば新入社員や「腰掛OL」は経営の責任を負わない。家庭では専業主婦は収入を得る責任を負わない。社会では公務員は国際的市場競争の責任を負わない。国会であれば長い間野党は万年野党で、政策の責任を負わなかった。言ってみれば彼らは、現実に起こること責任を取らない(取りようがない)占い師のようなもので、だとしたらわざわざ現実の厳しさに目を向けるような面倒なことをせずに、願望と空想に基づいて好き放題にしゃべるのがある意味合理的だ。

それ自体は別にかまわない。日本の悲劇は、「東大法学部から朝日新聞に至る日本の知的エリート」が、そういう占い師同様の行動をとり、それが日本の針路に影響を及ぼしてきたということである。彼らの多くは弁護士や新聞社のような規制業種か、大学教授のような(ほぼ)公務員である。国家に寄生しながら、国家の経営に星占い程度の提言しかできない彼らの知的怠惰は、救いがたい。

左翼が社会を変えられなかったのか、という問いは、なぜ星占いが当たらなかったのか、という問いとほとんど違わない。

それだけの話だ。


  • 池田 信夫  (著)
  • 新書: 212ページ
  • 出版社: PHP研究所 (2015/4/16)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4569825117
  • ISBN-13: 978-4569825113
  • 発売日: 2015/4/16
  • 商品パッケージの寸法: 17 x 10.6 x 1.4 cm
  • おすすめ度:  5つ星のうち 4.6  レビューをすべて見る (9件のカスタマーレビュー)